神々の島、隠岐で感情の老化を防ぐ「幸先詣」
3月21日に緊急事態宣言が解除されたおかげで、3月23日、久々にツアーを催行することができ、「隠岐諸島3島めぐりの旅」に同行しました。本来ならば、3月16日出発の朝鮮通信使の足跡をめぐる瀬戸内ツアーにも行きたかったのですが、まずは神々の島で「幸先詣」です。
「幸先詣」とは、元々あったものではなく、昨年末、「初詣」の密集を分散させるため、新型コロナ対策として考えられたものです。
命名の由来は「幸先よく新年を迎えられますように」という願いが込められていて、年内に神様へ今年1年間の神恩を感謝し、新たな年のご加護を願うものですが、「初詣の混雑を避け、新年の『幸(さち)』を『先(さき)』に戴きましょう」という意味です。
そこで私の意図する今回の「幸先詣」は、新型コロナウイルスのパラダイムシフトで迎えた新しい時代に先立ち、幸あれと祈念するものです。
今回はまず、オープン前の「隠岐自然館」で、隠岐世界ジオパークについて野辺事務局長より説明を受けました。ジオパークは、「大地の公園」と訳され、地球の仕組みを知ることができる場所ですが、隠岐には地球の歴史が刻まれており、また神々の島でもあるのです。
『延喜式』によれば隠岐諸島にある水若酢神社・由良比女神社・宇受賀命(うずかみこと)神社・伊勢命神社の四つが「名神大社」となっており、小さな島に4つも名神大社があるのは、隠岐が古代より特別な島であったことを物語っています。国飲
「隠岐自然館」でジオパークについて学んだ後は、道後の景勝地である白島海岸を訪ねましたが、途中、隠岐の三大杉の一つとされる「かぶら杉」を見学しました。
この杉は樹齢600年ともいわれ、根元の約1.5mのところから6本の幹に分かれて空に向かって伸びており、高さは38.38メートル。
日本海側の杉(裏杉、アシュウ杉)の特徴を表しており、その形が野菜のカブに似ていることから命名されたと言われています。
道後の北端に位置する白島(しらしま)海岸は、海岸を構成する岩石が白いことからこの名前が付けられ、真北に突き出した白島崎と、白島・沖ノ島等の小島を合わせて白島海岸と呼ばれています。
白島展望台から眺めると、北の島々と岬は白い岩石、岬の東側は黒っぽい岩石で構成されていて、地質の違いが鮮明にわかります。海がおどろくほど青く澄んでいて、島の岩肌と松の緑、空と海の青さが絶妙なコントラストを醸し出しています。
最初に参拝した名神大社の伊勢命神社(いせみことじんじゃ)の祭神は、「伊勢命」と呼ばれる隠岐国独自の神ですが、その神名や磯部との関係から、海人を介して伊勢地方と深く繋がる神と考えられています。
社伝によれば、伊勢族が隠岐島に来住した頃、毎夜に海上を照らしながらやって来る神火(怪しい火)が現鎮座地の南西5.5km隔たった地に留まるので、そこに小祠を建てて祖神である伊勢明神を勧請奉斎したところ神火の出現も止んだと言われています。そのため、入り口の鳥居は、拝殿ではなく、神火が鎮座した海上に向かって立っています。
現在は郷社に列しており、島根県の無形民俗文化財に指定されている7月25日または26日に夜を徹して行われる「久見神楽」で知られています。
次に参拝した水若酢神社(みずわかすじんじゃ)は、隠岐国の一之宮で、隠岐の島町(島後)の五箇地区にある黒松に囲まれた古社です。創建は第10代崇神天皇の時代とされ、祭神の水若酢命(みずわかすのみこと)は隠岐国の国土開発と日本海鎮護の任務にあたった神と伝わっています。
現存する本殿は1795(寛政7)年の建立の隠岐造りと呼ばれる独特の仕様で、屋根の上の形は出雲大社の「大社造」、ひさしは奈良県の春日大社のような「春日造」そして社殿の中は伊勢神宮の「神明造」になっています。社殿の周囲には古墳時代後期の小規模な円墳もあり、この地が隠岐の島の中心であったことがよくわかります。
2日目はまず「日本の白砂青松百選」に認定されている名勝地、屋那の松原と舟小屋群を訪ねました。屋那の松原は、若狭の国から隠岐に来た八百比丘尼が一晩で植えたと伝えられおり、屋那の海岸沿いの長さ400m、幅40mに200本余りの老松が茂っています。
また、近くに20棟ほど残された舟小屋は、杉皮葺きの屋根に浜辺の石が乗せられた舟のアパートで、向こう側に山岳信仰の場所であった高田山を望む風景は「未来に残したい漁業・漁村の歴史文化財産百選」に選定されています。
次に訪れた隠岐の国分寺は、聖武天皇勅願寺で後醍醐天皇御遷幸の寺院です。『後醍醐天皇行在所跡』は、隠岐国分寺本堂裏手旧本堂跡地に礎石数個が残り、昭和9年、国の指定を受けて行在所跡を記す石碑が建っています。
また、平安時代から伝承されている「隠岐国分寺蓮華会(れんげえ)舞」が毎年4月21日奉納公演されていますが、境内の「蓮華会之館」には、この舞の資料や公演舞台の他、奈良時代の瓦や後醍醐天皇の資料等が展示されていました。
玉若酢神社は古くは「若酢大明神」、「総社明神」と呼ばれ、玉若酢命(たまわかすのみこと)を主祭神とし、当社の宮司を代々勤める神主家の億岐(おき)家が古代の国造を称し、玉若酢命の末裔と言われています。
隣接する億岐家住宅は、その億岐家の家屋で、宝物殿に展示されている貴重な品も億岐家に伝わるものです。宝物殿には、国内に唯一残る「駅鈴」など貴重な資料が展示されています。
また、玉若酢命神社がパワースポットといわれる所以にもなっているのが、境内でひときわ存在感を放っている推定樹齢2000年と言われる八百杉です。杉を植えたのは人魚の肉を食べ800年生きたといわれる八百比丘尼だという言い伝えがあり、八百杉の名前の由来になった人物とされています。また、八百杉の根本で寝ていた大蛇が、いつの間にか木の中に閉じ込められて今も眠り続けているという伝説も残っています。
道後から道前の中ノ島に渡って訪れた隠岐神社は、後鳥羽上皇を祀っており、上皇が41歳から崩御される60歳までの約20年間、過ごされた場所に鎮座しています。後鳥羽上皇は、1221年(承久3年)、朝廷の権威の回復を目指し、政治的権力を手中に収めていた鎌倉幕府の北条氏を倒すべく京都より挙兵するも敗れ、隠岐の国に流されました。
後鳥羽上皇行在所跡向かいには後鳥羽院資料館があり、入口付近には綱掛けの松が植えられ、内部には後鳥羽上皇の肖像や手形付の手紙、茶器や刀剣類が展示されています。
隠岐神社を後にして、中ノ島の菱浦港からフェリーで西ノ島の別府港に着くと、近くの後醍醐天皇が1年余り過ごされた黒木御所(くろきのごしょ)跡に立ち寄りました。
黒木御所跡は元弘の変(1331年)で隠岐に流された後醍醐天皇の行在所跡です。黒木御所とは黒木(皮を削っていない木材)を用いて建てられた天皇の御所のことで、多くは戦時や政変時の行宮です。
『太平記』では、後醍醐天皇のために佐々木貞清が用意したのが黒木御所とされ、石段を登っていくと天皇を祀った黒木神社があり、神社の奥に行在所阯の石碑が建てられていました。
西ノ島では隠岐シーサイドホテル鶴丸に宿泊、新鮮な隠岐料理を堪能しました。
最終日は今回のツアーのハイライトである焼火(たくひ)神社参拝です。
隠岐諸島の有人4島は、知夫里島、西ノ島、中ノ島の3つを島前(どうぜん)、隠岐の島を島後(どうご)と呼んでいますが、焼火神社は島前の西ノ島の真ん中、海抜452mの焼火山中腹に鎮座しています。
島前の3つの島の間を通る船からは良く見える位置にあり、昔は境内で灯される明かりが灯台の役割を果たしていました。
10世紀頃、知夫里島と西ノ島の間の海上から浮かび上がった3つの火の玉が菩薩の形をした岩に入り、そこに社殿を設け崇めるようになったのが焼火神社の起源とされています。
岩窟の中にある本殿、手前の拝殿、本殿と拝殿をつなぐ通殿は重要文化財に指定されており、現在の本殿は1732年建立の隠岐諸島最古の木造建築物です。
また、古くから神域として保護されてきた焼火山は、貴重な植物が多く自生していて、1970年に「焼火神社神域植物群」として県の天然記念物に指定されています。
そこで、私はその生態系を案内しながら参道を登りましたが、途中、息切れがして、体力の低下を感じました。しかし、参拝後、社殿にて松浦宮司の講話を拝聴し、私は肉体的な老化より、「感情の老化」に注意すべきだと気づきました。
「感情の老化」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、「感情」も使っていないと老化するのです。
例えば、自分の人生を「こんなものだ」と諦めてしまうと「感情の老化」が始まります。
そして感情が老化すると、新しいことに挑戦する意欲を失い、無感動となり、それが「記憶力の低下」「体力の衰え」といった本格的な老化現象に繋がるのです。
脳科学的に言えば、人間の脳はこの感情の活発さを司る前頭葉という部分から縮み始めます。
最近の研究から、人間の脳は諦めない限り、中高年になっても、限りない可能性を秘めていることがわかっています。
そして、この能力は新しいことに挑戦し、それを「習慣化」することで花開かせることができるのです。そこで、新型コロナウイルス感染拡大の影響から、私たちの感情も老化しがちですが、私は「自分の可能性」を再発見するためにも、旅を続けると決意しました。
そこで最後に訪れた、国賀海岸の摩天崖(まてんがい)では、決意の甲斐があって、感情の老化を感じることなく、通天橋まで行って帰ってくることができました。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。