東海道の日本遺産 「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅
クラブツーリズムの歴史街道を歩く旅でも人気の東海道ですが、2020年には「旅人たちの足跡残る悠久の石畳道―箱根八里で辿る遥かな江戸の旅路」に続いて、静岡県藤枝市・静岡市の旧東海道に関する歴史・文化をまとめたストーリー「日本初『旅ブーム』を起こした弥次(やじ)さん喜多(きた)さん、駿州の旅」が日本遺産に認定されました。
エフエム清水マリンパル「モーニング・カフェ」で旧東海道の魅力発信
そして、静岡県の清水マリンターミナルにスタジオを構えるエフエム清水マリンパルでは、2021年4月7日から毎月第1水曜日に旧東海道に関する紹介番組が組まれることとなりました。
すなわち、マリンパルの編成制作部長であり、パーソナリティを務める是永真由子さんのモーニング・カフェ「mayu旅コレクション」(9:15〜9:30)において、私が自身の街道歩きの経験から、主として静岡県内の旧東海道に関する旅の魅力を語る番組です。
*エフエム清水モーニングパル https://mrn-pal.com/program/morning-pal/
4月7日の初回収録では、私の自己紹介と私が心がけている「心の四季」の持ち方や「健康五浴」についてご紹介しました。「健康五浴」とは、人の健康を維持する上で必要な日光浴、森林浴、温泉浴、イオン浴そして海水浴(潮風浴)のことですが、静岡県はこの五浴に恵まれた土地柄なのです。
特に現代人には馴染みが薄くなっている海水浴ですが、静岡県の「興津清見潟」は、三保の松原が見渡せ、大正天皇も楽しまれた全国的にも有名な海水浴場だったのです。
明治・大正・昭和の時代を自由主義の政治家として貫いた元老の一人、西園寺公望も1916年(大正5年)の冬、興津を訪れた際、気候温暖で風光明媚な清見潟が気に入り、旧東海道興津宿近くに「興津坐漁荘」と命名された純和風の別荘を建て、老後をこの別荘で過ごしました。
そこで、この「mayu旅コレクション」放送を契機に静岡県内の旧東海道をご紹介します。
旧東海道が整備されたのは、徳川家康が関ヶ原合戦に勝利した翌年の慶長6年(1601)でした。そして、将軍綱吉の元禄年間(1688~1704)になると農村での生産拡大と都市商人の台頭による経済活動の活発化によって旅が大衆化し、街道では参勤交代の大名行列だけでなく、一般人の往来が増え、今日でいう庶民の旅が活発化しました。
この旅ブームの火付け役となったのはやはり、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」(とうかいどうちゅうひざくりげ)と歌川広重の描いた「東海道五十三次」の浮世絵でした。
江戸時代の後期に葛飾北斎は「冨嶽三十六景」を描き、東海道の道々から富士山が美しく見える景色、名所絵を残し、それがきっかけとなり、歌川広重が「東海道五十三次」を描きました。それまでには無かった大判サイズで、「まのあたりにそこに行たらむここち」(保永堂版の序文)と思わせるものであり、まさに「ガイドブックの原典」でした。
享和2年(1802年)から文化11年(1814年)に初刷りされた十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」は、文章もさることながら挿絵が面白く、作者が自分の足と目で確かめたリアル感が読者の旅情を誘います。
漫画のような「東海道中膝栗毛」を「ガイドブック」として旅に出ようと思い立った江戸庶民達が「旅の大ブーム」を作ったのです。かつての面影を残す由比宿の本陣跡は由比本陣公園となり、その中に東海道由比宿交流館と浮世絵師・歌川広重の名を冠した日本で最初の「東海道広重美術館」があって、数多くの広重の浮世絵を楽しむことができます。
そこには広重が景勝三保松原を描いた「冨士三十六景」も所蔵され、現在の景色と見比べて楽しむことができます。
初代歌川広重(安藤重右衛門)は八代洲河岸定火消同心屋敷で生まれ、幼少の頃より絵を描くことが好きだったので浮世絵師の歌川豊広に入門しました。なぜ安藤広重と言わなくなったかと言えば、「安藤」は定火消同心としての姓であり、「広重」は浮世絵師としての名前なので、武士の姓と浮世絵師の名を組み合わせて名乗ることはないからです。
1833年(天保4年)の「保永堂版東海道五拾三次」の成功は、浮世絵界における広重の名を不動のものにしましたが、この作品では宿場の年中行事、名所旧跡に旅の風俗も加えて各宿場の特徴がわかりやすく紹介されており、大衆に受け入れやすく描かれています。
一方『東海道中膝栗毛』は、1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされた十返舎一九の滑稽本で、「栗毛」とは栗色の馬を指し、「膝栗毛」は自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行のことを意味します。
主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『弥次喜多』の旅道中物語は、文学的な価値とともに、挿絵が多く挿入されており、江戸時代の旅の実状を記録する貴重な資料にもなっています。
そしてこれは、本陣や脇本陣を利用する武士だけでなく、旅籠に宿泊した庶民も東海道や伊勢詣で旅を体験し、その思いを重ね合わせ、旅にあこがれる読者層の共感を呼んだ道中記です。
主人公が府中(静岡市葵区)出身の弥次さんと江尻(静岡市清水区)出身の喜多さんで、作者の十返舎一九も静岡市出身のため、駿府城公園の堀沿いには「東海道中膝栗毛」刊行200周年を記念し、巽櫓をバックに弥次さん(左)喜多さん(右)がベンチに座って佇んでいます。
この弥次喜多像以外にも静岡市と藤枝市の旧東海道沿いには、浮世絵や滑稽本に描かれた風景や建物、食べ物などが数多く残り、地域の歴史や文化として今日に引き継がれています。風景では由比宿に近い薩埵峠ですが、ここでは浮世絵に描かれた富士が今も同じ場所から見渡すことができ、眼下には東名高速道路や国道一号線が走っています。
由比の近辺は、海岸線近くまで山がせまり、狭い平野部を縫うように街道が走っていますが、薩埵峠を越える道は「上道」「中道」「下道」と3つあり、山腹を切り開いた「中道」は遊歩道として今でも使われています。
薩埵峠は鎌倉時代に、由比の倉沢の海から引き揚げられた地蔵菩薩をこの山に祀ったという故事から命名され、富士を崖越しに望む絶景で知られています。
広重の浮世絵『東海道五拾参次之内 由井 薩埵嶺』においては峠道を二人の旅人と柴を担ぐ樵夫が行き交っていますが、旅人は駿河湾と富士を見渡す絶景を目の当たりにして感嘆しているように見えます。
しかし、私にとって広重の浮世絵の中でも印象に残る作品は蒲原の「夜之雪」です。
なぜなら、蒲原は滅多に雪の降らない温暖な地であるにもかかわらず、静寂に包まれた雪景色で描かれているからです。
これは「東海道五拾三次」という物語の中で多彩性を意図した絵とされていますが、確かに旅の始まりの日本橋では穏やかな大名行列の出発、いくつかの難所を切り抜けて京都に近づくにつれて再び穏やかな街道風景に変化していくという演出を感じます。
建物では蒲原宿には旧東海道沿いに「東海道町民生活歴史館」があり、江戸時代から米、塩、油、醤油などを扱ってきた商家「志田家」の醤油製造場や土蔵等が公開されていますが、この志田家の建物には、「蔀戸(しとみど)」が使われており、外から中 は見えにくく、中から外はよく見えるようになっています。
この「蔀戸」は、夜になれば板をおろして雨戸のように戸締まりが出来、「窓」「カーテン」「シャッター」のような機能をたった一枚の建具でまかなっており、私は昔の人の知恵に感服しました。
また東海道の食べ物の代表と言えば、広重の浮世絵や東海道中膝栗毛だけでなく、芭蕉の俳句「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」でも名高い丸子(まりこ)宿のとろろ汁でしょう。
この宿場の丁子屋は慶長元年(1596年)創業、江戸時代初期から400年以上続くとろろ汁の店で、自然薯をはじめとする地場の食材にこだわり、店内には東海道の歴史資料室もあります。
浮世絵では赤子を背負った女性が肴を運んでいますが、東海道中膝栗毛を読むと、店の亭主と女房が喧嘩してとろろ汁をぶちまけたため、弥次さんと喜多さんは食べずじまいでした。
そこで携行食としては、藤枝駅前の「喜久屋」の染飯(そめいい)もおすすめです。小林一茶が「染飯や我々しきが青柏」と詠んだ瀬戸の名物で、竹の皮で包んだパッケージに入ったクチナシで染めたおこわのおにぎりは、もちもちで素朴な味わいで、まるで江戸時代の旅人になった気分が味わえます。
また名物は多くありますが、私の好物はういろうと徳川家康が命名したとされる安倍川餅です。名前の由来は、安倍川上流にある井川の金山で採れる砂金と、きな粉(金の粉)の語呂合わせから「安倍川の金な粉もち」としてに献上したところ、家康にたいへん喜ばれたことから「安倍川もち」になったといわれています。
餅と言えば、私の出身地である三重県の桑名市から伊勢市までの道中には、江戸時代からお伊勢参りの旅人たちをもてなしてきた茶店の名物餅がたくさんあり、「餅街道」と呼ばれています。
私の街道歩きのルーツは、小学生の頃の遠足で名張から室生寺まで歩いた伊勢参りの初瀬街道ですが、本格的に街道を研究するきっかけは静岡県富士市在住の遠藤先生と出会ったことです。
そして遠藤先生から東海道の魅力を教わり、特に丸子宿の西のはずれ(間の宿宇津ノ谷)にある宇津ノ谷峠を越える蔦の細道(つたのほそみち)を一緒に歩いて街道歩きにハマってしまいました。
東海道は53次として知られていますが、実際には全長492キロ、日本橋から大阪高麗橋までの海側を通る57次の街道です。
そこで東海道歩きは、静岡から東京への東下りだけでなく、七里の渡しの船旅や京都から伏見、淀、枚方、守口宿を経由する京街道も含め、57次の旅に挑戦していただきたいと思います。
日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅
~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)
所在自治体〔静岡県 藤枝市、静岡市〕
日本初の「旅の大ブーム」の火付け役は、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」であり、
歌川広重の描いた「東海道五十三次」の浮世絵であった。
「滑稽さ」「怖いもの見たさ」そして美味しい「名物」に引き寄せられるのは人の世の常。
日本の「ガイドブックの原典」とも言われる「浮世絵」「滑稽本」に惹かれ、自由な移動が制限される江戸時代でも人々は物見遊山の旅へいそいそと出かけて行った。
かつて多くの人々を旅路へと誘った弥次さん喜多さんの「旅の楽しさ」は今も駿州で体感できる。
富士山を仰ぎ見ながら江戸時代の「ガイドブック(道中記)」を片手に「東海道五十三次」の「真ん中」、駿州を巡る旅に出かけよう。
一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定
私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。