令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産~中世日本の傑作 雪舟と柿本人麻呂の里 島根県益田

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日本遺産を旅する~中世日本の傑作 益田を味わう-地方 の時代に輝き再び-

画聖雪舟と歌聖柿本人麻呂を偲ぶロマンのまち

2015年8月、私は岡山県の総社市で開講された旅の文化研究所の神崎宣武所長が監修する総社観光大学セミナーを受講し、古代の吉備学と総社市における「参詣と巡礼の信心」について学びました。

総社観光大学セミナー

中でも印象に残っているのは、井山宝福寺で自ら座禅を組み、住職から雪舟禅の心について聞いた講話でした。水墨画で有名な雪舟は、備中赤浜村の生まれで、幼くして宝福寺に入るも絵を描くことに夢中になり、経を読まずに絵ばかり描いていました。

そこで禅師は修行に身を入れさせようと雪舟を柱に縛り付けて反省を促したのですが、彼は足の親指を使って自らの涙でネズミの絵を描きました。そのネズミの絵に感銘を受けた禅師は、それ以来、雪舟の絵を咎めなくなり、雪舟も画の世界に入ったと言われています。

井山宝福寺の雪舟像

この逸話は「一行三昧 (いちぎょうざんまい)」と呼ぶ禅の教えで、とにかく一つのことに邁進することの重要性を説いています。

そして雪舟は禅師である春林周藤の侍童として京都五山の相国寺で禅の修行に励みながら、相国寺の画院にいた画僧の周文から中国絵画を学びました。しかし、雪舟は最終的に京を出て周防国の大内正弘の招きで40歳頃に山口に来て、現在の山口市天花にあった雲谷庵に落ち着き、晩年は益田市で過ごして東光寺で没したと言われています。

雪舟のアトリエ雲谷庵

私は井山宝福寺住職の講話を聞いて、雪舟が画聖と呼ばれる所以は彼の絵の技術が優れていただけでなく、禅の修行によってもたらされた品性にあるのではないかと思いました。

そこで、私は雪舟等楊が晩年を過ごした益田市が令和2年、「中世日本の傑作」というストーリーが日本遺産認定されたこともあり、益田市にある雪舟と有名な万葉歌人の柿本人麻呂ゆかりの地を巡ってみました。

雪舟の郷記念館

益田市観光の拠点は石見空港ですが、この空港は緑の大地に滑走路が青い日本海に向かって敷かれており、私は日本国内でも最も景観の優れた空港だと思っています。これまでの一般観光ツアーでは、益田市に立ち寄らず、萩・津和野に向かうケースが多かったのですが、令和の時代に柿本人麻呂ゆかりの益田市を通過するのは「令和」の元号に失礼かと思います。

柿本人麻呂公像

「万葉集」の巻二の223には、

柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて臨死(みまか)らむとせし時、自ら痛みて作れる歌一首

鴨山の磐根(いわね)しまける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ

とあり、人麻呂は晩年には大和国から石見に戻って死んだことがわかります。

そこで、私は石見空港から益田市内に向かう途中、高津城の二の丸にある高津柿本神社に参拝し、本丸にある万葉の丘にも登ってみました。

高津柿本神社

休憩所には万葉集や柿本人麻呂の関係資料が展示されており、眼下には万葉植物園が一望でき、雪舟の境地である「天開図画(天が描き出す美しい自然の絵画)」も味わえます。

益田市を流れる益田川高津川の河口域は、今から約6000年前の縄文時代には入江状になっていましたが、古代には河口部の開発が進み、神社・仏閣が創建されて中世には湊町として繁栄したと言われています。

そしてこの地を治めた益田氏は、地の利を活かして積極的に交易を行い、経済的繁栄とともに優れた政治手腕から平和を実現しました。そして中国をはじめとする大陸からの影響も受けながら、どこにもない独自の文化が花開いたのです。禅の教えを学び、「一行三昧」芸道に生きた雪舟もこの益田の平和で文化的な世界に魅かれたことと思います。

万福寺本堂前の雪舟像

私は「中世日本の傑作」という益田市の日本遺産ストーリーのイメージをつかむために、まずは益田平野が一望できる明星山の櫛代賀姫(くしろかひめ)神社に参詣し、中世益田の経済を支えた交易拠点の中須東原遺跡福王寺にも立ち寄りました。

天平5(733)年に創建された櫛代賀姫神社は、櫛代賀姫命(くしろかひめのみこと)を祭神とし、応神天皇を合祀してから「濱の八幡」とも呼ばれ、社伝によると河口部の大浜大谷浦に鎮座していました。祭神の櫛代賀姫命は、この地方を開拓した櫛代族の祖神で、特殊神事として角力神事・針拾神事・獅子舞神事で知られています。境内からは眼下の益田川河口と益田平野が一望でき、湊町が成立した地理的な背景を知ることができました。

櫛代賀姫神社境内

中須東原遺跡には往時の集落跡とともに、その成立要因である砂丘が残り、隣接する福王寺には十三重塔をはじめ、中世の主要な交易拠点近辺に産する石材で作られた石塔が数多く見られ、確かに中世の景観をとどめていました。

福王寺の十三重石塔

雪舟を招いた益田氏と「中世の傑作」益田

そして私は主たる目的である雪舟ゆかりの地をめぐりましたが、最初は「雪舟の郷記念館」で雲谷派の山水画や雪舟筆と伝えられる肖像画「益田兼堯(かねたか)像」を鑑賞しました。益田兼堯は益田家の第15代当主で、益田氏中興の英主でもあり、雪舟を当地へ招いた人物ですが、雪舟が訪れた際には、貞兼に世を譲って悠々自適の閑居生活をしていました。

益田兼堯像(雪舟の郷記念館蔵)

「雪舟の郷記念館」は雪舟終焉の地に隣接しており、中国の天童寺(中国寧波市)を模した茶色の瓦葺きの落ち着いた景観で、周囲には雪舟終焉の地とされ、雪舟の墓もある大喜庵(東光寺跡)小丸山古墳を望むことができます。

雪舟禅師終焉の地「大喜庵」

大喜庵本堂わきには「雪舟硯水霊巌泉」と刻まれた石碑と泉があり、この泉は伝説によると雪舟が伯耆大山の七井戸の水を持ち帰り、水神に供えて堀割ったものと言われています。雪舟はこの水を茶の湯や硯の水に使用したのでしょう。

益田氏代々の当主は崇仏の念が厚く、多くの寺院に寺領を寄進し、その建立や補修に努めていますが、益田兼堯に招かれた雪舟が最初に留まった万福寺は、第11代の益田兼見が菩提寺として崇敬した寺です。

鎌倉様式の万福寺本堂

万福寺庭園は医光寺庭園とともに雪舟の作庭とされ、中央の小高い石組が庭の中心で、その下に心字池を創り、書院前面を平地とした池泉回遊式庭園です。また鎌倉様式の本堂は国指定重要文化財で、寺宝としては優れた仏像・仏画の数々と東南アジア貿易への関与を示す華南三彩壺などがあり、益田の中世文化の粋を感じることができます。

万福寺の雪舟庭園

万福寺にいた雪舟はやがて崇観寺(今の医光寺)に移り住み、「益田兼堯(かねたか)像」をはじめとし、「花鳥図屏風」「山水図」を描き、万福寺庭園とは趣を異にする趣向を凝らした庭園も築きました。

医光寺総門(益田城大手門)

この医光寺雪舟庭園は国史蹟および名勝に指定されており、 池泉鑑賞半回遊式の庭園で、鶴池に亀島を配置した吉祥の庭となっています。毎年3月半ばには枝垂れ桜、5月には一面のツツジ、秋には大きな楓が赤く染まり、四季折々の美しい姿が楽しめます。また、医光寺総門はかつては益田城の大手門であり、益田城をしのぶ唯一の建造物です。

医光寺の雪舟庭園

また開山堂に安置された木造の釈迦如来坐像、薬師如来坐像、弘法大師坐像などの仏像群は、南北朝・室町の優れた作品でした。

雪舟ゆかりの寺を中心に益田市における「中世の傑作」を巡りましたが、中世という時代は日本では、一般に鎌倉時代の始まり(1185年)から室町時代の終わり(1573年)までの約400年間を指します。

雪舟の郷めぐり案内図

この中世という時代は、地方に権力が分立し、中央権力が統一的な支配を実現できない封建制を特徴とします。古代は王や豪族などの独占的な権威を背景とした集権的な統治が特徴で、近世になると身分制は残るものの、地方の権力が制限され中央集権の進んだ時代です。そして近代は身分制が崩壊し、市民社会が形成された中央集権の時代ですが、時代の流れとともに様々に変容しつつも、現代の「日本社会」や「日本文化」の源流を探ると、中世にさかのぼる事象が少なくありません。

中世日本の傑作とされる益田には、現代とは異なる中世、それでいながら、現代とつながっている中世が残っています。過剰な文明に惑わされず、自然が残る素朴な世界を求めた雪舟のように、私は益田の中世を味わいながら、再び地方に輝いて欲しいと思いました。

「中世日本の傑作 益田を味わう -地方の時代に輝き再び-」

日本遺産ストーリー 〔島根県:益田市〕

海に国境のない時代―中世。山陰地方の西端のまち益田は、その地理と地域資源を活かして、大きな輝きを放っていました。

人々は、中国や朝鮮半島に近い地理と、中国山地がもたらす材木や鉱物などの地域資源を活かして、日本海交易を進めました。領主益田氏は、自らも交易に積極的に関与し、優れた政治手腕を発揮して平和を実現しました。経済的繁栄と政治的安定のもと、東アジアの影響も受け、どこにもない文化が花開きました。

現在の益田にはその歴史を物語る、湊、城、館の遺跡と景観、寺院や神社、町並み、庭園、絵画、仏像などの一級品がまとまって残っています。

このように、時代と地域の特性を活かして輝いた益田は、中世日本の傑作と言え、全国でも希有な中世日本を味わうことのできるまちです。

日本遺産のまち益田

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
 ②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅 
 ④『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅 

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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