芦田愛菜さんの祝辞と水に関わる桑名の木曽三川
天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」の祝賀式典で、女優の芦田愛菜さんが「天皇陛下が松尾芭蕉の『奥の細道』を読んで水に関心を持たれ、水を通して世界のさまざまな問題をとらえていらっしゃる」と祝辞の中で述べられました。
そこで、芭蕉さんと同様に水にこだわる平成芭蕉は、自分の故郷である三重県の水に関わる桑名の木曽三川と伊勢神宮にもゆかりの深い多度大社をご紹介したいと思います。
「木曽三川」とはその源流を異にしながら濃尾平野を入り乱れて流れ、下流部で合流して伊勢湾にそそぐ木曽川・長良川・揖斐川を一本の川として呼ぶ名称です。
この豊かな水の流れは、「母なる川」として親しまれていますが、反面、洪水という災害で流域の人々を苦しめてきました。
特に桑名市長島町はその木曽三川に囲まれた、文字通りの長い島ですが、かつては七つの島があり、「ななしま」がなまって「ながしま」になったと言われています。
大昔から洪水や高潮の荒れ狂う舞台であった長島町では、住民は川岸にたまった土砂の小高い所に住み、自然の堤防をつないだ懸回堤(かけまわりづつみ)を創りました。
これは水を防ぐだけでなく、敵を防ぐ役目もあった「曲輪(くるわ)の内部」、「輪の内」の意味から、輪中(わじゅう)と呼ばれるようになりました。すなわち、長島という島は、水面より低く、周りを堤防(輪中堤)で囲まれた輪中集落の島なのですが、その歴史を物語る資料は長島町の「輪中の郷」歴史民俗資料館に展示されています。
宝暦治水で活躍した薩摩藩の平田靱負と船頭平閘門(こうもん)
この木曽三川の治水工事で最も重要な工事は「宝暦治水」でした。宝暦3(1753)年の大洪水で水害に苦しむ人々の声を聞いて、徳川幕府は三河分流計画をもとに木曽三川の治水工事を薩摩藩に命じたのです。
そこで薩摩藩は1754年2月、家老の平田靱負(ゆきえ)を総奉行としてこの難工事に着手したのですが、地元の人々は水に悩まされ、薩摩藩は地元民の収入を補うために高い賃金を出して雇い、両者とも苦しい状態が続きました。
それでも薩摩隼人の意地があってか、平田靱負以下、藩士たちは工事を完了させ、今日では薩摩藩士への感謝の気持ちも含めて油島の南、千本松原に平田靱負を祭神として治水神社が建てられています。
そして、明治20(1887)年、木曽三川を分流させるという地域の悲願は、オランダ人技術者ヨハネス・デ・レイケに託されて、彼の指導により改修工事が行われ、木曽三川は分離されました。これにより、船で隣の川に行くことができなくなったため、木曽川と長良川の行き来ができるように設けられたのが船頭平閘門(せんどうひらこうもん)です。
天皇陛下が水に関心を持たれたきっかけとなった『奥の細道』の旅で、松尾芭蕉に同行した河合曾良はこの伊勢国長島藩主松平康尚に仕えており、曽良の名前は木曽川と長良川に由来するとも言われています。よって芭蕉さんも水の研究家であったため、曽良とは水で繋がったのかもしれません。
芭蕉さんと私の故郷の伊賀上野も服部川や木津川、柘植川のような河川に囲まれ、水は豊かな実りをもたらしてくれますが、伊勢湾台風のようにひとたび荒れ狂うとすべてのものをさらってしまいます。
そこで、この地に生きとし生ける者は皆、偉大なる自然の力を畏怖して神仏に祈願したのです。
桑名の多度大社と神が坐す多度山
桑名と言えば旧東海道の七里の渡しや焼き蛤で有名ですが、桑名市多度町には「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも謡われる、北伊勢大神宮の別名をもつ多度大社(たどたいしゃ)があり、商売繁盛、雨乞いの神として信仰されています。
主祭神は天照大御神の子、天津彦根命(あまつひこねのみこと)ですが、太陽神の子にも関わらず、雨乞いや、台風、風神の神とされています。
なぜ太陽神の子が風神になるのかというと、太陽の熱(火)により、地球には昼間の暖かい場所、夜間の冷たい場所が生まれ、これにより気圧差が生まれ、風が生じ、その風が雲を運び雨を降らせるからです。
また、その雨が溜まると水たまりができ、そこに太陽の光、熱により、水が蒸発し、雲となります。
こうした循環には「火」「水」「風」が必要ですが、「風水」本来の意味は、この火風水(ひふみ)で、1、2、3をヒーフーミーと呼ぶのはこの火風水が由来です。
この多度大社は古くから、台風・津波など自分の手ではどうすることもできないような災難(厄)を払うよう信仰されてきましたので、地球温暖化で異常気象が続く今日、是非とも参拝していただきたい神様です。
多度大社のお守りは、袋に9頭の馬が描かれ、「うまく(馬九)いく守」として配布されており、「いろんなお願いをしてもうまくいく!」と全国から多数の参拝者が訪れています。
正面階段を上り鳥居をくぐると、まず出迎えてくれるのが愛くるしい目をした白馬の『錦山(きんざん)』号ですが、生きた神馬がいる神社は伊勢神宮以外では全国的にも珍しいです。
多度大社は馬に関わりの深い神社で、馬は古来より人を乗せる動物で「人を踏まない」という伝えもあり、自動車事故を起こさない交通安全祈願に人気の神社でも有ります。
また、5月4日・5日の上げ馬神事は少年騎手が2メートル余りの絶壁を駆け上がり、上がった頭数でその年の農作物の豊凶を占うという天下の奇祭「多度祭」も行われています。
芭蕉句碑と多度山山頂からの眺め
そして参道の階段を上がった右手には、松尾芭蕉が『野ざらし紀行』で多度大社を参拝した際に詠んだ「宮人よ 我が名を散らせ 落葉川」の句碑があります。
さすが水に造詣が深い芭蕉さんだけあって木曽川水系の落葉川を詠っていますが、この上流には古くより、神が坐します多度山(標高403メートル)があり、神代の古より人々は神体山として信仰を集めていたのです。
多度山山頂にはご神木の三本杉で知られる高峯神社があり、利を通じて人を守る通利(とうり)天狗の宮としても信仰されています。
天狗には「剣を持って人を守る鞍馬の天狗」「火を防いで人を守る秋葉の天狗」「利を通じて人を守る木曽の天狗」がありますが、高峯神社では木曽の天狗の通利天狗のご利益があります。
この多度山山頂からは眼下に木曽三川を見渡せることができ、人間の英知と勇気の結晶とも言える三川分流の様子が確認できます。
木曽三川は数々の歴史的な物語を残しつつ、文化を生み出し、ゆったりと未来に向かって流れているように感じました。
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平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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