平成芭蕉の旅語録

第35代五島家当主が所有する福江城(石田城)と五島氏庭園

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平成芭蕉の旅語録「第35代五島家当主五島典昭氏を訪ねる」

江戸時代最後に完成した五島の福江城(石田城)

クラブツーリズム特別企画「潜伏キリシタンの信仰文化を探求する 外海から五島列島への旅 3日間」のツアーに同行し、国指定名勝「福江城五島氏庭園」に第35代五島家当主五島典昭氏を訪ねました。

今回のツアーでは、主として明治時代に潜伏キリシタン集落に建てられた教会を巡るのですが、この福江城では教会めぐりの中で江戸時代を感じました。

しかし、福江城(石田城)は黒船来航に備えて築かれた江戸時代最後に完成した城で、日本における最も新しい城郭です。

すなわち、幕末になって日本近海にオランダ、清以外の異国船が頻繁に出没し、その異国船防衛のため、1849年、第30代五島盛成(もりあきら)の代になって築城が許可された国防のための城郭です。

この石田城築城の請願は、新田開発を優先させて禁制のキリシタンを受け入れた、五島藩中興の祖第28代五島盛運(もりゆき)の代に初めて幕府に届けられましたが、その時は回答はなく、続く第29代五島盛繁の代にも、異国船防衛を指示され、参勤交代を免除されるも築城許可は下りませんでした。

そのため、三代にわたる築城の宿願がかなった城中では「小躍りして喜び、手の舞い足の踏むところを知らず、路傍の歓声湧くが如し」と伝わっています。

そして城は1849年8月から15年の歳月をかけて1863年6月に完成し、城壁の三方を海に囲まれた日本唯一の海城でしたが、間もなく明治維新を迎えたために築城9年で解体されてしまいました。

しかし、自然石を積み上げた石垣や蹴出門などは当時の面影を残しており、昨年、日本城郭協会が財団設立50周年を記念して選定した「続日本100名城」にも選ばれています。

五島家の始祖を祀る城山神社で正式参拝

今回のツアーではまず、城の一角にある城山神社で第35代五島典昭当主に神職として旅の安全祈願の祝詞を奏上していただきました。

城山神社は五島全般の弥栄を祈る保食神(うけもちのかみ)が祭神ですが、その起源は第8代の宇久覚が五島家の始祖宇久家盛の霊を祀るために建立したことに始まり、第28代五島森繁の代になって、元寇に参加して殊勲のあった宇久競(きおい)、秀吉の文禄の役に戦功があった五島純玄(すみはる)を合祀した「勝」にこだわった神社です。

今回は、直会の際、その城山神社特製の「勝守」を当主から授かり、私は感無量です。

早速、帰宅してキャディバッグに付け、五島カントリークラブで典昭当主とラウンドして「勝守」のご利益をいただきたいと思いました。

「心字が池」で有名な五島氏庭園と全正

城山神社参拝の後は、当主の案内で通常は入れない裏門から心字が池庭園を見学させていただきました。

これは第30代の盛成が家督を譲った後、城郭内に隠殿屋敷を建て、その東側に京都の僧、全正に作らせた庭園です。

全正は金閣寺の丸池を模倣し、福江島のシンボルである鬼岳(おんだけ)の溶岩を多用しています。

なお、盛成は亀を好んでいたので、中島などの随所に亀に似た石を据えており、池は心の字を形どって「心字が池」と呼ばれています。

隠殿屋敷の玄関の間には、その「心字が池」庭園を設計した全正の辞世の句が書かれた屏風が立てられています。

盛成はこの邸宅完成後は、戒律を破って京都から逃れてきた全正を友とし、風月を愛したと言われていますが、邸宅から見る庭園には樹齢800年以上のクスノキや南方系の樹木も配されており、私は江戸時代にワープしたような感動を覚えました。

また、この隠殿は盛成というご隠居さんの住居ですが、亀の釘隠しや透かし欄干など、様々な趣向が取り入れられており、落ち着いた雰囲気の中にご隠居さんの茶目っ気を感じました。

五島は今、世界遺産登録によって教会が注目されていますが、この福江城(石田城)や見ごたえのある日本庭園「心字が池」も世界にアピールすべきだと思います。

なぜなら、福江城と五島氏庭園は、第35代五島典昭氏が鷺の餌になろうとも池に錦鯉を入れたり、御神木のクスノキの落ち葉を掃除したりと自ら管理されています。

国宝の犬山城も今や成瀬氏個人の所有ではなく、財団所有になったと聞いていますが、この福江城は今なお五島典昭氏個人が所有する日本唯一の城なのです。

すなわち、五島家の当主を通じて五島藩の歴史や江戸時代のお殿様の生活をイメージできる貴重な城郭庭園で城ファンとしてもおすすめです。 by 【平成芭蕉

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