サイトアイコン 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

平成芭蕉の世界遺産 日本人町のあったベトナムのホイアン旧市街

ホイアンの「日本橋夜景」

かつて日本人町が築かれたベトナムのホイアン

平成芭蕉の「世界遺産への旅」

かつて日本人が暮らしていた親日国ベトナムの港町ホイアン

東南アジア諸国の中でもベトナムは親日国ですが、その背景には、政治や経済面だけではなく、日本とベトナム両国の長い歴史的、文化的つながりによって生み出されている「人と人との共感や共鳴」があるのではないかと思います。

すなわち、8世紀の奈良時代には林邑(現在のベトナム中部)出身の僧・仏哲が、東大寺の大仏開眼式で雅楽の一種である「林邑楽」を奉納したという逸話や16世紀から17世紀にかけての朱印船交易時代、長崎の商人である荒木宗太郎とベトナム・グエン朝の王女ゴック・ホア姫のラブストーリーなど、これらは日本とベトナムの間には古より長い歴史的なつながりがあることを教えてくれます。

実際、私は東南アジアのベトナムを訪ねると、静かで不思議な感動を覚えると同時に信仰や民族の風習、景観によって五感に新鮮な驚きがあふれてきます。とりわけベトナム中部、トゥボン川の河口近くにたたずむ水辺の古い港町ホイアンでは、とても懐かしい思いに駆られます。

トゥボン川とホイアン旧市街

ホイアンはベトナムの中部、ダナンから車で1時間のところに位置しており、この東西交易の中継地として栄えたホイアンの町は、かつて1,000人を超える日本人が暮らしていた場所であるため、どこか懐かしい雰囲気を感じとることができます。そうした土地柄からも、心の郷愁が刺激されるのかもしれません。

日本人によって架けられたホイアンのシンボル「来遠橋(日本橋)」

この東西文化が混合して形成されたホイアンは、散歩の延長ですべてを見て回れるほどの小さな町ですが、古く美しい街並みが今も残っており、その旧市街が世界遺産に登録されています。旧市街の中でも有名なチャンフー通りの「来遠橋」は、ホイアンの象徴とされていますが、この橋は1593年に日本人によって架けられた屋根付きの橋で、別名「日本橋」とも呼ばれ、私たち日本人にとっても非常に縁の深い木造橋です。

ホイアンの「来遠橋(日本橋)」

日本橋は日本人街と中国人街をつないでおり、和と中華が折衷する独特の建築様式で、細部に至るまでに施された精緻な装飾に、往時の人々の心意気を感じられます。橋の両側には、造り始められた犬年と完成した申年を模したユニークな像が並び、橋を往来する人々の安全を見守っています。

また、このあたりの海には巨大ナマズが棲んでいて、そのナマズが暴れると巨大地震が起こると信じられていたため、この屋根付きの橋の中央にはナマズを鎮める神様を祭る「カウ寺」があります。ここからはトゥボン川とホイアン旧市街のパノラマを眺めることができますが、はるか400年前にもこの地を訪れた日本人が同じ景色を眺めていたかと思うと、感無量です。

ホイアン橋にある「カウ寺」

そして「来遠橋」からほど近い「フーンフンの家(馮興家)」を訪ねれば、18世紀のホイアンに住んでいた人々の生活の様子も浮かび上がってきます。この屋敷は約200年前に建てられた貿易商人の家で、国際都市ホイアンを象徴するように、土壁はベトナム式、扉や柱は中華式、屋根は日本式といった3カ国の建築様式が程よく調和しており、妙な居心地の良さを感じられる場所です。

「フーンフンの家(馮興家)」

自然光が差し込む2階建ての家屋内の至る場所には、台風とともに生活を営んできたホイアンの人々の工夫が見て取れます。取り外し可能な四角い窓は、頻発した洪水の際、荷物の持ち運びがたやすくできる仕掛けになっています。

幸運と繁栄を意味する「鯉」の装飾をあしらった2階のテラス席にたたずむと、心地よい古都の風とともに、私たちの祖先が夢見た海外貿易に思いをはせることができ、アジアに生きている自分を実感することができます。

ホイアンの中国人町と夜の散策

やがて、江戸幕府の鎖国により日本人町は衰退し、代わって台頭したのが中国人町で、「福建会館」をはじめ、中国人の手による建築物が華やかな色彩を放ちます。

中国人町の「福建会館」

ホイアンに建つ「福建会館」は貿易が盛んに行われていた17世紀頃、福建省からホイアンへ移り住んだ中国人(華僑)達によって建設され、航海の守り神・天后聖母(媽祖)が祀られている寺院であり、異国の地で同じ故郷を持つ者同士を繋ぐ「集会所」としても貴重な役割を果たしていました。「福建会館」で祀られている天后聖母は中国発祥で、最上位クラスの神様として知られていますが、今ではベトナムにおいても「災厄避けの神」として拝まれています。

徒歩で十分に見てまわれる小さな町・ホイアンですが、数百年前から変わらない時間が流れる町筋をふらりと歩けば、どこかで見たような、それでいてどこにもない、不思議な世界が行く手に広がります。

ライトアップされたアンホイ橋

夜の散策ではトゥボン川にかかる色鮮やかにライトアップされた幻想的なアンホイ橋を渡り、観光客で賑わうナイトマーケットがお勧めです。このアンホイ橋は「多くの観光客で賑わうモダンなナイトマーケット」と「時が止まったような郷愁香る旧市街」をつないでおり、まるで時代の異なる2つの別世界をつなぐ時の架け橋のようで、私には日本人町が栄えた中世ベトナムにつながるタイムトンネルのようにも感じました。

バクダン通りから眺めるトゥボン川の夜景は、川の水面にライトアップされた街並みの景色が反射し、うっとりするほど美しい風景が浮かび上がります。「夜の街を散策しないと、ホイアンの良さはわからない」と言われる意味が、何となくわかります。

ホイアンの夜景

昼間とはまた違う艷やかな表情を見せる旧市街に佇むと、時間がすぎるのを忘れさせてくれるノスタルジックな空間が広がります。

また、毎月旧暦の14日はホイアン旧市街でランタン祭りが開催され、この日は、日が暮れると街灯などの人工的な電気やライトアップは全て消され、提灯やろうそくの灯りだけになります。

ホイアンのランタン祭

満月の明るい月光と提灯の灯りが川面に映る様子は、とても幻想的で美しく、私は松尾芭蕉の「名月や池をめぐりて夜もすがら」の名句を思い出しました。現代の都会で見る月は、そんなに存在感はありませんが、この日に眺める月はとても明るくて美しく、電灯が少なかった昭和の時代を懐かしく感じました。

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

参考記事:世界遺産の旅における「へー、そうだったの」

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています

平成芭蕉の世界遺産

「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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