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平成芭蕉の旅語録~神武東征いにしえの旅「日向美々津編」

神武天皇お船出の美々津

神武東征「いにしえの旅」の始まり 日向美々津

神武天皇お船出の地「日向美々津」

江戸時代の町屋が立ち並ぶ

2019年は改元の年で、伊勢神宮に祀られている太陽神のアマテラスオオミカミ(天照大神)が注目を浴びることと思いますが、日本人である以上、新天皇即位を祝して初代神武天皇の足跡を訪ねたいと宮崎にやって来ました。

今回は神話の世界を旅する企画『神武天皇東遷』の下見調査を兼ねて、古代史の先生と一緒です。

『神武天皇東遷』とはのちに神武天皇となるカムヤマトイハレヒコノミコトが、東の大和を目指して「高千穂宮」を発ち、「日向美々津」から船出し、「大御神社」にて祈願の上、日向灘、豊後水道を北上していった神武東征伝説です。

私もまずは美々津から旅を始めようと、宮崎空港から日豊本線に乗り継いで美々津駅に到着したのですが、江戸時代には高鍋藩の交易港として栄えた町の駅とは思えないひっそりとした無人駅で驚きました。

しかし、美々津の歴史的街並みはしっかりと保存されており、「虫籠窓(むしこまど)」や美しい格子のある家が残り、懐かしい郵便ポストのある郵便局の建物も健在でした。

日本神話の伝説が残る町

神武東征伝説の残る美々津

古くからから天然の良港として交易で栄えた美々津の繁栄ぶりは、「美々津千軒」という言葉にも残っています。

しかし、交易港としての歴史を刻んできたこの町には、古事記に描かれた神武東征伝説が生きており、神武天皇お船出の様子を彫った郵便ポストが各家庭に備えられていて私も欲しくなりました。

美々津沖には龍神バエという大きな岩礁があります。神武天皇一行の船は、ここと陸地の間にある瀬戸水道を通って出発し、二度と戻ってこなかったことから、地元ではその後、船出にこの瀬戸を通らなくなったと言われています。

しかし、この町では神武東征伝説を大切にしており、「つきいれ団子」もこの地の名物として伝わっています。

これは、当初、船出予定は8月2日(旧暦)でしたが、潮と風の関係で急遽1日出発が早まり、8月1日の未明に人々が急ごしらえで作った団子に由来します。

また、夜明け前から家々を「起きよ起きよ」と戸を叩いてまわった言い伝えから、美々津では8月1日未明「おきよおきよ祭り」というユニークな祭りが行われています。

美々津より「いにしえの旅」へ出発

神武天皇が腰掛けた「御腰掛岩」

神武天皇一行が船出した耳川河畔にある立磐神社には、神武天皇ゆかりの「御腰掛岩」「日本海軍発祥の碑」が建っています。

この町に住む人はのんびりしていますが、とても親切で、自然とともに紡いできた神話、歴史、文化をとても大切にしているように感じました。

やはり、神武天皇ゆかりの地には、現代人が忘れている何かがあると認識させてくれた美々津です。

これから遠い祖先が感じたことを追体験する神武東征「いにしえの旅」を始めたいと思います。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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