地中海に浮かぶ歴史ある島国 マルタ共和国
最古の新石器時代遺跡が残るフェニキア人命名のマルタ島
マルタ共和国は、イタリア最南端シチリア島の南に位置する、地中海の真ん中に浮かぶ小さな島国で、3つの有人島と2つの無人島からなりますが、中でも自然と歴史的な遺跡が融合したゴゾ島には、世界で最も古い新石器時代の巨石神殿複合体「ジュガンティーヤ神殿」があります。
マルタ語で「巨人の塔」という意味を持つマルタの巨石神殿中最古の神殿で、数トンの重さの巨大な石が積み上げられており、接着剤などは使われておらず、巨人が作ったという神話が残っています。
マルタの語源は、東地中海の交易で活躍したフェニキア人が、紀元前1000年ごろに上陸し、島を「避難所」という意味の「Melita(メリタ)」と名付けたことに由来します。また愛らしい白い毛の小型犬マルチーズは、マルタが原産とされていますが、この犬はフェニキア人が島に持ち込んだと言われています。
そしてマルタ島は、フェニキア人のカルタゴからローマの支配下に入った後、エルサレムでの巡礼者を救護する「ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」と称するマルタ騎士団国の拠点となりました。現在、騎士団長の宮殿は大統領府と議会が置かれ、武器庫は博物館として公開されています。
領土のない国家「マルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)」の歴史
マルタ騎士団員は、病人や貧者に対する長年の顕著なボランティア実績を有し、法曹界、学界などの各方面で指導者と目される敬虔(けいけん)なカトリック教徒から選抜されます。通常の国家ではありませんが、現在はローマに本部があり、国際社会で多くの国と外交関係を持っています。
世界遺産登録されたマルタ共和国の首都ヴァレッタは、16世紀にイスラム勢力のオスマン帝国にロドス島を追われた聖ヨハネ騎士団が新たに拠点とした地で、街の名前はキリスト教圏の防衛に成功した当時の聖ヨハネ騎士団団長、ジャン・バリソー・ド・ラ・ヴァレッテにちなんで命名されました。
ヴァレッタの街は、イタリアの建築家フランチェスコ・ラバレッリ・ディ・コルトーナの基本設計により、堅牢な都市国家として曲がりくねった小道を巡らせる当時の街とは異なり、格子状に整備されています。そして騎士団による防衛のためにヴァレッタの半島部分は50mの堀で本島と分断され、半島は完全に孤立化した要塞となっています。
そのため多くの人々がここに移住し、聖ヨハネ大聖堂や神学校、騎士団長の宮殿、病院が建てられましたが、中でも病院は「騎士団施療院」と呼ばれ、当時はヨーロッパでトップクラスの病院でした。
最も高貴な都市と呼ばれるマルタ共和国の「ヴァレッタ」
美しいバロック様式の家々や教会、城壁などが調和したこの城塞都市は、どこを歩いても絵になる街ですが、特に私が感銘を受けたのは、水道橋と地下の水路および巨大な貯水槽です。街の道路や壁は、マルタ島の石灰岩が使われていますが、石灰岩は雨水が浸み込みやすいため、水を確保する必要があったのです。そのため、一般家庭の屋根にも雨水を溜めるような工夫がなされているのです。
また、金襴織りのタペストリーで装飾された「騎士団長の宮殿」や「聖ヨハネ大聖堂」、「アッパー・バラッカ・ガーデン」もマルタ観光では必見の場所です。「聖ヨハネ大聖堂」は、ラバレッリの死後、助手のジェローラモ・カッサールによって造られた、騎士団が聖ヨハネをたたえるための大聖堂で、騎士の出身地の言語別に8つの礼拝堂が設けられ、床下には騎士たちの墓があり、まさに騎士団のために築かれた絢爛(けんらん)豪華な聖堂です。
この聖ヨハネ大聖堂にはイタリアが生んだ光と影の天才画家、カラヴァッジョの傑作「洗礼者ヨハネの斬首」が残されています。絵の才能は素晴らしいものだったカラヴァッジョですが、私生活では暴行・乱闘事件をたびたび起こし、ローマから逃亡してマルタ騎士団の公式画家となったのですが、マルタでも揉め事を起こして騎士団を除名されました。
「アッパー・バラッカ・ガーデン」はヴァレッタ港を一望できる高台の公園で、夕暮れ時には街並みのマルタストーンとよばれるクリーム色の石が、夕日に照らされて美しく輝きます。
聖ヨハネ騎士団はマルタに移ってからマルタ騎士団とも呼ばれ、この街の騎士団における正式な都市名は、「フミリッシマ・チヴィタス・ヴァレッタ」(最も謹ましやかなヴァレッタ市)でした。そしてマルタ騎士団は、1571年にレパントの海戦でオスマン軍撃退に貢献するも、1798年にナポレオンによってヴァレッタを追われました。
しかし、今日の夕日に輝くヴァレッタの美しさは、友愛と癒しの高貴な精神をもった騎士たちの魂の光でもあり、ヨーロッパ貴族が呼んだ「スペルビッシマ」(最も高貴な都市)の名がふさわしい街だと感じました。
現在はイギリス連邦の一員であり、歴史的な遺産に加えて美しいビーチリゾートとしても魅力的な観光地になっていますが、日本との縁もあって、第一次世界大戦時にはマルタへ海軍を派遣していたことから、その慰霊碑がマルタのカルカーラに残されています。
祝!日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産登録
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています
「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。