松阪商人の活躍と伊勢街道 | 芭蕉さんの旅講座

平成芭蕉の旅語録

松阪商人の活躍と伊勢街道

更新日:

Pocket

旅を愛するあなたへ『奥の深い細道』

旅の達人「平成芭蕉」が、松尾芭蕉の行けなかった世界の名所・旧跡を訪ねた感動の体験記録です。

「旅行+知恵=人生のときめき」で、旅行から人生が変わる体験を味わっていただけます。

平成芭蕉の旅語録「松阪商人と北海道の命名者、松浦武四郎」

価値ある旅行のゴールデンルール「街道で栄えた街」

私が『価値ある旅行のゴールデンルール』というテーマで講演させていただく際には「魅力ある街にはシンボルとなる建造物があり、主要な街道が通っています」と説明しています。

私は来る8月20日に三重県松阪市で「旅行会社が地域に望むこと」というタイトルで講演させていただく予定ですが、この松阪市こそ実は価値ある旅行のゴールデンルール上からも魅力ある街の筆頭なのです。

今年はその松阪出身の北海道命名者、松浦武四郎が生誕200周年を迎えるということもあり、私はこの機会に松阪の魅力を一人でも多くの人に知っていただきたいと思っています。

松阪と言えばまずは松阪牛、そして蒲生氏郷の美意識の高さを感じさせてくれる松阪城、さらには「松阪の一夜」で有名な本居宣長を連想しますが、忘れてはならないのは三井家、長谷川家、小津家で代表される松阪商人の存在です。

江戸での「伊勢屋」をはじめとする松阪商人の活躍

なぜなら、元禄時代には「江戸に多いもの、伊勢屋 稲荷に犬の糞」と落語のネタにされたほど、松坂出身の伊勢商人は江戸でも活躍していたのです。

当時の江戸には「伊勢屋」をはじめ「越後屋(三井)」「丹波屋(長谷川)」などの伊勢商人の店が軒を連ねており、これらの店は伊勢の国に本店を置き、江戸にも支店(江戸店)を持っていた松阪の商家です。

そしてこの松阪商人の活躍の背景には「伊勢街道」と松阪城主蒲生氏郷の存在があるのです。

即ち、蒲生氏郷近江商人を育てた人で、広い木綿産地のあった松阪の商業を保護する政策をとり、さらに、伊勢参宮のおかげ参りの人たちによる経済効果と情報収集もできる伊勢街道沿いの立地が松阪商人松浦武四郎を育てました。

幕末の志士を陰で支えた松阪商人

今年は大河ドラマ『西郷どん』で幕末が話題となっていますが、西郷隆盛と並ぶ幕末の英雄、勝海舟を陰で支えたのも松阪市射和(いざわ)出身の豪商、竹川竹斎です。

射和の町は伊勢商人発祥の地とも呼ばれていますが、これは川上に丹生(にゅう)という水銀産地があったことも影響しています。

竹川竹斎は勉強家で後進の教育にも力を注ぎ、日本の私立図書館の草分け的存在の「射和文庫」も開設しました。

もし松阪商人の思想的および経済的援助がなければ、幕末以降の日本の発展はなかったのではないでしょうか。

私は現在、文化庁が地域のストーリーを認定する日本遺産関係の講演も行っていますが、この機会に松阪商人のストーリーを日本遺産とし、そして伊勢参宮の街道遺産である有形・無形の文化を日本全国、世界中にアピールすべきであると思っています。

私が提唱する「価値ある旅行のゴールデンルール」には、旧街道に残る旅人に対するおもてなしの心に触れるというのがあります。

実際、伊勢の名物「赤福」の理念は、天照大神の御杖代であった倭姫命の赤心(まごころ)をもって人の幸せを慶ぶ(慶福)という「赤心慶福」から来ています。by【平成芭蕉

Follow me!

Pocket

-平成芭蕉の旅語録

Copyright© 芭蕉さんの旅講座 , 2018 All Rights Reserved Powered by STINGER.