平成芭蕉の旅語録

日向薬師と大友皇子開基の石雲寺

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平成芭蕉の旅語録「日本遺産の大山詣り(日向地区)」

行基菩薩が開創した日向薬師と高麗王若光

伊勢原歴史文化遺産活用促進ファムトリップに招かれ、日向・大山・比々多地区を巡って来ました。

この事業は伊勢原市の日本遺産『江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで「大山詣で」~』の構成要素の中でも中心たる大山地区以外の日向地区、比々多地区をもっと知っていただこうという企画でした。

最初に訪れた日向薬師は正式名を日向山霊山寺と呼び、716年に行基菩薩が開創した古刹です。最盛期には13坊あったそうですが、明治の廃仏毀釈で破壊され、今は宝城坊のみが残り、これが日向薬師宝城坊、通称「日向薬師」として知られています。

境内には天然記念物の二本杉の隣に南北朝時代の梵鐘がありますが、鐘楼は4隅に3本ずつの柱があって、12神将を表すという珍しいものです。

本尊は鉈(なた)彫りで有名な薬師三尊像で、これは厨子の中にあって見ることはできませんでしたが、他にも薬師如来坐像阿弥陀如来坐像四天王立像十二神将立像など日向薬師の重要文化財は数多くあって見ごたえがあります。

日向薬師縁起では、行基は白鬚明神熊野権現から授けられた香木で薬師如来を彫ったと伝わりますが、その2神は現在、日向神社(かつては白鬚神社)に合祀されています。

ご神体は熊野権現と白鬚明神の木像ですが、白鬚明神の木像は朝鮮半島にあった高句麗の王若光の姿と言われています。

高麗王若光は日本に亡命し、大磯に上陸、高度な文化を伝えたと言われていますが、この若光が行基に香木を与えたとしても不思議なことではないと思います。ちなみに大磯は「オッソソ」と発音され、これは朝鮮語で「いらっしやい」を意味するそうです。

雨降山石雲寺と壬申の乱で敗れた大友皇子の伝説

次に訪れた雨降山石雲寺は、諸国を行脚していた華厳妙瑞という法師が、「壬申の乱」で敗れた大友皇子の菩提を弔うために開創した寺で、開基は真崇明覚大法王(大友皇子)となっています。また、この寺の本堂前には大山の雨乞い信仰のご神体と思われる「雨降石」も祀られています。

『日本書紀』には、大友皇子は天智天皇が崩御した後、叔父の大海人皇子と皇位継承を争って敗れ、山前というところに身を隠して自害し、首実検されたと書かれています。

しかし、一説には自殺したと見せかけ、こっそりこの日向の山中に逃れ、木こりの慈愛にもてなされて余生を送ったとも伝わっています。

実際、近くの「御所の入森のコテージ」の「御所の入」などの字は、この言い伝えを証明しているかのようにも思えます。

また『君津郡誌』には、大友皇子は相模からさらに上総に渡って、君津市俵田付近に御所を築いたとの記述が残っているそうで、その御所のあとに建ったのが田原神社で、現在の白山神社と言われています。こちらにも「馬来田(まぐた)」といった伝説を裏付けるような地名が残っています。

歴史はロマンですので、改元を機に大友皇子の陵と伝わる伊勢原の日向を訪れてみてはいかがでしょうか。by【平成芭蕉

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