トキが舞う金銀の島「佐渡島」の遺産巡り
佐渡は、1000mを越す山や「大野亀」や「琴浦洞窟」など、名勝・天然記念物に指定された海岸を持つ島で、海域を含む島全体がジオパークとなっており、島内には10のジオサイトが設定されています。
また、金を産出した島としても世界的に知られ、世阿弥の影響を受けた「能」などの独自文化も息づいており、さらに2011年には先進国で初めて「トキと共生する佐渡の里山」が世界農業遺産(GIAHSジアス)に認定されました。
*GIAHS:ジアスはGlobally Important Agricultural Heritage Systemsの略です
現在、佐渡市は3つの世界遺産に取り組んでいます。すなわち、ジオパーク「大地の物語」、ジアス「トキと共生する佐渡の里山」、そしてこのたび世界文化遺産に推薦された「佐渡島の金山」です。
「トキと共生する佐渡の里山」と「トキの森公園」
それぞれの世界遺産は、別々のものではなく、佐渡の大地と密接に関わっています。そこで私は「日本産トキは、なぜ佐渡にだけ生き残っていたのか?」、「大地と動植物が私たちの生活にどのように関わっていたのか?」、そして「かつて日本一を誇った金山は、なぜ佐渡にあったのか?」を探るべく、佐渡島を視察してきました。
「トキが舞う金銀の島」と呼ばれる佐渡島ですが、トキはかつてほぼ日本全土で普通に見られる鳥でした。しかし、明治以降、乱獲や農薬使用、開発などによってその姿を急激に減らし、昭和の初め頃には姿を見かけなくなっていました。
最後のトキとなった「キン」が佐渡で死んだのは平成15年10月10日、この時に日本産のトキは絶滅しました。私はこの「キン」の剥製が展示されている「トキの森公園」のトキ資料展示館に行きましたが、1999年中国から贈呈されたトキの人工繁殖が成功し、現在では毎年数十羽の元気なヒナが育っており、トキは生き物と島民が共存する佐渡の象徴となったのです。
佐渡ジオパークのおすすめスポット
佐渡の象徴と言えば、ジオパークの代表的スポットである小木の矢島・経島「たらい舟」、尖閣湾の揚島峡湾に立つ「尖閣湾揚島遊園 」の透視船による遊覧、そして佐渡最南端にある琴浦洞窟群のクルーズがお勧めです。
琴浦洞窟の「竜王洞」は島内最大の海底溶岩の侵食により出来た溶岩洞窟で、イタリアの青の洞窟のように青く光ることから『佐渡版青の洞窟』と呼ばれています。
また、海府北部の2つの巨大亀も印象に残りました。共に『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で2つ星を獲得しています。1つめの「大野亀」は、地下深くで固まった溶岩の堂々とした一枚岩で、今回は一面に黄色の絨毯のごとくトビシマカンゾウが咲き乱れ、まさに絶景を堪能することができました。
もう一つの巨大亀は、2匹の亀がうずくまっているように見えることから「二ツ亀」と呼ばれ、潮の満ち引きで景色が変わる不思議な海で、環境省選定「快水浴場百選」にも選ばれています。
世界文化遺産に推薦された「佐渡島の金山」の見どころ
「黄金の国ジパング」と呼ばれた日本ですが、その日本にあって佐渡は、『今昔物語集』などで古来から「金の島」として知られていました。そしてこのたび「佐渡島の金山」は、「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」を構成資産とし、世界文化遺産としてユネスコへ推薦されたのです。
そこで私はその最新情報を得るべく、「きらりうむ佐渡」を訪れ、佐渡市観光振興部世界遺産推進課の佐々木係長、川邊主査より詳しく話を聞いてきました。
佐渡金銀山のガイダンス施設である「きらりうむ佐渡」では、学芸員の石川さんに案内していただきましたが、遺跡全体が映像でわかりやすく解説されており、佐渡金銀山の魅力を知るだけでなく、佐渡島の史跡や金鉱石を積み出した大間港など、まち歩きのための現地情報を得ることができました。
構成資産の中心は、国の史跡「佐渡金銀山遺跡」ですが、この史跡には「道遊の割戸」(どうゆうのわりと)、「宗大夫間歩」(そうだゆうまぶ)などの採鉱関係の遺構・遺跡の他に「佐渡奉行所跡」、「旧御料局佐渡支庁庁舎」の経営関係遺跡、また、佐渡鉱山の開発に功のあった佐渡奉行、大久保長安の建てた「大安寺」も含まれます。
しかし、私はこれらの目に見える遺跡よりも、「宗大夫間歩」で水替えする蝋人形の展示等を通じて、この鉱山の歴史的ストーリーに感銘を受けました。
すなわち、江戸時代後期、江戸や大阪などの無宿人(浮浪者)は佐渡に強制連行され、主に水替人足として過酷な労働を強いられたと言われますが、これは見せしめの意味合いが強かったそうです。
水替人足の労働は極めて過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われ、無宿者はこの佐渡御用を何より恐れていました。水替人足は山奥の小屋に隔離され、逃走はできず、死ぬまで重労働が課せられていました。
佐渡奉行は佐渡一国の行政、裁判を管轄するだけでなく、佐渡金山をはじめとする金銀山を支配し、佐渡奉行所には「役所」や「白洲」などの司法・行政の場に加えて、金銀を精製する「寄勝場(よせせりば)」の機能も併せもっていました。
この奉行所と相川金銀山を結ぶ通りは「京町通り」と呼ばれ、鉱山関係者の住居や多くの商店が軒を並べたメインストリートで、「時鐘楼」もあって、当時の面影を残しています。
そして奉行所に隣接する北沢地区には、北沢浮遊選鉱場など鉱山の近代化に貢献した施設群が密集していますが、これは銅の製造過程で行われていた浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、日本で初めて実用化に成功したものです。1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できたことから「東洋一」とうたわれました。
北沢浮遊選鉱所跡と京町通りは、現在、夜間にはにライトアップされ、幻想的な雰囲気の中で金山が栄えていた頃にタイムスリップしたような気分になります。
「相川鶴子金銀山」だけでなく「西三川砂金山」でも多くの金鉱石が削られましたが、この地を訪れた私の感動は時間がたっても削られないような気がします。
佐渡の日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」
ユネスコの世界遺産登録を目指している佐渡ですが、文化庁の日本遺産では、すでに佐渡市は「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」の物語で認定されています。
佐渡にある北前船の船主集落「宿根木」は、JR東日本の「大人の休日倶楽部」CMで、女優の吉永小百合さんが「佐渡の旅 宿根木散策篇」として、船大工が作り上げた町並みを歩いて紹介されたことで有名になりました。
宿根木は「北前船」の寄港地であった小木港の南西4kmに位置しており、江戸時代の佐渡金山繁栄期に廻船業の集落として発展した町で、入り江の限られた敷地には、船主のほか船乗りや船大工らが居住し、船板をはめ込んだ民家など当時の面影をそのまま残しています。
北前船は「動く総合商社」とも呼ばれ、大阪と北海道を日本海経由で物資を運び、積み荷を各地で売買し、1往復で千両(6,000万円~1億円)の利益がありました。
士農工商の身分制度のあった時代、自分の才覚と努力で船乗りから船頭になって自分の船を持つことは庶民の夢だったのでしょう。北前船には数多くの遭難記録がありますが、それでも「北前船の夢」を追い、荒波を越えようとする人は絶えなかったようです。
その当時の実物大の船は、佐渡国小木民俗博物館に併設された千石船展示館で見ることができます。また、この博物館は民俗学者の宮本常一先生の監修により、旧宿根木小学校校舎を利用して南佐渡を中心とした貴重な民俗資料を展示しています。
私はこの博物館で宿根木4館共通券を購入し、「千石船と船大工の里」と呼ばれる宿根木の公開民家の清九郎家、三角家そして金子屋を巡りました。清九郎家は千石船を2隻所有した廻船主の主屋ですが、広い土間や漆塗りの豪華な造りで、建築材料、技術ともに当時の最高水準の建物です。
三角屋は吉永小百合さんのポスターで有名になった建物で、この家には深野アサさんという新聞配達をしながら生計を立てていた元気なおばあちゃんが住んでいましたが、県外に住んでおられる息子さんの元へ身を寄せる事となり、この「三角家」を是非有効に活用して欲しいと、地元に託して行かれたそうです。
人は仕事から引退すれば老けると言いますが、元気なおばあちゃんもこの地を去って間もなく亡くなられたそうです。それ以来、地元のボランティア「宿根木を愛する会」の皆さんの尽力により、この「三角家」は保存・公開されています。そこで、私と同行の丹治さんは深野アサさんの冥福を祈りつつ、ボランティアの方に記念撮影をしてもらいました。
「三角家」の近くには、緑色の木造の建物がありましたが、これは宿根木では珍しい洋風建築の旧郵便局舎で、この建物にも歴史を感じます。
また宿根木集落の屋根は細長く切った杉板を重ねて重石を置くといった「石置屋根」が多く、数年ごとに行った葺き替え仕事は、集落の共同作業であったと言われています。
既視感(デジャヴュ)という言葉がありますが、私は宿根木の世捨小路(よすてこうじ)を散策してこのデジャヴュに遭遇しました。集落の葬儀の際には必ず通ったとされる石畳の世捨小路沿いには、卵形式の世界地図「新訂坤与(こんよ)略全図」で有名な幕末の地図学者、柴田収蔵の生家がありました。
この狭い路地から、鎖国政策下でも世界に目を向けて数多くの世界地図を残した人が誕生したことには感動を覚えました。ひっそりと息を潜めて残る町並みに、何を感じるか。私は特徴的な板壁の町並みに当時の海に生きた人々の息遣いを感じ、同時にとても懐かしさを感じた「大人の散歩道」でした。
魅力ある佐渡島の歴史・文化と金銀鉱山からの学び
今回は時間的に余裕があったので、佐渡の一ノ宮である度津(わたつ)神社に参拝し、「佐渡歴史伝説館」も見学しました。
歴史伝説館は、承久の乱で敗れ、佐渡に流罪となった後鳥羽天皇の第三皇子・順徳上皇を祀る霊社「野間宮」に隣接しており、順徳上皇以外に日蓮や世阿弥などの歴史上人物や佐渡の伝説を等身大ロボットで八景に分けて紹介しています。
中でも「世阿弥の雨乞いの舞」では、日照り続きのある夏、島民を救おうと世阿弥が雨乞いの舞いを舞ったところ、大粒の雨が降り出したという伝説をリアルに再現していました。
そこで、佐渡島で最も古い大膳神社の能舞台にも立ち寄りましたが、1846年に再建された茅葺き寄棟造りの建物は風格があり神々しく感じられました。
今回の視察を振り返ると、人類が生きるには、その時代その時代に、不可欠な資源というのがありますが、それは有限であり、入れ替わることが理解できました。産業革命の工業化時代には鉄鉱石や石炭でしたが、今では石油やレアメタル、コンピュータの時代です。
世界が重商主義だった時代、日本の徳川幕府においては、その重要な資源のひとつが佐渡の金銀だったのです。しかし、これからの時代は、知的資源、つまり人間の発想力そのものが資源となり、教育のあり方が大事になると思います。そこで、私は「佐渡島の金山」世界文化遺産推薦を機会に旅の案内の仕方についても工夫が必要だと感じました。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。
また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
②『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
③『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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