サイトアイコン 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

平成芭蕉のテーマ旅行 〜「路面電車」の旅:チンチン電車の由来

鉄道ファンが注目する路面電車「とさでん交通」

坂本龍馬を愛する筆者がたびたび訪れた南国土佐の高知には、鉄道ファンが注目する「とさでん交通」が走っていますが、この路面電車には次の3つの日本一があります。

1つ目は明治37(1904)年に開業以来、現在も走る路面電車の中で一番長い歴史がある

2つ目は25.3キロと路面電車の軌道路線営業キロの長さでは日本一である

3つ目は清和学園前~一条橋間の63メートルという電車で最も短い停留所区間がある

「とさでん交通」の最短区間停留所付近

この「とさでん交通」は高知市内の「はりまや橋」を中心に、西のいの町「伊野」を結ぶ伊野線、東の南国(なんこく)市「後免町(ごめんまち)」を結ぶ後免線、北の高知駅前までの駅前線、南の桟橋通五丁目を結ぶ桟橋線の4路線があり、開通以来110余年の最長寿を誇る路面電車なのです。

路線で注目したいのは伊野線のタブレット交換で、現在、タブレット交換を行う路線は珍しいのですが、朝倉電停と八代行違い停留場では、まだまだタブレットが活躍しているのです。

そして有名な「はりまや橋」の交差点は、どの方向にでも自由に行き来ができて、かつ互いの線路を十字にクロスする「ダイヤモンド・クロッシング」があり、鉄道ファンの注目度も高い場所です。

この魅力ある「とさでん交通」のような路面電車は、日本では昔から「ちんちん電車」と呼ばれ、私が幼少の頃には無軌条電車の「トロリーバス」と共に主要都市では公共交通機関の花形として活躍していました。

路面電車の歴史と日本初のチンチン電車

そもそも世界で最初の電車営業運転は、明治14(1881)年のドイツのベルリンにおける路面電車であったといわれています。

蒸気機関車による列車は市街地を走ると煤煙公害などが問題となることから、市街地の交通においては馬車を発展させた馬車鉄道が使われるようになりました。
しかし、この馬車鉄道も馬の糞尿始末等の衛生面での問題があって、電動機利用の電気機関車が発明されると、馬車鉄道の代替として路面電車が生まれたのです。

日本においても、同様に明治15(1882)年開業の東京馬車鉄道をはじめとして、日本各地に馬車鉄道が敷設されましたが、日本の場合は糞尿の問題よりも馬を道具とみなせない国民性から、次第に路面電車が普及していったと考えられます。

日本における電車デビューは明治23(1890)年、上野公園で内国勧業博覧会(略称・内国博)が催された際、東京電燈が公園内に450mの軌道を敷いて電車2両を公開運転したのが最初です。

そして、日本初の路面電車が走ったのは、明治28(1895)年2月1日、現在の京都駅付近から伏見区役所付近までの区間です。

その理由は明治天皇が東京へ奠都し、その周りにいた公家をはじめとした多くの関係者も京都を離れたため、京都では歴史ある都を寂れさせないための産業振興策として路面電車を開通させたのです。

開通から2ヶ月後、京都で開催された内国勧業博覧会に来た多くの人が、この路面電車を利用したことによって、この路面電車は一定の地位を築きました。

京都伏見の電気鉄道発祥記念碑

しかし、路面電車自体が国内初の試みで、当初は運行に関する規則もなく、単線のために逆方向から来た電車で動けなくなるなど、多くのトラブルがありました。

運行開始から半年が過ぎてようやく規則が作られ、現在の信号機のような役割の「信号人」など、事故防止のための対策がいくつか立てられました。

昼は赤旗、夜は提灯を持って路面電車の前を走り、電車が来ることを歩行者に伝えて事故を防ぐ「告知人」(前走り)という役目の人もいたそうです。

しかし、当たり前のことですが、歩行者の事故は減っても、告知人が轢かれてしまうという事故が多発しました。

そこで、より通行人の安全が図れるように、告知人ではなく路面電車から注意喚起の合図を送ることにしたのです。
具体的には、運転席の足元についているゴング(ベル)を鳴らしたそうです。これが路面電車を「チンチン電車」と呼ぶようになったいきさつです。

チンチン電車の変遷と路面電車の今後

この「チンチン電車」と呼ばれる路面電車の定義ですが、一般的には主に都市の市街地およびその近郊の道路上あるいは同一平面上に敷設された路面鉄道を走る車両を利用した交通機関の総称です。

普通電車との違いは、機械的な構造もさることながら、乗り降りに関する仕組にありました。
すなわち、路面にレールを敷いているため、駅が小規模で済み、乗客は道路上の安全地帯に設置された駅(停留所)や歩道から直接車両に乗降できる点が大きな特徴です。

長崎の路面電車と停留所

この路面電車は明治から大正、昭和40年頃までは隆盛を誇りましたが、自動車が交通の主役として普及しはじめたモータリゼーションの台頭で、次第に街の交通を阻害するものとして疎まれる存在となりました。

そしてさらに地下鉄ができると都市交通の主役の座も奪われ、20世紀後半には路面電車は大都市からはほとんど姿を消してしまいました。

一方でそれほど大量輸送を必要としなかった地方都市などでは、地下鉄を建設するほどの交通需要には至らなかったため、路面電車が生き残り、現代までその役割を果たし続けています。

しかし、最近では都心の再開発や、新規の地域開発において路面電車の優位性が見直され始めています。
なぜなら路面電車はバスに比べて定時運行ができ、地下鉄よりも建設費が抑えられるからです。さらに路面から乗降できるバリアフリーの観点からも再評価されています。

この新しく新設される路面電車は旧来のものと区別する意味で、次世代型路面電車「ライトレール (LRT)」などと呼ばれ、従来の路面電車にはなかった低床省エネ型の車両が導入されています。

このように最新型の車両が導入されるようになると、逆に古い車両を観光目的で走らせると街の宣伝にもなるのではないでしょうか。

私は路面電車の将来を考えると、サンフランシスコのケーブルカーのように、路面電車を観光目的で歴史にまつわるスポット同士を繋いだり、何かしらテーマを持って走らせれば、観光客にとって必要な存在になるのではないかと思います。

また、京都のような観光客の多い町には、かつての路面電車を通勤用のバス路線と別に走らせると、観光地に住んでいる人の精神衛生にも良いのではないでしょうか。

<具体的な旅先>

高知の「とさでん交通」…レトロな古参車両から超低床車まで走っていて便数も多く、「はりまや橋」の交差点は、どの方向にでも自由に行き来ができて、かつ互いの線路を十字にクロスする「ダイヤモンド・クロッシング」があって必見です。

長崎の路面電車…赤迫-崇福寺(そうふくじ、旧名称:正覚寺下)の1系統は長崎駅前だけでなく、中華街や市内中心部も通り、有名観光地のうち、平和公園と出島をマークしているエース路線です。

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平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って令和時代を旅しています。

平成芭蕉のテーマ旅行

見るべきものは見て、聞くべき話は聞いた。では旅に飽きたかと問われれば、いえいえ、視点が変わればまた新たな旅が始まるのです。平成芭蕉はまだまだ「こんな旅があった」と目からウロコのテーマ旅行にご案内します。すなわち、「ときめき」を感じる旅から人は変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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