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平成芭蕉の旅語録〜東海道シンポジウムと京街道「東海道57次」

東海道シンポジウム(CBCニュース)

愛知県街道推進事業「東海道シンポジウム」で紹介された東海道57次

2021年2月1日、愛知県金山駅近くのANAクラウンプラザホテル グランコート名古屋で愛知県街道観光推進事業「東海道シンポジウム」が開かれ、私は「街道歩きの魅力と楽しみ方」と題して講演させていただきました。

東海道シンポジウムでの講演(CBCニュース)

このシンポジウムはCBCテレビNEWSでも紹介され、東海道の魅力を観光資源に活用するためのイベントでしたが、一般的に知られている歌川広重の描いた「東海道53次」ではなく、京街道を含む「東海道57次」がテーマでした。

 

そこで、私の講演の前には「東海道57次・中山道67次交流館」の志田威(たけし)館主より「東海道五十七次が伝える 『江戸時代の旅と生活』」についての基調講演がありました。

東海道57次は、53次の大津宿から髭茶屋追分を南西に向かって山科盆地を通り、伏見、淀、枚方、守口の京街道4宿を加えた呼び名です。

クラブツーリズムの東海道57次を歩く旅

また、守口宿・東海道宿駅会議理事の加藤忠広さんからのお話もありましたが、一般には東海道は江戸日本橋から京都三条大橋までの53次とされていますが、宝永年間の調査では江戸大坂間137里4町1間をもって東海道とし、道中奉行所の勘定方であった谷金十郎も「東海道の宿は品川宿(1宿目)から守口宿(57宿目)」と記しているのです。

東海道57次の守口宿

京都と大阪を結ぶ道筋は、古くは淀川を船で往来していましたが、大坂と伏見に壮大な城を築いた豊臣秀吉は、この間を最短距離で結ぶために文禄3(1594)年、毛利輝元をはじめとする毛利一族に命じて淀川左岸に堤を築かせました。

京街道の守口宿

これが「文禄堤」ですが、秀吉は京橋を起点として堤上の陸路を京街道として整備したのです。

守口宿の「文禄堤」

これが江戸時代に入り、徳川秀忠により高麗橋を起点とする東海道57次となったのです。すなわち、京街道は東海道の1部なのですが、東海道57次では大名が天皇と謁見するのは好ましくないとの理由から、京都には入らずに大津宿から伏見宿に向かっています。

東海道57次の起点「高麗橋」

この京街道4宿にも、東海道53次の宿場同様に、諸大名の宿泊所となる本陣、大名側近のための脇本陣、家臣や庶民のための旅籠が設けられ、公用荷物の運搬を担当する問屋(といや)場も置かれていましたが、この4宿では特に淀川の舟運により、人や物資の移動が活発に行われ、出船、入船で繁盛していました。

今日では、この京街道の宿場の歴史を再発見し、東海道57次を宣伝しようと、守口宿では「守口の歴史と文化を活かしたまちおこし」、枚方宿では鍵屋資料館の開設や淀川舟運シンポジウムの開催、伏見宿では伏見二十石船の復元をイメージする十石舟の運行などのまちおこしを推進する運動が高まっています。

枚方宿の鍵屋資料館

特に鍵屋資料館は、街道沿いにあって京街道の宿場町、また淀川舟運の中継港として栄えた「枚方宿」の歴史を紹介する展示施設で、「船待ち宿」として繁盛し、近代以降は料理旅館を営んでいた「鍵屋」の建物を利用しており、200年前の町家建築で往時の旅人の気分を体感しながら歴史も学べる資料館です。

江戸時代に栄えた枚方宿

また、伏見の十石舟は江戸時代に淀川を酒や米、旅客を運んだ舟ですが、復活した十石舟は定員20人で、酒蔵に柳が映える宇治川を約50分で往復し、途中、三栖閘門(みすこうもん)の三栖閘門資料館で水位差を調整した運河の仕組みなどの展示を見ることができ、往時の繁栄を偲ぶことが出来ます。

京都伏見の十石舟

しかし、本当の東海道57次の魅力を知るには、やはり宿場の見学だけでなく、宿場間の街道を実際に歩くことです。多くの東海道を歩く旅は日本橋から歩き始めますが、名古屋在住の方であれば、熱田神宮から日本橋への東下りをした後、また熱田神宮から大阪の高麗橋に向けて歩いても問題ありません。
そして東海道57次をより一層理解するためには、京都から岩清水八幡宮を経由して西宮に至る西国街道も歩かれることをお勧めします。

西国街道沿いの岩清水八幡宮

なぜなら、西国街道は、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州太宰府)へ至る江戸時代の重要な幹線道路で、東海道と同様に近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担った歴史ある街道だったからです。

京都から西宮を経由する西国街道

私は西国街道の起点である西宮に住んでいることもあり、古代からの日本の歴史を知るにはやはり東海道だけでなく、九州からの街道である西国街道や瀬戸内海の航路についても知るべきだと思うからです。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

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 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅 

平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

 

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参考記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」

「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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