耶馬渓の競秀峰を守った自然保護運動の先駆者 福澤諭吉先生
福沢諭吉先生ゆかりの大分県中津と日本遺産の「耶馬渓」
わが母校の創立者、福澤諭吉先生ゆかりの地である大分県中津に行ってきました。
慶応義塾において先生と言えば福沢諭吉先生であり、先生は慶応大学の敷地内に居を構えていたため、慶應義塾大学三田キャンパスに諭吉の終焉の地を示した石碑が設置されています。
戒名は「大観院独立自尊居士」で、麻布山善福寺にその墓があり、先生の命日の2月3日は雪池忌(ゆきちき)と呼ばれ、私も在学中に墓参したことがあります。
聞くところによると2018年は福澤諭吉先生が一万円札の肖像になって30周年で、福沢先生ゆかりの中津を訪ねるにはいい機会でした。
しかし、今回の中津訪問は昨年、日本遺産に認定された「耶馬渓」の現地案内人さんを対象とした講演が目的です。
日本遺産「耶馬渓」と命名者の頼山陽
中津市と玖珠町にまたがる景勝地の歴史や文化を語る
「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」
というストーリーが日本遺産として認定されたのです。
そして2018年は頼山陽が「耶馬渓」と命名してからちょうど200年にあたる記念すべき年でした。
しかし、頼山陽が命名した「耶馬渓」の自然を守る行動を起こさせた、今日のナショナルトラスト運動の先駆けは福沢諭吉先生でした。
明治27年(1894年)2月、 中津に20年ぶりに帰郷した福沢諭吉先生は、旧中津藩主奥平家の別荘を建てたいと耶馬溪を散策した際、競秀峰の山々が売却されることを耳にして
「万一、心ない人に渡り天下の絶景が損なわれては取り返しがつかない」
と一帯の土地を購入する決心をし、自分の名を表に出さず、複数の土地所有者から一帯の土地約1.3ヘクタール(13,000㎡)ほどを少しずつ目立たないように3年がかりで購入したと言われています。
もし、この福沢諭吉先生の先見の明と行動力がなければ、今の美しい耶馬渓を代表す競秀峰はなかったと思います。
『学問のすすめ』にある一節
私は講演に先立ち、福澤諭吉先生の『学問のすすめ』にある一節
「そもそも事をなすにあたっては、命令するより諭した方がよく、諭すよりも自ら実際の手本を見せる方がよい」
という言葉を思い出して、案内の仕方というノウハウよりもメンタルな心構えを中心に話をしました。
これまで、案内人さんはボランティアガイドとして無償で仕事をされていましたが、私は、「ホスピタリティは無償でもガイドとしてのサービス提供は有償にするべきである」と主張しました。
なぜなら、「究極の学びは教える」ことであり、その教えることには責任を持つ必要があります。
よって、お客様に説明するガイド料は有償にして案内人としてプロ意識を持つべきだと思うのです。
これこそが、福澤諭吉先生の「独立自尊」の精神ではないでしょうか。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
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また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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