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「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」完全制覇!5日間

江上天主堂

江上天主堂

「潜伏キリシタン」世界遺産指定の12の遺産をすべて巡る 5日間

 2019年6月16日(日)~ 6月20日(木)

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

2018年7月に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、キリスト教禁教時代の宣教師不在の間、神道や仏教または地元の信仰形態と関わりながら信仰を続けた日本独自の「潜伏キリシタン」伝統のあかしとなる遺産群です。

この遺産群はキリシタンが「潜伏」したきっかけや、信仰の実践とその共同体維持のために密かに行った様々な信仰上の試みから「潜伏」が尾張を告げるまでの歴史を物語る次の12の構成遺産からなっています。本ツアーではこれらの12の遺産を5日間で完全制覇しました。

①原城跡…キリシタンが潜伏するきっかけとなった「島原・天草一揆」の主戦場跡
②平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)…いにしえより信仰された山を拝むことによってキリ
 スト教信仰を実践した集落
③平戸の聖地と集落(中江ノ島)…多くのキリシタンが殉教した島を聖地として崇めた
④天草の崎津集落…貝殻など身近なものを信心具として信仰を実践した集落
⑤外海の出津集落…キリスト教に関する聖画像を密かに拝むことで信仰を実践した集落
⑥外海の大野集落…神社に祀ったマリア観音を拝むことによって信仰を実践した集落
⑦黒島の集落…平戸藩牧場跡の開拓移住によって信仰の共同体を維持した集落
⑧野崎島の集落跡…神道の聖地であった島に開拓移住して信仰の共同体を維持した集落
⑨頭ケ島の集落…病人の療養地であった島に開拓移住して信仰の共同体を維持した集落
⑩久賀島の集落…五島藩の政策で島の未開発地に移住して信仰の共同体を維持した集落
⑪奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)…禁教時代に移住によって集落が形成され、解禁
 後に「潜伏」が終わったことを告げる教会堂が作られた
⑫大浦天主堂…「潜伏」の時代が終わるきっかけとなった「信徒発見」の場所

クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問 黒田尚嗣同行

◆1日目   616日()  <羽田空港熊本天草長崎>

8:10 羽田空港発 JAL-625便にて熊本空港へ

  *添乗員小松原大輔が受付、黒田尚嗣がナビゲーター講師として同行

9:55 熊本空港着 

  *バス駐車場へ誘導

  *長崎バス観光の御塚ドライバーの出迎え

10:30 バスにて天草パールセンターへ

  *御塚ドライバー、黒田より挨拶

  *添乗員の小松原より旅行中の諸注意

10:45 松橋IC経由

12:10~12:30 天草パールセンターにてWC休憩、買い物

  *天草四郎の像が立つ

12:30 松島有料道路を経由して天草へ

<天草の崎津集落>

崎津諏訪神社

 

13:40~14:55 天草の崎津集落見学

  *崎津は古くからの漁村で、ルイス・デ・アルメイダ修道士が河内浦で布教開始するや、瞬く間にキ
   リスト教が浸透しました。

  *当時は「さしのつ」と呼ばれ、宣教師や商人にとっても重要な港で布教の拠点でした。

 *崎津教会はハルブ神父の「復活の象徴としたい」という強い希望により、キリシタン弾圧の踏み絵
     が行われた旧庄屋宅に建てられました。

 *設計は上五島出身の鉄川与助で、教会内は畳が敷かれた珍しい和洋折衷の建築です。

崎津集落の崎津教会

16:45 鬼池港よりフェリーで口之津港へ

17:05 口之津港よりバスにて原城跡へ

<原城跡>

17:05~17:55 原城跡本丸入り口より原城跡見学

  *原城は肥前有馬氏の本城であった日野江城の支城として築かれた城郭で、周囲4kmの三方を有明
   海に囲まれた丘陵に立地している。

 *難攻不落の天然の要害で本丸のほかに二の丸、三の丸、天草丸などの曲輪で構成

 *現在の本丸跡には「島原・天草一揆」総大将、天草四郎時貞の像と墓、ホネカミ地蔵があります。

天草・島原一揆の原城跡

17:55 バスにて諫早IC、長崎出島IC経由で長崎へ

19:25 長崎ワシントンホテルへチェックイン

長崎ワヒントンホテル宿泊

 

〔旅日記〕

12の遺産の中で最初に訪れた崎津集落は、古くからの漁村で、ルイス・デ・アルメイダ修道士が河内浦で布教開始するや、瞬く間にキリスト教が浸透しました。

漁村であったため、ロザリオやメダイのほかに、アワビやタイラギといった貝殻の内側に

マリア像を描いて拝むなど、漁民特有の信仰形態が受け継がれ、潜伏キリシタンは村の鎮守の神に「あんめんりゆうす(アーメンデウス)」と唱えながら信仰を守っていました。

地形的には江戸時代から大きな変化はなく、集落の主要な道や石積みの護岸、村の守り神である崎津諏訪神社やカトリックの崎津教会などの信仰の場所は今も残っています。

崎津諏訪神社は、天草市最古の鳥居が現存する「天草崩れ」の舞台となった場所です。

諏訪神社から崎津教会へ続く道は「神の道」と呼ばれ、崎津神社ははハルブ神父により、キリシタン弾圧の踏み絵が行われた旧庄屋宅に建てられています。

なお、曹洞宗の禅寺である普応軒ではキリスト教、仏教、神道の三宗教巡拝の御朱印をいただくことができ、しかも教会の御朱印をいただけるのは世界でもこの崎津だけです。

崎津教会のゆり十字紋、普応軒の御本尊である聖観音の梵字、そして佐橘神社の柏紋が箔押されています。

原城は別名「日暮城」と呼ばれた美しい城で、本丸には櫓台や複数の門を伴う巨大な虎口(出入り口)が設けられ、礎石に立った瓦葺の建物も存在していましたが、現在の本丸跡には「島原・天草一揆」の総大将、天草四郎時貞の像と墓、ホネカミ地蔵があります。

1612年の有馬晴信の失脚、1614年の有馬直純の日向転封を経て、一時的に天領となるも1616年に入封した松倉氏は幕府の指示もあり、キリシタンへの弾圧を強めていきました。

そして1618年からの石高に見合わない島原城築城開始に伴って原城は廃城となり、1637年から1638年にかけて起こった「島原・天草一揆」では、この廃城となった原城が一揆勢の籠城拠点となったのです。

日目   617日()  <長崎外海長崎港福江港(五島)>

8:40 長崎ワシントンホテル出発

  *朝食は6:45よりビュッフェスタイルの朝食

<外海の出津集落>

出津集落の出津教会

 

9:30~10:25 外海の出津集落見学

  *出津集落は1865年3月の信徒発見から半年後、プティジャン神父が船で密かに出津を訪れ、信者と
   面会し、当時はまだ禁教下であったが、200戸がカトリックに復帰。

 *出津教会は1879年にド・ロ神父が赴任して地元の信者と力をあわせて完成。

 *外国人神父の設計による初期教会として2011年には国の重要文化財に指定され、強い海風に耐え
      られるように屋根を低くした木造平屋造。

 *遠藤周作「沈黙の碑」、 ド・ロ神父記念館、 旧出津救助院

<外海の大野集落>

大野集落の大野教会

10:35~10:50 外海の大野集落見学

  * 大野地区の潜伏キリシタンは平戸藩主に棄教を迫られて藩を脱した籠手田(こてだ)一族の末裔と
  される。

 *キリシタン大名小西行長亡き後、移り住んだ家来の子孫もいると伝わる。

 *大野教会はこの地の信徒のために1893年、ド・ロ神父が設計、私財を投じて町内で産出される自
     然石を用いて建立。

10:55~11:20 道の駅「そのぎ」で買い物、WC休憩

12:15~13:15 卓袱料理「浜勝」で昼食

13:25~13:35 森山栄之助、ラナルド・マクドナルド記念碑

 *日本で最初にネイティブ英語を教えたカナダ人マクドナルドと習得した森山栄之助の顕彰碑

森山栄之助とマクドナルドの碑



<大浦天主堂>

13:45~15:45 国宝 大浦天主堂参拝

 *正式名を日本二十六聖殉教者聖堂と呼ぶカトリックの教会堂で、1865年に建立された日本に現存
  するキリスト教建築としては最古のもの。

 *1862年に26人の殉教者が聖人に列せられたのを受けて捧げられた教会

 *建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから付近の住民たちが多数見物
  に訪れていた。

 *1865年3月17日(元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた際、40~
  50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャン神父に近づき、「私どもは神父様と同じ心
  であります」と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白(信徒発見)

信徒発見の大浦天主堂

 

16:30 長崎港よりジェットフォイルで五島の福江港へ

18:20 福江港よりタクシーでホテルへ

18:35 コンネホテルへチェックイン

19:10~21:00 「葵」にて郷土料理の夕食

【五島コンネホテル宿泊

 

〔旅日記〕

1865年3月の信徒発見から半年後、プティジャン神父が船で密かに出津を訪れ、信者と面会し、当時はまだ禁教下であったが、200戸がカトリックに復帰します。

そして1879年にド・ロ神父が赴任して地元の信者と力をあわせて完成させたのが出津教会です。

外国人神父の設計による初期教会として2011年には国の重要文化財に指定され、強い海風に耐えられるように屋根を低くした木造平屋造で漆喰の白い外壁は山の緑に生えて美しい佇まいです。

フランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父は福音伝道のみならず、外海地方の産業・福祉・土木建築・医療・教育など八面六臂の活躍、その偉業と遺徳を永久に顕彰する目的で記念館が設立されています。

神父はフランス式の農法を教え、イワシ漁を推進し、孤児院を造り、診療所も開きました。

この記念館の建物はド・ロ神父の設計施工により鰯網工場として明治18年に建造されたもので現在は国の重要文化財に指定されています。

旧出津救助院はド・ロ神父が自ら養成した聖ヨゼフ会の協力を得て女性の自立支援のための作業場として建てた施設で、必要な機械などは私財を投じて購入し、製粉、メリヤス織物、パンやマカロニ・素麺の製造など、あまたの技術を伝授しました。

中心建造物の授産場は木造2階建てで1階は作業場、2階は修道女の生活の場などに使用され、授産場の東側のレンガ造りのマカロニ工場は、マカロニ製造を目的として建てられたもので、隣接して通称「ド・ロ壁」と呼ばれる石積壁があります。

日目   618日()  <福江島久賀島奈留島上五島>

8:50 コンネホテル出発

  *朝食は7:00よりホテル向かいの「よかとこ」デビュッフェスタイルの朝食

9:20 福江港よりチャーター船で出発

<久賀島の集落>

久賀島の旧五輪教会堂

9:45~10:20 久賀島の集落見学

   *旧五輪教会堂は1881(明治14)年建立、大浦天主堂の次に古い教会。

   *久賀島の入り江に隠れるように建つ木造平屋の旧五輪教会堂は創建当時は浜脇教徒たちの希望
   でこの地に移された。

  *主祭壇には幼子イエスを抱いた聖ヨゼフ像が訪れる人を優しく迎えてくれる。

<奈留島の江上集落>

奈留島の「江上天主堂」

10:35~11:25 奈留島の江上集落

   *奈留島の西北に位置する江上天主堂は、1918(大正7)年建立で大串湾が目の前に広がる、緑豊
       かな木々の間に建つ。

    *江上集落は1881年に大村藩領であった西彼杵郡外海地方から移住した潜伏キリシタンが受洗した
       ことから始まる。

  *鉄川与助が手掛けたこの天主堂は、泥壁に漆喰をぬって内壁を整えた日本の木造様式  
   教会建築の典型です。

10:35~11:25 キリシタン洞窟 針のメンド

  *上五島町の若松島里ノ浦にあり、明治初めの五島崩れの際、迫害を逃れるために船で
    しかたどり着けない険しい断崖の洞窟に隠れて信仰を守り続けた。

  *しかし、焚火の煙が見つかり、捕縛されたと伝わる。

  *後にこの洞窟はキリシタンワンドと呼ばれ、1967年に十字架とキリスト像が建てられた。

キリシタン洞窟

12:30 若松港着

12:35~13:30 民宿えび屋で昼食

  *うに丼膳(うに丼、アジ一尾、お吸い物、香の物) 

13:35~13:50 若松大橋

14:05~14:30 桐教会

  *桐教会は若松の瀬戸を往来する船舶の航海安全を祈るかのように、丘の上に立つ白壁と赤い屋根
   の建物です。

    *桐古里郷のガスパル与作が治療のために長崎へ赴き、偶然、大浦天主堂に入ってプティジャン神
   父と会ったことから、五島キリシタンのカトリックへの復活を導きました。

信仰の先駆者記念碑

  *教会入り口には昭和46年、ガスパル与作とその父パウロ善七、ミカエル清川沢次郎を顕
    彰する「信仰の先駆者顕彰碑」が建てられました。

14:50~14:55 中の浦教会

  *潮が満ちて、波が穏やかな時には入江の水面に教会の姿がくっきりと映るので「水鏡の教会」と
  も呼ばれています。

 *側面の赤い花の装飾は椿のイメージですが、花弁が4枚なので十字架を模したと言われています。

中ノ浦教会

15:20~15:35 矢堅目公園
 
  *奈摩湾に侵入してくる外敵を見張るために、矢(守備兵)で堅(砦)めたことから、「矢堅目」と
  いう地名が生まれました。

 *公園の駐車場から階段を少し登ると険しいリアス式海岸線や湾の目の前にそびえ立つ矢堅崎を望む
     ことができ、となりのトトロに似た岩が人気を呼んでいます。 

15:45~16:15 青砂ケ浦天主堂

青砂ケ浦天主堂

 *当地の信者は外海地方から迫害を逃れて移住してきたキリシタンの子孫で、漁業によって生計を      営んできた。

 *現在の建物は1910(明治43)年建立の三代目で、外壁はレンガを積み上げており、木造、瓦葺の
      美しくも神秘的な聖堂として有名。

 *敷地内に「お告げのマリア修道会青砂ケ浦修道院」と青葉保育園がある。

16:35~16:45 蛤浜ビーチ

  *新上五島町の海水浴場で、西海国立公園内に位置し、遠浅の白浜と青い松林とのコン
  トラストが美しく、快水浴場百選や新観光百選の地にも選ばれています。

蛤浜ビーチ

16:55  ホテルマリンピアへチェックイン   

18:30~20:00 ホテルにて夕食

ホテルマリンピア宿泊

 

〔旅日記〕

五島へのキリスト教伝来は、1566年、第18代宇久純定がポルトガル人医師でイエズス会士のアルメイダと日本人修道士ロレンソ了斎を招致したことに始まります。

続く第19代宇久純堯(すみたか)が洗礼をうけたことによって五島キリシタンは全盛期を迎え、1606年頃には2000人以上の信者がいましたが、江戸幕府の禁教政策強化により棄教が徹底されて根絶しました。

五島列島において潜伏キリシタンの歴史が始まるのは18世紀末の寛政年間に、五島藩が大村藩からの移住を求めたことによります。

多くは外海地方出身の潜伏キリシタンで、自らの信仰を守るために新天地を夢見て移住するも、現実は農作・漁労にも適さない過酷な境遇でした。

しかし、この移住の結果、五島列島全体で潜伏期に形成されたキリシタン集落は80箇所に達し、幕末の再布教に呼応して信仰を表明したキリシタンは「五島崩れ」と呼ばれる激烈な迫害に襲われました。

現在、五島列島を巡ると国の重要文化財である旧五輪教会堂、江上天主堂、頭ケ島天主堂をはじめ優れた教会堂の遺構が多く残っていますが、これらは潜伏期のキリシタン集落の中に建っています。

これらはキリスト教史上も稀な2世紀以上に及んだ禁教・潜伏時代の特異な歴史とそこで暮らした人々の清貧な体験を凝縮した貴重な遺産であり、復活への願いとそれが叶えられた喜びを表すシンボルでもあって、信徒にとってはまさに「神の家」と呼ぶにふさわしい遺産です。

日目   619日()  <長崎外海長崎港福江港(五島)>

8:00 マリンピアホテル出発

  *朝食は7:00よりホテル1階レストランでビュッフェスタイルの朝食

8:50 津和崎港よりチャーター船で出発

<野崎島の集落跡>

野崎島の旧野首天主堂

9:05~11:25 野崎島の集落跡見学

  *1800年頃より大村藩領から難を逃れた潜伏キリシタンが野首集落へ移り住み、1840年頃には舟森
 (瀬戸脇)集落へも潜伏キリシタンが移住しました。

 *移住した潜伏キリシタンはノ神嶋(コウジマ)神社の氏子となったり、小値賀島の仏教寺院にも
  所属し、潜伏キリシタンとしての自らの信仰を隠し通しました。

 *野首天主堂は鉄川与助の設計ですが、鉄川氏が初めて挑んだ煉瓦造りのリブ・ヴォールト天井をも
  つ教会で、無人島にあるとは思えないほど手入れされています。

 *2011年には「小値賀諸島の文化的景観」として国の重要文化的景観に選定されました。

11:40 津和崎港着

12:40~13:25 割烹「扇寿」にて昼食

  *「五島地獄炊きうどん膳」

13:50~14:00 世界遺産サテライトセンターでシャトルバスに乗り換え

<頭ケ島の集落>

頭ケ島天主堂

14:10~14:35 頭ケ島の集落

  *頭ケ島天主堂は1919(大正8)年建立で、中通島の東端、頭ケ島の潜伏キリシタンが入植した白
  浜集落にあります。

 *対岸の島などから切り出した石を信徒たちが積み上げて完成させた全国的にも珍しい石造りの教会
      です。

 *設計施工は鉄川与助で、内部の椿を思わせる花の装飾が美しく、「花の御堂」の別称があります。

14:45~14:55 世界遺産サテライトセンターでWC休憩

15:05~15:15 龍馬ゆかりの地

坂本龍馬ゆかりの地

 *坂本龍馬がグラバーより購入した洋型木造帆船「ワイル・ウエフ号」は、鹿児島へ向かう途中で大
      暴風雨にあい、上五島の潮合崎(しおやざき)沖で遭難しました。

  *この事故で龍馬が弟のようにかわいがっていた池 内蔵太を含む12名が亡くなり、知らせを聞いた
     龍馬はこの地に駆けつけて殉難者の名前を刻んだ慰霊碑の建立を依頼。

  *そして2010年5月2日に遭難の地を望んで合掌する「祈りの龍馬像」が建立。

15:30~15:55 五島うどんの里で買い物

16:00~16:35 有川港よりフェリーで佐世保港へ

19:00~19:10 佐世保港よりタクシーでホテルへ

19:20  ホテルリソル佐世保へチェックイン   

【ホテルリソル佐世保宿泊

〔旅日記〕

今回のツアーで私自身が感銘を受けるのは、潜伏キリシタンの人たちの目的意識の高さです。

特に本日訪れた今は無人島となった野崎島に残るレンガ造りの旧野首教会では、当時の信徒たちの並々ならぬ意識の奥深さを感じます。

野崎島は江戸時代、長崎の外海から五島に渡った潜伏キリシタンが再移住して作られた集落で、その集落跡地には1908年、17戸の信者たちがキビナゴ漁などで資金を蓄え、鉄川与助氏の設計施工で建てられた立派なレンガ造りの教会だけが残っています。

私の言う「目的意識が高い」とは、「誰のためになぜ やっているのか?」ということを常に考えて行動することを意味します。

この「なぜ」を考えているかどうかで、得られる結果が異なってくるのです。

この旧野首教会はレンガ造りの建物ですが、レンガ職人に関してこんな話があります。

レンガ職人が4人いました。4人ともみんなレンガを積む作業をしています。
このレンガ職人に以下のように尋ねました。

「あなたはここで何をしているのですか?」

1人のレンガ職人はこう答えました。
「レンガを積んでいるのです」
レンガを積む作業をしているというそのままの回答です。

次に、同じ質問を2人目のレンガ職人に尋ねると、こう答えました。
「壁を作っているのです」 
レンガを積むことによって何ができるか?について回答しています。
 1人目のレンガ職人に比べるとレンガを積んでいる目的がより具体的になっています。

さらに、3人目のレンガ職人に尋ねると、こう答えました。
「教会を作っているのです」 
レンガを積むことで最終的に作りたいものを明確に回答しています。
2人目のレンガ職人よりも成し遂げたいゴールがはっきり見えています。

そして、最後の4人目のレンガ職人に尋ねると、次のように答えました。 
「人々の心を癒す安らぎの空間を作っているのです」
教会を作ってそれが誰のためにどんなふうに役立つのか? 
というところまで見据えています。 

4人のレンガ職人の考え方をまとめると、 

1人目のレンガ職人 ⇒レンガをただ積むだけの作業だと思っている。
2人目のレンガ職人⇒レンガを積んで壁を作るという目先の目的が見えている。
3人目のレンガ職人⇒レンガを積んで教会を作るという最終的に作りたいものが見えている。
4人目のレンガ職人⇒レンガを積んで教会を作りその教会が誰にどう役立つのかまで考えている。

やっていることは全員同じレンガを積むという作業です。しかし、回答が全員違いました。

その回答内容でレンガ職人の「目的意識の高さ」がわかると思います。
 
さて、どのレンガ職人が作ったものが最も人の役に立つのか? 明らかですね! 

この旧野首教会を立てた信者たちは皆、4人目のレンガ職人の意識を持っていたのです。

同じ作業でも、目的を明確にして「何のためにやっているか?」を意識しているかどうかで出来上がるものが大きく変わってきます。

私は潜伏キリシタンの人たちは行動一つ一つに目的意識を高く持っていたからこそ、信仰を維持し、今日、世界遺産として認定されたのだと思います。

普段、何気なくやっている案内業務でお客様にどんな価値を提供できるかについて、再度、見つめなおす機会となりました。

日目  620日() <佐世保春日黒島長崎空港→羽田空港>

7:45 ホテルリソル佐世保出発

  *朝食は6:45よりホテル2階レストランでビュッフェスタイルの朝食

<平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)>

春日集落の棚田

9:05~9:55 春日集落見学

  *春日集落は、平戸島の領主松浦(まつら)氏の家臣であった籠手田(こてだ)氏の領 地でしたが、
  キリスト教が伝えられると、籠手田氏がキリスト教に改宗したため、春日集落全体に広がり、共同
    体が組織されました。

 *禁教期には、家屋の奥まった納戸に納戸神と呼ばれるご神体を祀って、古来より信仰してきた安満
     岳とあわせて崇敬しており、「神寄せのオラショ」の中でも「安満岳様」と唱えられていました。

 *春日集落の案内所かたりなで春日集落紹介ビデオ鑑賞

 *徒歩にて「安満岳」を遙拝する丸尾さま(キリシタンの墓、石の祠)に登って参拝

10:05~10:15 舘浦港(大敷食堂) チャーター船乗船手続

<平戸の聖地と集落(中江ノ島)>

聖地中江の島の祠

10:15~11:00 中江ノ島貸切クルーズ

 *中江ノ島は平戸島と生月島(いきつきじま)の北岸の沖合に浮かぶ長さ約400m、幅約 50mの小
  さな無人島で、禁教時代には平戸藩によってキリシタンが処刑された島です。

  *潜伏キリシタンは殉教地として「サンジュワン様」などと呼び、春日集落や生月島の潜伏キリシタ
     ンにとっては、岩からしみ出す水を聖水として採取する「お水取り」が行わ れる聖地とされてきま
    した。

11:00~11:15 舘浦港(大敷食堂) WC休憩、弁当積み込み

11:15  相浦港に向けて出発 

 *昼食はお茶に弁当で車中にて   

12:20~13:00 相浦港で黒島行きのフェリー乗船

<黒島の集落>

レンガ造りの黒島天主堂

13:50~15:30 黒島の集落 黒島天主堂

 *19世紀になって潜伏キリシタンの一部は、黒島の牧場跡(まきばあと)の再開発のために移住が奨励
  されていることを知り、共存できそうな場所として移住し、表向きは所属していた仏教寺院でマリ
  ア観音
に祈りをささげながら、ひそかに共同体を維持しました。

  *江戸時代は平戸藩の領地であったため、平戸の北の生月島や外海からの潜伏キリシタンの移住者
  が多く、港入口には神社やお寺もありますが、現在でも全島民の80%近くが  キリスト教徒とい
  われています。

 *黒島天主堂は現在、修復中ですが、1897年に来島したフランス人のマルマン神父が設計し、信者た
 ちの寄付金と労働奉仕により、1902年にレンガ造りで間口15m、奥行き32.6m の大きな教会堂を
 完成させました。

 *黒島天主堂の資料館を見学後、キリシタン共同墓地のマルマン神父の墓を参拝

キリシタン墓地

16:20 相浦港着

17:25~17:50 大村純忠史跡公園

 *大村純忠は日本で最初に洗礼を受けたキリシタン大名(洗礼名ボルトロメオ)で、キリ
  スト教保護の外交政策を展開し、1582(天正10)年には天正遣欧少年使節団を派遣した。

 *史跡公園は大村純忠が晩年に隠居して過ごし、終焉を迎えた居館跡で、奥には庭園にあ
  った泉水が残っている。

18:00~18:10 天正遣欧少年使節顕彰の碑

 *イエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが日本人による日本でのキリスト教布教を目指す目

 的で、1582(天正10)年に派遣された伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン
   の4人の少年使節

 *1590(天正18)年に彼らは無事に帰国するも、その時点では秀吉によって伴天連追放令 が出され
    た後で、キリスト教は邪法とされていた。

18:15~20:35 長崎空港で買い物、自由夕食

20:35 長崎空港発 JAL-624便にて羽田空港へ

22:15 羽田空港着 

〔旅日記〕

今日、訪れた世界遺産の「春日集落と安満岳」には教会らしきものはなく、禁教時代も日本古来の精霊を信仰の対象としていました。

美しいい棚田と夕陽で知られる春日集落は、平戸の人々の信仰を集める安満岳を望み、清らかな水にに恵まれ、平戸地区でも最も早い時期に田植が行われる美味しいいお米の里です。

集落の案内所である「かたりな」で春日集落の紹介ビデオを鑑賞した後、グループは春日の人たちが「丸尾さま」と呼んでいる小さな丘の祠を尋ねました。この丘は古いキリシタンの墓も埋まっているとされる聖地ですが、この丘から眺める棚田は多くの花びらが散らばるような美しい風景で、記憶に残る映画のワンシーンのようでした。

また、南方の山上には今にも倒れそうな「人の立ち姿」の巨岩が見えますが、この地が「潜伏キリシタン」の里であったとは、なかなかピンとこない日本の原風景です。

当時の春日集落の中心であった春日バス停近くの「三界万霊碑」は、キリスト教が禁止されていた江戸時代、宗門改めの際に「私たちはこの世のあらゆる精霊を祀って供養しています」という証として建てられたそうです。

中江の島は一般観光客は上陸できませんので、貸切船クルーズで船上から「ご三体様」なる祠を遙拝しました。島全体は岩場で、柱状節理を成し、祠の先の岩の割れ目で「お水取り」が行われます。

黒島の集落へは相浦港よりバスとともにフェリーで上陸しましたが、黒島は佐世保の名勝九十九島のひとつです。

1865年の信徒発見がなされると、早くも黒島から20人が大浦天主堂を訪ねて信仰を打ち明けたと言われています。様々な迫害がありましたが、島内信者約600人がカトリックに復帰しました。

1897年に着任したマルマン神父が設計した黒島天主堂はレンガ造りの堂々とした教会で、祭壇の下には1800枚の有田焼磁器タイルが敷き詰められています。

今回は修復中のため、中は見学できなかったので、カトリック共同墓地にマルマン神父の墓参りをしました。

*平成芭蕉が同行した潜伏キリシタンのテーマ旅行は下記の番組で紹介されました。

「平成芭蕉同行の旅」 旅スルおつかれ様 ハーフタイムツアーズ

前編動画(テレビ東京 2018年11月26日放映分)  

後編動画(テレビ東京2018年11月27日放映分)

平成芭蕉の「令和の旅指南」シリーズ第5弾『生まれ変わりの一人旅』

出羽三山の「生まれ変わりの旅」で、私は月山の月読命という月に願い込めましたが、今の私の課題は「月を見上げて、日々の腕立て伏せが出来るか?」ということです。『月』を自らの目標や夢と捉え、『腕立て伏せ』を日々の行動や取り組みと考え、どれだけ、自分自身の目標を見続けながら、日々行動しているのかという問いかけです。

月山頂上の月山神社

どんなに月に祈りを込めて夢を語っても行動していなければ手にすることはできません。しかし、行動していたとしても目標や夢を見続けていなければ、目の前に現れる出来事をこなしていくだけの味気ない作業になってしまいます。

これからの将来、自分自身が目指すところ、求められることに向かっていくためには、まず「今、何をすべきか」を考えつつ、今の行動は目標にどう紐付けられるのかを自分自身に問いかける必要があります。

立ち止まっては悩み、不安になることも沢山ありますが、そんな時に私は「生まれ変わりの一人旅」で出会った人の言葉や笑顔を思い出し、その方々に恥じぬ行動をしていくことで進むべき方向へと軌道修正されていくように感じています。

どれだけ、私たちは決めた目標を見続けているのか、そして、そこに辿り着く道のりを歩めているのか。こうした疑問を抱いた時には、やはり目標を見失わず、感情を老化させないためにも「生まれ変わりの一人旅」に出て、一歩を侮ることなく、一歩を信頼して進みましょう。令和の旅指南シリーズ5冊目の『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』では、感情の老化を防ぐ私の体験をご紹介しています。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

「令和の旅指南」シリーズ

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って旅しています。

平成芭蕉の旅語録

「平成芭蕉同行の旅」では、私が実際にお客様をご案内したツアーの中でも特に印象に残っている旅をご紹介しています。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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