「万葉集」をテーマとした旅~令和元年に訪ねる伊勢志摩
神々の中の神に挨拶するために伊勢の神宮を参拝した後は、倭姫命の巡行地をめざしてもうひとつの伊勢路を旅しました。
すなわち、万葉集に歌われた御食(みけ)つ国、海の幸に満たされたうまし国の伊勢志摩めぐりです。
倭姫命の教えを認識すれば、神宮参拝とは心を開放することだと気がつきます。
令和元年初日は全国的に雨模様との予報があり、私は地元の西宮神社より伊勢神宮を遙拝し、露をはらんだ神宮の森に思いを寄せました。
伊勢では神宮に降る雨を「お清めの雨」と呼ぶそうですが、大正時代、宮沢賢治が伊勢の神宮を参拝した時も雨が降っていて、その様子を「かがやきの雨」と表現しています。
私も雨の神宮を参拝したことがありますが、山々に霧がかかり、五十鈴川に架かる宇治橋をしっとりと濡らし、ひときわ厳かで神聖な雰囲気です。
私は倭姫命巡行の「元伊勢」と神宮の「125社」をそれぞれ3巡した経験から、この五十鈴川の清流が潤す伊勢は、紀伊山地へと続く深い山々と伊勢湾の間に広がる、自然に恵まれた平野部にあり、日本の風土を代表する「日本のふるさと」だと感じます。
天照大神は鎮座の地を求めて諸国を巡ってきた御杖代の倭姫命に
「是の神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。
傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。是の国に居らむと欲(おも)ふ」〔日本書紀〕
と伊勢を永住の地に選ばれたのも納得です。
御食(みけ)つ国の万葉歌と倭姫命
ところで天照大神を導いた倭姫命は、ご鎮座の後に食材を求めて各地を巡り、志摩半島の国崎(くざき)で、ひとりの海女おべんの差し出したアワビを食し、その美味しさに魅入られて、以来アワビが神宮に献上されることになったと伝えられています。
そこで、私の令和最初の旅は「万葉集をテーマ」に御食(みけ)つ国、志摩を訪ね、鎧崎灯台や倭姫命ゆかりの国崎町の伊勢神宮御料鰒調製所、倭姫命にあわびを献上した海女の祖おべんを祀る「海士潜女(あまかずきめ)神社」を参拝してきました。
御食つ国 志摩の海女ならし 真熊野の小舟に乗りて沖へ漕ぐ見ゆ
この万葉歌は大伴家持の詠んだ歌で巻6-1033に収められている雑歌です。
私が万葉集を学んだ犬養孝先生は「万葉歌は心の音楽」で口語に訳さずに味わうことを推奨されていましたが、この歌はまさしくこのままで沖の方へ漕ぎ行く海女さんの乗った小舟が連想できます。
古代の日本では朝廷にアワビなどの海産物を献上する国を指定しており、若狭、淡路、志摩が「御食(みけ)つ国」とされていました。
今日、私たちが美味しいアワビなどの「御馳走」を食べることができるのは、古代に倭姫命が美味しい食材を求めて走りまわってくれたおかげです。
倭姫命の教えと海女さんの掟
そんな伊勢志摩の里海を守り続けているのが海女さんで、海女さんは地域ごとに漁期を定めたり、種ごとに捕る大きさを定めると同時に「岩をめくったら元に戻す」という掟によって資源を守っているそうです。
この努力があってこそ、2000年の長きにわたって神宮に食材を献上し続けられたのでしょう。
この教えは倭姫命の
「左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻(めぐ)る事も 万事違ふ事なくして、大神に仕え奉れ。元を元とし、本を本とする故なり。」
に通じるものがあります。
私は「左左右右(ささうう)元元本本(げんげんぽんぽん)」と教わりましたが、不自然なことをせずに常に初心を忘れずに初めに戻るべしと理解しています。
令和元年はこの倭姫命の教えを座右の銘にしたいと感じた万葉の旅でした。
→参考記事:祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の筑紫歌壇及び防人の歌
「万葉集」をテーマとした旅~瀬戸内海の万葉故地を訪ねる
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って令和時代を旅しています。
見るべきものは見て、聞くべき話は聞いた。では旅に飽きたかと問われれば、いえいえ、視点が変わればまた新たな旅が始まるのです。平成芭蕉はまだまだ「こんな旅があった」と目からウロコのテーマ旅行にご案内します。すなわち、「ときめき」を感じる旅から人は変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。