芭蕉さんの旅行術 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座

芭蕉さんの旅行術

令和の「平成芭蕉」

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★平成曽良の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

令和記念プレゼント! 平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』

平成芭蕉のテーマ旅

平成芭蕉のテーマ旅

5月1日から令和の時代が始まりましたが、平成の芭蕉を自称する私は、これまでの旅行体験を活かして、令和の時代も「旅行から人生が変わる」新たなトラベルライフ「令和の旅」に挑戦します。
そこで、本ブログの訪問者であるあなたには、平成時代に私が実践してきた「旅行から人生が変わる」旅行体験を知っていただきたく、先着500名様に私の旅行記「平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』」の電子本をプレゼントさせていただきます。
ご一読いただければ、旅行を楽しむコツだけでなく、世界遺産や日本遺産等に関しても、ガイドブックには書かれていないような情報を得ることができます。この機会に下記フォームにお名前、メールアドレスをご登録の上、『奥の深い細道』をご一読下さい。
そして、この平成芭蕉の体験を共有していただき、今後は私と「令和の旅」をご一緒に楽しんでいただければ幸いです。

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平成芭蕉の「格安旅行術」は芭蕉さんの知恵

芭蕉さんの故郷 伊賀上野

芭蕉さんの故郷 伊賀上野

私は俳聖松尾芭蕉の生家(三重県伊賀市上野赤坂町)の向かい、上野農人町で生まれ、芭蕉翁の遺髪が眠る愛染院願成寺(上野農人町)「故郷塚」には裏庭から行くことができました。

そして私は幼少期にその松尾家の菩提寺である愛染院願成寺のご住職より、芭蕉さんについて多くのことを教わったことから、自らを「平成芭蕉」と名乗り、芭蕉さんの人間像「芭蕉さんの旅行術」を研究してきました。

私を含む伊賀上野出身者は、俳聖松尾芭蕉を親しみ込めて「芭蕉さん」と呼びます。
芭蕉さんは俳聖と呼ばれる俳句の達人ですが、旅行業に身を置く私にとっては、俳聖と呼ぶより、我々が参考にすべき究極の「格安旅行術」を身に付けた「旅の達人」と呼ぶべき人なのです。
芭蕉さんが俳諧を学んだきっかけは、伊賀上野の侍大将、藤堂藩の嫡子である藤堂良忠(俳号は「蝉吟」)に仕えたことです。
良忠は芭蕉さんの良き理解者であり、熱心な文化人でもあって、京都の北村季吟に俳諧を学んでいましたが、その影響で芭蕉さんも俳諧を始めたのでした。
しかし、その藤堂良忠が早逝したため、職を失った芭蕉さんは俳諧を武器に「格安旅行術」を身につけて「旅の達人」となったのです。
すなわち俳諧をテーマとした旅が、俳諧の門人だけでなく、経済的な支援者をも獲得し、自身も「かるみ」を発見するという偉業を生み出したのだと思います。

松尾家の菩提寺「愛染院の故郷塚」

*「俳諧」とは「俳諧の連歌」の略で、芭蕉さんの時代、「俳句」はその俳諧の最初の一句と言う意味で発句と呼んでいました。

芭蕉さんの功績は「俳句」だけではありません

芭蕉さんの功績の第一は、この貴族のたしなみであった「俳諧」を庶民にも分かり易い「俳句」に改良したことにあり、この功績により「俳聖」と呼ばれています。
しかし、私は愛染院ご住職の話から、芭蕉さんは「俳聖」というより「人間味あふれる行動の人」で、旅行業界にとって模範とすべき「旅の達人」だと思います。
すなわち、芭蕉さんは旅する前に十分な準備を整え、必要に応じて案内人を同行させて、船や馬も利用しましたが、基本的には歩き旅で現地で支援者を見つけると同時に最新情報を入手するという、今日で言うところの価値ある究極の「格安旅行」をしていました。
そして、道中、地元の人とも交流しつつ、地図やガイドブックがない時代に自ら考える旅をして、その感想を俳句によって今日の私たちに伝えてくれています。

すなわち、芭蕉さんは旅に出るにあたり

・十分な事前準備と案内人同行

・推理推敲による旅日程と臨機応変な日程変更

・基本的に歩き旅が主体

・旅先で門人と交流しつつ俳句を詠み、情報収集

・俳句を詠んで経済的支援を受ける

という5つの行為を実践し、知恵とコミュニケーションによって格安の歩き旅を価値ある俳諧修行の旅とした「旅の達人」なのです。

「おくの細道」終着地大垣での松尾芭蕉

「おくの細道」終着地大垣での松尾芭蕉

芭蕉さんの時代における「旅」事情

旅(Travel)の語源は苦労(Travail)にあり、「困難(Trouble)」やそれを回避するための「移動Transfer)」が本来の意味でした。
日本語の「旅(たび)」という言葉も、諸説ありますが、食べ物を乞う「給(た)べ」、他人の食卓で食べる「他火」、他の場所で一日過ごす「他日」と言った言葉から来ています。
その「旅」が庶民に広がった芭蕉さんの生きた元禄時代、「伊勢参り」「善光寺詣」も道中、決して楽ではなかったはずです。
芭蕉さんも紀行文『おくの細道』の中で、芭蕉さん自身が旅にあって苦労する修行の句を多く詠んでいますが、みちのくを旅した結果、「不易流行」という俳諧の本質を発見し、芭蕉さん自身も大いに満足したのではないでしょうか?
今日、私たちは気軽に日本国中、世界各地へ気軽にレジャー目的で旅することができます。
しかし、旅の有難みや満足度は昔に比べて下がって来ているように思います。

芭蕉さんの教えは「旅行+知恵=人生のときめき」

芭蕉さんの旅「旅行+知恵=人生のときめき」

芭蕉さんの旅「旅行+知恵=人生のときめき」

旅行で今一つ満足感が得られなかった場合の主たる原因は次の4です。
・旅の準備や事前勉強が不十分でガイドなし(バスガイド同乗は稀)
・情報過多で自らが推理し、考えることをしなかった(スマホの普及)
・旅先で歩く機会が少なかった(交通手段の発達)
・旅先で人との交流がなかった(コミュニケーション不足)
逆に、旅する前に勉強と推理、異郷の地を歩いて現地の人と対話する機会を増やし、加えて案内人さんの解説があれば、旅の満足度は上がると思います。
そこで、私は自身の体験から旅の満足度を上げる手法と旅の達人である芭蕉さんの「旅の知恵」を整理してみました。
そして感じたことは、芭蕉さんの教えは「旅行+知恵=人生のときめき」であり、旅行の仕方によって人生が変わるということです。

芭蕉さんは現代にも通用する「旅の達人」です!

「おくの細道」出発前の松尾芭蕉

「おくの細道」出発前の松尾芭蕉

もし芭蕉さんが「おくの細道」という紀行文を残していなければ、東関東を訪れる旅行者の楽しみは減り、もっと言えば旅行会社の東北企画担当者の商品ラインナップは減っていたはずです。
すなわち、芭蕉さんは俳聖であるだけでなく、旅行業界の大恩人です。
また、現代に通じる「旅の語り部」であり、「旅の達人」でもあると思います。
そして、さらに我々が学ぶべきところは、旅に出るための事前準備、旅費の工面の仕方や現地での情報収集や資金調達方法等も含む芭蕉さんの「旅行術」です。
すなわち、芭蕉さんの旅ほど費用対効果のすぐれたものはありません。
私も旅行会社に身を置きつつも、同じ旅費で価値ある旅ができるように芭蕉さんから学んでいます。
そこで、私「平成芭蕉」は、芭蕉さんの同郷として芭蕉さんの知られざる人間性を考察し、芭蕉さんの「旅行術」を研究するだけでなく、代表的な「俳句」に対する私の所見もお話しします。

「平成」の時代は幕を閉じ、新しい「令和」の時代を迎えましたが、平成芭蕉は令和時代も旅を続けます。

芭蕉さんの旅の目的

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芭蕉さんは「おくの細道」の冒頭の段に「松島の月まづ心にかかりて…」と宮城県の松島を訪ねるのが目的のひとつと書いていますが、実際はこの「蕉風開眼」をきっかけに真の俳諧を探求することが旅に出る真の目的だったと思います。
そして芭蕉さんが崇拝する西行法師の500回忌にあたる元禄2(1689)年、門人の曾良を伴って奥州、北陸道を巡った紀行文が「おくの細道」です。
「古人も多く旅に死せるあり」と記した芭蕉さんは、住んでいた家も人に譲って覚悟の上でみちのくの旅に出ました。
もともと古人が旅の途上で死んだのは覚悟の上ではありません。しかし芭蕉さんは死を覚悟の上で旅に出ました。
この強い意思と行動力が芭蕉さんの魅力であり「旅の達人」の秘訣です。
すなわち、具体的な目的意識をもって旅にでれば、旅の満足度も上がると思います。

芭蕉さんの実家跡地

芭蕉さんの実家跡地

 

「おそれ」を克服した芭蕉さんの旅

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かつての旅はいつも危険と隣り合わせで、西行に憧れて旅をした芭蕉さんも『奥の細道』の中で自身が旅にあって苦行する修行の句を多く詠んでいます。
冒頭には「古人も多く旅に死せるあり」と記していますが、もともと古人が旅に死んだのは覚悟の上ではありません。
しかし芭蕉さんは俳諧に対する求道精神から決死の覚悟で旅に出たのです。
これは日本人の武士道精神に通じるものがあり、芭蕉さんの「惧れ」に挑む強い行動力と意志こそが、今も私たちを「芭蕉の足跡をたどる旅」に誘うのです。
歴史を振り返るとこれらの「おそれ」を克服し、畏怖しつつも魅了される「おそれ」に挑む旅こそが人を進化させるのではないでしょうか。
芭蕉さんもみちのくを旅して、心の「惧れ(おそれ)」を克服した結果、「不易流行」という俳諧の本質を発見し、「俳聖」になったのです。

芭蕉さんの観察眼を守る「眼病対策」

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芭蕉さんは旅を通じて俳諧の道を究めたのですが、私はその成功は芭蕉さんの観察眼にあったのではないかと思います。
なぜなら、私が「旅行+知恵=人生のときめき」であることに気がついて、旅から多くのことを学べるようになったのは、シャーロックホームズの観察眼があったからと思えるからです。
しかし、私も還暦を過ぎてからは視力の低下と老眼の進行を感じるので、私が観察眼を維持するために取り組んでいる眼病対策を「芭蕉さんの旅行術」としてご紹介したいと思います。

  • 老眼鏡をかけて遠くをぼんやり眺める
  • 外出時はなるべくサングラスをかける
  • ホットタオルで目を温める
  • パソコンやスマホの輝度を下げる
  • パソコンは50㎝以上、スマホは40㎝以上離して見る
  • ほうれん草などの緑黄色野菜、青魚を積極的に摂る
  • 年に一度は眼下専門医に診てもらう

特に、1の安い老眼鏡をかけて遠くの景色をぼんやりと眺める予防法はお薦めです。
老眼鏡は本来、手元を見やすくするための眼鏡であり、これをかけて遠くを見ると、眼科医の先生の話では、目の水晶体の厚さを調節する「毛様体筋」という筋肉を弛緩させ、結果的に老眼症状が緩和するのです。
また、やはり紫外線は目に良くないので、年をとれば2のサングラスも必要です。
私の「60歳からの旅行術」では、この老眼や白内障、緑内障などの加齢による眼病対策も大切なのです。
眼病が悪化すると[「頭痛」や「肩こり」のような2次的症状もでてきますので、注意しましょう。

芭蕉さんのコミュニケーション術は「聞く力」と「イメージ力」

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芭蕉さんは観察眼も確かでしたが、全国各地をめぐって門人たちと語らっているので、コミュニケーション術も優れていたと思われます。
言葉でのコミュニケーションで重要なことはまず、人の話を「聞く力」です。
しかし、方言などについては、聞く力以上に推理したり「イメージする力」が大切です。
すなわち、人の話を正しく「聞く」には、話し手の言葉を聞いてその意味を頭の中で思い描く必要があるのです。
例えば「コノ シロイ イヌ ハ、 オモシロイ」と聞こえたならば、一般には「この白い犬は、面白い」と理解します。
しかし、その会話の状況と話し手のイントネーションによっては「この白い犬は、尾も白い」が正しい場合もあるのです。
これは文章でいうところの「行間を読む」ことに通じ、相手の話の世界に想いを馳せ、その場の空気を読むことで正しく相手が伝えたいことを理解できるのです。
芭蕉さんの時代もみちのくの方言は聞こえても理解しにくい言葉が多々あったはずですが、、芭蕉さんは句会という場の空気を読んで相手の伝えたいことを推理していたと思われます。

有名な「猿蓑」の句碑

有名な「猿蓑」の句碑

芭蕉さんから学ぶ「旅を楽しむコツ」~芭蕉さんと西行の旅

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私は、芭蕉さんのような旅の達人は、目的地などの「目に見える」部分と「その時に感じた気持ち」のような目に見えない部分との両方を意識していたように思われます。
西行法師も出家後にみちのくを訪ねた際、能因法師を強く意識していましたが、西行も能因法師の足跡だけでなく、能員法師の心理的な内面を感じ取ろうとしていたことは間違いありません。
そこで、芭蕉さんから学ぶ「旅を楽しむコツ」は、そこに行った人や旅の達人に
「どのような手段でどこに行ったのか?」とか
「そこで何を見てどのように過ごしたのか?」
という、目に見える部分だけでなく、
「その時に、頭の中で何を考えていましたか?」
「なぜ、そこに行こうと思ったのですか?」
「その時の気持ちや感情、感覚はどうでしたか?」
といった目に見えない部分についても質問し、「どこへ」とか「何」よりも「なぜ」に関心を持つことです。
この「なぜ」にこだわると、旅での学びが深まり、芭蕉さんや西行法師のように歌には詠めなくても自身の素直な感動を言葉として残すことができます。

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芭蕉さんの生家前の句碑

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芭蕉さんの格安旅行術~俳句という技で「西行」に出た職人

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私は、芭蕉さんは俳人でありながら格安旅行の達人であると考えていますが、これは俳句を詠むという職人芸を披露しながら旅をして、旅先で俳句を愛する仲間に世話になることが上手であったということです。
私は「おくの細道」のツアーを企画する際、芭蕉さんの足跡を訪ねて、旧街道の残っているところは出来るだけ歩いて芭蕉さんの気持ちになって旅してみました。
そして気がついたことは、芭蕉さんは日光街道、奥州街道、羽州街道、北国街道など、各地ですばらしい句を残していますが、不思議なことに伊達藩の仙台ではいい俳句は詠んでいません。
なぜだろうといろいろと考えてみましたが、その理由は仙台においては芭蕉さんを迎えて、句会を開いてくれる人がいなかったからだと思います。

芭蕉さんの眠る義仲寺

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芭蕉さんに学ぶ~自分の信念を大切にする

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黒羽宿芭蕉像前の黒田尚嗣

黒羽宿芭蕉像前の黒田尚嗣

芭蕉さんは41歳のときに『野ざらし紀行』の旅に出てからは、元禄7年に51歳で亡くなるまでの10年間、ほとんど旅に出て俳句を詠むという旅を住処とする生活でした。
今日、私たちが親しむ芭蕉さんの名句と呼ばれるものの多くは、この10年間の旅を通して生まれたものです。
旅行が簡単にできる今と異なり、列車もバスもない300年も昔、何の用事もなくて旅に出ることは容易なことではなかったはずです。
交通手段は主に歩きでしたが、ところどころ舟に乗ったり、馬を利用したりはしています。
特に舟を利用するという考えは、芭蕉さんの出身地である伊賀上野や先祖の故郷である柘植付近に川が多く、水に慣れ親しんでいたからだと思われます。

芭蕉さんの旅の真髄は『野ざらし紀行』にあり

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郷里にある「野ざらしを」の句碑

郷里にある「野ざらしを」の句碑

芭蕉さんが蕉風俳諧の確立を目指して覚悟のほどを詠んだ「野ざらしを」の句碑は、私と芭蕉さんの生まれ故郷である伊賀上野の郊外にある長田山の「芭蕉の森」公園にあり、29歳のときに志を立てた「貝おほひ奉納」の碑と共に郷里の地に建っているのはとても意義深いことだと思います。
この「野ざらしを」の句碑にある俳句の文字は、石の大きさに比してとても小さく刻まれています。
石は人を動かし、人に語りかけてくれますが、それは、石が容易には動かず、形が変わらない永続する姿を持っているからです。
そんな変わらぬ石、動かぬ石に文字を刻んでその永続を願うのが石碑であれば、文字を刻む意図は石碑を立てた地元の人たちの想いの現れで、文字を小さくして刻んだのも意味があってのことだと考えます。
私はこの緑色に輝く石の句碑は、「芭蕉さんの旅の真髄は、故郷を訪れた覚悟の『野ざらし紀行』(小さな文字)が芭蕉さんの偉大な功績(文字に比して大きな石)の出発点である」と語りかけているように感じるのです。

by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

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