サイトアイコン 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

平成芭蕉の旅語録~大門坂の熊野古道と熊野三山詣り

熊野の八咫烏

熊野古道を歩いて那智熊野大社詣り

『伊勢へ七度、熊野へ三度』と言われ、古くから人々の熱い信仰に支えられた熊野ですが、私はこの連休中、石畳が美しい「大門坂」を上り、那智の滝への熊野古道を歩いて熊野那智大社那智山青岸渡寺にお参りし、さらに熊野妙法山阿弥陀寺への「ひとつ鐘まいり」を済ませた後、新宮に宿泊して熊野本宮大社熊野速玉大社にも詣でてきました。

「大門坂」の入り口

「大門坂」入口から熊野那智大社への苔むした石段と杉木立は、熊野古道の雰囲気が満点で、大門坂入口に近い場所には、私の敬愛する南方熊楠が3年近く滞在した大坂屋旅館跡もありました。

大坂屋旅館跡

南方熊楠(1867~1941)は、博物学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在であり、1906年、明治政府が各地の神社を合併する神社合祀令を公布した際、神社林破壊の危機を感じた熊楠は、地元新聞への投稿、柳田国男の助けなどを借り、反対運動に奔走しました。自然保護の観念がない時代に、生態系が壊れる恐ろしさを「エコロジー」という言葉を使い訴え続けた偉人です。

那智大社への熊野古道

彼はこの大坂屋旅館を常宿として那智山中の植物調査を行っていましたが、那智原生林の伐採計画を耳にし、自然保護に力を尽くしたのです。

大坂屋旅館跡の先にある鳥居をくぐり、振ヶ瀬橋という橋を渡ると、樹齢800年と推定される「夫婦杉」、その先には中辺路最後の王子社「多富気(たふけ)王子」がありました。

「多富気(たふけ)王子」

熊野権現とは熊野三山の祭神である神々をいい、特に主祭神である家津美御子(けつみみこ)〔スサノオ〕速玉〔イザナギ〕夫須美(ふすび、または「結」)〔イザナミ〕を指して熊野三所権現、熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現とも呼ばれます。

熊野那智大社は当初、那智の滝の正面にある飛瀧(ひろう)神社の地に社殿があり、那智滝を神聖視する原始信仰に由来するため、社殿は熊野三山の他の二社よりも後に創建されました。

熊野那智大社

那智山の奥にある妙法山阿弥陀寺への「一つ鐘まいり」

一説には那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓(みそぎはらえ)の地だった那智滝が聖地化し、夫須美神が勧請されて「結宮(むすびのみや)」として創建されたとも言われています。

那智山青岸渡寺の三重塔

熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されましたが、那智山では如意輪堂が残され、やがて青岸渡寺(西国三十三所一番札所)として復興しました。1933年に建てられた山門は、仏教の守護神である仁王と神社を守る狛犬という珍しい組み合わせになっています。

青岸渡寺の山門

私が「ひとつ鐘まいり」をした熊野妙法山阿弥陀寺は、熊野那智大社と同じ海抜749の妙法山の奥にあり、西国番外の熊野三社大権現とされ、古来より黄泉の国への入り口として信仰を集めていました。

熊野妙法山阿弥陀寺

これは「亡者の熊野詣」と言われ、人が亡くなると霊魂は必ず妙法山に参り、山門の傍らにある「ひとつ鐘」という釣鐘を撞いてからあの世に旅立つとされていました。私の先祖伝来の教え(真言宗)でも「空海の教えの道は一つ鐘 弥陀の浄土へ共に南無弥陀」と、親族が亡くなって満中陰(四十九日)が終わると妙法山に参り、遺髪を納め(妙法山のお髪上げ)、追善供養を済ませた上でひとつ鐘を撞いて帰るべしと言われていました。

熊野妙法山阿弥陀寺の「ひとつ鐘」

これを「ひとつ鐘まいり」と呼び、私は今回、亡き両親が安らかに成仏できるようにとの願いを込めて鐘を撞きましたが、その鐘の音は静かな妙法山にこだまして、眼下の西国三十三所第1番札所の青岸渡寺にも響いたように感じました。

阿弥陀寺門前からの眺め

実際、阿弥陀寺奥の院ご詠歌では「ここも旅 またゆく先も旅なれや いづくの土に我やなるらん」と詠われており、旅を住処とする平成芭蕉には相応しい場所でした。

熊野本宮大社と熊野速玉大社詣り

一方、熊野本宮大社はかつて熊野川・岩田川・音無川の3つの川が合流する「大斎原(おおゆのはら)」の中洲にありましたが、明治22年の洪水で多くが流され、流出を免れた上四社3棟が明治24年(1891)に現在地に移築・遷座されて、令和4年は甦り正遷座130年となります。

日本一高い大鳥居と「大斎原」

そこで、私は大斎原を訪ねた後、両脇には幟がなびく158段の石段を登って熊野本宮大社の本殿を参拝しました。社殿は左から第一殿「夫須美大神(伊邪那美大神・千手観音)」、第二殿「速玉大神(伊邪那岐大神・薬師如来)」第三殿「家津御子大神(素戔嗚尊・阿弥陀如来)」、第四殿「天照大神(十一面観音)」、そして「結びの神・祓いの神」の順に並んでいますが、参拝順序は第三殿が最初です。

熊野本宮大社への石段

それは、主神が家津御子大神、すなわち素戔嗚尊で樹木を支配する神で、紀州の国(木ノ国)の語源とされているからです。

熊野川の下流域に位置する熊野速玉大社は、今から2000年ほど前の景行天皇58年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨された元宮である神倉山のゴトビキ岩から現在の鎮座地にお遷りになったため、神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号しました。

神倉神社のゴトビキ岩

御祭神は、熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家津美御子大神を主神に、十二柱の神々を祀り、新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。

熊野速玉大神は衆生の苦しみ、病気を癒す薬師如来として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける千手観音菩薩、家津美御子大神は来世浄土へ導く阿弥陀如来として位置づけられ、山伏や熊野比丘尼によって熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せました。

熊野速玉大社

熊野三山になぞらえた大馬神社・産田神社・花の窟神社

この熊野速玉大社に「有馬三山の図」という江戸時代の色彩絵掛軸があり、大馬(おおま)神社、産田(うぶた)神社、花の窟(いわや)神社の三社を熊野三山になぞらえたものがあります。

熊野の産田神社

そこで、私はこの三社もお参りしましたが、七里御浜海岸獅子岩(阿の岩)、神仙洞の人面岩(吽の岩)は、古来より大馬神社の狛犬と称されているようです。

大馬神社の狛犬とされる獅子岩

産田神社の「産田」は産所の意であり、『日本書紀』には、伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んだ時に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬されたと記されており、産田の名称は、伊奘冉尊の出産した場所によるといわれ、近くに位置する花の窟神社は、亡くなった伊奘冉尊の墓所であると言われています。

花の窟神社の伊弉冉尊墓所

そして土地の人々が伊弉冉命の魂を祀るため、花が咲く季節に幟や旗を立てて、歌い踊って祭を行っていたことから「花の窟」と呼ばれるようになりました。

花の窟神社では、2月2日と10月2日には「お綱掛け神事」が行われ、神々に舞を奉納し、7本の縄を束ねた約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたします。この7本の縄は伊弉冉尊の子である7つの自然神(風・海・木・草・土・水・火の神)を表しています。

花の窟神社の縄

熊野の「クマ」とは、「神の隠れたるところ」「奥まったところ」の意があり、「クマノ」とは「神の野」で、神々の住まう地とされていましたが、奈良時代から平安時代にかけて熊野は仏教・密教・修験道の聖地となり、平安時代の末には「浄土への入り口」として多くの皇族や貴族がお参りするようになりました。

「よみがえりの聖地」

浄土へお参りし、帰ってくるということは、死と再生を意味するため、熊野権現を祀る熊野三山は「よみがえりの聖地」として、特に高齢者の信仰を集めているようです。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

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*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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