平成芭蕉の行く春を惜しむ旅は芭蕉さんの故郷でもある伊賀上野
新緑がまぶしく、薫風吹きわたる5月はツツジや藤などの花も次々に見ごろを迎える季節ですが、芭蕉さんにとっては行く春を惜しむ旅立ちの時期でもありました。
私、平成芭蕉も行く春を惜しむべく、芭蕉さんの出身地である伊賀上野を訪ねようと旅立ちましたが、まずは同じ三重県伊賀市で芭蕉さんが敬愛していた吉田兼好が晩年過ごした種生(たなお)の国見山に立ち寄ることにしました。
芭蕉さんが「おくの細道」の旅に出たのは1689(元禄2)年3月27日で、今の暦では5月16日です。風光る春から風薫る初夏に移る5月は、自然の中に盛り上がってくるようなエネルギーを感じますが、芭蕉さんもその力を借りようとしたのでしょう。
行く春を惜しむ旅は「おくの細道」に通じる
今日、その5月初旬をゴールデンウィークとして国民の休日としているのは絶妙な配慮だと思います。すなわち芭蕉さんは今の5月中旬に江戸深川を出発し、千住大橋で見送ってくれた弟子たちに次の別れの句を詠んだのです。
行く春や 鳥啼き魚の目は泪 (ゆくはるやとりなきうおのめはなみだ)
是を矢立の初として行道なをすゝまず。
人々は途中に立ならびて後かげのみゆる迄はと見送なるべし。
離別の句としては
「鮎の子の白魚送る別れかな(若鮎が白魚の後を追って春の川をさかのぼる)」
(続春蓑)が知られていますが、芭蕉さんはこれに離別と春を惜しむ気持ちを加味するために「行く春や」を添えたのでしょう。
矢立てのはじめとは、「旅に出て最初に筆に墨をつけて書く」という意味ですが、昔の旅は現代と異なり、みちのく東北への旅ともなれば、死を覚悟して二度と会えないかもしれないと思って詠んだのだと思います。
中国唐の詩人、杜甫は
「時に感じては花にも涙をそそぎ、別れを惜しんでは鳥にも心を驚かす」
と詠んでいますが、芭蕉さんもこの句と陶淵明の
「鳥は旧林を恋い、池魚は故淵を思う」
を意識したと言われています。
芭蕉さんも敬愛した兼好法師ゆかりの種生(たなお)の国見山
『徒然草』の作者、吉田兼好ゆかりの種生(たなお)の国見山は、芭蕉さんも訪れたかった場所ですが、この国見山一帯は、織田信長が攻めてきた天正伊賀の乱で、伊賀者が強敵織田軍相手に最後まで抵抗した戦場でもあります。
芭蕉さんもこの地を訪ねたかったと言われていますが、思いはかなわず、弟子の服部土芳がその意思を継いで訪ね、
「月添いて 悲しさこほる 萩すすき」
と詠んでいます。
当時この国見山には国見寺という寺があって、その一室で吉田兼好が『徒然草』の草稿を練ったと言われています。『徒然草』は鎌倉時代末期の随筆で、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並ぶ日本三大随筆の一つです。
私はその137段にある「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは」(桜の花は満開の時だけ、月は満月の時だけではない)という一節が好きで、花見のツアーに同行し、桜が咲いていない時にはこの兼好の言葉を引用していました。
この『徒然草』から学ぶべきは、私たちがぼんやりと感じていることを、あえて分かりやすい文字で表記してくれている点です。
その兼好法師は
「いづくにもあれ しばし旅立ちたるこそ目覚むる心地すれ」
とリフレッシュには旅が一番であると言っています。
実際、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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