日本遺産を旅する 石見の火山が伝える悠久の歴史
縄文時代へタイムスリップ「縄文の森」と世界遺産「銀の山」と出逢える旅へ
最近では土偶や火焔型土器をはじめとする縄文文化に関心を寄せる方が増えていますが、遺物は石器や土器が中心で樹木や人骨は希少です。実際、縄文時代の集落跡などは大半が地下に埋もれており、身近には感じにくいかもしれません。
しかし、狩猟・採集を中心に自然と共存していた縄文時代、日本列島には巨大な木々が生い茂る森林が広がっていました。島根県大田市の「三瓶小豆原(さんべあずきはら)埋没林」は、その縄文時代の壮大な森の姿を今に伝えてくれる貴重な遺跡です。
三瓶火山の噴火と地形的な偶然が重なることで奇跡的に残った木々が、地底にそびえる神秘の森のごとく、当時のまま地面に根を張った状態で見ることができます。
三瓶山は島根県唯一の活火山で、最後に噴火したのは、約4000年前ですが、複数の山が窪地を囲むように連なり、人気の三瓶温泉をはじめ、周辺にある多くの素晴らしい火山性温泉の源となっています。
また、世界遺産の石見銀山の鉱床も火山のマグマから生まれており、石見の国「大田(おおだ)」はまさに火山が育んだ大地で、2020年6月、大田市の三瓶山一帯は「石見の火山が伝える悠久の歴史~”縄文の森” ”銀(しろがね)の山”と出逢える旅へ~」のストーリーとして日本遺産に登録されました。
私はこの三瓶小豆原埋没林を見学した際、縄文時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えましたが、この縄文人も見たであろう森は、約4000年前の三瓶火山の活動で流れ下った土石流(岩屑なだれ)の堆積物によって土砂ダムが形成されたことで埋没したと考えられています。
発掘された森は杉の木が中心で、真っ直ぐに伸びる幹は残っている部分だけでも高さ10mもあり、生きていた時の樹高は40m以上と推定されます。縄文遺跡は数多くありますが、縄文の森の姿を実際に再現している展示は他にはありません。
『出雲の国風土記』に記された三瓶山
私はしばしば出雲神話の講座で島根県を紹介していますが、三瓶山は古代日本神話にも登場しています。8世紀の『出雲国風土記』には、自分の国が小さいと考えた国造りの神が海の向こうから引き寄せた土地を1つにまとめる際、佐比賣山(三瓶山)と大山を杭として使ったという「国引き神話」が記されています。
そこで、私は「国引き神話」の古名を今に伝え、大田市三瓶町多根に鎮座する、三瓶山の鎮守「佐比賣山神社」に参拝してから、日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」の構成文化財を巡ることにしました。
佐比賣山神社で7年ごとに執り行われる農耕神事の大元祭では、伝統的な六調子の多根神楽が奉納されますが、これも「神々や鬼たちが躍動する神話の世界」として日本遺産に登録されています。
昔も今も石見の象徴として親しまれている三瓶山は、直径約5km のカルデラの中に主峰の男三瓶山 (1126m) 、女三瓶山 (957 m)、子三瓶山 (961 m)、孫三瓶山 (907 m)、太平山 (854 m)、日影山 (718 m) の6つの峰が「室の内」と呼ばれる直径約1.2 kmの爆裂火口を囲んで並んでいます。
家族の名がつけられた峰が並ぶ姿とその山裾のなだらかな斜面に広がる草原には大地の息吹を感じることができます。草原は火山灰土壌のため、水に乏しく、田畑に適さないので、石見銀山領内の吉永藩により放牧地とされましたが、農耕や荷物運搬に必要な牛馬の飼育は経済振興策でもあったのです。
西の原の草原が眼前に広がる道路沿いを行くと、石見銀山の初代奉行、大久保長安が一里塚の塚松として植えたとされる「定めの松」が出迎えてくれます。この松は400年以上の老松で、以前は道路の両側に対になっていましたが、一方は2007年に枯れてしまいました。
西の原の下方には、三瓶山の噴火でできた堰止湖の「浮布(うきぬの)の池」があり、静かに水をたたえています。池の先には男三瓶山と子三瓶山がそびえ、晴れた風のない日には、湖面に「逆さ三瓶」が映ります。
浮布池は、初夏の朝夕のひと時、幅2m余りの水面が、あたかも白布を浮べたように見えることから名付けられたと言われ、柿本人麻呂も万葉歌に詠んでいます。
三瓶山の昔話には、大きな地震で山が崩れ、3つの瓶(かめ) が飛び出したので三瓶山と呼ばれるようになったとありますが、一瓶は物部神社(一瓶社)、二瓶は浮布の池にある迩幣姫(にべひめ)神社(二瓶社)、三瓶は三瓶町池田にあった三瓶社(現高田八幡宮)と言われています。
中でも一瓶社を祀る物部神社は石見国一之宮で、古来より文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬され、大和の豪族、物部氏の始祖とされる宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が鎮魂祈祷を最初に行った謂(いわ)れから、占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚いことでも知られています。
また、7月の御田植祭では、童女を佐比賣山(三瓶山の古名)から招いた田の神「サンバイサン」と見立てて執り行われることから、三瓶山への信仰をうかがわせる神社です。
豊かな暮らしを育んだ三瓶火山と火山が生んだ世界遺産「石見銀山」
昼食には、西日本で唯一、そばの名産地に数えられていた三瓶そばを食べましたが、三瓶山の特産品であるワサビのごはんも付いていました。
昼食後は江戸時代より栄えた湯治場の三瓶温泉に浸かりましたが、源泉かけ流しの湯に身を沈めると、じっくりと体が温まってきました。しかし、この熱源が地下に残るマグマであると知れば、三瓶温泉はまさに火山の熱の恵みで成り立っていると実感しました。
しかし、火山の恵みと言えば、やはり国内外の政治経済にも影響を及ぼした世界遺産「石見銀山」です。この銀山成功の一因は、土砂状の火山砕屑丘に熱水が浸透してできた「福石」の存在です。石自体がそれほど硬くなく、効率よく掘り出すことができ、16世紀に導入された「灰吹法」と呼ばれる精錬技術で銀を取り出しやすい鉱石だったので、銀の量産に繋がったのです。
石見銀山遺跡としてはその銀山隆盛の原点となった「仙ノ山福石鉱床」が有名ですが、鉱山町として栄えた大森銀山地区には、やはり火山がもたらした緑色凝灰岩(グリーンタフ)が石材として多く使われており、各所に残る石切り場の跡も趣があります。
大森町は石見銀山の積出港として栄えた温泉津(ゆのつ)温泉街と同様、重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
多くの屋根はこの地域で見つかった鉄分の豊富な粘土で作られる赤い石州瓦(石州は石見地域の別名)が使われており、また、もう一つの特徴は梅の木ですが、これは梅干しの中のクエン酸が、ほこりっぽい坑道の中で呼気を保つ効果があると坑夫たちに信じられていたからです。彼らは坑道に入る時、マスクの中にその果肉を挟んでいたと言われています。
日本列島の地殻変動と火山活動の恵み
また、緑色凝灰岩(グリーンタフ)と言えば、踏みしめると音を奏でる「鳴き砂の浜」として知られる琴ヶ浜湾の両側の岬にも見られます。この浜は半円状の湾になっており、この形が波の力をほどよくさえぎり、石英質の大きさが揃った砂が波に洗われ続けていると考えられています。
石見銀山から琴ヶ浜に向かう途中、龍巌山(龍岩)と呼ばれる奇岩があり、その頂上には石見銀山守衛の山城のひとつ、石見城が建てられていました。
この岩には風化によってできた穴がいくつかあり、その内側は赤色をしており、龍の口のように見えますが、約1500年前に火山が噴火した際、マグマが地を割って上昇した火道の部分にあたります。
また、琴ヶ浜に近い仁万海岸の波食台にも緑鮮やかな緑色凝灰岩(グリーンタフ)が見られますが、ここには2個の大きな樹木化石(硅化木)が露出しており、「仁万の硅化木」として県の天然記念物に指定されています。形は樹木ですが、成分は石英質の二酸化ケイ素の鉱物です。
日本海沿いの海岸には柿本人麻呂をはじめとする『万葉集』ゆかりの地が点在していますが、洞窟の神社「静之窟(しずのいわや)」も生石村主真人(おいしのすぐりまひと)が詠んだ「志都乃石室(しずのいわや)」の比定地とされています。
すなわち、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が国造りの際に仮住まいした場所で、かつては静間神社が洞窟に祀られ、今も一方の口に鳥居が建てられています。
「静之窟」は日本列島形成の地殻変動の激しさを物語っていますが、その地殻変動に伴う火山活動で火山灰や軽石などが海底に堆積してできた石が「福光石(ふくみついし)」です。この石は石見銀山にある「五百羅漢像」にも使われており、その福光石の石切り場には、現在も作業が行われている採石場とは思えないほどの、幻想的でミステリアスな地下空間が広がっています。
「福光石」は、火山灰などが1500万年もの年月をかけて岩石(凝灰岩)になったもので、水に濡れると青緑のやさしい色合いに変わるのが特徴です。福光石の石切り場の手彫りの跡と周囲の自然が織りなす景観美は、まるで別空間で迷宮の探検をしているようにも感じます。
はるか昔、日本列島が生まれた時代の火山活動は石見地域に銀鉱山をはじめとする多くの資源と変化に富んだ景観をもたらしています。火山といえば、噴火により災害をもたらすイメージですが、この地においては有益な石材や温泉など、この火山の恵みが暮らしを支えていることが実感できました。
石見の火山が伝える悠久の歴史~”縄文の森” ”銀の山”と出逢える旅へ~
所在自治体〔島根県:大田市〕
地下へ続く階段を下りていくと、目の前にそびえ立つ幾本もの巨大な木――。三瓶山(さんべさん)の噴火で地中深くに埋まった縄文時代の木々が、悠久の時を超え、当時のままの姿を現しているのです。
火山大国である日本。
人々を脅かす噴火ですが、石見(いわみ)の国(くに)おおだには様々な恩恵をもたらしてくれました。かつて世界に「ジパング(日本)」の名をとどろかせた石見(いわみ)銀山(ぎんざん)の鉱床もマグマから生まれたのです。
そして火山が育んだ豊かな大地は生活を潤してくれました。
暮らしの根っこに火山の歴史が息づくまち、石見の国おおだ。
ここには火の国のめぐみと出逢える旅が待っています。
一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定
私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。