令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉のテーマ旅行~「光」の旅:芭蕉の「光」は自然と歴史の融合

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「観光」の意味と「光」をテーマとした旅

日の出の「ダイヤモンド富士」と「セイシェルの夕陽」

観光旅行が見知らぬ土地に行って、何かを見学する旅と考えるならば、「観光」という言葉は「光」ではなく、「行」という字を用いた「観行」と表記すべきかもしれません。

そこで、「観光」という言葉の語源を探ってみると、「観光」という言葉は、「国の光を観る」という意味で、約3500年前の中国周時代の古典『易経』の一節

「国の光を観る。もって王に賓(ひん)たるに利あり。賓あらんことを尚(こいねがう)なり」

に登場し、その国を治める国王が、自国の未来を予見するための視察であり、「国の光」とはその土地の豊かな自然とそこで営まれている人々の暮らしや伝統文化を指し、「国のすぐれた良いところ」という意味です。

「セイシェルの夕陽」

「セイシェルの夕陽」

しかし、「光」を単純に太陽光と考えれば、山頂から昇る美しい日の出の代表「ダイヤモンド富士」や松田聖子さんの歌で有名になった「セイシェルの夕陽」などの太陽の輝きを連想します。

芭蕉の詠んだ「光」は自然と歴史の融合

一方、「光」が登場する有名な歌となれば、あらたふと 青葉若葉の 日の光」という俳聖松尾芭蕉が『おくのほそ道』で詠んだ句があります。

「日の光」は太陽の光と地名の「日光」との掛詞ですが、芭蕉は青葉若葉に降り注ぐ太陽の光だけでなく、日光山の歴史ある神仏の威光を讃えており、これはまさしく「国の光」を観て詠まれたものです。

また、平泉の中尊寺では「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠んでいますが、これは威厳に満ちた金色堂の阿弥陀仏(無量光仏)に遠慮して、五月雨も直接ふりかからなかったと、金色堂光仏(阿弥陀如来)の輝く姿と歴史の重さに感動しての句です。

中尊寺金色堂                          中尊寺金色堂

なぜなら、「降り残してや」の「ふる」は「雨降る」と「年経(ふ)る」の掛詞になっているからです。

芭蕉は、旅先の土地にはそれぞれ地霊が宿っているので、旅の一句はその地霊に対する挨拶でなければならないと考えていたため、「日の光」や「五月雨」といった自然だけでなく、日光東照宮や平泉の中尊寺の歴史的威光も讃えています。

現代も芭蕉の時代と同様、「光」をテーマとする旅こそが観光の原点で、その「光」には大きく分けると「自然」「歴史」がありますが、芭蕉の俳句ではそれら2つを融合させた「光」も感じることができます。すなわち「光」は、旅する者の心からも放たれ、これこそが光の旅なのです。

<具体的な旅先>

日光東照宮…美しい彫刻が施された豪華絢爛な陽明門をシンボルとする日光東照宮は、江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社です。

中尊寺金色堂…奥州藤原氏初代の藤原清衡が天治元年(1124年)に建立し、平等院鳳凰堂とともに平安時代の浄土教建築を代表する阿弥陀堂で、国宝に指定されています。

*平成芭蕉のテーマ旅行「光の旅」は旅行読売2019年9月号に掲載されました

旅行読売 こんな旅がしたい「光の旅」

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って令和時代を旅しています。

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見るべきものは見て、聞くべき話は聞いた。では旅に飽きたかと問われれば、いえいえ、視点が変わればまた新たな旅が始まるのです。平成芭蕉はまだまだ「こんな旅があった」と目からウロコのテーマ旅行にご案内します。すなわち、「ときめき」を感じる旅から人は変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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