多古町の中世城郭と日蓮宗「不受不施派」の隠れ里
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、昨年から海外へのツアーがなくなり、成田空港とは疎遠になりましたが、今回は多古町の城郭を巡る目的で久々に空港第2ビル駅に降り立ちました。
出迎えてくださったのは多古城郭保存活用会の小室事務局長とその設立メンバーで多古町議会議員の高坂さんです。緊急事態宣言発令中ということもあり、空港第2ビル駅から多古町に向かうバスも空席が目立ち、多古台バスターミナルも人気はありませんでした。
しかし、多古町は成田空港に近い北総台地の北東部にあり、古くは旧石器時代から中世、江戸時代に至るまで、様々な時代の遺跡が存在する魅力的な場所なのです。
「多古米」の産地として有名なこの町の中央部には、栗山川が流れ、その流域からは縄文時代の丸木舟も多数発見されており、当時は湖沼が広がり、人々は舟で往来していたことが伺われます。
最初に訪れた多古城跡は、多古台バスターミナルから徒歩圏内にあり、中世城郭遺構として竹林の帯曲輪(おびぐるわ)や虎口(こぐち)、畝状竪堀(畝掘)が残っていました。
畝堀(うねぼり)とは、土塁と竪堀(空堀)が隣り合っている石をつかわない防御のしかけで、寄せ手の進入路を堀底道だけに制限し、曲輪の周りをキルゾーンにする効果があります。
次に訪れた島地区は東西2つの丘からなり、東方の丘にある志摩城跡は、「塙台(はなわだい)遺跡」とも呼ばれ、弥生時代中期の再葬墓が多数見つかっています。
再葬とはいったん遺体を土葬埋葬して白骨化させた後、遺骨だけ取り出して壺などで再度埋葬する葬法で、千葉県ではこの地が最古例とされています。
この志摩城跡は栗山川流域の低地に浮かぶ島のような存在で、枡形虎口の遺構が残る塙台が主郭、舟着場があったと思われる道を隔てた西側のニノ台遺跡が第2郭と考えられています。
そしてこの城は、下総の豪族千葉氏の宗家が分家の馬加康胤(まくわりやすたね)に攻められて滅ぼされた歴史的な戦い(享徳の乱)の舞台にもなっています。以後、千葉氏は康胤の子孫が継ぐも、拠点は酒々井の本佐倉城に移されました。
「隠れ仏教徒」の隠れ里 多古町島地区に残る迷路
島地区の西方の丘は迷路のように入り組んだ道と高い垣根の民家が密集しており、目的地の成等山正覚寺も「魚屋泣かせ」の迷路の中にありました。
正覚寺の法務郡司宗福さんのお話では、正覚寺は江戸時代には禁教とされていた日蓮宗不受不施派の寺で、日蓮宗(法華経)を信じない者からは供養を受けない(不受)、日蓮宗の僧以外には施さない(不施)を信条とし、時の権力者に供養を要求されても、宗派が異なれば断っていたことから江戸幕府によって弾圧されていたそうです。
正覚寺境内には
「不受不施の 寺をかこみて 百余戸が ゆたけく構ふ わがふるさとは」
という地元出身の歌人、田辺はるの歌碑が建っていました。
長崎を中心とした「隠れキリシタン」はよく知られていますが、日蓮宗不受布施派という「隠れ仏教徒」が多古町を中心に存在していたことは初めて知りました。隠れキリシタン同様に、厳しい宗教弾圧を受けて、信者は幕府が認める寺の檀家となるも、裏では隠れて「不受不施」の信仰を続けていたのです。
そのため、この地区の家はのぞき窓や隠し階段、天井裏の僧侶が隠れる部屋など、様々な工夫が凝らされています。多古町島地区の高垣や迷路は、幕府の役人から不受不施派の僧を匿ったりするための隠れ仏教徒の知恵だったのです。
私の生まれ育った伊賀・甲賀の里も忍者の住居「単郭方形四方土塁」とよばれる土塁が多く、迷路のような地形ですが、この島地区は、小規模ながら忍者の隠れ里以上の迷宮都市でした。
郡司さんとお別れした後は、高坂先生にご紹介いただいた「萬勢庵」で昼食をとり、多古光湿原(並木のふけ)を経由して中世城郭の遺構がよく残っている並木城を訪ねました。
並木城は千葉氏の家臣である飯田三左衛門によって築かれたと伝わる城で、地元には飯田姓の家は多いのですが、「並木」という姓はないようです。
この城は千葉一族の内乱である「千田庄の乱」など、何度も合戦の舞台となっていて、二重の空堀、土塁、竪堀、帯曲輪、食違い枡形虎口などの遺構が残り、山城ファンには興味深い山城です。
また、入り口には多古町教育委員会が設置したわかりやすい案内板があり、可愛いキャラクターも描かれていました。
最後に訪ねた中城は、中村小学校の東側、農村共同館の脇から降りていった道の北東側の舌状台地にあり、「中村台地」と呼ばれた多古の要衝地に残っていました。
この地は鎌倉時代から日本寺(にちほんじ)をはじめとする日蓮宗寺院が建てられ、北総一円の日蓮宗布教の拠点にもなっていたようです。小規模な城郭ですが、2箇所の虎口にそれぞれ枡形状の構造を持っており、戦国期の城郭として技巧的な要素が見られました。
正東山日本寺は「あじさい寺」としても有名で、6月にはたくさんのあじさいが咲き誇りますが、日蓮宗の学問所である関東三大檀林(中村檀林,飯高檀林,小西檀林)の一つであり、鐘楼と山門が町指定有形文化財になっています。
今回訪れた山城には中世の痕跡が残されているだけでなく、魅力的な御城印が用意されていました。この御城印のデザインや城の解説は、「山城ガールむつみ」の愛称で知られる宇野睦さんによるもので、道の駅「多古あじさい館」では、次にどの城の御城印が出るかを当てるキャンペーンが行われています。
私の20代から30代にかけては、多古町と言えば、私にとってゴルフ修行の場所でした。しかし、今回、小室さんの解説で城郭巡りをすると、私の故郷である伊賀の里とイメージが重なり、とても親近感を覚えました。
また、日蓮宗「不受不施派」の聖地である島地区の「隠れ仏教徒」の物語は、日本全国でも唯一無二で、是非とも日本遺産のストーリーとして申請していただきたい貴重な資産です。
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