サイトアイコン 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

平成芭蕉の世界遺産 スペイン~イスラム建築の至宝 コルドバのメスキータ

ミフラーブの装飾

ミフラーブの装飾

コルドバの世界遺産 石柱が林立する名建築「メスキータ」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

先日、久々にスペインを旅してきました。スペインと言えば「闘牛とフラメンコの国」というイメージがありますが、実際には郷土の音楽や舞踊だけでなく、伝統工芸、料理、祭り、人々の気風にいたるまで、大変バラエティに富んだ国です。

特にアンダルシア地方のコルドバは、今でもイスラム教徒やユダヤ人の住んでいた雰囲気が残っており、歴史愛好家にはとても魅力的な町です。

フデリーアと呼ばれるユダヤ人居住区

そこで、今回は1012本の石柱が林立するイスラムの名建築メスキータを中心にコルドバの世界遺産をご紹介します。

メスキータとはスペイン語で、イスラム教徒が礼拝に集まるモスクを意味する普通名詞ですが、

ただ単にMezquita(メスキータ)と言えば、コルドバの大聖堂に転用されたモスクを指します。

私はキリスト教の大聖堂(カテドラル)の改築された今日でも、カテドラルという正式名称より「メスキータ」というイスラムの愛称で親しまれているところにこの建造物が持つ特異な魅力を感じます。

西ゴート王国時代、この場所にはキリスト教のサン・ビセンテ教会が建っており、コルドバを占拠したイスラム教徒のモーロ人は、当初、先住のキリスト教徒と話し合い、この教会の半分だけをモスクとして使っていました。

すなわち、初期のイスラム教徒はキリスト教徒を同じ「啓示の民」として尊重し、教会を接収してモスクに改築するようなことはしませんでした。

西カリフ国の遺産 コルドバのメスキータ

しかし、教会はもともとキブラ(イスラムの聖地メッカの方向)とは無関係に建てられており、礼拝には不向きであったため、758年、アブドゥル・ラーマン1世が教会の残り半分を買収して、新たに建造したものが今日のメスキータの起源です。

メスキータの「石の森」

やがて当初の礼拝室だけでは手狭になり、840年代(第1次拡張)、960年代(第2次拡張)に建て増しされて、10列の石柱が並び、中庭に向かって11のアーチが設けられ、中央のアーチ(現在のシュロの門)が正面入り口となりました。

そしてこの正面入り口からまっすぐ礼拝室の奥へ突き当たったところにメッカの方向を示すミフラーブというくぼみが設けられ、他の壁面と違ってひときわ豪華に装飾されました。

イスラム教は偶像崇拝厳禁のため、このミフラーブは礼拝の向きとなるメッカの方向を示すだけで、教会にある祭壇や神像のようなものはありません。

本来、イスラムのモスクはこの正面入り口とミフラーブを中心軸とした対称形に造られますが、このメスキータは10世紀末の第3次拡張の際、地理的制約から東側に張り出す形で増築されたため、中心軸からシンメトリーが崩れた特異な形となっています。

この3次の拡張を経て、990年、間口137m、奥行174mという壮大なモスクが完成し、これはメッカのモスクに次ぐ2番目の大きさでした。

このコルドバに都をおく西カリフ国はバグダッドに都をおく東カリフ国との対抗意識が強く、このメスキオータこそ当時の西カリフ国の心意気の現れで、中庭と礼拝室を合わせて一度に約6万人が礼拝できたと言われています。

キリスト教の大聖堂に転用されたメスキータの悲劇

当時の礼拝室には18列の石柱が並び、石柱の総数は1012本にもおよび、まさに石柱の森と呼ぶにふさわしい、荘厳にして神秘的なものだったと思われます。

1012本の石柱の上にすべて2段のアーチが並び、しかもアーチのせり石として白い石の部分と赤いレンガの部分とが交互に美しい縞模様を描いています。

しかし、レコンキスタ(キリスト教徒による国土再征服)後の16世紀になってマンリケ司教がこのメスキータの大改築を行ったため、中庭と礼拝室のアーチが壁でふさがれたり、ミナレットが鐘楼に換えられたりしてこのモスクは受難の道を歩みました。

閉ざされたイスラムのアーチ

マンリケ司教に建築許可を与えたカルロス1世は、改築後にコルドバを訪れ、初めてメスキータを目の当たりにした際、「余はこのようなものだとは知らなかった。知っていれば決して手をつけるようなことはさせなかっただろうに。どこにでも作れる建物のために、世界に1つしかない貴重な建物を壊してしまった」と嘆いたそうです。

せめてもの救いは、建築の現場責任者であったエルナン・ルイスが、この驚嘆すべきメスキータという名建築の価値を十分理解していて、改築の被害を最小限におさえてくれたことです。

すなわち、イスラム建築の精華ともいうべき絢爛豪華なミフラーブの装飾、その前にある壮麗なアーチ群や石柱も1012本のうち856本が残されたのです。

それでもメスキータのまさに中心部にキリスト教の大聖堂が造られたことによる悪影響はいかんともしがたく、カルロス1世が嘆くのももっともです。

やはり、いつの時代でも権力者は現場確認をせずに決断を下してはいけないという教えでしょう。

このメスキータの大聖堂部分の彫刻や装飾も見事ですが、やはりモスクにおける何物にも打ち勝つような圧倒的な存在感には及びません。

メスキータの中の大聖堂

シンプルですが、「余すことなく美しものが詰め込まれている」非現実的な空間で味わう重厚感は他では体験できません。

唯一神アッラーにささげられた建物ですが、私はこの建物を作り上げた当時のコルドバ市民の心意気が感じられ、史上最高の美とパワーを感じることができる世界遺産だと思います。

祝!日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産登録

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

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 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

参考記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています

平成芭蕉の世界遺産

「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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