令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産 スペイン〜セビリアの大聖堂と慶長遣欧使節

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スペインの歴史薫る世界遺産の街セビリアと慶長遣欧使節

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

仙台藩主政宗の“伊達”な功績「慶長遣欧使節」ゆかりの地

セビリアのアルカサル

セビリアのアルカサル

私は世界遺産の講座もさることながら、最近は地方創生に関連した日本遺産についての講演をする機会も増えたのですが、日本遺産の講演では海外との関係にも触れて話すようにしています。

例えば、宮城県の「政宗が育んだ“伊達”な文化」では、伊達政宗が派遣した支倉常長「慶長遣欧使節」ゆかりの街セビリアについてもご紹介させていただきました。

慶長遣欧使節は慶長18(1613)年、仙台藩主伊達政宗がセビリア出身のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を福使として、スペイン国王フェリペ3世およびローマ教皇パウルス5世のもとへ派遣した使節です。

その主目的はスペインとの通商交渉であったと言われていますが、一行はメキシコを経由し、1614年10月23日にルイス・ソテロ神父の生地セビリアで熱狂的な歓迎を受け、アルハンブラを連想させるスペイン王室のアルカサル宮殿に宿泊しました。

世界遺産の街セビリア繁栄の象徴 カテドラル

カテドラルとヒエルダの塔

カテドラルとヒエルダの塔

セビリアはスペイン南部アンダルシア州の州都であり、現在はマドリード、バルセロナ、バレンシアに次ぐ第4の都市で、ヨーロッパとイスラムが融合した建造物が立ち並んでいます。

古代ローマ時代、「ヒスパリス」と呼ばれていたセビリアは、1958年に黄金製装身具などの「カラムボロの宝物」が発見されたことから、非常に古くから高度の文化が発達していたことが明らかになりました。しかし、8世紀にはイスラムに征服され、この地は12世紀までイスラムの支配を受けましたが、13世紀になってキリスト教徒がレコンキスタ(国土回復運動)で奪還しました。

そのため、街並みや建造物はイスラム様式とヨーロッパ式が混在し、アラビア語で宮殿を意味するアルカサルも幾度も改築された結果、イスラム、ムデハル、ゴシック、ルネサンスの4つの特徴を備えています。

そして15世紀後半、スペイン王国が成立した後の大航海時代に、新大陸との交易の拠点となって繁栄しました。海に面していないながらも大西洋へ注ぐグアダルキビール川が流れており、新大陸を発見したコロンブスがこの地から出発して貿易港となったことから、17世紀頃にはスペインで最も栄えていたのです。

当時の繁栄を記した文書やコロンブスの日記は、ルネサンス様式のインディアス総合文書館に収められています。

コロンブスはなぜ新大陸を発見できたのか

コロンブスの日記によると、彼はマデイラ諸島にあるポルト・サント島の世襲領主の娘と結婚し、その家の畑で働いいた際、疲れると近くにあった石の上に腰かけては休んでいたそうです。しかし、普通の人はただ座って休憩するだけですが、コロンブスは座りながらいろいろと考えていたのです。

クリストファー・コロンブス

クリストファー・コロンブス

すなわち、彼はイタリアのジェノヴァの出身ですがスペインのポルト・サント島で、畑のほとりの石に座り、海を眺めては遠ざかっていく船を見ながら考えていたのです。観察していると船は小さくなって、まるで沈み込むように、水平線の下に向かって消えていくのです。まず、船体が先に姿を消して、次に長いマストが見えなくなりました。

そこでコロンブスは「この世界は、遠くへ行けば行くほど、下に下がっていくんだ。どんどんしたに行って、最終的には一周して上に戻ってくるんだ。それならば、西にずっと進んでいけば、グルっと回ってインドにたどり着けるはずだ」と考えたのです。

いたって単純明快な考え方ですが、このように物事を素直に見られる人は、シンプルですが重大な真実を見抜くことができるのです。おこシンプルな発見こそがコロンブスが偉業を成し遂げた原因です。コロンブスの新大陸発見は「人はちょっとした思いつきやアイデアを見逃さない、開かれた心をもつ」ことの大切さを教えてくれます。そのコロンブスはこのセビリアに眠っています。

セビリアの世界遺産の目玉であるセビリア大聖堂(カテドラル)は、世界で三番目に大きく、世界最大規模のゴシック建築です。大航海時代に繁栄した街だけあって、カテドラルの外観装飾も見事で、内部にはゴヤムリーリョなどの宗教画だけでなく、探検家コロンブスの墓もありました。

コロンブスの棺は4人のスペイン王によって担がれていますが、王様が棺を担ぐほどにコロンブスの偉業はスペインに繁栄をもたらしたのです。

大聖堂内にあるコロンブスの墓

大聖堂内にあるコロンブスの墓

この大聖堂に隣接するヒラルダの塔はセビリアの象徴とも言える鐘楼ですが、これはイスラム建築のミナレットを転用したものです。

一方、「慶長遣欧使節関係資料」は2013年にユネスコ記憶遺産に登録されましたが、私は400年以上も前に、当時の大国スペインと通商を結ぼうとした政宗の慧眼と国際性、斬新で伊達な文化も日本人が世界にアピールすべき遺産であると思います。

祝!日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産登録

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

参考記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています

平成芭蕉の世界遺産

平成芭蕉の世界遺産

世界遺産とは地球の成り立ちと人類の歴史によって生み出された全人類が共有すべき宝物で、その内容によって①文化遺産②自然遺産③複合遺産に分類されます。この「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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