瀬戸内万葉紀行「海駅街道」の旅 ~瀬戸内海の万葉故地を巡る~
日本との関係が深かった百済救援のために斉明天皇一行は瀬戸内海を九州に向けて航海をしていました。
当時の航海は風向きや潮の流れに大きく左右されたため、鞆の浦をはじめとする港で風待ち、潮待ちをしていました。
そして四国の道後温泉に滞在し、ふたたび航海に出ようと月も出たし、塩もちょうどよい具合になったと歌った額田王の「熟田津」の歌は有名です。
このツアーではこれらの瀬戸内海にある万葉故地を訪ねました。
◆1日目 2015年11月27日(金) <東京→姫路→室津→牛窓>
7:40 東京駅日本橋口集合
8:03 東京発 ひかり463号で姫路へ
*昼食は新大阪~姫路間でのお弁当
11:42 姫路駅到着
11:55 両備バスの山田運転手の挨拶の後、室津へ出発
*250号線の七曲りを経由して室津友君橋下の駐車場へ
<姫路>「播磨国風土記」
遠い昔姫路はまだ瀬戸内海の一部で、この地を治める神「大汝命(おおなむちのみこと)」は乱暴者の息子「火明命(ほあかりのみこと)」を島に捨てる決心をしました。
しかし島に置き去りにされた火明命は、怒って父神大汝命の船を沈めたため、船に積んであった荷物は散乱してしまいました。
その中の蚕子(ひめこ)が落ちた所が日女道丘(ひめじおか)、即ち今の姫山(姫路城の場所)で姫路の由来です。
12:30 室津到着 ガイデシングレシーバーの使用説明後、室津散策へ
*室津友君橋下の駐車場から徒歩観光開始
*歴史の香りが漂う室津の町並を黒田が解説
<室津千軒>
「此の泊 風を防ぐこと 室の如し」(播磨国風土記)と記されており、室津は古来より天然の良港で、江戸時代には西国大名の上陸地として大いに賑わい、一宿一軒が原則であった本陣が六軒もあった。
<湊口御番所跡>
中世には竜禅寺という禅院があったが、1649年に港を監視する番所が設置された。側には大阪城の石垣に使用する予定であった巨石が引き揚げられている。
<賀茂神社>
1180年、平清盛が厳島詣の折、立ち寄ったことで有名(「高倉院厳島御幸記」)。
京都の上賀茂神社と同じ賀茂別雷神を祀り、桧皮葺き流造りの5棟の社殿はそれを囲む回廊と唐門と共に国指定重要文化財。
<浄運寺>
木曾義仲の第三夫人と伝えられる遊女の始祖「友君」の塚があり、法然上人25霊場の一つで、坂を下ると法然上人の「貝掘の井戸」もある。
<藻振鼻の万葉歌碑>
唐荷島(地の唐荷、中の唐荷、沖の唐荷)を一望できる藻振鼻の岬に犬養孝氏揮毫の山部赤人の歌碑が立つ。
玉藻刈る辛荷の島に島迴する 水鳥(う)にしもあれや家思はざらむ 山部赤人
<姫路藩御茶屋跡>
姫路藩主池田輝政によって建てられた藩の休泊施設で、朝鮮通信使の接待所としても利用された。
<室津海駅館>
朝鮮通信使、参勤交代、江戸参府等のテーマを廻船業で財をなした豪商「嶋屋」の建物に展示。
2階には犬養孝氏が揮毫した山部赤人の歌が展示されている。
14:30 室津出発 山陽自動車道、岡山ブルーラインを経由して牛窓へ
15:10 備前IC
*途中、牛窓の姉妹都市ギリシャのミティリニ広場を車窓見学
15:30 <牛窓神社>
牛窓海水浴場に隣接し、牛窓の土地の産土神を祀った東備の鎮守社で、鳥居の側に伝柿本人麻呂の万葉歌碑がある。
また、石段を登ると途中に望洋亭と呼ばれる亀山公園の展望台があり、潮流の激しい「潮の間戸」(うずしおのまど)や牛転(うしまろび)伝説の前島も見渡せる。〔いずれかが訛って「牛窓」となった〕
牛窓の波の潮騒島響み 寄さえし君に逢はずかもあらむ 柿本人麻呂
16:25 バスにて牛窓の夕陽鑑賞ポイントでもある天神社へ
<天神社>
この地に立ち寄った菅原道真公を祀る学問の神として親しまれているこの社は天神山に築造された墳長85mの前方後円墳でもあり、後円部には竪穴式石室の一部と思われる板状割石が露出する。
牛窓八景の一つで日本の夕陽百選に選ばれ、菅原道真公の歌碑もある。
磯山の峯の松風か通ひ来て 浪や引くらん唐琴の迫門(せと) 菅原道真
16:50 夕陽を鑑賞し、天神社に参拝後、バスにてホテルへ
17:10 ホテルリマーニLimaniへチェックイン
*「日本のエーゲ海」牛窓に建つ白亜のリゾートホテル
18:15~ 地中海レストランPsariaにて夕食
〔旅日記〕
今回のツアー企画は、先月実施された交益財団法人古都飛鳥保存財団後援の「瀬戸内 記紀万葉紀行」の原案となったツアーです。
同行していただいた奈良大学上野誠先生の都合で4日間に短縮した形で実施しましたが、本来は3回シリーズで初回が鞆の浦まで、2回目で大宰府・宗像まで、3回目で壱岐対馬から朝鮮半島へと繋がる万葉集の「海駅街道」という大陸文化交流をテーマとしています。
今回はその初回のコースで本来ならば難波から出発して室津に来るべきところを行程上、姫路からとさせていただきました。
室津は今でこそさびれた魚村ですが、江戸時代には海上と陸上交通の要衝として「室津千軒」と呼ばれるほど栄え、また井原西鶴が「好色一代男」で、「遊女のはじまりは、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」と記したことから遊女発祥の地としても有名になりました。
我々は万葉故地である藻振鼻まで歩いて山部赤人の句を詠唱し、室津海駅館を見学後、次の目的地である牛窓に向かいました。
牛窓のあたりは「邑久(おく)の郡」と呼ばれ、日本書紀には「大伯(おおく)」と記載されていました。
この一帯の前島、黄島、青島には神功皇后伝説が残っており、塵輪鬼(ちんりんき)という頭が八つある怪物が牛鬼となるも住吉明神(五香宮)がその角を捉えて投げ倒したとされ、鬼の首が黄島、胴が前島、尾が青島になったと言われています。
牛窓の地名はその牛転び(うしまろび)がなまったという説があります。
我々は牛窓神社の登り口にある伝柿本人麻呂作の万葉歌「待つ女」を詠唱した後、長い石段を登り、途中の望洋亭という展望台を経由して産土神を祀った東備の鎮守、牛窓神社に参拝しました。
次に訪れた天神社は菅原道真公を祀った学問の神様ですが、この地からの眺めは日本の夕陽100選に選ばれただけあって、最高の瀬戸内海の夕景を堪能することができました。
今日の宿泊は日本のエーゲ海を思わせるホテルリマーニですが、夕食はフランス料理のコースメニューで、ホテルの名前リマーニ(ギリシャ語で魚料理の意)に恥じない魚を食べることができました。
瀬戸内海の万葉故地、牛窓、吉備の児島、熟田津を訪ねる
◆2日目 2015年11月28日(土) <牛窓→児島→沙弥島→松山>
7:20~ ホテルレストラン沙羅紗にて朝食ヴァイキング
8:10 朝の牛窓歴史地区散策へ出発
*海辺の散歩道を経由して本町の燈籠堂へ
<五香宮>
住吉大明神を祀る神功皇后伝説ゆかりの神社。8つの頭を持つ塵輪鬼(ちんりんき)と戦って命を落とした仲哀天皇の意思を引継いだ神功皇后は、この五香宮に腹帯を奉納し、鎧をつけ、男装して出発したと言われる。
<海洋山妙福寺>
五香宮に隣接する8世紀孝謙天皇の御代に創建された瀬戸内33観音霊場第6番の寺で、地元では「東寺」と呼ばれる。
浦島伝説の姫が封印されたとされる亀趺もあり、上には「胎蔵界の大日如来」の石碑が載っている。
<竜王宮>
亀に姿を変えた神姫とともに竜宮城に向かった「浦島太郎」伝説の宮で、注連縄で結ばれた岩の間から太陽が昇る彫刻で知られる海の神。
<神宮皇后のともづな石>
神宮皇后が三韓征伐の折にこの地で船を繋いだという伝説の石
<金比羅宮・荒神社(遥拝)>
城山という高台に不漁と海難事故で悩んだっ地元の人々が、讃岐の金比羅大権現を既に祀られていた竈の神である荒神社の隣に勧請した。
9:10~9:50 牛窓ヨットクルーズ
*ホテルリマーニ前のヨットハーバーよりThree Stars号で出帆
*「風待ち」を体験しつつ、前島、黒島、小豆島そして遠く四国の屋島を望む
10:00 バスにて吉備の児島を経由して沙弥島へ
11:00 児島IC
11:10~11:20 JR児島駅前にある筑紫娘子児嶋と大伴旅人の万葉歌碑見学
倭路は雲隠りたり 然れどもわが振る袖を無礼しと思ふな 大伴旅人
倭路の吉備の児島を過ぎて行かば 筑紫の児島思ほえむかも 大伴旅人
*古代の児島は大きな島で、付近の海域は吉備穴海と呼ばれる海洋交通路
11:25 瀬戸内海国立公園の景勝地である鷲羽山へ
11:35~12:25 鷲羽山レストハウスで昼食
*鷲が羽を広げた様子から「鷲羽山」と命名された
*瀬戸内海の多島美と雄大な瀬戸大橋を展望
13:05 <沙弥島>
沙弥島は今では埋め立てにより陸続きとなっているが、かつては坂出港の沖合い4kmに浮かぶ風光明媚な小島(東西160m、南北930m)であった。
11:00 <白石古墳公園>
11:05~11:10 古墳公園は展望台になっており、長崎鼻への途上の休憩所。反対側の林の中に
6~7世紀の横穴式石室古墳があり、製塩業で力を持った有力者の墓とされる。
11:30~12:20 <長崎鼻>
沙弥島の北の突端で瀬戸大橋や瀬戸内海の雄大な景色を一望できる。
また、タンポの石棺と呼ばれる弥生時代後期の小さな組み合わせ式の箱式石棺もある。
*タンポとは舟をつける場所の呼び名
<オソゴエ浜の柿本人麻呂碑>
12:50~13:40 坂出出身の中河与一氏により建立された。
中河氏は幼少の頃訪ねたこの島での人麻呂の事跡と人間愛に感銘し、愛と無限の美を称える小説「恋愛無限」においては最終の舞台にこの沙弥島を選んだ。
<ナカンダ浜の万葉歌碑>
死者への哀悼とその死者の帰りを待つであろう妻子への思いやりを詠った柿本人麻呂の崇高な人間愛を感じさせる長歌と短歌の歌碑があり、ここ沙弥島が万葉の島と呼ばれる所以である。
また、この浜は古代の製塩遺跡跡でもある。
*柿本人麻呂が詠んだ佐美の山は沙弥島のことである
妻もあらば採みてたげまし佐美の山 野の上のうはぎ過ぎにけらずや 柿本人麻呂
14:05 沙弥島から道後温泉へ
14:25 坂出IC通過
15:25~15:45 石鎚山SAにて休憩
*石槌山は四国山地西部に位置する近畿以西の西日本最高峰(標高19822m)
16:05 松山IC通過
16:35~16:50 <久枝神社>
熟田津とは瀬戸内に面する水軍の港で、所在は諸説あるが古三津にあるこの神社とする説もあり、境内には歌碑、拝殿には熟田津の絵馬が奉納されている。
また、藤原純友の駒立岩もあり、彼はこの地で駒を立て、沖を見たと伝えられる。
17:15 松山東急REIホテルへチェックイン
*ロビーにてお部屋の鍵を配布
夕食は各自
天候は晴れ後のち曇り時々雨 15℃
〔旅日記〕
今日は幸い天候にも恵まれ、クルーズ日和となりましたが、ヨットセーリングの前に牛窓市内散策にご案内させていただきました。
まず訪れたのは神宮皇后の「腹帯」が奉納されていると伝わる五香宮です。
神功皇后は戦いを終えた帰路にもこの住吉明神に参拝され、ご着用の鎧、冑、太刀も奉納されました。五香宮参拝の後は風待ち港として栄えた風情ある「しおまち唐琴通り」を散策しながら、途中、朝鮮通信使を迎えるために掘られた井戸も見学しました。
牛窓は大きな河川がなく、夏になると水争いが起こり、水の確保は重要課題であったことが理解できます。
ホテルに戻ると早速、ヨットクルーズに出発しました。
天候にも恵まれ、波がおだやかでも風が吹かないと航海にならないことが実感でき、昔の航海には風待ちが重要なことがよくわかりました。
牛窓から児島を経由して鷲羽山レストハウスにて昼食を取りましたが、瀬戸内海の多島美と美しい瀬戸大橋を眺めることができました。
「吉備の児島」はかつては瀬戸内海に浮かぶ一つの島で、当時の岡山平野は「吉備の穴海」と呼ばれる瀬戸内海最大の汽水域でした。
また、この児島と讃岐の坂出間は海底が隆起し、瀬戸内海の分水嶺だったので安全な内海として交通の要所でもあったようです。
坂出の沙弥島に向かう途上、美しい讃岐富士を見ることができましたが、万葉の時代に訪れた柿本人麻呂も同様の景色を見たのかも知れません。
その人麻呂は山部赤人と共に「歌聖」と呼ばれる人物で、船旅の途中で沙弥島に立ち寄り、石中死人を見つけて歌を詠みました。
このことから沙弥島は「万葉の島」と称えられ、坂出出身の作家中河与一氏によって柿本人麿碑が建てられています。
歌碑は立ち入り禁止地区にあって見れないと思っていましたが、幸いナカンダ浜から訪ねることができてラッキーでした。
最後の訪問地は伊予国の日本三古湯の一つ道後温泉です。
この温泉の存在は古代から知られ、古名を「にきたつ」と呼び、万葉集巻一の有名な額田王の歌で有名です。
訪れた久枝神社は古三津と言う場所にあり、熱田津の港のあった場所とも推察され、藤原純友の駒立岩もあり、興味深い神社でした。
熟田津から風待ち潮待ちの万葉故地鞆の浦を訪ねる
◆3日目 2015年11月29日(日) <松山→鞆の浦→福山→東京>
6:30~ ホテルレストランにて朝食ヴァイキング
8:00 ホテル出発
愛媛県護国神社参拝
8:10~8:30 <愛媛万葉苑>
額田王「熱田津の歌」の歌碑
斉明天皇7(661)年、百済救援のために伊予水軍数千艘を集めて、月明の大潮にいざ出発という時に天皇の御心を体した額田王が詠んだ歌
熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎいでな 額田王
明治維新100年を記念し小学生の1円募金を含め10万人の浄財で昭和42年11月3日に建立された。
9:30~9:45 来島海峡SAで休憩
*日本三大急潮の一つ来島海峡では潮流体験ができる
10:05~10:25 福山市役所
*福島魅力発信課の福田さんとCT地域交流課の藤原さんと合流
*鞆の浦地区は福島検定1級の福田さんに案内していただく
11:00~11:25 <後山展望台>
瀬戸内の多島美と鞆の浦を一望できるグリーンライン沿いにあり、パワースポットとされる仙酔島を眼下に見下ろせる処に次の万葉歌碑が立つ。
海人小舟帆かも張れると見るまでに 鞆の浦廻に波立てり見ゆ
12:30~13:30 景勝館にて昼食
13:30~ 福田さんの案内で鞆の浦散策
鞆港渡船場前の福禅寺対潮楼への入り口に建つ万葉歌碑から出発
我妹子が見し鞆の浦のむろの木は 常世にあれど見し人ぞなき 大伴旅人
大伴旅人は727年に妻大伴郎女を伴って大宰府に赴いたが、翌年に郎女は亡くなり、730年に奈良への帰路、再び鞆の浦に立ち寄った際に詠まれた亡妻の挽歌
*阿久津夫妻が経営するぎゃらりぃで休憩
13:35~13:55 <福禅寺対潮楼>
平安時代の10世紀半ばに空也により創建され、江戸時代には朝鮮通信使の迎賓館として使われた。1711年に従事官李邦彦が客殿からの眺めを「日東第一形勝」と賞賛し、客殿は「対潮楼」と命名された。
境内は「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定されている。
<常夜灯>
地元では「とうろどう」と呼ばれ、風待ち、潮待ちの鞆の浦のシンボル。
潮の干満の差が激しい鞆の浦は船底を焼いて乾燥させる「焚場(たてば)」にも適していた。近くの「対仙酔楼」は頼山陽が滞在し、「山紫水明の処」であるとした建物。
13:35~13:55 <鞆の浦歴史民族資料館>
「潮待ちの館」の愛称で知られる資料館で、館内には古代から近世にいたる歴史資料、お手火神事などの民俗資料が展示されており、鞆城跡の高台跡には宮城道雄像と大伴旅人の歌碑が立つ。
鞆の浦の磯のむろの木見むごとに 相見し妹は忘れえめやも 大伴旅人
<医王寺>
826年に空海によって開基されたと伝えられ、高台にあるため眺めは最高で、オランダ商館のシーボルトも訪ねており、ここにも大伴旅人の歌碑がある。
磯の上に根延ふむろの木見し人を いづらと問はば語り告げむか 大伴旅人
*医王寺の境内からさらに上へ小径を登ると「太子殿」があり、鞆の浦を一望できる
15:55 鞆の浦出発
*バスは鞆の浦観光情報センター前の駐車場で待機
16:20 福山駅に到着
*両備バスのドライバー山田さん、福山市の福田さん、藤原さんとお別れ
*16:59までショッピングタイム
16:59 のぞみ44号にて東京へ
20:14 新横浜駅
20:33 のぞみ44号東京着
*新幹線改札を出て解散
*長旅お疲れ様でした
〔旅日記〕
昨晩は道後温泉の坊ちゃん湯で疲れを癒し、今朝は護国神社に参拝してから鞆の浦に向かいます。
愛媛県護国神社は戊辰戦争から大東亜戦争に至るまでの愛媛県出身者の英霊が眠る神社で、この境内に愛媛万葉苑があります。
伊予の地は記紀万葉の時代から多くの文人・歌人が訪れ、多くの詩歌が残されていますが、中でも額田王の「熱田津の歌」は、661年、百済救援のために伊予水軍を集めていざ出発という天皇の御心を詠んだ歌として有名です。
毎年、5月5日にはこの熱田津の万葉歌碑前で「額田王」の舞など万葉祭が行われているそうです。
私たちは維新百年を記念して建てられた歌碑の前でこの歌を詠唱した後、最後の目的地である鞆の浦に向かいました。
鞆の浦では、クラブツーリズムに出向している地域交流部の藤原君の紹介で福山市ふくやま魅力発信課福田等さんに案内してもらうことになっています。
そこで福山市役所でバスに同乗していただき、後山展望台からご案内いただきましたが、市の広報担当次長も兼務されているので観光案内だけでなく、市の事情も説明していただきました。
通常のボランティアガイドさんであれば、鞆の浦では坂本龍馬といろは丸事件が中心の解説で記紀万葉時代の話はありませんが、今回は本ツアーの目的と事前に解説いただく内容も打ち合わせをしていましたので、「魏志倭人伝投馬国」の話や蘇民将来伝説の話もあり、大伴旅人の万葉歌も一緒に詠唱していただきました。
また、私の希望であった民俗資料館での館長による解説と医王寺参拝もできて良かったです。
おかげで、大伴旅人の妻への想いを詠んだ万葉歌をすべて詠むことができました。
また、福禅寺対潮桜も修復が終わっており、朝鮮通信使が称えた「日東第一形勝」が満喫できて私は厳島神社の候補地にもなった仙酔島に渡ってみたくなりました。
福山駅までの車中では地元に育った人でなければ、語れない「亥の子」の歌を披露していただき、感激でした。
これは中国地方の風習で11月の「亥の日」の亥の刻に子孫繁栄を祈る行事で歌うと言われています。やはり、ツアーでは心に残る解説が命なので、私自身の勉強の意味もあって地元の人との交流や地域創生に繋がる企画の重要性を感じた1日でした。
福山駅で藤原さん、福田さん、そして3日間お世話になった両備バスの山田運転手とお別れし、我々は16:59福山発ののぞみ44号にて帰路につきました。
平成芭蕉の「令和の旅指南」シリーズ第5弾『生まれ変わりの一人旅』
出羽三山の「生まれ変わりの旅」で、私は月山の月読命という月に願い込めましたが、今の私の課題は「月を見上げて、日々の腕立て伏せが出来るか?」ということです。『月』を自らの目標や夢と捉え、『腕立て伏せ』を日々の行動や取り組みと考え、どれだけ、自分自身の目標を見続けながら、日々行動しているのかという問いかけです。
どんなに月に祈りを込めて夢を語っても行動していなければ手にすることはできません。しかし、行動していたとしても目標や夢を見続けていなければ、目の前に現れる出来事をこなしていくだけの味気ない作業になってしまいます。
これからの将来、自分自身が目指すところ、求められることに向かっていくためには、まず「今、何をすべきか」を考えつつ、今の行動は目標にどう紐付けられるのかを自分自身に問いかける必要があります。
立ち止まっては悩み、不安になることも沢山ありますが、そんな時に私は「生まれ変わりの一人旅」で出会った人の言葉や笑顔を思い出し、その方々に恥じぬ行動をしていくことで進むべき方向へと軌道修正されていくように感じています。
どれだけ、私たちは決めた目標を見続けているのか、そして、そこに辿り着く道のりを歩めているのか。こうした疑問を抱いた時には、やはり目標を見失わず、感情を老化させないためにも「生まれ変わりの一人旅」に出て、一歩を侮ることなく、一歩を信頼して進みましょう。令和の旅指南シリーズ5冊目の『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』では、感情の老化を防ぐ私の体験をご紹介しています。
★平成芭蕉ブックス
①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
②『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
③『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って旅しています。
「平成芭蕉同行の旅」では、私が実際にお客様をご案内したツアーの中でも特に印象に残っている旅をご紹介しています。