サイトアイコン 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

平成芭蕉の旅語録~松阪牛だけではありません、松阪商人の活躍と伊勢街道

本居宣長の出身地、松阪の商人と北海道の命名者「松浦武四郎」

サイバー空間での出会いと「まつさか歴史・文化案内人講座」

1998年に設立されたGoogleという会社の登場により、インターネットのサイバー空間という『情報の海』に新たな「地図」がつくられました。すなわち、Googleという羅針盤(検索)により、『情報の海』において目的とする港(情報)にたどり着くことが可能となったのです。

そしてFacebookという企業は、『情報の海』でしかなかったサイバー空間に現実世界とリンクした『戸籍』や『住民票』を用意してくれました。

今回の私の松阪への旅は、従来の街道マップを使った現実的なルートではなく、目に見えないサイバー空間をGoogleとFacebookという新しいマップを使ってやってきたように感じます。

どういうことかと言えば、松阪駅で出迎えていただいた特定非営利活動法人「松阪歴史文化舎」の門理事長とは、すでにFacebookで友達となっており、事前にGmailで詳しくご案内いただいていたこともあって、松阪駅で初めてお会いしても全く初対面とは感じませんでした。

松阪市の竹上市長(中央)

また、松阪市の竹上市長がベトナム出張から帰国されてすぐに会場に駆けつけて来られたことも、ネットを通じて理解していましたので、とても親近感を覚えました。

松阪歴史・文化案内人講座

私は今回、「まつさか歴史・文化案内人講座」の講師として招かれて松阪を訪れましたが、旅のハイライトである人との出会いが、現地到着前にできるようになったことに感無量でした。通常2回に分けて話す内容を90分に凝縮してお話ししましたので、分かりにくい点もあったかと思いますが、夕刊三重新聞には要点を的確にまとめて書いていただいており、とても感謝しています。

夕刊三重「松阪観光」発進

講座終了後は門理事長に松阪駅までお送りいただきましたが、ストーリーと街道歩きについて話しておきながら、すぐに松阪を去るのは礼を欠くので、本居宣長の墓所である鈴屋大人月参墓にお参りした後、昔の旅人になった気分で「左 さんぐう道 右 わかやま道」と刻まれた日野町の道標をはじめとする道標巡りをしました。

案内人講座で語る平成芭蕉

ちなみに「すぐいせ」と書かれた「すぐ」の意味は「近い」という意味ではなく、「まっすぐ」という意味ですが、これは伊勢街道を歩く講師に対して最初に説明する事柄です。

私の『価値ある旅行のゴールデンルール』では、街道での出会いを大切にすべきだと話していますが、今後はインターネット上のサイバー空間においても出会いについて正しく伝える必要がありそうです。すなわち、人と人との出会いがサイバー空間でもできるようになった今日では、このサイバー空間を商売目的中心に利用する人が増えていますが、私はこの空間こそ「文化の発信と人間の徳を積む」場に活用すべきだと思っています。

価値ある旅行のゴールデンルール「伊勢街道で栄えた街」

私が『価値ある旅行のゴールデンルール』というテーマで講演させていただく際には「魅力ある街にはシンボルとなる建造物があり、主要な街道が通っています」と説明しています。

今回の講演は「旅行会社が地域に望むこと」というタイトルでしたが、この松阪市こそ実は価値ある旅行のゴールデンルール上からも魅力ある街の筆頭なのです。

2018年はその松阪出身の北海道命名者、松浦武四郎の生誕200周年にあたることから、私はこの機会に松阪の魅力を一人でも多くの人に知っていただきたいと思っています。

本居宣長宅跡

松阪と言えばまずは松阪牛、そして蒲生氏郷の美意識の高さを感じさせてくれる松阪城、さらには「松阪の一夜」で有名な本居宣長を連想しますが、忘れてはならないのは三井家、長谷川家、小津家で代表される松阪商人の存在です。

松阪の本居宣長旧宅

江戸での「伊勢屋」をはじめとする松阪商人の活躍

なぜなら、元禄時代には「江戸に多いもの、伊勢屋 稲荷に犬の糞」と落語のネタにされたほど、松坂出身の伊勢商人は江戸でも活躍していたのです。

当時の江戸には「伊勢屋」をはじめ「越後屋(三井)」「丹波屋(長谷川)」などの伊勢商人の店が軒を連ねており、これらの店は伊勢の国に本店を置き、江戸にも支店(江戸店)を持っていた松阪の商家です。

そしてこの松阪商人の活躍の背景には「伊勢街道」と松阪城主蒲生氏郷の存在があるのです。

即ち、蒲生氏郷近江商人を育てた人で、広い木綿産地のあった松阪の商業を保護する政策をとり、さらに、伊勢参宮のおかげ参りの人たちによる経済効果と情報収集もできる伊勢街道沿いの立地が松阪商人松浦武四郎を育てました。

幕末の志士を陰で支えた松阪商人

大河ドラマ『西郷どん』で幕末が話題となっていますが、西郷隆盛と並ぶ幕末の英雄、勝海舟を陰で支えたのも松阪市射和(いざわ)出身の豪商、竹川竹斎です。

射和の町は伊勢商人発祥の地とも呼ばれていますが、これは川上に丹生(にゅう)という水銀産地があったことも影響しています。

竹川竹斎は勉強家で後進の教育にも力を注ぎ、日本の私立図書館の草分け的存在の「射和文庫」も開設しました。

もし松阪商人の思想的および経済的援助がなければ、幕末以降の日本の発展はなかったのではないでしょうか。

私は現在、文化庁が地域のストーリーを認定する日本遺産関係の講演も行っていますが、この機会に松阪商人のストーリーを日本遺産とし、そして伊勢参宮の街道遺産である有形・無形の文化を日本全国、世界中にアピールすべきであると思っています。

私が提唱する「価値ある旅行のゴールデンルール」には、旧街道に残る旅人に対するおもてなしの心に触れるというのがあります。

実際、伊勢の名物「赤福」の理念は、天照大神の御杖代であった倭姫命の赤心(まごころ)をもって人の幸せを慶ぶ(慶福)という「赤心慶福」から来ています。

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
 ②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅 

平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

 

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