上田市の日本遺産ガイド研修で散策した「信州の学海」
上田市日本遺産推進協議会が主催する日本遺産ガイド研修に同行し、「信州の学海」と呼ばれる塩田の地を歩いて来ました。
上田市の日本遺産は、大日如来を安置する「信濃国分寺」(=太陽)、国土を御神体とする「生島足島神社」(=大地)、夫神岳(おがみだけ)のふもとにある信州最古の温泉といわれる塩田平の「別所温泉」(=聖地)が、1本の直線状に配置され、レイラインをつないでいるというストーリーです。
集合場所は弘法大師ゆかりの独鈷山(とっこざん)の麓にある上田市塩田の里交流館「とっこ館」でしたが、この玄関脇には、信濃源氏の旭将軍、木曽義仲挙兵に従った上田出身の手塚太郎金刺光盛が乗った駒の足型が残る石橋がありました。
光盛は1183年の「篠原の戦い」という合戦において平家方の老将「斎藤実盛」を討ち取った名将ですが、「漫画の神様」手塚治虫の先祖でもあります。
木曽義仲が戦死した後、実権を握った源頼朝は、自分が最も信頼していた惟宗(これむね)忠久を塩田庄の地頭に任命してこの地方を支配させ、源氏は三代で滅びましたが、代わって実権を握った北条氏もこの地を重要な場所と考え、北条重時が信濃守護になった頃から、塩田平は学問や文化の一大中心地となったのです。
鎌倉時代、信濃出身の無関普門(大明国師)という南禅寺を開山した高僧が書いた経歴書「塔銘」によれば、当時「塩田は、”信州の学海”といわれ、学問・宗教に志すものは、からかさや本箱を背負って、遠方からたくさんやって来た」と記されており、上田市立塩田中学校の門前にはその大明国師の書かれた「塔銘」の一説を刻んだ石碑が立っています。
「信州の鎌倉」と呼ばれた塩田平
今回の研修ではその学問道場となっていたと推定される神社仏閣を歩いて巡りました。最初に訪れた常楽寺は別所温泉にある北向(きたむき)観音をお守りする天台宗の寺で、常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つです。
天台宗や真言宗の古刹では、参道の突き当りに塔やお堂がありますが、常楽寺でも奥地は観音出現の霊場とされ、多宝塔が信仰の中心だったと考えられます。多宝塔は上下二重の屋根がある塔ですが、石造りで国指定重要文化財は滋賀県の「少菩提寺塔」とこの常楽寺の多宝塔だけです。
隣接する別所神社は、熊野本宮大社(紀州)の分霊により、鎌倉時代に「熊野社」として創建されました。別所神社に改称されたのは、明治11年のことで、本殿背面には3つの木造の祠があり、「男石・女石・子種石」が祀られていて、昔から縁結び、子宝のご利益があるとされ、入り口の木製鳥居には、「本朝縁結大神(ほんちょうえんむすびおおかみ)」と掲げられています。
また、夫神岳(おがみだけ)の神様に雨乞いをする「岳の幟(たけののぼり)」と呼ばれる祭りが奉納される神社でもあります。
「未完成の三重塔」で知られる前山寺
三重塔で知られる弘法大師ゆかりの前山寺(ぜんさんじ)へは、「黒門」から参道を歩いて参拝しましたが、やはり参道は仏を拝む心を養う場所で、この参道を歩いてこそ厳かな心で塔を拝めるような気がしました。
因みに仏様の骨(仏舎利)は塔の上にある「伏鉢(ふくばち)」に入れられていたので、前山寺で一番大切なものは本堂ではなく、塔だったのです。
その前山寺の木造三重塔ですが、2階、3階には窓も扉もなく、縁を付けるための「貫(ぬき)」はあっても「勾欄(手すり)」もありません。このように未完成のところが多いのですが、逆にすっきりしているとの評価で、「未完成の完成塔」と呼ばれています。
かつての鎌倉街道「あじさい小道」
前山寺から塩田平を代表する名刹・中禅寺までは、塩田城跡や塩野池などを通る約1.2kmの「あじさい小道」を歩きましたが、この道はかつて鎌倉街道と呼ばれ、歴史と自然を同時に楽しめる「信州の鎌倉」と呼ぶにふさわしい場所です。
気持ちのいい小川のせせらぎを聞きながら歩いていくと、やがて「塩田城跡」にたどり着きますが、青い見事な「がくあじさい」に彩られた塩田城跡の碑の前からは塩田平が一望できました。
弘法山の山麓にあった塩田城は、1333年塩田北条氏が滅亡した後、信濃の豪族村上氏が統治したとされており、現在は村上氏の居館跡の石碑が立っています。
さらに進むと、北条国時の開基と伝わる塩田北条氏の菩提寺「龍光院」の参道に出会いますが、黒門と樹齢600年を誇る欅の古木が堂々たる風格を感じさせ、本堂の棟には北条氏の紋所「三ツ鱗」も刻まれています。
途中、“蚕都上田”をイメージした建物の「塩田の館」で休憩しましたが、ここでは地元の食材を使ったおやきや手打ちそばが味わえる食事処「北条庵」が併設されており、また、塩田城跡からの出土品も展示されていました。
「塩田の館」から塩野池を横目に進むと、塩田平で一番深い森に包まれた塩野神社に着きます。
二の鳥居をくぐって杉並木をぬけると、太鼓橋があり、この橋を渡った右手には神様がおくだりになる「磐座(いわくら)」がありました。
また、正面には「勅使殿」と書かれた額のある拝殿が建っていますが、これは間口と奥行きが同じ長さの「楼閣造り」と呼ばれる2階建ての珍しい建物です。
塩野神社本殿の彫刻には、脇障子の上の木を飲み込む珍しい龍が彫られていますが、龍の目玉がないのは、夜ごと悪さをする龍の目玉をくりぬいたからと言われています。
「定朝様」の薬師如来坐像を祀る中禅寺薬師堂
最後は国指定重要文化財の中禅寺薬師堂を参拝しましたが、ご住職のご厚意でご本尊の薬師如来坐像を間近に拝むことができました。
高さ97.7㎝の寄木造の坐像ですが、右手はひじを曲げて手のひらを前にする「施無畏(せむい)の印」、左手は手のひらを上にして膝の上に置く「与願(よがん)の印」をとり、左手の手のひらの上には薬師如来の「薬のつぼ」がのっており、脇には1体の「神将」が立っていますが、残念ながら両腕はなくなっています。
さらに間近で見ると薬師如来の頭の螺髪(らはつ)の上は、丸くふくれており、これは如来様の尊さを示す「肉髻(にくけい)」です。また、薬師如来のおられる四天柱に囲まれた天井も格子(こうし)を組んだ特別な「格天井(ごうてんじょう)」になっていました。
薬師如来像を拝観した後、外から「方三間の阿弥陀堂形式」と呼ばれる薬師堂を眺めると、東西南北どちらから見ても同じ形の屋根に見えて「宝形(ほうぎょう)造り」の特徴がよく理解できました。
今回の研修では、上田市の日本遺産である『レイラインがつなぐ「太陽と大地の聖地」~龍と生きるまち 信州上田・塩田平』における塩田平の構成文化財を尋ねましたが、「文化財」を大切にするには、やはりその文化財がなぜ重要であるかというストーリーを知る必要があることを私は痛感しました。
そして「文化財」を通じて日本遺産のストーリーを知ることは、「ふるさと」を愛する心につながるのではないかと思いました。
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