平成芭蕉のテーマ旅行 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座

平成芭蕉のテーマ旅行

令和の「平成芭蕉」

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★平成曽良の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』

旅するのはとても楽しい娯楽です。
しかし、旅は体験を通じて有形無形の教養を身に付ける手段でもあります。
私は旅で学ぶと同時に旅そのものについても学んでいます。
古事記に収録されている倭健命の歌に

「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく
青垣 山ごもれる 倭(やまと)しうるわし」
(大和は国々の中でも格別に優れた国だ。
幾重にも重なる青々と木々の茂った山々。
その山々に囲まれた大和こそは本当に美しい国だ。)
があります。この歌に登場する『まほろば』とは『まほら』と同意で「すぐれたよいところ」という意味の古語です。
ちなみに「観光」という言葉は中国の『易経』では、「国の光を観る」という意味で、国の将来を占う大事な国見という行為でした。
そして「国の光」とは各地の自然環境やそこで営まれてきた人々の暮らしや文化を指します。
そこで、国を治める者(帝)はこれらに接することにより心身共に豊かになり、その土地の『まほら』から新たな光を発することができたと言われています。
そして、私はこの『まほら』を探求するテーマ旅の企画を実践し、「旅行から人生が変わる」体験を平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』としてまとめました。

時代は「平成」から新しい「令和」の時代を迎えましたが、平成芭蕉は引き続きテーマの旅を続けます。
新しい元号「令和」の由来については下記の「芭蕉さんの旅語録」の記事をご一読下さい。

祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌

令和記念プレゼント! 平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』

平成芭蕉のテーマ旅

平成芭蕉のテーマ旅

5月1日から令和の時代が始まりましたが、平成の芭蕉を自称する私は、これまでの旅行体験を活かして、令和の時代も「旅行から人生が変わる」新たなトラベルライフ「令和の旅」に挑戦します。
そこで、本ブログの訪問者であるあなたには、平成時代に私が実践してきた「旅行から人生が変わる」旅行体験を知っていただきたく、先着500名様に私の旅行記「平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』」の電子本をプレゼントさせていただきます。
ご一読いただければ、旅行を楽しむコツだけでなく、世界遺産や日本遺産等に関しても、ガイドブックには書かれていないような情報を得ることができます。この機会に下記フォームにお名前、メールアドレスをご登録の上、『奥の深い細道』をご一読下さい。
そして、この平成芭蕉の体験を共有していただき、今後は私と「令和の旅」をご一緒に楽しんでいただければ幸いです。

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令和時代のテーマ旅行は「旅+知恵=人生のときめき」

私が研究員を務める「旅の文化研究所」では、この光を発する伝統的な旅のテーマを『まほら』という機関誌で紹介しています。
そしてこのたび、平成30年4月から「旅行読売」誌上で「こんな旅がしたい」という題目で少し難解であった『まほら』の記事を分かりやすく紹介させていただくことになりました。
そこで、本ブログでもご紹介する「テーマの旅」で知恵を身に付けて、これまでの旅行では味わえなかった「人生のときめき」を感じていただきたいと思います。
すなわち、平成芭蕉の「旅+知恵=人生のときめき」をコンセプトとした令和時代の「テーマ旅行」です。

「港」をテーマとした旅

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松前江差の港

松前江差の港

港は景観や夜景が美しい場所というだけでなく、横浜港のように貿易等の商取引が行われた国の重要な拠点でもあり、古代より「港は生命なり」と言われてきました。
また、港は出会いと別れの場所で、北前船が入港した北海道の江差に唄い継がれる『江差追分』のなかには「松前江差の津花の浜で好いたどうしの泣き別れ、連れていく気は山々なれど女通さぬ場所がある」と江差で別れなければならない男女の悲しい情景が詠まれています。
私はこの男女の悲しい別れの江差港も印象に残っていますが、ソ連からの引揚船で帰ってくる息子を待ち続けた「岸壁の母」の舞台である舞鶴港は是非訪ねていただきたいと思います。

「空」をテーマとした旅

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空からの旅「ナスカの地上絵」

空からの旅「ナスカの地上絵」

「空の旅」でしか楽しめない代表的な観光地は、ペルーの世界遺産「ナスカの地上絵」でしょう。
この地上絵が発見されたのは1927年、航空機が地上絵上空を飛行するようになったことがきっかけだとされていますが、最近ではグーグルアースで地上絵に引かれた線を延長すると、それらの線がカンボジアのアンコール・ワットで交差することが証明され、私はナスカからその対蹠点にあたるアンコール・ワットへ飛んでみたくなりました。

「地図」をテーマとした旅

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北海道の命名者 松浦武四郎

北海道の命名者 松浦武四郎

旅の進化は街道の整備と共に道案内となる地図や旅行案内図絵刊行の影響が大きく、江戸時代に盛んとなった「お伊勢参り」も歌川広重の『東海道五拾三次』『伊勢参宮西国巡礼行程之図』という出版物の果たした役割が大だと思います。
実際に旧東海道から伊勢本街道に出て街道筋の松阪市内を歩くと三井家を始めとする松阪商人の館が往時を思い起こさせてくれますが、この松阪出身の松浦武四郎も2018年は生誕200年という節目を迎えます。
彼は「北海道」という地名の命名者であり、アイヌ民族の理解者として蝦夷地を踏査、『東西蝦夷山川地理取調図』を出版しています。
2018年は没後200年の伊能忠敬及び生誕200年を迎える「北海道」の命名者、松浦武四郎の足跡を追って「地図の旅」を楽しむ絶好の機会だと思います。

「巡礼」をテーマとした旅

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伊勢神宮の朔日詣り

伊勢神宮の朔日詣り

日本の巡礼は「巡拝」にも似ており、伊勢参宮や西国33か所、四国88か所遍路など、聖地や霊場を順に参拝して信仰を深め、心身の蘇りや新生の御利益を得るための行為で、往路は修行的な意味があっても復路は慰安や観光の旅に移行する場合が多く
「伊勢参り、大神宮にもちょいと寄り」
と川柳の一節にも紹介されています。
この違いはイスラム教やキリスト教が一神教であるが故に聖地と居所とを直線的に移動するのに対して、日本は森羅万象に神の発現を認め、複数の神仏を信仰するが故に遍路のような周回や伊勢参宮での寄り道が可能とされたのではないでしょうか。
伊勢の赤福の『赤心慶福』なる理念は、公的な福祉を受けられなかった庶民を巡礼地において「おもてなし」の心(赤心)で寛容に受け入れ、巡礼者の幸せ(福)を喜ぶ(慶)ことから来ています。

「再訪」をテーマとした旅

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松尾芭蕉のふるさとの歌碑

松尾芭蕉のふるさとの歌碑

旅行中に「出会い」が心に残れば、必ずまたもう一度訪れたいという気持ちが起こり、かの地にもう一度行って、あの人に再会したいと強く思うようになるのです。
私は、この「再訪」の思いこそ旅する人の特権であり、旅の醍醐味かと思います。
しかし、目の前のハード(景色)は変わらずとも人のソフト面(気持ち)は変化し、再訪や再会が必ずしも幸せをもたらすとは限らず、辛く感じることもあります。
しかし、それこそが人生の旅なのです。
そして長い年月を経て故郷に帰郷し、家族や親しい者、旧友と再会して無事を確かめあい、懐かしい景色に心を打たれる瞬間に故郷への「再訪」を喜ぶのが真の旅人だと思います。
旅に生きた松尾芭蕉や松浦武四郎も旅の目的の1つは門人やアイヌ民族との再会であり、故郷の上野や松阪にもしばしば再訪しています。

「あの世」をテーマとした旅

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黄泉の国との境

黄泉の国との境

「あの世」すなわち霊や死後の世界という概念が最初に歴史に登場したのは、古代エジプトの「死者の書」です。古代エジプトでは霊魂は死後、「バー」という鳥の姿となって肉体から飛び立ち、「あの世」の楽園アアルで永遠の生を送ると考えられていました。
今日、この「あの世」という概念は宗教的立場によって異なり、神道では海の向こうの「常世の国」と死人のいる「黄泉の国」「根の国」、仏教においては「極楽浄土」、そしてキリスト教では「天国」と「地獄」という世界です。
島根県松江市東出雲町にある黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)は、伊邪那美・伊邪那岐神話の中で現世と死者の住む他界(黄泉)との境目とされ、また大国主の神話では黄泉の国だけでなく根の国の入口もこの地にあると『古事記』に記載されています。
実際にこの黄泉(よもつ)比良坂(ひらさか)入り口に立つと「草葉の陰から」伊邪那美神が見守ってくれているような気がします。

「万葉集」をテーマとした旅①

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額田王の万葉歌碑

額田王の万葉歌碑

万葉時代の自然の姿は変われども、万葉人の歌心は今に伝わり、万葉故地を訪ねれば、自然への崇拝、美への感動、大地の豊かさや神々しさを汲み取った人間の息遣いが聞こえてきます。
私は学生時代に万葉集の研究に生涯をささげられた犬養孝先生の講義を聴いて、歌に旋律をつけて朗誦する「犬養節」で万葉集に関心を抱くようになりましたが、先生の説く「歌は心の音楽」という説に賛成です。
新羅征討に向かう途上に詠まれた
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」
という有名な額田王の歌も口語に訳さなければ、女性が詠んだ歌にもかかわらず男らしい堂々とした心意気が伝わります。

「紅葉」をテーマとした旅

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紅葉の名所やばけい

紅葉の名所やばけい

一般に秋の花と言えば、楓や秋桜を連想しますが、秋は古来、黄色の花である「菊」の季節だったのです。すなわち、秋のシンボルは、紅葉や丹楓のような赤色ではなく、菊の黄色がより深い秋を象徴していたのです。
紅葉の名所ですが、私は海外ではカナダのローレンシャン高原、日本においては「大化の改新」で中臣鎌足と中大兄皇子(後の天智天皇)が話し合った談山神社が印象に残っています。
しかし、2018年は大分県中津市にある山国川の景勝地で新日本三景日本三大奇勝だけでなく、「日本遺産」にも登録された耶馬渓がお勧めです。
なぜなら、今年は「旅を生きた学問」と考え、全国各地を遍歴した江戸時代の儒学者であり文豪としても知られる、頼山陽が「耶馬渓」と命名して200年に当たるからです。
旧耶馬渓鉄道跡のサイクリングロードを自転車で走ると、頼山陽が感嘆したであろう真の「黄葉」を満喫することができます。

歌枕」をテーマとした旅

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歌枕の地「白河関」

歌枕の地「白河関」

「歌枕」とは古来から歌い継がれ、能因法師西行のような昔の歌人たちと心を繋ぐ特別な場所であり、万葉集ゆかりの地も多くは歌枕の地です。
江戸時代の俳聖松尾芭蕉もその能因法師や西行の歌にあこがれ、歌枕の地を旅しては、歌枕にちなんだ俳句を詠んでいます。
『奥の細道』の冒頭には「白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ…」と書かれていますが、「白河の関」は奥州三関の一つで、能因法師も

「都をば かすみとともに たちしかど 秋風ぞふく 白河の関」
と詠んだ歌枕の代表的な場所です。
松尾芭蕉が通った時も「白河の関」はみちのく(東北)地方の玄関口の代名詞でしたが、今も高校野球の優勝旗は「白河の関を越えなかった」などと東北地方(北海道)に優勝校が出なかった意味で使われたりもします。

「塩」をテーマとした旅

ウユニの塩原

ウユニの塩原

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「塩」をテーマとした旅となれば、ボリビアの「ウユニ塩湖」が人気です。
ウユニ塩湖はボリビア中央西部のアルティプラーノと呼ばれる乾燥地帯にあり、アンデス山脈が隆起した際、大量の海水が山の上に残されるも、流れ出る川がなく、乾燥した気候であったために海水が干上がって広大な塩原が形成されました。
現地ではトゥヌバ山の麓に広がっていることから、学術的には「トゥヌバ塩原」と呼ばれ、高低差が100km四方でわずか50㎝しかないため「世界で最も平らな場所」でもあり、雨期に雨水で冠水するとその水が薄く広がって蒸発するまでの間、「天空の鏡」のような状態が現出します。
ウユニ塩湖の中ほどにあるサボテンが群生する「魚の島(Isla de Pescado)」の頂上から眺めると、「天空の鏡」の状態でなくても、見渡す限り真っ白な「塩原」の世界が広がり、幻想的な体験を味わうことができます。

「物語」をテーマとした旅

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桃太郎物語の舞台「鬼ノ城」

桃太郎物語の舞台「鬼ノ城」

平成27年よりスタートした「日本遺産」は、日本各地に存在する有形無形の文化財を、その地域の歴史的魅力やわが国の伝統・文化を伝えるストーリー、すなわち「物語」として文化庁が認定する制度です。しかし「物語」にはそれを語る人、聴く人あるいは読む人の心があって、それぞれの想いがその物語の土地に繋がってこそ「物語」は旅となります。
また「物語」はたとえそれがフィクションであっても設定された舞台が実際に存在する場合も多く、その舞台を訪れて主人公の気持ちに思いを馳せるのも「物語」の旅です。
日本人であれば誰もが知っている「桃太郎」物語も平成30年に“「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~”として日本遺産に認定されました。
古代は吉備と呼ばれた岡山には、吉備津彦命(きびつひこのみこと)温羅(うら)という名の鬼を退治した伝説が残っており、岡山への「物語」の旅としては、その温羅の居城とされた鬼ノ城に登り、主人公になった気分で吉備津神社を参拝すれば、吉凶を占う「鳴釜神事」の意味も理解しやすくなります。

「高速道路」をテーマとした旅

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東名高速のさった峠

東名高速のさった峠

私のドライブ旅行は、往路には高速道路を使い、目的地で十分な観光時間をとった後、復路は一般国道や旧街道をのんびり走り、途中の宿場町に立ち寄ったりもします。
今では高速道路網が全国各地に張り巡らされており、以前より目的地には早く到達できるので、帰りにほんの少し寄り道をするのです。
例えば東京から熱田神宮参拝に行くケースを考えると、往路は東名高速で一路、名古屋を目指しますが、道中は旧東海道と並走する「さった峠」付近で富士山を眺め、SAやPAでは宿場町を連想しながら走ると楽しみが増えるのです。
そして帰路には途中の音羽蒲郡ICで降りて、東海道53次の35番目の宿であった御油宿の古い街並みや東海道随一と言われる『御油の松並木』を走れば、旅の想い出も一層深まります。
この御油宿から赤坂宿までは、東海道53次の中でも最も短い区間(2㎞弱)で、この地は東海道線の乗り入れに反対したために、結果的に昔の良き風情を今に残しているのです。
人生のほんの数時間、本来の道からそれて寄り道することにより、学べることがいっぱいあります。

 

「神話」をテーマとした旅

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国生み神話の舞台「おのころ島」

国生み神話の舞台「おのころ島」

神話は事実に関係しながらも、その背後にある深い隠された意味を含む「神聖な叙述」が起源で、神々の出現、国の誕生、文化の起源などあらゆる事象が語られています。
そこで、私は堅苦しい考察はさておき、日本における記紀万葉の神話の世界は、人類の遠い記憶を訪ねる「詩」と考え、登場する神の名前やその役割などを詮索するより、神々の活躍する物語を探求する「神話の旅」をおすすめします。
そして神話の旅を始めるのであれば、やはり神々が誕生し、その天つ神がイザナキイザナミの夫婦神に国土づくり「国生み」を命じた物語からスタートです。
男神のイザナキと女神のイザナミは、聖なる矛で海をかき混ぜ、その矛先から滴り落ちた潮水が固まって島ができました。
この島がオノコロ島で、その候補地は日本各地に存在しているようですが、ある学者の見立てでは淡路島周辺の小島とされており、淡路市にある絵島もその一つとされています。

「匂い」をテーマとした旅

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「匂い」と「香り」アカオ&ハーブガーデン

「匂い」と「香り」アカオ&ハーブガーデン

「匂い」と似た言葉には「臭い」「香り」がありますが、「香り」には悪臭の意味はなく、「花の匂い」や「香水の匂い」など好ましく感じられるもの、趣があるものを対象としています。
そしてこの「香り」と旅の関係を考えたとき、すぐに連想されるのは各種の香料を求めて新大陸を目指した大航海時代でしょう。これは「匂い」の旅というよりは「香り」が促した旅で、具体的には香料(スパイス)を求めた命がけの船旅でした。
すなわち、当時のヨーロッパではオスマントルコによってアジアからの貿易ルートが遮断され、食肉保存等に必要不可欠な香辛料が手に入らなくなっていたのです。そこで新たなインド航路を開拓すべく、危険を犯して大西洋に船出したのです。
しかし、この大航海時代が今でいう海外旅行の始まりであり、人類の旅に対する意欲を掻き立てたことは間違いありません。

「峠」をテーマとした旅

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野麦峠の石畳道

野麦峠の石畳道

「正月は箱根駅伝で始まる」という程関東では有名な駅伝ですが、その箱根駅伝のハイライト区間が箱根峠で、唱歌『箱根八里』では「箱根の山は天下の険、函谷関もものならず」と歌われたほどの難所でした。
そして、鎌倉時代以後の「関東」の定義は「東海道の箱根峠、足柄峠から東の地」となり、この定義が今日の関東地方の基になっています。
しかし、「峠」を舞台とした物語から思い出されるのは、やはり山本茂実の『あゝ野麦峠』に登場する岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置する「野麦峠」でしょう。
飛騨から諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出て、富国強兵の国策により主力の貿易品であった生糸の生産を支え続けた女工たちが越えた険しい峠の物語です。
この野麦峠には、峠を見直し、その役割をもう一度考えようと設けられた全国唯一の峠の資料館「野麦峠の館」があります。
峠は「手向け(たむけ)」が語源で、旅行者が安全を祈願して道祖神に手向けた場所とも言われていますが、難所でも越すしかない峠であればこそ、歌も詠まれドラマも生まれたのでしょう。
山の向こうに何があるのか、峠の旅は再発見の旅でもあります。

「花」をテーマとした旅

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吉野のさくら

吉野のさくら

今年は改元の年ですが、日本を代表する花と言えば、やはり皇室の紋章にある「菊」と日本の木とされる「桜」でしょう。
特に桜は最も多くの人を旅へと誘い出す力を持ち、私は幼い頃に住んでいた所が三重県名張市桜ケ丘という桜の名所でしたので、今でも開花情報の花だよりが聞かれる頃になると気もそぞろ、どこへ花見に行こうかとあれこれ悩みながら時を過ごします。
桜の花は人の心をとらえ、人を動かし、旅の世界へといざなってくれるのです。
西行法師も桜に心を動かされて旅をした一人で、彼の『山家集』には桜の歌が多く収められおり、

吉野山 こずゑの花を見し日より 心は身にもそはずなりにき   西行

と吉野山を桜の名所として詠っています。
吉野は桜を代表する地名で、桜と言えば吉野、吉野と言えば桜、春になれば吉野が人気の旅先になったのは、桜が旅心を誘うからでしょう。
実際、百人一首でも桜なら吉野紅葉なら竜田川と『古今和歌集』以来の定番となっています。

「駅」をテーマとした旅

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「旅の終わり」日本最北端の稚内

「駅」をテーマとした旅となれば、あまた存在する駅の中でもやはり旅情を掻き立てられるのは本当の「終着駅」、すなわち「列車の終点」ではなく「線路の終わり」となる駅です。
なところではJR北海道宗谷本線の終着駅「稚内駅」への旅です。

北海道の旭川駅を出発すると、他の路線と接続することなく、259.4キロの営業キロを走り、たどり着く駅は日本最北端の駅です。
数ある終着駅の中でもその先が行き止まりで、これ以上進めない駅はこの稚内駅だけです。この先はパスポートを持ってロシアを目指すことになります。
鉄道マニアでなくとも、ホームに降り立てば、情緒的になって「終着感」を味わいながら北海道ユースホステルの歌「旅の終り」を口ずさみたくなります。

「万葉集」をテーマとした旅②~「いにしへ」を感じる街道

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竹内街道からの推古天皇陵

神代という遠い過去は、私たちにとって想像しがたい世界で、むしろ憧れの対象なのかもしれません。そこで、その「いにしえの世界」に接近するには、古代の遺跡巡り万葉故地を訪ねます。
奈良県の飛鳥地方は、日本を代表する古代遺跡の宝庫で、万葉時代を彷彿させる風景の中に、ひっそりと石造物が残っており、美しい風景の中に歴史が眠っているようで、いにしえへの旅の原動力になっているような気がします。
特に最古の官道街道である「竹内街道」を歩き、天皇御陵を巡れば、美しい風景といにしえへの憧憬とが重なって大きな感動を与えてくれます。

「眠れる森」をテーマとした旅

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ノイシュヴァンシュタイン城

夢の国のノイシュヴァンシュタイン城

ノイシュヴァンシュタイン城は、南ドイツのバイエルン州フュッセン近郊の森の中、周囲を威圧するかのように美しくそびえる中世風の城ですが、これがウォルト・ディズニーの「眠れる森の美女」のイメージと同化して夢の国Disneylandの城にもなったのです。
しかし、このノイシュヴァンシュタイン城は伝統的な石造りの築城方式ではないために世界遺産には登録されていませんが、ドイツの観光ガイドなどには必ずといっていいほど紹介されており、誰もが一度は訪ねてみたい旅行地です。
そこで私はウォルト・ディズニーのイメージした眠れる森をテーマとした旅を考えてみました。

「万葉集」をテーマとした旅③~令和元年に訪ねる伊勢志摩

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志摩の万葉故地

志摩の万葉故地

神々の中の神に挨拶するために伊勢の神宮を参拝した後は、倭姫命の巡行地をめざしてもうひとつの伊勢路を旅しました。
すなわち、万葉集に歌われた御食(みけ)つ国、海の幸に満たされたうまし国の伊勢志摩めぐりです。

御食つ国 志摩の海女ならし 真熊野の小舟に乗りて沖へ漕ぐ見ゆ 

この万葉歌は大伴家持の詠んだ歌で巻6-1033に収められている雑歌です。また、倭姫命の教えを認識すれば、神宮参拝とは心を開放することだと気がつきます。

「万葉集」をテーマとした旅④~令和元年に訪ねる若狭路

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遠敷明神を祀る若狭一之宮

遠敷明神を祀る若狭一之宮

古今東西、人は美味しいものや美しいものを求めて旅をし、歴史を重ねてきました。
人も町も自然もすべてが美しい土地こそ不易の文化が光を放っています。
そこで伊勢志摩と同様に美味しい食材と美しい風景を誇る「御食(みけ)つ」国の若狭路は、令和の時代の万葉旅としてもおすすめです。

「潮流」をテーマとした旅

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「潮待ち」の鞆の浦港

「潮待ち」の鞆の浦港

令和の出典となった万葉歌で知られる大伴旅人もこの鞆の浦で「潮待ち」をしており、この地で
「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき」
と詠んでいます。
鞆の浦の港には、江戸時代の港湾施設である「常夜灯」「雁木」などがすべてそろっており、江戸時代の町絵図が現代の地図としても通用する稀有な港町です。

「光」をテーマとした旅

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「セイシェルの光」

「セイシェルの光」

「光」が登場する有名な歌としては、あらたふと 青葉若葉の 日の光」という俳聖松尾芭蕉が『おくのほそ道』で詠んだ句があります。
「日の光」は太陽の光と地名の「日光」との掛詞ですが、芭蕉は青葉若葉に降り注ぐ太陽の光だけでなく、日光山の歴史ある神仏の威光を讃えており、これはまさしく「国の光」を観て詠まれたものです。
また、平泉の中尊寺では「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠んでいますが、これは威厳に満ちた金色堂の阿弥陀仏(無量光仏)に遠慮して、五月雨も直接ふりかからなかったと、金色堂光仏(阿弥陀如来)の輝く姿と歴史の重さに感動しての句です。なぜなら、「降り残してや」の「ふる」は「雨降る」と「年経(ふ)る」の掛詞になっているからです。

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