益田市から石見海岸ローカル線の旅
2022年9月16日から実施された島根県益田市における日本遺産ガイド研修は11月25日の修了証書授与式で無事に終了しました。
最終日は受講生に自己紹介を兼ねた益田の魅力を語っていただきましたが、私は「人はその住んでいる自然から影響を受ける。」(田畑修一郎「出雲・石見」)の言葉を再認識することができました。
作者の田畑修一郎は益田出身の作家で、「鳥羽家の子供」などで石見人の純朴さを広く世に紹介し、石見一帯の風景の素晴らしさを今日に伝えています。
そこで、最終回は萩・石見空港から空路で帰京するのではなく、益田に後泊し、田畑修一郎の「出雲・石見」を参考に、のんびりと山陰道を日本海沿いの名所を巡りながら帰ることにしました。
これまでは益田駅付近のビジネスホテルに宿泊していましたが、今回は益田の奥座敷として知られる多田温泉白龍館に宿泊し、翌朝は長州への古道「扇原の関門」にある浜田藩士岸静江国治(きししずえくにはる)の墓所を訪ねてきました。
この地は浜田藩と津和野藩の境界で、「石州口の戦い」の火ぶたが切られた場所です。1866年6月16日、長州軍が扇原関門の開門を迫るも、藩境の守備を命じられていた岸静江は扇原関門の通過を拒絶しました。
しかし、近代兵器で武装した長州軍の前になすすべはなく、銃弾に胸腹を貫かれ、長槍を持ったまま絶命、藩命を遵守した岸静江の姿に感嘆した長州軍の村田蔵六(のちの大村益次郎)は、岸静江を丁重に葬り、その上に碑を建てたのです。
「山陰のモンサンミッシェル」から「唐音の蛇岩」へ
益田を去るにあたって、西宮在住の私としてはやはり『山陰のモンサンミッシェル』と呼ばれる小浜海岸の岩礁「宮ヶ島」に鎮座する衣毘須神社を参拝しないわけにはいきません。衣毘須神社も西宮神社と同じく事代主之命(ことしろぬしのみこと)、すなわち恵比須様を主祭神としています。
この地は昭和を代表する日本絵画の巨匠・東山魁夷が宮内庁から皇居の障壁画の依頼を受けた際、「朝明けの潮」の波のモデルにした場所とされています。碧く美しい海に囲まれ、白い砂浜でつながる参道は、潮の満ち引きにより刻々と姿を変え、飽きのこない風景です。
益田駅からは山陰本線で浜田に向かいましたが、車窓に映る日本海の風景は素晴らしいの一言で、まさに天下一品です。この付近の海岸は山が海に押し出していて、その山が海に落ち込む崖縁を線路が続いており、砂浜、奇岩、岬など風景は目まぐるしく展開し、私の目を楽しませてくれました。
石見津田駅を過ぎて次の鎌手駅に近い海岸には、「唐音の蛇岩」と「唐音水仙公園」がありますが、水仙は益田市の市花で、冬場に訪れると、地域の人たちの手により植えられた200万球を超える日本水仙を見ることができます。
今回は水仙ではなく「唐音の蛇岩」を鑑賞してきました。唐音一帯は佐渡の小木港付近でも見られた隆起海食台地をなしており、周囲は切り立った海食崖で海食洞もあります。
この石英粗面岩からなる台地を貫いて出た黒褐色の安山岩の一岩脈は、大蛇が岩盤上に横たわるのに似ていることから「蛇岩」と命名されています。
「石見畳ヶ浦」から温泉津温泉の沖泊へ
益田市から浜田市に入ると国の天然記念物にも指定されている「石見畳ヶ浦(たたみがうら)」がありますが、この浦にはあちらこちらに丸い腰かけのような岩が飛び出ており、地表はまるで畳を敷いたように見える規則的な亀裂が縦横に走っていて、それが畳ヶ浦の名の由来になっています。
ここは、浅い海の中で堆積した約1,600万年前の地層が、地震で隆起してできた隆起海床です。腰掛け状の丸い岩は、ノジュールという化石などを核としてできあがった珍しい岩で、他にも興味深い地質を観察することができ、私にとっては「天然の地学博物館」のような場所でした。
出雲市からは夜行寝台「サンライズ出雲」に乗るので、最後は温泉津(ゆのつ)温泉に立ち寄って薬師湯に浸かって帰ることにしました。
温泉津には「おれは河原の枯れすすき」や「シャボン玉」など、童謡や流行歌を残した野口雨情も訪れており、港の近くには「向かう笹島 日の入る頃は磯の千鳥もぬれて啼く」の詩碑が建てられています。
温泉津港は北前船の寄港地としても賑わいましたが、石見銀山を毛利が支配した16世紀、銀の積み出しと石見銀山への物資補給が行われた港は沖泊港で、この港にも恵比須神社が鎮座していました。室町期の様式が残り、非常に貴重な古建築だと思われます。
沖泊の両岸の岩場には、数多くの奇岩が残っていますが、これは船を係留する綱を通すために丸い穴を開けた岩で、牛の鼻ぐりに似ていることから「鼻ぐり岩」と呼ばれています。
温泉津温泉と妙好人「浅原才市」
温泉津駅から温泉街に行く途中には浅原才市(あさはら さいち)の生家があり、中には興味深い「口あい」が展示されていました。浅原才市は浄土真宗の妙好人のひとりで、「ご恩うれしや南無阿弥陀仏」など「口あい(くちあい)」と称せられる信心を詠んだ多数の詩で知られています。
また、妙好人とは信仰や修行、教えを聞くことなどにより、心が不動の境地に達した(安心を得た)人を指しますが、ここで言う「安心」は、不安や心配のない安心(あんしん)ではなく、仏教用語の安心(あんじん)を意味します。
名湯と呼ばれる薬師湯の近くにも角をはやした浅原才市像がありましたが、私は隣接する震湯カフェ内蔵丞(くらのじょう)で風呂上りに食事をとりました。
石見銀山の大森奉行所からも多くの人が温泉津温泉を訪ねていたようで、名物は「奉行飯」という名前の温野菜を蒸した料理でした。
秋の夕陽が温泉街の黒茶色の石州瓦の屋根に降りそそぎ、静まり返った温泉津を後に温泉津温泉駅のホームに立てば、ローカル線の旅のよさを満喫することができました。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。
また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。
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②『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
③『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
私は平成芭蕉、自分の足と自分の五感を駆使して旅しています。
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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