平成芭蕉の日本遺産 兵庫県「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」 | 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 兵庫県「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。

日本遺産の地を旅する~銀の馬車道 鉱石の道 資源大国日本の記憶をたどる73㎞の轍

私の実家がある兵庫県には、かつて摂津・丹波・但馬(たじま)・播磨(はりま)・淡路の5つの国が存在しており、これらの旧国の中で、今の兵庫県を南北に分ける北の「但馬」、南の「播磨」の二つの地域は総称して「播但(ばんたん)地域」と呼ばれています。

「銀の馬車道起点」姫路のシンボル

「銀の馬車道起点」姫路のシンボル

そして中央の生野鉱山を起点に、この播但地域を貫く二つの道が「銀の馬車道」と「鉱石の道」ですが、嬉しいことにこの歴史ある道は平成29年4月28日、「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道~ 資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍 ~」のストーリーで姫路市、福崎町、市川町、神河町、朝来市、養父市の6市町のシリアル型日本遺産として認定されました。

文化庁が認定する日本遺産では、ストーリーが大切ですが、これは物語のように旅するのではなく、鉱石を運んだ物語を参考にして旅をつづる感覚です。

すなわち、この「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の旅は、何かある物語の跡をめぐって旅するのではなく、また、ストーリーから冒険的な箇所を取り出すのでもなく、文字通り、沿道で遭遇する現実の出来事を、土地に伝わる物語的な伝承の助けを借りて理解し、自分の生きてきた物語と比較する旅です。

これは、従来の意外性のない観光ルートを、事前に知り得た「情報を確認していく旅」からの脱却といえるでしょう。

今回、日本遺産に認定された「銀の馬車道」は、明治9年播磨の飾磨港(現姫路港)と49km北の生野鉱山とを結ぶために造られた日本で最初の「高速産業道路」でした。

飾磨津物揚場跡の赤レンガ塀

飾磨津物揚場跡の赤レンガ塀

そこで、私は世界遺産の姫路城からまずは飾磨(しかま)へ向かい、飾磨の街を歩いてみました。

姫路港に注ぐ野田川に架かる向島橋近くには、姫路藩御船役所跡の碑が立っており、「飾磨津物揚場」近くには生野産の赤レンガで作られた塀も残っていて、当時のたたずまいが感じられます。

また、菅原道真公を祀る恵美酒宮天満神社のある宮堀川界隈には『芳水詩集』で知られる有本芳水の歌碑も建っていました。

「瀬戸の内海播磨灘 廣重のごと色冴えて 紺と銀との夕暮れは 海の上よりせまり来ぬ」の『播磨灘』はこの地で生まれた有本芳水の詩です。

「銀の馬車道(生野鉱山寮馬車道)」は画期的な馬車専用道

銀の馬車道

銀の馬車道

銀の馬車道(正式名称:生野鉱山寮馬車道)は、明治政府の官営事業として建設され、そのルートは、最短・平坦な所が選ばれており、ヨーロッパのマカダム式舗装が導入された重い鉱石に耐え得る画期的な構造を持つ馬車専用道でした。

飾磨の街から一路北へ進むと、この馬車道は田園地帯を抜けて、やがて趣のある古民家が点在する印象的な町並みが現れてきます。

それは宿場町として栄えた福崎町辻川市川町屋形神河町粟賀の町並みですが、特に福崎町には日本民俗学の父として有名な柳田國男生家をはじめ、大庄屋三木家住宅神崎郡歴史民俗資料館(旧神崎郡役所)など、歴史を感じさせる建物が数多く残っています。

しかし、私は柳田國男先生が自身の人生を回顧して書いた著書『故郷七十年』に登場する河童の河太郎(ガタロウ)や河次郎(ガジロウ)などの妖怪に会える「辻川山公園」にも立ち寄ることをお勧めします。

辻川山公園の河童の河太郎と妖怪

辻川山公園の河童の河太郎と妖怪

また、粟賀には毒消しとして飲まれた仙霊茶を製造・販売していたお茶問屋「竹内家」のような当時の町家もあって、明治時代の賑わいを彷彿とさせてくれます。

続く道程の神河町には、当時の“銀の馬車道”の一区間が現存しており、実際に歩いてみると明治時代にタイムスリップした気がします。

そして道の駅「銀の馬車道・神河」を過ぎて生野峠を越えると、そこは播磨と但馬を結ぶ交通の要衝であり、かつて“佐渡の金・生野の銀”と言われた全国屈指の鉱山まち生野です。

明治の富国強兵を支えた生野鉱山

明治元年に政府直轄の官営となった生野鉱山の開坑は、大同2年(西暦807年)と伝えられ、室町時代の天文11年(西暦1542年)、山名祐豊(やまなすけとよ)によって本格的な採掘が始まり、織田・豊臣の直轄地を経て徳川幕府の天領直轄地となりました。

富国強兵を支えた生野銀山

富国強兵を支えた生野銀山

そして「銀の出ること土砂の如し」と言われた生野銀山は、佐渡金山石見銀山と共に幕府の財政を支えただけでなく、世界の銀の流通にも大きな影響を与え、明治維新の後は富国強兵の国づくりにも貢献したのです。

私はまず、口銀谷地区を散策し、格子に意匠を凝らした町家、鉱物製錬後の不用物を石状に固めた「カラミ石」を使った石垣、赤みがかった生野瓦の屋根など、鉱山のまち特有の景観を堪能してから史跡「生野銀山」を訪ねました。

生野銀山の施設内には、全長1,000メートルの坑道を進みながら、江戸時代から近代までの採掘の様子を見学、銀山の歴史とロマンを体感できる観光コースが用意されています。

所々にGINZAN BOYS(マネキン)が当時の炭鉱の様子を再現していて、面白く、見応えたっぷりで夏の暑い時でも涼しいので、生野銀山は雲海に浮かぶ竹田城跡にも匹敵する朝来市のお薦め観光スポットです。

生野鉱山の銀山ボーイズ

生野鉱山の銀山ボーイズ

また鉱夫の滋養のためにと栽培され、今や日本三大ねぎのひとつとなった「岩津ねぎ」や鉱山町の人気メニューであった「ハヤシライス」からは、食生活にも鉱山の影響がうかがえます。

生野鉱山から北へ続く「鉱石の道」

「鉱石の道」はこの生野鉱山から分水嶺を越えて北へ24km続く道で、“銅の神子畑・明延”へと私たちを運んでくれます。

風格ある日本最古の鋳鉄製神子畑鋳鉄橋を過ぎると、東洋一の規模を誇った神子畑選鉱場跡が現れますが、この迫力ある大パノラマの巨大建造物は、明延鉱山の鉱石を選別する施設として稼働していました。

日本最古の鋳鉄製神子畑鋳鉄橋

日本最古の鋳鉄製神子畑鋳鉄橋

敷地内には生野鉱山に招かれた外国人技師の官舎として建てられ、鉱山事務所として利用されていたムーセ旧居も公開されており、神子畑選鉱場の歴史に関する資料が展示されています。

また、神子畑と明延間には昭和初期に鉱石と人を運んだ「明神電車」が走っていました。

この電車は日本一安い一円の運賃だったことから「一円電車」と親しまれ、現在も保存されており、明延では当時の車両を使った復活運行も行われています。

神子畑と明延間を走った「一円電車」

神子畑と明延間を走った「一円電車」

養父市明延鉱山町には当時の鉱山社宅や共同浴場だった建物も残っており、時空を超えたツインタイムトラベルが楽しめます。

また、総延長550㎞を誇る明延鉱山の一部も「明延鉱山探検坑道」として公開されていますが、こちらは中に削岩機や鉱山機械なども展示されているので、静寂の中に近代鉱山の迫力を肌で感じることができます。

明延鉱山の入り口

明延鉱山の入り口

そして明延からさらに北へ進むと鉱山が生んだ播但貫く73㎞の道の終着点となる中瀬鉱山に着きます。

この鉱山は明治時代に生野と共に官営化され、一時期には日本最大量の金鉱石を採掘しており、ここで選鉱された金もまた、鉱石の道、銀の馬車道を経由して飾磨港まで運ばれていました。

すなわち、姫路の飾磨港と生野・神子畑・明延・中瀬の鉱山群を結ぶ“銀の馬車道 鉱石の道”は、明治時代に生まれた生産から輸送まで及ぶ「鉱山と港を結ぶ鉱業コンビナート」でした。

そのため、この道には大量の鉱石をより速く、かつ安全に運ぶための思想と先端技術が詰め込まれており、欧米列強に対抗しうる「富国強兵」の国づくりを支えた産業遺産でもあるのです。

東洋一を誇った神子畑選鉱場跡

東洋一を誇った神子畑選鉱場跡

今日、私の実家のある西宮からは姫路バイパス、播但連絡道路を経由すれば、生野銀山の朝来市まで簡単に来ることができます。

しかし、この播但貫く73kmの轍をゆったりたどると、明治維新から近代化を推進した先人の思いや金・銀・銅の鉱石を求めて行き交った人々の交流から生まれた「ものづくり」文化にも触れることができました。

そこで国宝の姫路城や雲海の城で有名な竹田城、さらには城崎の温泉地を訪ねる際に、この「銀の馬車道」「鉱石の道」を経由すれば、明治時代の心意気が今日まで脈々と息づいていることを体感できる旅にもなるのです。

雲海の城で有名な竹田城

雲海の城で有名な竹田城

播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道~ 資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍 ~

日本遺産ストーリー 〔兵庫県:姫路市, 福崎町, 市川町, 神河町, 朝来市, 養父市〕

兵庫県中央部の播但地域。

そこに姫路・飾磨港から生野鉱山へと南北一直線に貫く道があります、“銀の馬車道”です。

さらに明延鉱山、中瀬鉱山へと“鉱石の道”が続きます。

わが国屈指の鉱山群をめざす全長73km のこの道は、明治の面影を残す宿場町を経て鉱山まちへ、さらに歩を進めると各鉱山の静謐とした坑道にたどり着きます。

近代化の始発点にして、この道の終着点となる鉱山群へと向かう旅は、鉱山まちが放ついぶし銀の景観と生活の今昔に触れることができ、鉱物資源大国日本の記憶へといざないます。

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by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

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