平成芭蕉の日本遺産 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座

平成芭蕉の日本遺産

令和の「平成芭蕉」

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「日本遺産」の旅を楽しむ

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。
人々の価値観は時代と共に変化し、旅の在り方も変化しつつあります。
しかし、どれだけの人が本当の「旅」をしているのか、私は疑問を抱いています。
旅の目的が観光であろうと視察であろうと、訪れた土地の生活文化を知り、日本人として先祖伝来の伝統文化を振り返ることはとても重要です。
そこで、この「日本遺産」のストーリーを学ぶことによって、自らの旅を豊かにしましょう。
平成芭蕉の「平成」幕を閉じて新しい「令和」時代を迎えましたが、平成芭蕉は令和時代も旅を続けます。「令和」の由来については下記の「芭蕉さんの旅語録」の記事をご一読下さい。

祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌

日本遺産のストーリーを体験する『奥の深い細道』

平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』

「観光」という言葉は今から約3500年前の中国周時代の古典『易経』にあり、これは占いの指南書でした。
その一節に「国の光を観る。もって王に賓たるに利あり。賓たらんことを尚(こいねがう)なり」とあり、つまり昔は「観光」は自国の未来を予見するための国王の仕事だったのです。
この「国の光」とは各地の自然環境やそこで営まれている人々の暮らしや伝統・文化を指し、これらに接することで王は心身共に豊かになり、王は新たな「国の光」を発することができたのです。
すなわち、国の文化は,自然を背景とする村落や都市の景観,日常の生活様式,さらには文化の所産として芸術等に形として現れるものであり,それらを視察することによって,自国の文化の向上に役立てるのが「観光」本来の意味です。
そこで、観光が大衆化した現代社会でも単なる物見遊山の旅ではなく、各地の豊かな自然や伝統・文化に触れて何か新しい「知恵」を身につけるのが好ましいと思います。
そしてその指針となるのが日本遺産です。
私が提案する日本遺産の旅は光っているところを観るだけでなく、この光輝く遺産がなぜっ光っているかを考察し、真実の歴史を追及して気付きの喜びを知る旅です。
すなわち「日本遺産を訪ねる旅+知恵=人生のときめき」をコンセプトとして、『奥の深い細道』日本遺産巡りにご案内します。

日本遺産とは?「ストーリー」重視のテーマ旅

☝《タイトルをクリックして解説記事もご覧下さい》

日本遺産第1号「信長公のおもてなし」

「日本遺産」とは、地域の文化財や歴史的特徴を活かして日本の文化・伝統を語る“ストーリー”を文化庁が認定するもので平成27年に第1号として18件が認定されました
日本遺産構想のきっかけは、日本で暮らしているイギリス人のデービッド・アトキンソン氏で、彼は日本の神社仏閣に何度も足を運んでいるうちに、「外観はすばらしいが、ただそれだけだ」と感じるようになったと言っています。
そして、もしその建立された経緯や今日に至る歴史などを知れば、それらの神社仏閣に対する興味がもっと深まったのにと残念に思ったそうです。
アトキンソン氏の所見は私も同感で、いくらその土地に歴史があり、伝統文化が息づいていても、それを知らなければ何の感動も得られません。
日本各地には国宝をはじめとする多くの価値のある文化財が残っていますが、これまでは国の文化財保護政策が優先され、先祖伝来のものを大切にする反面、鑑賞するには不便な状態でした。
しかし、日本遺産では、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外にその魅力を戦略的に発信することにより、地域の活性化がを図れるようになったのです。
すなわち、文化財を保護するだけでなく、積極的に活用する時代を迎えたのです。

 

文化庁認定日本遺産「ストーリー」旅の楽しみ方

☝《タイトルをクリックして解説記事もご覧下さい》

人生は一度限りなので無限の可能性の中から1つしか生きることができません。
よって私は別の土地に生きる別の自分のストーリーを思い描くために旅に出るのです。
北村薫の著作『空飛ぶ馬』

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」

という言葉がありますが、「小説」を「旅」に置き換えると旅も同様だと思います。
すなわち旅は私にとっては、一度の人生への抗議として、憧れ、観察、発見そして創造活動なのです。
言い換えれば、自分の生きてきた「物語」と旅先の「物語」とが織りなす新しい「物語」の創造です。
そこで日本遺産のストーリー旅は、自分の「物語(ストーリー)」と対比させてこそ生きた旅になると思います。
「物語」はたとえそれがフィクションであっても、設定された舞台が実際に存在する場合も多く、その舞台を訪れて主人公の気持ちを考えるのも旅の楽しみです。
ストーリーを認定する「日本遺産」が発表される以前の名所旧跡を訪ねる旅も、そこにはその土地の「物語(歴史)」がありました。
すなわち、日本遺産の旅は「物語」を求める行為でもあり、訪ねる土地への移住に近い「試住の旅」でもあるのです。

埼玉県行田市の日本遺産

行田では靴下が普及した今日でも足袋の生産が続けられており、日本一の足袋生産地として新製品を国内外に販売し、「足袋と言えば行田」とアピールしています。

神奈川県伊勢原市の日本遺産「大山詣で」

大山は、山頂の石を神として敬う「石尊信仰」に仏教の「不動尊信仰」が加わった霊地でした。

和歌山県広川町の日本遺産「稲むらの火」

江戸時代末期の1854年(安政元年)11月5日、突如地震が発生して暗闇の町に津波が襲った際、その津波を察知した濱口梧陵は、暗闇の中で村人を避難させるために、自身の財産である「稲むら」に火を放ち、避難ルートを示して多くの命を救いました。

大分県中津市・玖珠町の日本遺産「やばけい」


頼山陽先生は日田咸宜園の廣瀬淡窓と親交を深めた後、日田から豊前へ向かう途上、山国川沿いの山水画の風景に驚嘆しながら中津に入り、中津鶴居村「正行寺」の雲華上人と歓談した際、山国谷の岩峰を讃えてその景観を「耶馬渓」と命名しました。

大分県日田市の日本遺産「咸宜園」

塾名の「咸宜園」とは「咸(ことごと)く宜(よろ)し」、すなわち「すべてのことがよろしい」という意味で、どんな階級出身者でも入塾を可能とする、誰でも公平に学べる学校でした。

岐阜県高山市の日本遺産「飛騨匠」

飛騨高山にはその匠たちによって建てられたとされる寺院や神社が数多く残されており、中でも国府盆地にある安国寺経蔵荒城神社本殿は飛騨工制度の時代から受け継がれてきた伝統と文化が生きています。

栃木県宇都宮市の日本遺産「大谷石」

大谷石は、大正時代に有名なアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが、旧帝国ホテルの素材として使用したことで全国に知られるようになりました。

広島県呉市の日本遺産「呉鎮守府」

呉は日本の近代化に貢献した呉鎮守府が置かれ、戦艦大和のふるさととして知られる軍港の町です。

岡山県倉敷市の日本遺産「日本一の繊維のまち」

児島で最初に生まれた製品は「真田紐」と呼ばれる細幅の織物ですが、明治期になると足袋、そして昭和期に入ると学生服と生産がシフトし、昭和の後期からは作業服、とりわけジーンズの生産が主流となり、平成になってからは「国産ジーンズの聖地」となりました。

神奈川県の日本遺産「横須賀鎮守府」

横須賀港の戦艦「三笠」はイギリスから購入した当時の最新鋭艦で、日本海海戦で勇猛果敢に戦い、大国ロシアの艦隊を破った我々の誇りとすべきモニュメントです。

長野県の日本遺産「黒曜石と縄文文化」

日本のほぼ真ん中に位置する八ヶ岳を中心とした中部高地には、他の地域では見られない星のようにキラキラと輝く黒耀石の鉱山があります。

宮崎県の日本遺産「西都原古墳群とコノハナサクヤヒメ伝

西都原古墳群の「鬼ノ窟古墳」

西都原古墳の目玉は土星のように見える鬼ノ窟(いわや)古墳(206号墳)ですが、大正4年、柴田常恵氏によって発掘調査された2号墳も興味深い前方後円墳です。

福井県の日本遺産「御食国(みけつくに)若狭と鯖街道」

「鯖街道」若狭小浜西組旭座

「鯖街道」若狭小浜西組旭座

小浜は、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」の舞台になった鯖街道の出発地で、若狭湾であがった新鮮な魚介類を京の都へ運んだ拠点だった町です。

by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

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