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平成芭蕉の日本遺産 岡山県高梁市吹屋 ジャパンレッド発祥の弁柄と銅の町

日本遺産「ジャパンレッド発祥の地」高梁市成羽町 弁柄と銅の吹屋

岡山観光と言えば、日本三名園のひとつである後楽園岡山城(烏城)、倉敷の大原美術館などを思い浮かべる人が多いのですが、歴史好きの人には高梁市を訪れることをお勧めします。

高梁市には「現存12天守」の一つで、天守が現存する“唯一の山城”である備中松山城があります。この城は臥牛山小松山山頂にそびえており、岐阜の岩村城、奈良の高取城とともに日本三大山城にも数えられています。

備中松山城の天守

本格的な木造天守や二重櫓だけでなく、天然の岩盤を利用した石垣、土塀など山城ファンには興味深い見どころが数多く残っています。また、可愛らしい猫城主「さんじゅーろー」がいる城としても人気を集めています。

猫城主「さんじゅーろー」

しかし、高梁市においては、令和2年、かつて弁柄と銅の生産地として繁栄した鉱山町の吹屋が「ジャパンレッド発祥の地 弁柄と銅(あかがね)の町・備中吹屋」のストーリーで日本遺産認定され、猫城主「さんじゅーろー」同様に注目されるようになりました。

弁柄(ベンガラ)とは、最初に産出したインドのベンガル地方に由来する赤色顔料の一種で、三酸化第二鉄 Fe2O3 の別名です。赤褐色の粉末で耐光性,耐熱性がよいので、絵具などの顔料,瓦などの着色剤、またガラス,金属用研磨材として広く用いられています。

ベンガラの瓦

そしてこの弁柄に関しては、私が幼少の頃、通っていた名張小学校の近くにベンガラ工場があったこともあり、私にとっては馴染み深く、私は吹屋にはたびたび訪ねています。備中松山城から車で約40分、標高約500mの高原上に忽然と出現する「赤い町並み」が、日本のイメージカラーである「ジャパンレッド」を生み出した鉱山町の吹屋です。

ジャパンレッド発祥の地

江戸時代中期より、吹屋銅山を中心とした銅(あかがね)生産から鉱山町へと発展、幕末から明治時代にかけては、銅鉱とともに硫化鉄鉱石を酸化・還元させて人造的に製造した赤色顔料弁柄(酸化第二鉄)の巨大産地として繁栄を極めました。

この備中吹屋で生産される弁柄の「赤」は古来より生命の源、神聖なるものを象徴する色とされ、赤色が映える九谷(くたに)焼伊万里(いまり)焼、輪島塗・山中塗の漆器など、日本を代表する多くの伝統工芸品に用いられました。

旧吹屋往来沿いの家々は、 富を得た商人たちによって赤褐色の瓦と海鼠(なまこ)壁、弁柄塗りの格子(こうし)で飾られており、伝統的建造物群保存地区に指定されています。しかし、驚くべきは屋敷の豪華さを競っているのではなく、整然と見事に統一された街づくりがなされている点です。

吹屋伝統的建造物群保存地区

私は吹屋を代表する商家であり、庄屋を務めた旧片山家を訪ね、土蔵の資料館を見学しましたが、当時の旦那衆は相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招き、計画的な街づくりをしていたことを知り、吹屋商人の先進的な思想に感銘を受けました。

旧片山家住宅

ベンガラは、銅山から銅鉱石とともに産出された硫化鉄鉱石を原料とし、硫化鉄鉱石から取り出した緑礬(ローハ)と呼ばれる硫酸鉄の結晶を釜で焼成、水槽に入れて不純物を取り除いて作りますが、この製造工程はベンガラ館で見学できます。

旧弁柄工場を再現したベンガラ館

吹屋地区にあった明治時代のベンガラ工場の建物を復元したベンガラ館では、水車を動力とした当時のベンガラ製造工程が紹介されています。また、実際に使用された当時の製造用器具だけでなく、隣接する陶芸館にはベンガラで絵付けされた九谷焼などの陶器類も展示されており、焼き物が好きな人には興味深い場所です。

ベンガラ館内の展示

また、暑い日に吹屋を訪ねた場合は、吉岡銅山旧坑道の一つ「吹屋銅山笹畝坑道」の見学をお勧めします。坑道口から約250mの区間が観光坑道として公開されており、削岩機の跡やトロッコ軌道が残っていて、当時の銅採掘の様子が実感できます。また、神秘的な坑道内は一年を通じて15℃前後と天然のエアコンが効いて爽快です。

吹屋銅山笹畝坑道

しかし、建造物として印象に残っているのは江戸期の銅山役所跡に建てられた旧吹屋小学校校舎です。吹屋が繫栄していた明治33年に東西校舎、同42年に本館が建てられ、明治時代の擬洋風建築独特の特徴がみられる建物です。

旧吹屋小学校校舎

この校舎を眺めていると、私は生まれ故郷にあり、両親の出身校でもある上野高校明治校舎(旧三重県第三尋常中学校校舎)を思い出すのです。この校舎も吹屋小学校と同じ明治33年に建設され、明治期の中学校建築として現存する数少ない建物の一つで、美しい白亜の校舎です。この吹屋小学校校舎は「現役最古の木造校舎」として話題となりましたが、残念ながら平成24年3月末に閉校となりました。

心も紅(あか)く染まる吹屋の景観と人のぬくもり

吹屋を象徴する赤褐色の瓦で葺かれた大型主屋や土蔵群が残る西江家住宅は、西江家によって代々受け継がれており、現在も生活の場となっている活きた日本遺産構成文化財です。私が訪れた際も、西江家当主夫妻自らが展示資料について丁寧に説明してくださいました。

西江家と当主夫妻

当主の話では、西江家は江戸期に惣代庄屋として天領地の支配を許され、代官御用所を兼ねていたそうです。当時の繁栄を今に伝える西江邸は、郷蔵・お白洲跡・手習い場などを残す貴重な建造物で、「ジャパンレッド発祥の地」をイメージするには最適な場所だと思いました。

西江家と同様に日本遺産構成文化財になっている広兼邸は、映画「八つ墓村」のロケ地となったことから全国に知られるようになりましたが、こちらは大庄屋・広兼氏の豪邸です。広兼家は江戸時代後期に小泉銅山の経営と弁柄(ローハ)製造で財を成し、二階建ての主屋や土蔵・長屋等は当時の建築で、楼門を持つ豪壮な石垣は城郭を思わせる屋敷構えとなっています。

「八つ墓村」のロケ地 広兼邸

私が訪れた時には、石垣の下に鮮やかな彼岸花が咲いており、私には故郷の伊賀上野赤坂町の景観が思い出され、吹屋ではベンガラだけでなく、美しい景観と人のぬくもりによって心まで紅く染まった気分になりました。

ベンガラの吹屋に咲く紅い彼岸花

ジャパンレッド発祥の地 弁柄と銅(あかがね)の町・備中吹屋~

所在自治体〔岡山県:高梁市〕地域型

 標高約500mの高原上に忽然と出現する「赤い町並み」。かつて国内屈指の弁柄(べんがら)と銅(あかがね)生産で繁栄した鉱山町・吹屋である。吹屋で生産された赤色顔料の弁柄は全国に流通し、社寺などの建築や九谷(くたに)焼(やき)・伊万里(いまり)焼(やき)や輪島(わじま)塗(ぬり)等、日本を代表する工芸品を鮮やかに彩り、日本のイメージカラーである「ジャパンレッド」を創出した。

 富を得た商人たちは赤い瓦と弁柄で彩色された格子(こうし)で家々を飾り、今も残る町並みは、独特の景観を醸し出し、訪れる多くの人々を魅了している。また周辺には、弁柄工場跡や銅山跡等も残り、「ジャパンレッド」を創出した往時の繁栄を偲ばせている。

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

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*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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