八百万の神々が集まる出雲の国
出雲では10月は全国の八百万(やおよろず)の神様たちが集まるので、“神在月(かみありづき)”と呼ばれますが、他の土地では神様が留守となるため、“神無月”と呼ばれます。
そして出雲に集まった神様は何をするかと言えば、“神議(かみはかり)”と言う縁結びの会議をします。そのためか、八雲立つ出雲の国は神の国・神話の国として神々をお祀りする古い神社がいたるところに鎮座しています。
その中心は広く“だいこくさま”として慕われる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀る出雲大社ですが、私は出雲神話ゆかりの神社や出雲風土記に関連するスポットもご紹介したいと思います。
「稲佐の浜」から神迎の道を通って「勢溜の鳥居」へ
出雲に到着した八百万の神々は、日本海に面した「稲佐の浜」から勢溜の大鳥居へと続く「神迎の道」を通って勢溜(せいだまり)に至り、正門からお入りになります。
「稲佐の浜」は天照御大神(アマテラスオオミカミ)より、国譲りの使命を受けた建御雷神(タケミカヅチ)が大国主神(オオクニヌシノカミ)と対面した場所で、旧暦の10月10日には、出雲大社に集まる全国の神々がこの浜から出雲へ上陸すると伝えられ、神迎えの神事が行われます。
そして出雲大社の参道入口広場付近には、かつて芝居小屋があり、人の勢いが溜まるところということで勢溜(せいだまり)と呼ばれ、ここに立つ鳥居が「勢溜の鳥居」です。
「神迎の道」の途中には、安土桃山時代の女性芸能者で、ヤヤコ踊りを基にしてかぶき踊りを創始した「出雲阿国(いずものおくに)の墓」があり、特別に石柵で囲った平たい自然石で作られています。
大国主大神を祀る出雲大社
「神話のふるさと出雲」の象徴であり、縁結びの神・福の神として名高い出雲大社(いづもおおやしろ)は、かつては杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれ、 御祭神は「因幡のしろうさぎ神話」で有名な大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)で、広く「だいこくさま」として慕われています。
そして大国主大神の祭祀は、天照大神の第二子である天穂日命(アメノホヒノミコト)が、仕えることとなり、天穂日命は神聖なる火を守り、その火によって心身を浄めて大国主大神をお祀りしています。天穂日命は出雲國造の祖とされ、現在は第84代出雲國造(出雲大社宮司)の千家尊祐(せんげたかまさ)がその命を継いでいます。
一般の神社参拝では、手水舎で手と口を清めてお参りするというのが基本的な流れですが、出雲大社では手水舎の前に正門の勢溜(せいだまり)の大鳥居(二の鳥居)から参道に入り、すぐ右手にある摂社「祓社(はらえやしろ)」へお参りするのが正式な参拝ルートとされています。祓社には祓井神(ハライドノカミ)四柱が祀られており、ここで身についた穢れ(けがれ)を落とした後に参拝するのが習わしです。
鉄製の中の鳥居(三の鳥居)からお社へ続く参道は、樹齢400年を越える松並木になっていますが、銅の鳥居の右手手前には「ムスビの御神像」と呼ばれる両手を広げた大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の石像と、その前に鎮座した黄金色の球の像があります。大国主大神が神様になられる前の修行中の頃に、幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)といった魂が荒波の向こうから現れ、その魂を頂く場面とされ、その魂の「おかげ」を頂いて大国主大神が「ムスビの大神」になったと言われtいます。
また、左手の手水舎の脇には、『因幡の白兎』の神話で有名なシーンを再現した「御慈愛の御神像」もあります。
参道が終わり、銅の鳥居(四の鳥居)をくぐると正面に見えるのが拝殿で、出雲大社における神様へのお願いは、この拝殿で「2礼4拍手1礼」の手を4回叩くのが正しい作法です。
次に拝殿の後方に回ると玉垣(たまがき)に囲まれた御本殿の大屋根が見えてきますが、御本殿前に立つ八足門(やつあしもん)から御本殿を望みながら参拝します。
御本殿は2013年の「平成の大遷宮」で60年ぶりに修造が施され、美しく蘇ったばかりです。瑞垣に囲まれている御本殿は、反時計回りに巡りますが、真後ろには大国主大神の親神でありヤマタノオロチ退治で有名なスサノオノミコトをお祀りする素鵞社(そがのやしろ)が鎮座しています。そして御本殿を囲む玉垣の西側には、ひっそりと本殿西遥拝場がありますが、ここは大国主大神の正面に向かってお参りすることができる、隠れた貴重な場所となっています。
今では広く“えんむすび”の神として慕われていますが、この「縁」は男女の縁だけでなく、目に見えない生きとし生けるものがともに豊かに栄えていくための“結びつき”と言われています。
〔正式な参拝ルート〕
. ①勢溜の大鳥居→②祓社→③中の鳥居→④手水舎→⑤御自愛の御神像→⑥銅の鳥居→⑦拝殿→⑧八足門・御本殿→⑨東十九社→⑩釜社→⑪素鵞社→⑫御神座正面拝礼所→⑬氏社→⑭西十九社→⑮御守所
「火の発祥」の神社「熊野大社」
「熊野大社」は、出雲大社と共に古くから信仰を集めている由緒ある神社ですが、出雲国造が本来つとめていた神社で、熊野大社を出雲國の象徴の一の宮として祭祀することにより政事を治めたと言われています。
主祭神は神祖熊野大神櫛御気野命(カブロギクマノノオオカミクシミケヌノミコト)で、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別名ですが、正しくは「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」です。
「伊邪那伎日真名子(イザナギノヒマナゴ)」=父神の伊邪那伎命がかわいがった御子
「加夫呂伎熊野大神(クマノノオオカミ)」=熊野の地の神聖なる神
「櫛御気野命(クシミケヌノミコト)」=素盞鳴尊(スサノオノミコト)の別名
すなわち、素盞嗚尊のことをめいっぱい讃えた「イザナギのかわいい子供で、オオクニヌシノカミを始め神々の親なる神、そして人々の衣食住に広く、尊い御神威をみちびかれて日ごとに蘇生(よみがえり)の縁を結ばれるムスビノ大神」の意味で、殖産興業・招福縁結・厄除の大神として信仰を集めています。
また熊野大社は、「日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)」とも呼ばれ、火の発祥の神社として「日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)」とも呼ばれ、境内の「鑚火殿(さんかでん)」の中には、発火の神器である燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりきね)が大切に保管されています。ヒノキの板でできた100×12×3㎝の燧臼に、ウツギでできた長さ80㎝、直径2㎝の燧杵を立てて両手でも力いっぱいもむという、昔ながらの「錐もみ式」で、この火起こしの方法は素盞嗚尊が伝えたとされています。
毎年10月15日に行われる「鑚火祭」では、出雲大社の宮司が11月23日の「古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)」に使用する神聖な火を起こすため、この燧臼と燧杵を受け取りに熊野大社を訪れます。この授け渡す儀は「亀太夫神事(かめだゆうしんじ)」と呼ばれ、出雲大社が納める神餅(しんぺい)の出来映えについて熊野大社の下級神官である亀太夫が、「色が悪い、去年より小さい、形が悪い」などと苦情を口やかましく言い立てるという一風変わった神事です。
出雲大社の宮司と言えば、あの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「日本には天皇が二人いる」とまで言ったほどの存在ですが、この「亀太夫神事」では立場がありません。亀太夫学情を言っている間は出雲大社の宮司は口答えができず、黙って聞くしかできないのです。
亀太夫がひとしきり苦情を言い、宮司に言ったことを守ると約束させてはじめて燧臼と燧杵が授けられます。その後、出雲大社の宮司によって神器(燧臼と燧杵)をいただいたお礼に「百番の舞」を舞って神事は終了します。
八重垣神社(旧称 佐久佐神社)
「八重垣(やえがき)神社」は、スサノオノミコトがクシナダヒメ(櫛名田比売命、稲田姫)を佐久佐女の森(境内の奥の院、鏡の池がある森)の大杉を中心に八重垣を造ってヤマタノオロチからかくまった場所であり、また結ばれた地とされ夫婦良縁のパワースポットとしても有名な神社です。
社伝によれば、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んでクシナダヒメとの住居を構えたという須賀(現在の雲南市大東町須賀)の地(須我神社)に創建され、後に、佐久佐神社(さくさじんじゃ)の境内に遷座したと言われています。
社殿後方には小泉八雲が「神秘の森」と称した「奥の院」が鎮座し、身隠神事が執り行なわれる「夫婦杉」、縁結び占いの「鏡の池」があります。「鏡の池」はクシナダヒメが、スサノオノミコトに勧められ、この社でヤマタノオロチから身を隠している間、鏡代わりに姿を映したと伝えられるもので、良縁占い(銭占い)が行われています。
これは「鏡の池占い」として知られ、池に占い用紙を浮かべてその上に賽銭を置くという、他には無い独特な占いで人気です。「近くで沈めば、良縁近し」、「遠くで沈むと、遠方の人と良縁あり」、しかも、タイムリミットは15分といった縁占いです。
「鳴り物」の神様「美保神社」
「美保神社」(みほじんじゃ)が鎮座する美保関は、古くより海上交通の関所で北前船をはじめ諸国の船が往来し、風待ちの港として栄えた場所です。えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除けの神、また、「鳴り物」の神様としても信仰を集めています。
本殿は大社造りを二棟並べて「装束の間」でつないだ特殊な形式で、美保造または比翼大社造とよばれており、建築用材の大半は美保関周辺に自生していた松を使用し、屋根は檜皮(ひわだ)で葺いています。
向かって右側の「左殿(大御前、おおごぜん)」に三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)、向かって左側の「右殿(二御前、にのごぜん)」に事代主神(コトシロヌシノカミ)をお祀りしています。中世にはいり、事代主神は恵比寿神と習合し、漁業、海運、商売、歌舞音曲の神として福神信仰の本宮となりましたが、美保神社は全国各地にある事代主神を祀る「ゑびす社」3385社の総本宮です。
ゑびす様は魚釣りを好まれ、「漁業の祖神」として崇敬されてきたのは、事代主神が美保の地(沖の御前)にて最初に魚釣りをされたことに由来します。
代表的神事としては、4月7日の青柴垣神事(あおふしがきしんじ)と12月3日の諸手船神事(もろたぶねしんじ)がありますが、いずれも国譲りの神話に因んだもので、古代色あふれる出雲の代表的神事です。ともに美保崎におられる事代主神が、父神である大国主大神より国譲りの相談を受けた神話を儀礼化した祭です。
また、「関の明神さんは鳴り物好き、凪(なぎ)と荒れとの知らせある」と、船人の口から口へと広く伝えられましたため、船人の信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願にさまざまな地域から多くの楽器が奉納され、この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されています。
集結した八百万の神々が最後に立ち寄る「万九千神社(まんくせんじんじゃ)」
「万九千神社」は島根県出雲市斐川町にあり、この地はかつて出雲国出雲郡神戸郷(かんべのさと)と呼ばれ、熊野大神と杵築大神の御神領で「不動の霊地」とされた場所でした。本殿がなく、拝殿の後ろに玉垣で囲まれた高さ約3mの磐座(いわくら)があります。
万九千神社の御祭神は、国土開拓と国造りをされた大穴牟遅命(オオナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)、食物の神・櫛御気奴命(クシミケヌノミコト)の三柱と、日本国中の八百萬神(ヤオロズノカミ)で、食物、五穀豊穣、農業、土木、建築をはじめとする諸産業の繁栄にご利益があるといわれています。
古代より水陸の交通の要衝で、奈良時代の『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』において既に「神代社」と記載されており、敷地内には地元の氏神様を祀る立虫神社(たちむしじんじゃ)の社殿が建てられています。
万九千神社の社殿は、神有月(旧暦10月)において全国から出雲に集結した八百万の神々が最後に立ち寄る場所とされ、出雲路における神議り(かみはかり)を締めくくり、神宴(直会=なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさるとされています。
日本の夜を守る「日御碕(ひのみさき)神社」
「日御碕神社」には日本の総氏神とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)、その弟神の「ヤマタノオロチ退治」で有名な素戔嗚尊(スサノオノミコト)がお祀りされ、「伊勢神宮」が“日本の昼を守る”役目があるのに対し、“日本の夜を守る”目的で建立されました。
正門をくぐると、正面に下の本社があり、こちらは日沈の宮・日沉の宮(ひしずみのみや)と呼ばれ、天照大神が祀られています。そして、正門を入って右側には階段があり、その上に上の本社(神の宮)があり、天照大神の弟である素盞嗚尊(スサノオノミコト)が祀られています。
下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)は948年、村上天皇勅命により祀り、上の本社(神の宮)は紀元前536年、勅命により祀られ、総称して日御碕大神宮と呼ばれています。
太陽神の天照大神はこの出雲では日の出の太陽ではなく、日の入りの夕陽に象徴され、江戸時代には日沉宮は日が沈む聖地の宮と称されていました。また、南東の高台には月読命(ツクヨミノミコト)を祀る月読社(つきよみしゃ)もあり、須佐之男命を含めて三貴神がこの出雲に沈む夕日を見守っているのです。
古くから「日」に縁がある岬として知られていたこの地には、日御碕灯台が建っており、今日では白亜の灯台越しに沈む夕日が、打ち寄せる波頭や海に浮かぶ岩礁を赤く染め、まさに絵画に描かれたような絶景の夕日を観賞することができます。
古来、都のあった大和から見ると、出雲は太陽の沈む北西にあり、このことから出雲は「日が沈む海の彼方の異界につながる地」として認識されたと考えられます。
神社を出た海沿いには、ウミネコの繁殖地としても有名な経島(ふみしま)があり、天照大神が鎮座したという言い伝えが残っています。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。
また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
②『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
③『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
私は平成芭蕉、自分の足と自分の五感を駆使して旅しています。
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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