平成芭蕉の日本遺産

令和の「平成芭蕉」

Contents

日本遺産の地を旅してストーリーを楽しむ

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。

人々の価値観は時代と共に変化し、旅の在り方も変化しつつあります。

しかし、どれだけの人が本当の「旅」をしているのか、私は疑問を抱いています。

旅の目的が観光であろうと視察であろうと、訪れた土地の生活文化を知り、日本人として先祖伝来の伝統文化を振り返ることはとても重要です。

そこで、この「日本遺産」のストーリーを学ぶことによって、自らの旅を豊かにしましょう。

日本遺産国際シンポジウム

日本遺産国際シンポジウム

平成芭蕉の「平成」の時代は幕を閉じて、新しい「令和」時代を迎えましたが、平成芭蕉は令和時代も旅を続けます。

そこで、私は学び・つながる観光産業メディア「ツーリズム メディア サービス」に、毎月、日本遺産のストーリーを平成芭蕉の「令和の旅指南」として紹介していますので、ご一読いただければ幸いです。⇒平成芭蕉の「令和の旅指南」日本遺産ストーリー 

第1回平成芭蕉の「令和の旅指南」「心のときめき」を感じ、「心の土産」を持ち帰る日本遺産の旅
第2回平成芭蕉の「令和の旅指南」「共感力」に秀でた縄文人からのメッセージ
第3回平成芭蕉の「令和の旅指南」 三徳山・三朝温泉(鳥取県)への健康”五浴”の旅
第4回平成芭蕉の「令和の旅指南」 画聖雪舟を偲ぶ「中世日本の傑作」島根県益田
第5回平成芭蕉の「令和の旅指南」 悠久の時が流れる石の島「小豆島」
第6回平成芭蕉の「令和の旅指南」 肥前「焼き物の聖地」を巡る
第7回平成芭蕉の「令和の旅指南」森鴎外の故郷「山陰の小京都」津和野
第8回平成芭蕉の「令和の旅指南」令和ゆかりの「西の都」と太宰府天満宮
第9回平成芭蕉の「令和の旅指南」「忠臣蔵」で有名な播州赤穂は「塩の国」
第10回平成芭蕉の「令和の旅指南」 現代雪まつり発祥の地「究極の雪国 十日町」
第11回平成芭蕉の「令和の旅指南」 熊野灘の捕鯨文化を伝える和歌山県太地町
第12回平成芭蕉の「令和の旅指南」 伊賀・甲賀のリアル忍者は精神的な強者
第13回平成芭蕉の「令和の旅指南」 自然と信仰が息づく出羽三山
第14回平成芭蕉の「令和の旅指南」 デカンショ節で知られる城下町 丹波篠山
第15回平成芭蕉の「令和の旅指南」 葡萄畑が織りなす風景と勝沼ワイン
第16回平成芭蕉の「令和の旅指南」 D51が活躍した日本の鉄道遺産
第17回平成芭蕉の「令和の旅指南」小松市に残る珠玉の石文化
第18回平成芭蕉の「令和の旅指南」 頼山陽が命名した紅葉の名所「耶馬渓」
第19回平成芭蕉の「令和の旅指南」 加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲く高岡
第20回平成芭蕉の「令和の旅指南」 大谷石文化が息づくまち宇都宮
第21回平成芭蕉の「令和の旅指南」 鳥羽・志摩の素潜り漁に生きる海女さん
第22回平成芭蕉の「令和の旅指南」 獅子から降りた文殊菩薩を拝む「最古の国道」~竹内街道・横大路(大道)~
第23回平成芭蕉の「令和の旅指南」 河内長野に楠木正成の足跡を訪ねる
第24回平成芭蕉の「令和の旅指南」 世界遺産を目指す飛鳥の女帝物語
第25回平成芭蕉の「令和の旅指南」『魏志倭人伝』に登場する壱岐の王都
第26回平成芭蕉の「令和の旅指南」 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群
第27回平成芭蕉の「令和の旅指南」 造林発祥の地“吉野”の桜と森の暮らし

「令和」の由来については下記の「芭蕉さんの旅語録」の記事をご一読下さい。
祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌

日本遺産のストーリーを体験する『奥の深い細道』

「奥の細道」黒羽宿芭蕉像前にて

「奥の細道」黒羽宿芭蕉像前にて

「観光」という言葉は今から約3500年前の中国周時代の古典『易経』にあり、これは占いの指南書でした。

その一節に「国の光を観る。もって王に賓たるに利あり。賓たらんことを尚(こいねがう)なり」とあり、つまり昔は「観光」は自国の未来を予見するための国王の仕事だったのです。

この「国の光」とは各地の自然環境やそこで営まれている人々の暮らしや伝統・文化を指し、これらに接することで王は心身共に豊かになり、王は新たな「国の光」を発することができたのです。

すなわち、国の文化は,自然を背景とする村落や都市の景観,日常の生活様式,さらには文化の所産として芸術等に形として現れるものであり,それらを視察することによって,自国の文化の向上に役立てるのが「観光」本来の意味です。

そこで、観光が大衆化した現代社会でも単なる物見遊山の旅ではなく、各地の豊かな自然や伝統・文化に触れて何か新しい「知恵」を身につけるのが好ましいと思います。

そしてその指針となるのが日本遺産です。

私が提案する日本遺産の旅は光っているところを観るだけでなく、この光輝く遺産がなぜっ光っているかを考察し、真実の歴史を追及して気付きの喜びを知る旅です。

すなわち「日本遺産を訪ねる旅+知恵=人生のときめき」をコンセプトとして、『奥の深い細道』日本遺産巡りにご案内します。

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

日本遺産とは?「ストーリー」重視のテーマ旅

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日本遺産第1号「信長公のおもてなし」

「日本遺産」とは、地域の文化財や歴史的特徴を活かして日本の文化・伝統を語る“ストーリー”を文化庁が認定するもので平成27年に第1号として18件が認定されました

日本遺産構想のきっかけは、日本で暮らしているイギリス人のデービッド・アトキンソン氏で、彼は日本の神社仏閣に何度も足を運んでいるうちに、「外観はすばらしいが、ただそれだけだ」と感じるようになったと言っています。

そして、もしその建立された経緯や今日に至る歴史などを知れば、それらの神社仏閣に対する興味がもっと深まったのにと残念に思ったそうです。

アトキンソン氏の所見は私も同感で、いくらその土地に歴史があり、伝統文化が息づいていても、それを知らなければ何の感動も得られません。

日本各地には国宝をはじめとする多くの価値のある文化財が残っていますが、これまでは国の文化財保護政策が優先され、先祖伝来のものを大切にする反面、鑑賞するには不便な状態でした。

しかし、日本遺産では、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外にその魅力を戦略的に発信することにより、地域の活性化がを図れるようになったのです。

すなわち、文化財を保護するだけでなく、積極的に活用する時代を迎えたのです。

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

文化庁認定日本遺産「ストーリー」旅の楽しみ方

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人生は一度限りなので無限の可能性の中から1つしか生きることができません。

よって私は別の土地に生きる別の自分のストーリーを思い描くために旅に出るのです。

北村薫の著作『空飛ぶ馬』

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」

という言葉がありますが、「小説」を「旅」に置き換えると旅も同様だと思います。

すなわち旅は私にとっては、一度の人生への抗議として、憧れ、観察、発見そして創造活動なのです。

言い換えれば、自分の生きてきた「物語」と旅先の「物語」とが織りなす新しい「物語」の創造です。

そこで日本遺産のストーリー旅は、自分の「物語(ストーリー)」と対比させてこそ生きた旅になると思います。

「物語」はたとえそれがフィクションであっても、設定された舞台が実際に存在する場合も多く、その舞台を訪れて主人公の気持ちを考えるのも旅の楽しみです。

ストーリーを認定する「日本遺産」が発表される以前の名所旧跡を訪ねる旅も、そこにはその土地の「物語(歴史)」がありました。

すなわち、日本遺産の旅は「物語」を求める行為でもあり、訪ねる土地への移住に近い「試住の旅」でもあるのです。

平成芭蕉の日本遺産 日本一の足袋生産地 埼玉県行田市

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行田では靴下が普及した今日でも足袋の生産が続けられており、日本一の足袋生産地として新製品を国内外に販売し、「足袋と言えば行田」とアピールしています。

平成芭蕉の日本遺産 和歌山県広川町の「稲むらの火」

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江戸時代末期の1854年(安政元年)11月5日、突如地震が発生して暗闇の町に津波が襲った際、その津波を察知した濱口梧陵は、暗闇の中で村人を避難させるために、自身の財産である「稲むら」に火を放ち、避難ルートを示して多くの命を救いました。

平成芭蕉の日本遺産 大分県中津市・玖珠町の「耶馬渓(やばけい)」

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頼山陽先生は日田咸宜園の廣瀬淡窓と親交を深めた後、日田から豊前へ向かう途上、山国川沿いの山水画の風景に驚嘆しながら中津に入り、中津鶴居村「正行寺」の雲華上人と歓談した際、山国谷の岩峰を讃えてその景観を「耶馬渓」と命名しました。

平成芭蕉の日本遺産 大分県日田市の私塾「咸宜園」

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塾名の「咸宜園」とは「咸(ことごと)く宜(よろ)し」、すなわち「すべてのことがよろしい」という意味で、どんな階級出身者でも入塾を可能とする、誰でも公平に学べる学校でした。

平成芭蕉の日本遺産 岐阜県高山市の「飛騨匠」

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飛騨高山にはその匠たちによって建てられたとされる寺院や神社が数多く残されており、中でも国府盆地にある安国寺経蔵荒城神社本殿は飛騨工制度の時代から受け継がれてきた伝統と文化が生きています。

平成芭蕉の日本遺産 広島県呉市の「呉鎮守府」

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呉は日本の近代化に貢献した呉鎮守府が置かれ、戦艦大和のふるさととして知られる軍港の町です。

平成芭蕉の日本遺産 岡山県倉敷市「日本一の繊維のまち」

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児島で最初に生まれた製品は「真田紐」と呼ばれる細幅の織物ですが、明治期になると足袋、そして昭和期に入ると学生服と生産がシフトし、昭和の後期からは作業服、とりわけジーンズの生産が主流となり、平成になってからは「国産ジーンズの聖地」となりました。

平成芭蕉の日本遺産 神奈川県の「横須賀鎮守府」

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横須賀港の戦艦「三笠」はイギリスから購入した当時の最新鋭艦で、日本海海戦で勇猛果敢に戦い、大国ロシアの艦隊を破った我々の誇りとすべきモニュメントです。

平成芭蕉の日本遺産 長野県の「黒曜石と縄文文化」

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日本のほぼ真ん中に位置する八ヶ岳を中心とした中部高地には、他の地域では見られない星のようにキラキラと輝く黒耀石の鉱山があります。

平成芭蕉の日本遺産 「星降る中部高地の縄文世界」イベント

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甲信縄文フェスティバルのマスコット土偶

甲信縄文フェスティバルのマスコット土偶

2019年3月21日の春分の日は、長野県茅野市民会館で行われた「甲信縄文フェスティバル」にシンポジウムのパネラーとして招かれました。
このフェスティバルは茅野市を中心とした甲信地域が「星降る中部高地の縄文世界~数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅」をテーマとする「日本遺産」に認定されたことで、「縄文文化体感エリア」としてのブランド構築とその魅力発信を目的として開催されました。

平成芭蕉の日本遺産 宮崎県の「西都原古墳群とコノハナサクヤヒメ伝説

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西都原古墳群の「鬼ノ窟古墳」

西都原古墳の目玉は土星のように見える鬼ノ窟(いわや)古墳(206号墳)ですが、大正4年、柴田常恵氏によって発掘調査された2号墳も興味深い前方後円墳です。

平成芭蕉の日本遺産 福井県の「御食国(みけつくに)若狭と鯖街道」

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「鯖街道」若狭小浜西組旭座

「鯖街道」若狭小浜西組旭座

小浜は、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」の舞台になった鯖街道の出発地で、若狭湾であがった新鮮な魚介類を京の都へ運んだ拠点だった町です。

平成芭蕉の日本遺産 大阪府泉佐野市の「中世日根荘(ひねのしょう)の風景」

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九条政基が滞在した長福寺跡

九条政基が滞在した長福寺跡

日根荘(ひねのしょう、日根野荘)は、五摂関家の1つであった九条家の荘園で、文亀元年(1501)年から4年間、前関白の九条政基が日根の長福寺に滞在して領地の直接管理に当たっていた間、「政基公旅引付(たびひきつけ)」という日記を残し、村の祭りや、罪人が捕らえられる様子、寺の住職が酒でもてなしてくれたことなどが記されています。

平成芭蕉の日本遺産 香川県小豆島 悠久の時が流れる石の島

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小豆島のエンジェルロード

小豆島のエンジェルロード

「縁結び、幸せのスポット」として人気の天使の散歩道(エンジェルロード)を歩いて「悠久の時が流れる石の島」を感じてきました。

小豆島では「人が石を動かし、石を刻み」、石を用いて暮らしをたててきた文化が今も残っています。

平成芭蕉の日本遺産 千葉県の世界から一番近い「江戸」城下町の佐倉

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侍の古径「ひよどり坂」

侍の古径「ひよどり坂」

私の住む千葉県内では「北総四都市(佐倉・成田・佐原・銚子)江戸紀行」が日本遺産に登録されており、今回はその中で城下町の佐倉を視察しました。成田空港から近いこともあって、世界で一番近い「江戸」と呼ばれ、今、注目を集める下総国十一万国石の城下町です。

平成芭蕉の日本遺産 「桃太郎伝説」の舞台は古代の吉備遺跡

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岡山駅前の桃太郎像

岡山駅前の桃太郎像

岡山の「桃太郎伝説」の舞台は、古代の吉備王国で、都のある大和朝廷に匹敵する勢力を誇るも、最終的には大和に屈服したことが『日本書紀』『古事記』に記載があり、この物語の吉備津彦命と温羅との戦いは、実は大和と吉備の対立を反映したものと考えられています。

平成芭蕉の日本遺産 山梨県の縄文村と縄文文化を探る

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北斗市の梅之木遺跡

北斗市の梅之木遺跡

今回は日本遺産「星降る中部高地の縄文世界~数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅」の構成文化財の中で縄文王国山梨県の中部高地山麓の縄文集落遺跡や文化財ついてご紹介したいと思います。

縄文時代とは今から1万3千年前から3千年前までの約1万円間に日本列島に花開いた縄文文化が栄えた時代を指しており、それ以前は旧石器時代と呼ばれ、人々は狩猟をしながらの移動生活でした。

平成芭蕉の日本遺産 旧閑谷学校と「きっと恋する六古窯」備前焼の里

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日本遺産認定された六古窯の備前

日本遺産認定された六古窯の備前

岡山県では平成27年度の旧閑谷学校「近世日本の教育遺産群~学ぶ心・礼節の本源~」に引き続き、平成29年には備前市の「きっと恋する六古窯~日本生まれ日本育ちのやきもの産地~」が文化庁の日本遺産に認定されました。

六古窯には、唯一釉薬(ゆうやく)が掛けられた優雅さと逞しさを兼ね備える瀬戸焼、明るく健康的な信楽焼、質朴で釉流れの美しい丹波焼、豪快で無骨な常滑焼越前焼、そして堅牢で堂々とした備前焼がありますが、いずれも日本らしい焼き物として多くの人々の心をとりこにしてきました。

平成芭蕉の日本遺産 栃木県の那須野が原開拓浪漫譚

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那須疏水旧取水施設

那須疏水旧取水施設

平成27年より始まった文化庁が認定する日本遺産に、栃木県那須塩原市、大田原市、矢板市、那須町の「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」が選ばれました。
今回の那須野が原の日本遺産では、開拓の推進役であった「那須疏水」が構成要素に入っていますが、これは琵琶湖疏水(滋賀県・京都府)安積疏水(福島県)と並んで「日本三大疏水」と呼ばれています。

安積疏水は明治の元勲、大久保利通が並々ならぬ思いを抱いて西の猪苗代湖より郡山へ水を引く事業でしたが、この那須疎水も人も住めない水の乏しい荒野の開拓地を灌漑するという難事業でした。

平成芭蕉の日本遺産 神が創り出した聖地出雲の夕日

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稲佐の浜に沈む夕日

稲佐の浜に沈む夕日

島根県弁の方言で夕方は「ばんげ」と言うことから、出雲地方には「こんにちは」と「こんばんは」の間に「ばんじまして」という挨拶があります。標準語に直すと「夕方ですね!」となるのでしょうか。

他の地域ではあまり耳にしない「ばんじまして」という挨拶から、出雲では夕刻には格別な想いがあるようで、島根半島西端の稲佐の浜や日御碕に沈む夕陽はとても美しい景観です。

平成芭蕉の日本遺産 古代への架け橋 国境の島 壱岐

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壱岐島のシンボル猿岩

壱岐島のシンボル猿岩

私は猿歳生まれのため、壱岐のシンボルの猿岩は壱岐島誕生神話の八本の柱の一つであるだけでなく、私の磐座のようにも感じるのですが、東国から国境警備で派遣された防人はこの猿岩をどのように見ていたのでしょうか。

彼らは自給自足の生活をしながら防備にあたりましたが、3年の任期を終えても故郷に帰れない者が多く、防人たちの故郷や家族への思いは、『万葉集』に防人の歌として収められています。

故郷の壱峻島で亡くなった河合曽良や遣新羅使の雪宅麻呂だけでなく、無名の防人の物語を思えば、日本遺産のストーリーである「国境の島~古代からの架け橋」が実感できます。

平成芭蕉の日本遺産  古代日本の「西の都」大宰府

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坂本八幡宮の令和の碑

坂本八幡宮の令和の碑

壱岐島の万葉公園開園50周年イベントを終えた翌週の11月22日、私は新元号の「令和」の文字を引いた万葉集巻五に収録された梅花の歌の舞台である大宰府を訪れ、九州歴史資料館において「令和を感じる旅」という演題で講演をさせていただきました。

令和時代の今日、お金と時間にいとめをつけなければ、私たちは世界中のどんな辺鄙な場所にも行くことができます。そこで残された最後の秘境は「過去」であり、古典を通じて古代の人々と心を通じさせる旅が「令和を感じる旅」だと私の想いを語りました。

平成芭蕉の日本遺産 銀の馬車道 鉱石の道 資源大国日本の記憶をたどる73㎞の轍 

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飾磨津物揚場跡の赤レンガ塀

飾磨津物揚場跡の赤レンガ塀

生野鉱山を起点に、播但地域を貫く二つの道は「銀の馬車道」「鉱石の道」と呼ばれていますが、嬉しいことにこの歴史ある道は平成29年4月28日、「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道~ 資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍 ~」のストーリーで姫路市、福崎町、市川町、神河町、朝来市、養父市の6市町のシリアル型日本遺産として認定されました。

この「銀の馬車道」は、明治9年播磨の飾磨港(現姫路港)と49km北の生野鉱山とを結ぶために造られた日本で最初の「高速産業道路」で、姫路港に注ぐ野田川に架かる向島橋近くには、姫路藩御船役所跡の碑が立っており、「飾磨津物揚場」近くには生野産の赤レンガで作られた塀も残っていて、当時のたたずまいが感じられます。

平成芭蕉の日本遺産 忍びの里のリアル忍者 伊賀忍者の「黒田荘の悪党」と甲賀忍者

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上野市駅名も「忍者市駅」に

上野市駅名も「忍者市駅」に

私は俳聖松尾芭蕉の生家の向かいの三重県伊賀市上野農人町に生まれ、隣町の名張(隠)市で幼少期を過ごしましたが、嬉しいことに、平成29年、私の生まれ故郷の伊賀市が甲賀市と共に申請した「忍びの里 伊賀・甲賀―リアル忍者を求めて」というストーリーが日本遺産に認定されました。

膳所藩士、寒川辰清(1697~1739)の『近江輿地志略』には、「伊賀甲賀と号し忍者という」と記されており、忍者と言えば伊賀と甲賀が代表ですが、「伊賀忍者」は現在の三重県伊賀市名張(なばり隠)市に拠点があった忍者の流派で「甲賀忍者」は現在の滋賀県甲賀(こうか)市湖南市に拠点があった忍者の流派です。

平成芭蕉の日本遺産 鳥羽・志摩の素潜り漁に生きる海女さん

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素潜り漁に生きる海女さん

素潜り漁に生きる海女さん

枕草子の290段「うちとくまじきもの(打ち解けにくいもの)」には「海はなほいとゆゆしと思ふに、まいて、海女のかづきしに入るは、憂きわざなり」と海女についての記載があります。

また、平安時代の「延喜式」には「志摩の潜女(かづきめ)(海女)」の記事もあり、海女が獲ったアワビや海藻類を都に納めていたことを伝えています。

今日、この海女は世界でも注目される存在になりつつありますが、令和元年5月20日、「海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽・志摩~素潜り漁に生きる女性たち」が日本遺産に認定されました。

平成芭蕉の日本遺産 中世に出逢えるまち 大楠公ゆかりの河内長野

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観心寺駐車場前の大楠公像

観心寺駐車場前の大楠公像

河内長野市は、少年時代の大楠公が学んだ檜尾山観心寺や大楠公が何度も戦勝祈願で参拝した天野山金剛寺などがあり、大楠公ゆかりの地なのです。

西宮に住む私にとっては、大阪のベッドタウンという印象もありますが、楠木正成を中心とした南北朝時代の歴史を感じることができる町でもあり、2019年5月には「中世に出逢えるまち~千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫~」というストーリーで日本遺産登録されました。

平成芭蕉の日本遺産 丹波篠山デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶

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青山歴史村の丹波篠山デカンショ館

青山歴史村の丹波篠山デカンショ館

旧丹波国として古来京都への交通の要衝であった丹波篠山市は、町並みや祭りなどに京文化の影響を色濃く残し、篠山城の城下町として栄えた町ですが、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節でも知られています。

デカンショ節は丹波篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる民謡ですが、学生歌としても広く歌われていました。

そのため2015年(平成27年)4月24日、「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」というストーリーが文化庁の認定する最初の日本遺産となり、今日では歴史と文化の薫り高い「日本遺産のまち」として注目を集めています。

日本人にとって重要な日本遺産の旅~ホームズ流の観察術で日本遺産を学ぶ

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泉佐野市の日本遺産「日根荘」風景

泉佐野市の日本遺産「日根荘」風景

2月28日は泉佐野市の「エブノ泉の森ホール」において、日本遺産「日根荘」ガイド・支援団体養成講座第6回として「旅行から人生が変わる」という演目で講義しました。

これは1月24日に開催された「旅引付と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘の風景-日本遺産認定記念シンポジウム」に続くものです。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、政府のイベント自粛要請があって多くの集会が中止になっていますが、本講座には20名以上の熱心な方々にお集まりいただきました。

平成芭蕉の日本遺産 鳥取県「大山信仰」から発展した日本最大の牛馬市

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大山信仰で栄えた石畳道

大山信仰で栄えた石畳道

大山で牛馬市が盛んになったのは、平安時代に大山寺の高僧、基好上人が牛馬安全を祈願する守り札を配るとともに、牛馬の放牧を奨励し、「牛馬信仰」が広まったことがきっかけです。

牛馬の育成にはエサとなる草が良く生えて、水も豊かな地でなければならず、大山山麓は交通の便も良くて好適地でした。大山裾野で育った体格の良い放牧牛は、参詣者の注意をひき、また参詣者が曳き連れてきた牛馬もあって、大山寺では「牛くらべ」「馬くらべ」が開かれるようになったのです。

平成芭蕉の日本遺産 朝鮮通信使の玄関口「国境の島」対馬

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金石城櫓門と朝鮮通信使之碑

金石城櫓門と朝鮮通信使之碑

豊かな自然に恵まれた対馬は、『魏志倭人伝』や『古事記』、『日本書記』、『万葉集』などの古典にも登場するなど、悠久の歴史を誇る島なのです。ただ、その歴史は奥が深く、難しい印象があるため、対馬を敬遠している人が多いのも事実です。

私は2017年、日本城郭教会によって「続日本百名城」に認定された対馬の金田城を視察する目的で対馬を訪ねましたが、対馬の古代史や朝鮮通信使にも関心があったので、和多都美神社対馬宗氏ゆかりの金石城、万松院も巡ってみました。

平成芭蕉の日本遺産 福島県郡山の未来を拓いた「一本の水路」安積疏水開拓物語

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磐梯熱海駅近くの安積疏水橋

磐梯熱海駅近くの安積疏水橋

文化庁が認定した日本遺産のストーリーの中でも私が最も感動した物語の一つに、福島県の未来を拓いた「一本の水路」安積疏水(あさかそすい)の開拓物語があります。現在は「水と緑のきらめく未来都市」として躍進する郡山市ですが、江戸時代までは大槻原(おおつきはら)と呼ばれた荒れ果てた原野でした。

そしてこの原野の開拓に並々ならぬ想いを抱いた人物の代表が中條政恒大久保利通です。中條政恒はもと米沢藩士で明治5年に福島県に赴任し、県令の安場保和に「決して口を挟まず、私にすべてを委任していただきたい」と約束させて安積開拓事業に不屈の精神で挑んだのです。

平成芭蕉の日本遺産 「伊丹諸白」と「灘の生一本」

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日本最古の酒蔵「旧岡田家住宅」

2020年6月19日、文化庁が認定する日本遺産に、伊丹・尼崎・西宮・芦屋・神戸の5市が申請した「『伊丹諸白(もろはく)』と『灘の生一本(きいっぽん)』下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷」が選ばれました。

日本遺産は2015年に創設され、本年2020年が認定の最終年となり、全部で104件の日本遺産が誕生しましたが、日本酒をテーマとした日本遺産は今回が初となっています。

平成芭蕉の日本遺産 世界から一番近い「江戸」港町の銚子は「醤油の町」

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銚子のシンボル「犬吠埼灯台」

文化庁が認定する日本遺産として、今、千葉県内の佐倉(城下町)成田(門前町)、佐原(商家の町)銚子(港町)の四都市が、世界から一番近い「江戸」として注目されています。海外からの玄関口、成田空港から近いこともあって、世界で一番近い「江戸」を感じる四都市ですが、佐倉と成田は成田街道(佐倉道)という陸路で江戸と交流していたのに対し、佐原と銚子は利根川の水運によって江戸の商業活動を支えていました。

特に銚子市は「醤油の町」として有名ですが、関東の最東端に位置しており、北には利根川が流れ、東南は太平洋という三方を「水」に囲まれた天然の良港で、銚子漁港で水揚げされた海産物は利根水運によって江戸に運ばれ、江戸の食文化を支えて繁栄しました。

平成芭蕉の日本遺産 世界から一番近い「江戸」佐原は水郷地帯の商家の町

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小野川と佐原の街並

江戸のように栄えた町は小江戸(こえど)と呼ばれ、代表例としては小江戸三市川越栃木佐原(さわら)があります。中でも千葉県香取市の佐原は、「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸優り」と唄われた商家の町で、佐倉、成田、銚子と共に北総四都市として日本遺産に登録されています。

江戸時代の佐原は、海難事故の多かった房総沖を避けて、銚子から利根川を遡(さかのぼ)って江戸に至る主要水運の拠点として栄え、下利根随一の河港商業都市だったのです。また、香取神宮参道の起点として参拝客でも賑わい、地域文化も活性し、伊能忠敬をはじめとする多くの文化人を輩出しています。

平成芭蕉の日本遺産 「出雲國たたら風土記」~神話の故郷は鉄の国

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菅谷たたら高殿の内部

安来の観光と言えば足立美術館月山富田城が主流ですが、島根県の歴史を思えば、出雲風土記や古事記に記された出雲神話の世界は忘れてはならないでしょう。すなわち、出雲神話にも登場する八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と斐伊川に息づいてきた鉄の文化です。

そこで、私はかねてより関心のあった「泊まれる博物館」として知られる奥出雲多根自然博物館を拠点に「菅谷たたら」をはじめとする鉄の聖地を訪ねました。

平成芭蕉の日本遺産 会津三十三観音めぐりと仏都会津の慧日寺

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ころり三観音の鳥追観音

ころり三観音の鳥追観音

平成30年2月7日、会津若松市生涯学習総合センター「会津稽古堂」で開催された日本遺産「会津三十三観音めぐり」シンポジウムにおいて、私はこの会津三十三観音めぐりの魅力を「五感が満たされる大らかな信仰の旅」と所見を述べました。会津三十三観音巡礼は、会津藩祖の名君保科正之が西国巡礼を模して、藩内で楽に巡礼ができるように定めたものですが、古来のおおらかな信仰の姿が今に残り、霊場に佇む石仏が私の五感を刺激して癒してくれるのです。

会津と言えば磐梯山ですが、その磐梯山は大同元年(806)に大噴火を起し、会津地方に甚大な被害をもたらしました。これを契機に奈良で法相宗を学んだ学僧「徳一」は、噴火の翌年(大同2年)、磐梯山の麓に慧日寺(えにちじ)を、他にも常勝寺(湯川村)、円蔵寺(柳津町)など会津に多くの寺院を建立して人々を救済しました。

平成芭蕉の日本遺産 国産ブドウを原料とした「日本ワイン」の夜明け

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「宮光園」の主屋と庭園

甲州市は地元のブドウ農家との共存繁栄をはかり、広大なブドウ畑とワイナリーを誕生させ、牛久市の「牛久シャトー」と共に、国営では果たせなかったワイン醸造をそれぞれの地域の特性を生かして民間の力で日本のワイン文化を発展させました。

甲州市の「宮光園」は、宮崎光太郎が創業した葡萄酒醸造所ですが、日本の本格的ワイン醸造のルーツを知ることができる資料館として修復整備されており、ここから発見された貴重な映像資料からは日本ワインの歴史を知ることができます。

平成芭蕉の日本遺産 日本初の本格的ワイン醸造場「牛久シャトー」

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牛久市の日本遺産

牛久シャトーのワインセラー

茨城県牛久市と言えば牛久大仏が有名で、また、白菜、ピーマン、レンコンなどの野菜収穫量も全国的にトップレベルで農業が盛んな地域でもあります。

しかし、この牛久市には明治の文明開化時に国産ブドウを原料とする日本ワインを醸造し、日本のワイン文化に貢献した「シャトーカミヤ」があり、2020年、山梨県甲州市とともに「日本ワイン140年史~国産ブドウで醸造する和文化の結晶~」というストーリーが日本遺産に認定されました。

平成芭蕉の日本遺産 笠間の「陶炎祭(ひまつり)」と日本遺産「兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”」

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笠間焼の登り窯

茨城県笠間市と言えば、関東で最も古い歴史を持つ焼き物の町で、春に行われる「陶炎祭(ひまつり)」や秋に行われる陶器市である「笠間浪漫」には多くの人が訪れています。この焼き物は笠間焼と呼ばれ、江戸時代中期、笠間藩箱田村の名主であった久野半右衛門信楽焼陶工長右衛門 から伝授されて開窯した、関東で最も古い歴史を持つ焼き物です。

江戸時代後期になると、笠間焼の技術は近隣地域にも広がり、特に栃木県益子町益子焼は笠間焼の技法を受け継ぎ、笠間焼とは兄弟産地の関係となりました。そして令和2年、陶器の産地として共に歩んできた笠間市と益子町の二大窯業地「かさましこ」は、「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~」として日本遺産に認定されました。

平成芭蕉の日本遺産 信州上田・塩田平における聖地の「レイライン(妖精の鎖)」

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生島足島神社

関東の東国三社(香取神宮、鹿島神宮、息栖神社)は直角二等辺三角形を描いていましたが、今回訪れた信濃の古社、生島足島神社から信州最古の温泉とされる別所温泉にかけては、、塩田平の前山寺、中禅寺などの古社寺が、ほぼ1本の直線上(レイライン)に並んでいます。

すなわち、信州の上田・塩田平は、古来「聖地」として、多くの神社仏閣が建てられており、2020年、文化庁より「レイラインがつなぐ“太陽と大地の聖地”~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~」というストーリーで日本遺産に認定されました。

平成芭蕉の日本遺産 「葡萄畑が織りなす風景〜山梨県峡東地域」

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勝沼ぶどうの丘

平成30年に「葡萄畑が織りなす風景ー山梨県峡東地域ー」というストーリーで日本遺産認定を受けた勝沼のブドウ畑とワイナリー群についてご紹介します。勝沼町営ぶどうの丘文化センターとしてオープンした「勝沼ぶどうの丘」にある展望レストランでワインビーフのランチを取りましたが、このレストランからの眺望は素晴らしく、一帯は思蓮山と呼ばれ、山の斜面は全てぶどう畑です。

平成芭蕉の日本遺産〜『東海道中膝栗毛』弥次さん喜多さんの駿州の旅

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駿府公園の弥次喜多像

クラブツーリズムの歴史街道を歩く旅でも人気の東海道ですが、2020年には「旅人たちの足跡残る悠久の石畳道―箱根八里で辿る遥かな江戸の旅路」に続いて静岡県藤枝市・静岡市の旧東海道に関する歴史・文化をまとめたストーリー「日本初『旅ブーム』を起こした弥次(やじ)さん喜多(きた)さん、駿州の旅」が日本遺産に認定されました。

この旅ブームの火付け役となったのはやはり、十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」(とうかいどうちゅうひざくりげ)と歌川広重の描いた「東海道五十三次」の浮世絵でした。

平成芭蕉の日本遺産 信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化

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馬高縄文館と火焔土器

今年はオリンピックの年ですが、縄文時代を代表する火焔型土器を聖火台にし、日本文化の意志を国際舞台に発信するという企画もあったと聞いています。

そこで私は日本遺産にも認定されている「信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」に触れる目的で、緊急事態宣言が解除される4月以降に“日本文化の源流新潟へ「火焔型土器」に出会う旅”を企画しましたので、その内容をご紹介します。

平成芭蕉の日本遺産 長浜〜敦賀〜今庄の「海を超えた鉄道」

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案内役の増田会長

日本遺産「海を越えた鉄道〜世界へつながる鉄路のキセキ」の実地研修として観光ボランティアガイドつるがの増田会長の案内で構成資産を巡ってきました。

長浜鉄道スクエアから旧北陸本線に沿って中之郷駅跡、柳ヶ瀬トンネルを経由して小刀根トンネル、旧疋田駅跡、敦賀鉄道資料館ランプ小屋、そして敦賀から今庄に至る樫曲トンネルをはじめとする旧北陸本線トンネル群と山中信号場を見学し、最後は越前屈指の宿場町として栄えた今庄宿の散策でした。

岡山県高梁市の日本遺産 「ジャパンレッド発祥の地」 弁柄と銅(あかがね)の吹屋

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ジャパンレッド発祥の地

高梁市においては、令和2年、かつて弁柄と銅の生産地として繁栄した鉱山町の吹屋が「ジャパンレッド発祥の地 弁柄と銅(あかがね)の町・備中吹屋」のストーリーで日本遺産認定され、備中松山城の猫城主「さんじゅーろー」同様に注目されるようになりました。

備中松山城から車で約40分、標高約500mの高原上に忽然と出現する「赤い町並み」が、日本のイメージカラーである「ジャパンレッド」を生み出した鉱山町の吹屋です。

平成芭蕉の日本遺産 長崎県・佐賀県(肥前)日本磁器のふるさと~百花繚乱のやきもの散歩

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百花繚乱のやきもの

「肥前」有田町のやきものストーリーは、長崎県の佐世保市、平戸市、波佐見町と佐賀県の唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市とともにやきものが生まれた地として日本遺産に登録されました。
肥前とは、佐賀県と長崎県を含む九州北西部の旧国名で、この地は長い窯業の歴史のなかで培われた伝統や技術、景観や文化などの魅力を体感できる日本随一の地域として「日本磁器のふるさと肥前~百花繚乱のやきもの散歩~」というストーリーが日本遺産に認定されたのです。

平成芭蕉の日本遺産 長野県千曲市 姨捨の棚田がつくる月の都の「田毎の月」

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姨捨長楽寺の「芭蕉翁面影塚」

平安時代の頃から観月の名所として知られた姨捨ですが、江戸時代から明治にかけて開田が進むと、小さな棚田に映りこむ月影が一層注目されるようになり、歌川広重の浮世絵『信濃更科田毎鏡台山』にも描かれ、斜面に並ぶ不揃いな形の水田それぞれに月が移りゆくことを「田毎の月」と言い表すようになりました。
捨山の麓には芭蕉が訪ねた長楽寺という古寺と「田毎の月」で知られる名勝指定された姨捨棚田があり、眼下には千曲川の流れや善光寺平の広がりが展望できてとてもすばらしい眺めです。

平成芭蕉の日本遺産 山形県出羽三山 自然と信仰が息づく「生まれ変わりの旅」

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月山頂上の月山神社

出羽三山は独立した3つの山ではなく、月山を主峰として峰続きの北の端に羽黒山、西方に湯殿山が連なり、約1400 年前に崇峻天皇の御子である蜂子皇子が開山した日本有数の修験道の聖地です。

修験道とは日本古来の自然信仰に仏教や密教が習合して生まれた日本独自の山岳信仰で、羽黒修験道では、羽黒山は人々の現世利益を叶える「現在の幸せを祈る山(現在)」、月山はその高く秀麗な姿から祖霊が鎮まる「死後の安楽と往生を祈る山(過去)」、湯殿山はお湯の湧き出る赤色の巨岩が新しい生命の誕生を表す「生まれ変わりを祈る山(未来)」と見立てられました。

平成芭蕉の日本遺産 中世日本の傑作 島根県益田を味わう-地方の時代に輝き再び-

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雪舟の郷記念館

私は雪舟等楊が晩年を過ごした益田市が令和2年、「中世日本の傑作」というストーリーが日本遺産認定されたこともあり、益田市にある雪舟と有名な万葉歌人の柿本人麻呂ゆかりの地を巡ってみました。

「中世日本の傑作」という益田市の日本遺産ストーリーのイメージをつかむために、まずは益田平野が一望できる明星山の櫛代賀姫(くしろかひめ)神社に参詣し、中世益田の経済を支えた交易拠点の中須東原遺跡福王寺にも立ち寄りました。

平成芭蕉の日本遺産 出羽三山から北前船の寄港地として栄えた山形県酒田へ

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相馬楼舞娘さんと平成芭蕉

丑年の2021年は自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』出羽三山が注目されています。そして、この出羽三山参りの拠点となる山形県酒田市は、北前船の寄港地として栄えた港町で、北海道函館市、北海道松前町、青森県鰺ヶ沢町、青森県深浦町、秋田県秋田市、新潟県新潟市、新潟県長岡市、石川県加賀市、福井県敦賀市、福井県南越前町とともに、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」として日本遺産に認定されています。

酒田は河村瑞賢が開いた西廻り航路の北前船寄港地として「西の堺、東の酒田」と呼ばれる、東北随一の商業都市へと発展し、華やかで自由闊達な京の文化が開花しました。

平成芭蕉の日本遺産 飛鳥時代に日本を牽引した女性たちの足跡

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持統天皇が詠んだ万葉歌

平成27年11月、私は公益財団法人古都飛鳥保存財団後援の「瀬戸内 記紀万葉紀行」に同行し、瀬戸内海沿岸の万葉故地を訪ねて以来、額田王をはじめとする飛鳥を舞台に活躍した女性ゆかりの地を巡ってきました。それは、同年4月に文化庁が飛鳥時代に活躍した女性たちの物語「日本国創成のとき-飛鳥を翔(かけ)た女性たち-」(奈良県明日香村・橿原市・高取町)が日本遺産に認定されたからです。

平成芭蕉の日本遺産 「国境の島」遣唐使船最後の寄港地 五島の三井楽

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遣唐使船

仏教における極楽浄土は太陽の沈む西方かなたにあるとされ、日本の最西端に位置する長崎県五島列島福江島の「三井楽(耳楽)」の地は、「あの世」に最も近い場所として道綱母『蜻蛉(かげろふ)日記』で詠んだ歌枕の地でもあります。そしてこの三井楽の柏崎は、また遣唐使船の最終寄港地として利用されていた港でもあります。唐に渡った空海(弘法大師)も命を賭してこの日本最後の地を去ったことから「辞本涯」(本涯とは日本の果ての意)という碑が建っています。

平成芭蕉の日本遺産 「加賀前田家」高岡の町民文化

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歌枕の地として有名な高岡の「有磯浜」

古今東西、人は美味しいものや美しいものを求めて旅をし、歴史を重ねてきましたが、私の敬愛する松尾芭蕉も『おくのほそ道』で高岡を訪ねており、大伴家持の古歌にちなむ越中の歌枕「有磯(ありそ)海」を俳句に詠んでいます。一帯は、「ありそ」の本来の意味である「荒磯」の景観をみせており、文化庁によって「おくのほそ道の風景地」として文化財に指定されています。しかし、加賀前田家ゆかりの高岡は「町民文化が花咲くまち高岡-人、技、心-」として同じ文化庁による日本遺産にも認定されているのです。

平成芭蕉の日本遺産 鯨とともに生きる和歌山県太地町

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鯨と共に生きる町「太地町」

熊野灘沿岸地域の串本、太地、那智勝浦、新宮の3町1市は、文化庁の認定する日本遺産「鯨とともに生きる」地域ですが、中でも太地町は網取り式古式捕鯨発祥の地です。クジラの町として「くじらと海のエコミュージアム太地」をチャッチフレーズとし、かつてクジラを見張った岬やのろしを上げた梶取崎狼煙場跡クジラの供養碑など、クジラに感謝し、畏敬の念を抱きながら今もクジラとともに生きています。

平成芭蕉の日本遺産 笠岡市・丸亀市「悠久の時が流れる石の島」

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北木島の丁場湖「木島の桂林」

備讃諸島の日本遺産モニターツアーに同行し、岡山県笠岡市笠岡諸島の北木島と白石島、香川県丸亀市に属する塩飽(しわく)諸島の本島と広島を巡ってきました。笠岡市は岡山県の西南部に位置する瀬戸内海に面した港町で、世界でひとつしかないカブトガニ博物館でも有名ですが、今回は日本の建築文化を支えた瀬戸内の銘石「北木石」の産地を訪ねました。

平成芭蕉の日本遺産 荒波を越えた男たちの物語「北前船寄港地と船主集落」

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日和山公園

北前船は、江戸時代から明治時代にかけて商品を預かっての運送ではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる主に買積みの廻船でした。
北前船が登場する以前には北海道の産物は近江商人が敦賀で荷揚げして琵琶湖を経由し、大坂へ運んで売りさばいていましたが、寛文12(1672)年、幕府は川村瑞賢に最上川流域の天領米を酒田から江戸まで運ぶ航路の整備を命じました。

平成芭蕉の日本遺産 冬ならではの歴史を楽しむ!究極の雪国とおかまち(十日町)の旅

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十日町の雪まつり

日本で冬の「雪まつり」と言えば、新潟県十日町市が「現代雪まつり発祥(はっしょう)の地」とされ、十日町雪まつりには全国各地より多くの観光客が訪れ、さまざまな雪像(せつぞう)や雪だるまが造られていました。昔の人にとって、雪はやっかいな相手でしたが、現代では「雪を友とし、雪を楽しむ」という考えに移行し、豪雪とともに生きる十日町は縄文時代から受け継がれて今に息づく「究極の雪国」です。

平成芭蕉の日本遺産 日本第一の塩を産した「忠臣蔵」で知られる播州赤穂

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「塩の国」播州赤穂

人が生きていく上で必要なものとして、「空気」と「水」がまず思い浮かびますが、実際には「塩」も必要不可欠なものです。坂越は廻船業で繁栄しましたが、その原動力は赤穂で生産される「塩」だったのです。赤穂城を築いた浅野長直の時代、千種(ちくさ)川流域で大規模な入浜塩田の干拓が進められ、浅野家三代で約100ヘクタールの入浜塩田による塩づくりが行われましたが、これが塩焚き煙たなびく「塩の国」の始まりです。

平成芭蕉の日本遺産 きっと恋する六古窯の歴史ある焼き物めぐり

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常滑やきもの散歩道

六古窯には、堅牢で堂々とした「備前焼」の他、質朴で釉流れの美しい「丹波焼」、明るく健康的な「信楽焼」、豪快で無骨な「常滑焼」「越前焼」、そして唯一釉薬(ゆうやく)が掛けられた優雅さと逞しさを兼ね備える「瀬戸焼」がありますが、いずれも日本らしい焼き物として多くの人々の心をとりこにしてきました。

平成芭蕉の日本遺産 神々や鬼たちが躍動する神話の世界~石見地域で伝承される神楽

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石見神楽の能舞

石見地域に根付く伝統芸能の「石見神楽」は、かつて神職による神事であったものが、土地の人々の手に受け継がれ、民俗芸能として時代の変化を受容しながら発展を続けており、「神々や鬼たちが躍動する神話の世界〜石見地域で伝承される神楽〜」というストーリーとして日本遺産に登録されました。
佐比賣山神社飯尾山八幡宮などの「大元神楽」では、「神迎え」という神事から始まり、「太鼓口」、「剣舞」などの演目が続いて「神送り」まで、数人の神職によって夜を徹して奉納されますが、これが石見神楽のルーツと言われています。

平成芭蕉の日本遺産 石見の火山が伝える悠久の歴史~”縄文の森”と”銀の山”と出逢える旅へ

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三瓶小豆原埋没林

最近では土偶火焔型土器をはじめとする縄文文化に関心を寄せる方が増えていますが、遺物は石器や土器が中心で樹木や人骨は希少です。実際、縄文時代の集落跡などは大半が地下に埋もれており、身近には感じにくいかもしれません。しかし、狩猟・採集を中心に自然と共存していた縄文時代、日本列島には巨大な木々が生い茂る森林が広がっていました。島根県大田市「三瓶小豆原(さんべあずきはら)埋没林」は、その縄文時代の壮大な森の姿を今に伝えてくれる貴重な遺跡です。

平成芭蕉の日本遺産 伊勢神宮の天照大神に仕えた 祈る皇女斎王のみやこ「斎宮」

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斎王の暮らし

伊勢の神宮には何度もお参りしていても、神宮にゆかりのある「斎宮(さいくう)」を知っている人は少ないようです。「斎宮」は源氏物語にも登場し、約660年もの間、続いた歴史があるものの、その実態はまだまだ謎が多く、また、斎宮の主であった斎王(さいおう)についてもあまり知られてはいません。斎王とは、その昔、天皇の代わりに神宮の神様(天照大神)に仕えるために選ばれた未婚の皇女のことで、約500人もの付き人を連れて、都から神宮に近い役所である斎宮へ旅立ち、天皇が代わるまでの間ずっとそこで生活をしていました。

平成芭蕉の日本遺産 「百景図」で知られる森鴎外の故郷「山陰の小京都」津和野

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津和野今昔を歩く

山口線で訪ねる島根県の最西端の津和野町は文豪森鴎外の出身地であり、「津和野百景図」で知られるように歴史ある街です。「山陰の小京都」とも呼ばれており、益田平野を流れる美しい高津川水系に沿って町が形成され、青野山や城山など周囲を山々に囲まれた盆地に城下町が発展し、その歴史的なストーリーは「津和野今昔~百景図を歩く~」として日本遺産に登録されています。

平成芭蕉の日本遺産 『珠玉と歩む物語』小松に生きる豊かな石の文化

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那谷寺庭園の瑪瑙石(メノウ)

石川県小松市には、碧玉九谷焼などの石の資源を活用した豊かな石の文化が息づいており、平成28年、「『珠玉と歩む物語』小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~」というストーリーが日本遺産に認定されました。有名な1300年の歴史を持つ白山信仰の古刹「那谷寺(なたでら)」は、碧玉の地層が見られる岩山に開かれ、屋根には地元凝灰岩、庫裏庭園には碧玉(ジャスパー)瑪瑙(メノウ)石の飛び石が配されており、まさに時の流れで磨き上げられた石の文化を感じさせてくれます。

平成芭蕉の日本遺産 神奈川県伊勢原市「江戸庶民の信仰と行楽の地~大山詣り」

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阿夫利神社境内の日本遺産モニュメント

大山は、山頂の石を神として敬う「石尊信仰」に仏教の「不動尊信仰」が加わった霊地で、4~5世紀には大陸から平塚や大磯に渡来した人々が、眼前の威厳ある大山を見て「アーブリ、アーブリ(我が祖先の霊魂の鎮座する聖なる山よ)」と呪文を唱え、聖なる霊峰として崇めるようになっていました。

平成芭蕉の日本遺産 「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜

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信長公がもてなした岐阜城

信長公は、金華山などの自然と城下町が一体となった素晴らしい景観や鵜飼文化にその価値を見出し、軍事施設の城に「魅せる」という独創性を加え、おもてなしの文化を作ったのです。そして信長公が形作った町並みや鵜飼文化が残る岐阜の地は、『「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町』として日本遺産の第1号に登録されています。

平成芭蕉の日本遺産 地下迷宮の秘密を探る旅~大谷石文化が息づくまち宇都宮

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大谷石は、大正時代に有名なアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが、旧帝国ホテルの素材として使用したことで全国に知られるようになりました。

平成芭蕉の日本遺産 六根清浄と六感治癒の地~日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉

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日本一危ない国宝「投入堂」

日本一危ない国宝「投入堂」

「一夜(ひとよ)泊まりが二朝・三朝(ふたあさ、みあさ)」と三朝小唄に唄われている、鳥取県の三朝温泉「六根清浄・六感治癒の地」で、温泉浴と森林浴を中心とした「日本遺産を巡る健康五浴の旅」はいかがでしょうか。この東伯郡三朝町の「三徳山・三朝温泉」は平成27年に「六根清浄と六感治癒の地~日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉~」として、文化庁の日本遺産第一号に選ばれました。

平成芭蕉の日本遺産 ”日本最大の海賊”「村上海賊」が活動した瀬戸内海の芸予諸島

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因島村上家の本拠地

愛媛県今治市と広島県尾道市の間に広がる芸予(げいよ)諸島は、風光明媚な瀬戸内海に位置し、サイクリストを魅了する「瀬戸内しまなみ海道」で有名ですが、戦国時代には「日本最大の海賊」と賞された村上海賊の拠点でもありました。この村上海賊が育んだ日本固有の海の文化は、世界でも類を見ない海事産業にもつながっていることから、2016年に「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」というストーリーが日本遺産に登録されました。

平成芭蕉の日本遺産 浪漫に満ちた黄金文化体験 “みちのくGOLD浪漫”

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黄金山神社

一粒の砂金から始まった日本の“金”の原点を体感することができる聖地、それが黄金山産金遺跡で、遺跡は涌谷町の狭隘な谷間にある延喜式内社黄金山神社一帯にあります。神社の境内には初出を礼賛した大伴家持の万葉歌碑が建ち、みちのくと遥か奈良の都が“金”で結ばれたことを伝えています。

平成芭蕉の日本遺産 日本遺産を通して体験する「観光道」と武道の可能性

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なぎなたの聖地「修武館」

この度、公益財団法人日本武道館の「心技体 人を育てる総合誌」の月刊『武道』2024年3月号に私の記事が掲載されました。この記事の中では104ある日本遺産の中でも「武道の可能性を探る」上で参考になるストーリーを紹介しています。伊丹は今日、「なぎなたの聖地」とも呼ばれていますが、その起源は天明6(1786)年に丹醸(伊丹産の酒)で栄えた酒造家の小西家が、伊丹郷町の治安維持のために開設した武術修練の私設道場「修武館」にあります。

日本遺産の地を旅する~芭蕉も歩いた竹内街道・横大路(大道)

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竹内街道の當麻寺付近

大阪府の堺市から松原市、羽曳野市を経て奈良県葛城市に至る竹内街道(たけのうちかいどう)は、飛鳥時代の推古天皇21年(613)に、当時の港があった難波津から飛鳥の都へ通じる大道(おおじ)が起源とされています。そのため日本最古の古代官道とも言われていますが、二上山の西麓の太子町には陵墓・古墳などの遺跡や聖徳太子御廟など見どころも多く点在しています。

日本遺産の地を旅する~美林連なる造林発祥の地“吉野”の桜と森の暮らし

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吉野山の桜

吉野と言えば日本屈指の桜の名所として知られていますが、吉野山には約200種3万本の桜が密集しており、「下千本、中千本、上千本、奥千本」とそれぞれ標高によって開花時期がずれて順に開花します。

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

 

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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