Contents
- 1 平成芭蕉の理念「旅行+知恵=人生のときめき」
- 2 旅には人に感動を与える「知恵」が必要
- 3 平成芭蕉の旅のテーマ リラクゼーション「健康”五浴”」
- 4 神様とご縁を結ぶ「五円玉」の秘密
- 5 旅の種類と修学旅行からから学ぶこと
- 6 「忍城」城主の末裔阿部正靖氏の講演
- 7 伊勢の「朔日(ついたち)参り」
- 8 パスポートのいらない英国「ブリティッシュ・ヒルズ」
- 9 福澤諭吉の出身地、中津の日本遺産「耶馬渓」
- 10 北海道の命名者「松浦武四郎」
- 11 遠藤周作『沈黙』の舞台「外海から五島列島」
- 12 『奥の細道』のハイライト
- 13 【長崎県】幕末日本の外交を支えた長崎通詞 森山栄之助
- 14 遠藤周作『沈黙』の舞台、外海の潜伏キリシタン
- 15 外海の世界遺産はド・ロ神父からの贈り物
- 16 世界に誇る五島の潜伏キリシタン教会群
- 17 ユーミンの歌で有名な長崎県五島の奈留島と野茂投手
- 18 日本で最後に沈む五島の夕陽と空海の足跡
- 19 関西の新名所「宝塚北SA」と手塚治虫
- 20 マサイ族の子供とアフリカの動物
- 21 美しいペリト・モレノ氷河とLos Notros Hotel
- 22 奄美の景勝地「あやまる岬」と奄美を愛した田中一村
- 23 日本人の心の故里、中山道の追分と宿場町
- 24 本州最西端の万葉故地「毘沙ノ鼻」
- 25 豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号とカジノ
- 26 「げに一刻も千金」のヘリコプタークルージング
- 27 日本刀と日本を代表する現代の刀匠、藤安将平氏
- 28 倉敷・備前「日本遺産を訪ねて」
- 29 「四ケ村の棚田」と肘折温泉郷の砂防堰堤(ダム)
- 30 立谷沢川の『黙而雄』と「疎水百選」の北楯大堰
- 31 バオバブが群生する不思議な島「マダガスカル」
- 32 青の都サマルカンドとウルゲンチの仲間たち
- 33 奥飛騨温泉郷福地温泉「湯元長座」での至上のひととき
- 34 飛騨に伝わる口碑と位山の「天の岩戸」伝説
- 35 松阪商人の活躍と伊勢街道
- 36 ディオクレティアヌス宮殿跡に誕生した港町スプリット
- 37 クロアチアの古都トロギールのLiberty精神
- 38 ドゥブロヴニクの隠れた魅力
- 39 森羅万象に神々が宿るパワースポット壱岐島
- 40 嬬恋村鎌原の歴史と浅間山の天明大噴火
- 41 安来節と尼子氏の山城で有名な「はがねの町」安来
- 42 安来の平和を発信する加納美術館と清水寺の精進料理
- 43 乃木神社の管絃祭と正松神社
- 44 日向薬師と大友皇子開基の石雲寺
- 45 由緒ある神社仏閣が残る伊勢原比々多地区
- 46 第35代五島家当主が所有する福江城と五島氏庭園
- 47 日本遺産の塩竃神社を詣でる『奥の深い細道』
- 48 バンダウガル国立公園でのタイガーサファリ
- 49 泉岳寺での忠臣蔵「赤穂義士追憶の集い」
- 50 デンマーク王国のスヴェイネ駐日大使にご挨拶
- 51 平成最後の「初詣」は「猪」を祀る馬見岡綿向神社
- 52 1月7日は昭和天皇崩御の日で七草粥を食す「人日(じんじつ)の節句」
- 53 「成人式」に相応しい旅は新宮晋「風」をテーマとした旅
- 54 日本遺産「鞆の浦」の仙酔島で不思議体験
- 55 宇都宮餃子の由来と二荒山神社の見所
- 56 神武天皇お船出の地「日向美々津」
- 57 ひむかの国のスピリチュアルスポット「日向のお伊勢さま」大御神社
- 58 江戸料理研究家、車浮代先生による『江戸料理』を語る会
- 59 日本一、江戸文化を今に伝える岐阜の宝もの「地歌舞伎」
- 60 原城跡に秘められたキリシタンの真実
- 61 「縁結び」のパワースポット、神前結婚式で有名な東京大神宮
- 62 「さくら」の意味と「大山詣り」の参拝作法
- 63 「因幡の白兎」で知られる大国主命を祀る出雲大社東京分詞
- 64 祝!日本遺産「甲信縄文フェスティバル」パネルディスカッション
- 65 祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌
- 66 「平和の国」ボツワナ共和国のンコロイ大使と対談
- 67 平静芭蕉令和の旅 吉田兼好「徒然草」ゆかりの兼好塚
- 68 「平成」から「令和」への改元は天からの贈り物
- 69 ブルネイで悟った ゴルファーにとってのドライバー飛距離
- 70 写真家テラウチ マサト氏とファン・ゴッホについて対談
- 71 朝鮮通信使と新羅王国千年の都 慶州
- 72 NHK「ごごナマ・おいしい金曜日」で西川きよし師匠に「オムライス街道」をご紹介
- 73 伊勢原市比々多観光振興会総会での講演~ 遺跡や由緒ある神社仏閣に加えて人が魅力
- 74 マラソン界の第一人者である瀬古選手と対談
- 75 野崎島に残るレンガ造りの旧野首教会
- 76 淡路ワールドパークで兼高かおるさんと世界の旅
- 77 磯崎新氏監修の現代アートを五感で鑑賞する奈義町現代美術館
- 78 和歌山県 広川町 日本遺産認定記念シンポジウム参加
- 79 トレドのパラドールでエル・グレコが描いた風景を堪能
- 80 江戸川乱歩の故郷 名張の新名所「はなびし庵」で影絵鑑賞
- 81 話題の八ッ場ダムと注目すべき「片蓋川第二砂防堰堤」
- 82 ダイヤモンド・プリンセスでの台湾で「九份」観光と天燈上げ
- 83 餃子のまち宇都宮は駅弁発祥の地
- 84 芦田愛菜さんの祝辞と水に関わる桑名の木曽三川・多度大社
- 85 壱岐の万葉公園開園50周年記念イベントに想う
- 86 明治神宮鎮座100年記念講演とダニエル・オスト氏の奉祝の花展示会
- 87 泉岳寺での赤穂義士追憶の集い 神田松之丞「赤穂義士伝から」
- 88 日本人が知らないクリスマス サンタはサタン(悪魔)
- 89 あわら温泉「清風荘」での講演と東尋坊
- 90 日本遺産シンポジウム基調講演 中世荘園「日根荘遺跡」を活かした観光都市
- 91 第8回“おおやまみち”まちづくりサミットでの講演
- 92 鳥羽・志摩での講演 女性文化「海女(あま)」と「はしりがね」
- 93 那須野が原日本遺産ガイド養成講座フィールドワーク同乗記録
- 94 両備フェリー新型船での小豆島の旅と新型ウイルス感染対策
- 95 南あわじ市の観光資源調査と新型コロナウイルス感染拡大防止祈願
- 96 南あわじ市滝川記念美術館「玉青館」で直原画伯の代表作を鑑賞
- 97 太陽の有難さを感じた「烏鎮の奇跡」皆既日食の想い出
- 98 『古事記』にも登場する神々が宿る島「隠岐」
- 99 台湾の「民主先生」李登輝元総統と八田與一の功績
- 100 ゆったりとした時の流れを感じる島根県安来の「たたら」旅
- 101 「星空保護区」を目指す神々が集う島 神津島(こうづしま)
- 102 島根県安来の人魚姫像と「はがねの街」散策
- 103 「天空の城」月山富田城とアテネのアクロポリスとの共通点
- 104 街道情緒と五百羅漢、「鶉野飛行場」や第一次大戦の戦争遺跡が残る加西市
- 105 「お伊勢参りのみそぎ参り」の「東国三社参り」
- 106 伊勢へのレイライン「太陽の道」~大神神社から斎宮跡へ
- 107 「話の神様」稗田阿礼の賣太(めた)神社と太安万侶の多神社参拝
- 108 「鳥羽・志摩の海女文化」日本遺産ガイド養成講座実地研修
- 109 出雲の謎を紐解く〜古代の歴史に触れる鳥取・島根の遺跡巡り
- 110 愛知県街道推進事業「東海道シンポジウム」で紹介された東海道57次
- 111 「朝鮮通信使」の足跡をたどる風待ち・潮待ちの港町巡り
- 112 日本遺産「海を越えた鉄道」と快適空間の近鉄特急
- 113 勝沼中学校での日本遺産講演とえんざん桃源郷「雛飾りの桃の花まつり」
- 114 多古町の中世城郭と日蓮宗「不受不施派」の隠れ里
- 115 日本遺産 伊賀の「リアル忍者」の生き様に学ぶ
- 116 南あわじ市の日本遺産・重要文化財から学ぶ
- 117 神々の島、世界ジオパーク隠岐で感情の老化を防ぐ
- 118 大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一ゆかりの深谷
- 119 あの世を感じる長崎県の「国境の島」五島列島福江島
- 120 琉球神話の聖地「久高島」と沖縄版アダムとイブ伝説が伝わる「古宇利島」
- 121 「しゃがむ土偶」と注目すべき福島県の縄文遺跡群
- 122 新潟県十日町市の縄文人と雪国のものがたり
- 123 熊野古道を歩いて那智熊野大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社の熊野三山詣で
- 124 祝!世界文化遺産推薦 トキが舞う金銀の島「佐渡島」の遺産巡り
- 125 上田市の日本遺産ガイド研修で散策した「信州の学海」
- 126 人生を二度生きた伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる
- 127 北海道と北東北の国宝土偶と有名な「遮光器土偶」
- 128 松尾芭蕉が敬慕した西行法師終焉の地「弘川寺」
- 129 男鹿半島・大潟が育む人と大地の物語「ジオパーク」
- 130 縄文人の謎を紐解く 岩宿遺跡と群馬県・栃木県の縄文遺跡
- 131 人生を二度生きた伊能忠敬ゆかりの江戸深川・浅草を訪ねる
- 132 日本考古学発祥の地「大森貝塚」と静岡県の古代遺跡群
- 133 八百万の神々が集まる出雲の国の神社巡り
- 134 「星ヶ塔遺跡」と黒曜石に関連した八ヶ岳山麓の縄文遺跡群
- 135 『万葉集』に多くの秀歌を遺した歌聖柿本人麻呂
- 136 日本の歴史ある古窯「美濃」「瀬戸」「常滑」「伊賀」「信楽」の焼き物めぐり
- 137 益田市から温泉津温泉に浸かる石見海岸ローカル線の旅
- 138 「塩の町」赤穂の隠れた名所「有年(うね)の古代遺跡群」
平成芭蕉の理念「旅行+知恵=人生のときめき」
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って「共感」する旅をしています。
このカテゴリーでは旅先でのお勧めレストランや土産品等の旅行情報をお届けする予定でしたが、今の何でも検索できる時代においては、情報よりもむしろ私が体験した感動や旅のコンセプトをお伝えした方が良いと考え、
平成芭蕉を自称する私が「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマにお話をしたいと思います。
平成芭蕉の「平成」という言葉は、中国の歴史書からの引用で
『内平外成(内平らかに外成る)』、『地平天成(地平らかに天成る)』
という「平穏で周囲と仲良くする」といった想いが込められています。
そこで、私の旅のコンセプトは一にも二にも旅行中に“ラポール(フランス語で「共感する関係」)”を築くことです。
すなわち旅仲間や現地で出会った人と良い関係を築き、同じ時間を過ごすことによって、感動を共有することです。
もちろん、名所・旧跡からも多くの気付きや学びがありますが、私の場合はまずは「人との出会い」を旅の思い出の第一と考えています。
なぜなら旅の究極の楽しみは、時を共有した人との「再会」だからです。
平成芭蕉の「平成」の時代は幕を閉じて、新しい「令和」の時代を迎えましたが、平成芭蕉は令和の時代も旅を続けます。「令和」の由来については下記の「芭蕉さんの旅語録」の記事をご一読下さい。
祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌
旅には人に感動を与える「知恵」が必要
旅行中の忘れ物は良くありませんが、旅先に「時の流れの忘れ物」を残すのは「良き想い出」に変わるのでお勧めです。
芭蕉さんも旅先で門人と再会したり、句会を設けて「時の流れの忘れ物」を『おくの細道』をはじめとする紀行文として残しています。
よって、旅を楽しむコツは、現地の人との交流による想い出作りであり、そのためには人に感動を与える「知恵」が必要なのです。
例えば、現地の人に喜ばれる日本文化の話や、現地についての感想を伝えたり、意見交換するには最低限の「知恵」が必要ですが、この対話という「時の共有」があれば、それは「良き想い出」となり、将来、再会する機会に感動的な「人生のときめき」を味わうことができるのです。
すなわち、「旅行+知恵=人生のときめき」です。
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
平成芭蕉の旅のテーマ リラクゼーション「健康”五浴”」
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旅に出る目的のひとつに気分転換や療養があります。
すなわち、旅は心身の健康にも効果的で、私はかねてより、旅の「健康五浴」を提唱しています。
それは「観たい」、「食べたい」等の欲望の“欲”ではなく、次の5つの“浴”です。
- 日光浴…太陽のエネルギーから新陳代謝の促進
- 森林浴…新鮮な酸素と森のフィトンによるリラクゼーション効果
- 温泉浴…日本人の大好きな大地のエネルギーから温泉療養
- 海水浴(潮風浴)…体液に近い海水による塩分補給
- イオン浴…水しぶきによるマイナスイオン効果、裸足で地面に触れてもよい
神様とご縁を結ぶ「五円玉」の秘密
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お賽銭としていくら納めればよいのかと問われて、「神様とご縁が結ばれ、願いが通じる穴があることから五円がおすすめです」と言いたいところですが、この五円玉にはもっと深い隠された秘密があり、それは
・稲穂は日本の主力産業であった農業
・下部の複数の線は波、水面を表しており漁業
・穴の周りのギザギザは歯車で工業
・裏の双葉の木はこれからの国の繁栄を祈願すると同時に林業
・アラビア数字の記載がなく五円と大書されるのは商業
の5つの産業の繁栄祈願です。
この五円玉は戦争が終わって、戦後の日本を豊かにしようという願いが込められているのです。
旅の種類と修学旅行からから学ぶこと
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日本語の「旅」を英語で表現すると
・Travel
・Tour
・Trip
・Journey
・Excursion
のように区分されます。
一般的な旅行はトラベルTravelで、旅行会社もTravel Agencyと表記されます。
Tourは、その旅行会社が企画するGroup Tourのような団体旅行に使います。
TripはBusiness Tripのような個人出張で乗り物を使う個人旅が主です。
芭蕉さんのように「人生は旅」という場合にはJourneyで、通常、長旅を意味します。
私たちは子供の頃の修学旅行で旅のイメージを植え付けられますが、これはExcursionという遠足であったり、教育的指導の制約されたGroup Tour団体旅行で、本来の「旅」ではありません。
「忍城」城主の末裔阿部正靖氏の講演
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「生類憐みの令」という法律は江戸時代の第5代将軍徳川綱吉によって制定され、鷹の餌になる犬の保護を中心に「生類を憐れむ」ことを趣旨とし、捨て子や病人、動物保護のための法令ですが、これは1回で出されたものではなく、複数回に分けて発布された諸法令でした。
しかし、「江戸に多いもの、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と落語でネタにされるほど、犬の糞が放置される原因にもなった誤解の多い法令です。
すなわち、第8代将軍の吉宗が「鷹狩りの邪魔になる犬を遠くへ捨てなさい」とお触れを出すまで犬が増え続けたと言われています。
しかし、阿部正弘の末裔、阿部正靖さんも講演でお話されていましたが、この法令のおかげで、以前は刀を買った武士が試し切りと称して、辻切りをしていた習慣がなくなり、命が軽んじられていた世の中の倫理観が変わったのです。
伊勢の「朔日(ついたち)参り」
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「明けましておめでとうございます」とはお正月だけではありません。
無事にひと月を過ごせたことを神様に感謝して、新しく始まる月もどうか健康で満ち足りた日々を過ごせますように、と手を合わせるのが神社への「朔日参り」です。
今回の朔日参りは、神宮の早朝参拝で、毎月1日と15日に行われる「神馬見参」の儀に参列し、今年1月に内宮の新しい神馬となった「草新号」にご挨拶するのが目的でした。
「神馬見参」の「草新号」は、まだ慣れない素振りがあるかと思いきや、威風堂々と神職の礼に合わせて首を垂れていた姿にはとても感動しました。
パスポートのいらない英国「ブリティッシュ・ヒルズ」
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私は若い頃、シャーロックホーロックホームズクラブ会員となり、英国のベーカー街やホームズゆかりの地を旅行していました。
「シャーロックホームズ」という言葉から
コナンドイル→英国→ブリティッシュ・ヒルズ
まで、検索できれば福島県の羽鳥高原のブリティッシュ・ヒルズで英国に行かなくてもシャーロックホームズの気分が味わえます。
ブリティッシュ・ヒルズは専門学校の英語研修のために生まれた施設で、主要設備はすべて英国から取り寄せられたもので、「パスポートのいらない英国」として、人気のある宿泊施設です。
ホテルの一室には「シャーロック・ホームズの部屋」があって、シャーロック・ホームズの気分を味わうことができます。
福澤諭吉の出身地、中津の日本遺産「耶馬渓」
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先日、わが母校の創立者、福澤諭吉先生の出身地である大分県中津に行ってきました。聞くところによると今年は福澤諭吉先生が一万円札の肖像になって30周年だそうです。
しかし、今回の中津訪問は昨年、日本遺産に認定された「耶馬渓」の現地案内人さんを対象とした講演が目的です。
その日本遺産は、中津市と玖珠町にまたがる景勝地の歴史や文化を語る
「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」というストーリーです。
そして今年は頼山陽が「耶馬渓」と命名してからちょうど200年にあたる記念すべき年なのです。
北海道の命名者「松浦武四郎」
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松浦武四郎は幕末の偉大な探検家であり、科学者でもあり、「北海道」という地名の命名者で伊能忠敬以上に日本全国を歩きつくした「旅の達人」です。
2018年は松浦武四郎の生誕200年であると同時に『大日本沿海輿地全図』を完成させた伊能忠敬の没後200年にもあたります。
また、NHKスペシャルドラマ「永遠のニシパ~北海道と名付けた男松浦武四郎~」(北海道で先行放送後、全国放送)も放映されます。
この機会に偉大なる先人の足跡を訪ねる旅に出てみてはいかがでしょうか。
三重県の松阪には「松浦武四郎記念館」があって、松浦武四郎の生涯とその功績を学ぶことができます。
遠藤周作『沈黙』の舞台「外海から五島列島」
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外海は昨年、公開された遠藤周作の映画『沈黙』の舞台になったところで、この地には信仰が自由になってからも潜伏時代からの信仰を守り続ける「かくれキリシタン」がいます。
昨年、私が現地でお世話になった外海観光ボランティアガイドの松川隆治会長は、黒崎地区のかくれキリシタンで、外海に伝わる伝説を分かり易く解説してくれました。
また、外海から五島に渡ったキリシタンについては、五島列島の五島家第35代五島典昭当主が、当時の大村藩との関係を踏まえて興味深い話を聞かせてくれました。
『奥の細道』のハイライト
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私の好きな芭蕉さんの句に 「五月雨を集めて 早し 最上川」 があります。
この句は元禄2(1689)年5月29日(新暦では7月中旬)に山形県大石田の俳諧をたしなむ人たちと句会(36句の歌仙一巻)を開いたときに詠まれたものです。
彼らの代表は船宿の主人、高野一栄という人で、芭蕉さんはその高野一栄の亭に招かれたのですが、そこは最上川の川っぺにある涼しい場所だったのです。
そして、芭蕉さんは『奥の細道』に「このたびの風流、ここに至れり」と書いており、みちのくの旅が最上川でピークに達したと自ら言っているのです。
【長崎県】幕末日本の外交を支えた長崎通詞 森山栄之助
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今年は幕末150年で大河ドラマの西郷隆盛や大久保利通が明治維新のヒーローとして話題を呼んでいます。
しかし、1853年の日本開国以降、幕末の外交を陰で支えた人物の存在も話題にすべきかと思います。その人物は1820年に長崎のオランダ通詞の家に生まれた森山栄之助(太吉郎)です。
彼はオランダ語に加えて独学で英語も勉強していましたが、ちょうど彼が23歳の時、アメリカインディアンの血を引くラナルド・マクドナルドが漂流民を装って北海道に上陸、捕らえられて長崎に送られてきた際、彼に対する奉行の尋問を通訳する機会に恵まれました。
遠藤周作『沈黙』の舞台、外海の潜伏キリシタン
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遠藤周作『沈黙』の舞台である外海の潜伏キリシタン関連教会を巡ってきました。
今回も外海ボランティアガイド協会の松川隆治会長にご案内いただき、黒崎教会、出津教会、大野教会と巡り、この地に伝わるバスチャン信仰についても解説していただきました。
バスチャンとは外海地区で活動した伝道師で、黒崎教会の資料館にはその「バスチャンの日繰り」と呼ばれる教会暦が展示されており、これは「御帳」と呼ばれる組織のリーダーが管理した教会暦のことです。
もとはフランシスコ・ザビエルが1550年の教会暦を鹿児島の信徒に与えたもので、バスチャンの「日繰り」もこれにならって1634年の教会暦(グレゴリオ暦)を当時の太陰暦に改編したものと言われています。
外海の世界遺産はド・ロ神父からの贈り物
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『沈黙』の舞台である外海を旅して、私は、信じること、守ること、伝えること、そして愛することという人間が生きていく上で大切なことを学んだ気がします。
特に「外海の太陽」として今日まで語り継がれているド・ロ神父の献身的な功績には感動します。
おぼつかない日本語については、神父の良きパートナーであった黒崎村出身の伝道師中村金蔵がサポートし、外海の人々に生きる力を与え、自立することを教えたド・ロ神父の強さと真の愛情はこれからも永遠に語り継がれことと思います。
世界に誇る五島の潜伏キリシタン教会群
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今回の世界遺産では旧五輪、江上、頭ケ島、青砂ケ浦教会堂といった建物ではなく、集落や集落跡が登録対象となっていますが、これらの教会堂は長い潜伏期間を乗り越え、どんなに過酷な迫害に遭っても、決してその信仰を捨てなかった信者たちが渇望した「神の家」です。
厳しい生活の中から少しづつ資金を捻出し、自分たちの生活よりも神の家を建てることを優先した信徒たち。
私はつつましく、まじめに生きた五島の潜伏キリシタンから、決して諦めないサバイバル精神を学んだ気がします。
ユーミンの歌で有名な長崎県五島の奈留島と野茂投手
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私は兵庫県立鳴尾高等学校、通称「鳴高」の出身で、五島の奈留島を訪れた際、同じ発音の「奈留高」生に親近感を覚え、その奈留高生にお願いして有名な奈留高生の愛唱歌、すなわちユーミン(松任谷由実)の『瞳を閉じて』を歌ってもらいました。
この曲はまだ、分校だった奈留高の一人の女生徒が、ユーミンがDJをつとめる深夜のラジオ番組『オールナイトニッポン』に「分校には校歌がないので作って欲しい」と書き送った結果、ユーミンから贈られた曲です。
1988年には同高卒業生の寄付でユーミン直筆の歌詞を刻んだ歌碑が校内に建立され、除幕式にはユーミン本人も訪れました。
日本で最後に沈む五島の夕陽と空海の足跡
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長崎県の五島は今話題の世界遺産だけでなく、「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋」というストーリーで日本遺産にも認定されています。
これらの島に残る史跡や文化財で構成される物語は、朝鮮半島や中国大陸との交流や交易によって作られた「国境の島」特有の文化が伝わり、特に五島では奈良・平安時代に大海原へ漕ぎだした遣唐使たちに想いを馳せることができます。
空海も遣唐使として唐に赴いた際にはこの五島の福江島に立ち寄り、「辞本涯」という碑が建てられています。
関西の新名所「宝塚北SA」と手塚治虫
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先日、今話題の兵庫県宝塚市にある新名神高速道路の「宝塚北サービスエリア」に行ってきました。
この施設は宝塚市の「花のみち」周辺の南欧風景観をイメージした建物とパティオ、そしてお洒落なお店に加えて宝塚ならではの宝塚歌劇OGによるイベントが定期的に行われていることが特徴です。
また、メイントイレは高級会員制ゴルフ倶楽部のロッカールームを思わせるほど素晴らしく、ぜひとも利用してみて下さい。
しかし、私にとって最も興味深かったのは、宝塚が生んだ偉大な漫画家、手塚治虫の特設コーナーがあって、サファイア姫(王子)像や鉄腕アトムのトピアリーが設置されていることです。
マサイ族の子供とアフリカの動物
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私は動物が大好きで、以前は毎年アフリカのマサイマラやセレンゲティ国立公園、ンゴロンゴロ自然保護区に行き、心の洗濯をしていましたが、今も当時の動画を見ながら気分転換をはかっています。
特に「セレンゲティ国立公園」では、アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ山の裾野に広がる広大なサバンナでサファリを満喫することができ、地平線に動物の群れを眺めながら夕陽鑑賞というぜいたくな時間を過ごすこともできます。
都会の生活に疲れて、いろいろな悩みをかかえている方にはアフリカの国立公園がお勧めです。自然に対して謙虚になれると同時に価値観も変わり、感謝の気持ちと新しいマインドセットが生まれます。
美しいペリト・モレノ氷河とLos Notros Hotel
☝《タイトルをクリックして解説記事もご覧下さい》
「地球に優しい」という標語がありますが、私はむしろ人類はこれまで「地球に優しくされてきた」のではないかと思っています。
その氷河崩落の場所は、南米のアルゼンチンにある、その名も「氷河」を意味するロス・グラシアレス国立公園です。
氷河はその広がりによって氷床(大陸氷河)と山岳氷河に分けられますが、ロス・グラシアレス国立公園の氷河は南極やグリーンランドの氷床とは異なる山岳氷河です。
そしてこの山岳氷河の地域では、真冬でもさほど気温が下がらないので、氷河は溶けては凍る再氷結を繰り返しながら、速い速度で移動しているのが特徴です。
中でもアルヘンティーノ湖に流れ込むペリト・モレノ氷河は、中央部で1日に約2mも移動するので「生きている氷河」と呼ばれ、気温が上がる夏には、ビルほどの高さの氷河が大きな轟音とともに一気に崩落するシーンが見られるのです。
奄美の景勝地「あやまる岬」と奄美を愛した田中一村
☝《タイトルをクリックして解説記事もご覧下さい》
田中一村は明治41(1908)年、栃木県に生まれ、今年は生誕110周年ということで佐川美術館において「生誕110年特別企画展」が開催されています。
また、箱根の岡田美術館でも「奄美を愛した孤高の画家」田中一村特別展が開催されており、8月24日から1か月間、田中一村の最高傑作と名高い『アダンの海辺』(個人蔵)が特別公開されます。
田中一村は、昭和33年50歳で奄美大島に移住し、紬工場で染色工として働きながら、奄美大島の自然を描き続け、独自の世界を作り上げた孤高の画家です。
奄美大島の自然をこよなく愛し、大島に生息する亜熱帯植物や鳥を鋭い観察で力強くも繊細な花鳥画に描き、南を目指したことから「日本のゴーギャン」とも呼ばれています。
日本人の心の故里、中山道の追分と宿場町
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私は数ある街道の中でも中山道が大好きで、暑い日には陣中見舞いを兼ね、お客様を案内されている講師の先生を励ますという名目で、軽井沢の先にある追分宿や木曽路の贄川(にえかわ)宿等で待機し、お客様や先生に冷たい麦茶やスイカを提供していました。
追分とは宿場町の名前でもありますが、信越本線の信濃追分駅に近い「分去(わかさ)れ追分」は地名ではなく場所としての追分で、中山道と北國街道との分岐点です。
実は中山道は江戸時代に初めて制定された街道ではなく、その前身を「東山道」と呼ぶ古代から西国と東国を結ぶ重要な官道で、追分に立つ「道しるべ石」には「さらしなは右、みよしのは左にて、月と花とを追分の宿」と有名な歌が彫られています。
本州最西端の万葉故地「毘沙ノ鼻」
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私は学生時代に「犬養節」で知られる犬養孝先生の講座を聞いて、万葉集に関心を抱くようになったのですが、万葉集の歌は「心の音楽」だと思います。
しかし、関西圏以外の万葉故地は、今、訪れるとなると結構不便なところが多いのですが、感動的な歌は案外、僻地で詠まれているのです。
その代表が本州最西端にあたる「毘沙ノ鼻」です。ここは山口県西部の海岸にあり、沖には蓋井(ふたおい)島が浮かんでいますが、あとは遮るものはなく、どこまでも大海原が広がる最果ての地です。
その「本州最西端の地」の記念碑の横には
『長門なる 沖つ借島 奥まへて 吾が思ふ君は 千歳にもがも』
の万葉歌碑が立っています。この歌は天平10(738)年、この地を治めていた長門守の巨曽倍対馬(こそべのつしま) が都で催された橘諸兄(たちばなのもろえ) に詠んだ歌です。
豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号とカジノ
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最近ではダイヤモンド・プリンセス号のチャーター企画で船内講座を担当し、昨年まで毎年乗船していましたが、今年はその企画はありません。
しかし、来年の10月にはまた台湾に向けて同船のチャータークルーズ企画があり、私はまたセミナー講師として乗船する予定です。
そして今週末にその船内クルーズの魅力を語る講座を設けることになりましたので、この機会に未公開の写真を披露することにしました。
それは、今では保安上、一般客が立ち入ることのできない、船橋と呼ばれる操舵室ブリッジでキャップテン自らが操縦している写真です。
「げに一刻も千金」のヘリコプタークルージング
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エクセル航空のヘリコプターによる「東京ナイトクルージング」を満喫してきました。
台風が接近しつつある状況で運行が危ぶまれましたが、幸い風もなければ雲もなく、美しい夕焼けを鑑賞した後、浦安ヘリポートより約15分間、極上の時間を体験することができました。
私は世界各地を巡って多くの人を見てきましたが、「日本人は分単位で時間を節約しながら仕事をして、年単位で時間を損している」ように感じます。
すなわち、毎日一生懸命働いていても、1年を振り返ると鮮明な想い出が少ないのではないか、ということです。
今日も通常ならば、仕事をしている時間ですが、そのわずか15分を利用して大都会東京の夜景を鑑賞すると、一生忘れることのできない想い出となります。
日本刀と日本を代表する現代の刀匠、藤安将平氏
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平成芭蕉は現代の刀匠藤安将平氏に、日本刀についてのお話をお伺いするべく、福島県の鍛錬所「将平鍛刀場」を訪ねました。
藤安刀匠は人間国宝・宮入行平刀匠のもとに弟子入りして修行されました。
正確に言えば、師匠となる宮入刀匠の奥さんの「家事」手伝いをしながら刀鍛冶の技術を伝授されたそうです。すなわち、師匠の奥さんに支援されて今日があるとのことです。
現在、国宝として指定を受けている名刀は約120点ばかりあり、それらは平安末期から鎌倉、南北朝時代にかけて作られたものです。
そこで藤安刀匠は「古名刀とまではいかなくとも、古刀のような条件を備えた刀を作りたい」と鍛錬されてこられました。
倉敷・備前「日本遺産を訪ねて」
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岡山県では平成27年度の旧閑谷学校「近世日本の教育遺産群~学ぶ心・礼節の本源~」に引き続き、平成29年には
備前市の「きっと恋する六古窯~日本生まれ日本育ちのやきもの産地~」と
倉敷市の「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」
という2つのストーリーが文化庁の日本遺産に登録されました。
六古窯とは日本古来の陶磁器窯のうち、現在まで生産が続けられている代表的な6つの窯(備前、瀬戸、越前、常滑、信楽、丹波)の総称で、日本の技術、伝統を古くから継承している日本独自の焼き物で、備前焼もその一つです。
また、倉敷の日本遺産は県内で初めて単一の自治体で完結する「繊維のまち」のストーリーです。
さらに、岡山県では平成30年に岡山市、倉敷市、総社市、赤磐市が申請した「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」も日本遺産に認定されました。
「四ケ村の棚田」と肘折温泉郷の砂防堰堤(ダム)
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日本棚田百選のひとつ「四ケ村の棚田」は、霊峰月山、葉山の懐に抱かれ、それらの山々を源とする銅山川と赤松川が村を貫き、山村としては珍しい広々とした台地が各所に広がっています。
また、近くには数度にわたる爆発を繰り返した、肘折火山のカルデラに位置する肘折温泉郷もあります。
そして、肘折温泉の南には大規模なブナ林が広がっていますが、今回は冬には行けなかった地蔵倉洞窟の散策コースを巡ってきました。
地蔵倉は、この肘折温泉を発見したと伝えられる豊後の国(大分県)から来た源翁が、地蔵菩薩に出会った場所です。
地蔵菩薩は、この崖から落ち、「肘を折って痛かったが、岩の間から湧き出る温泉で傷が治ったので、このお湯のことを皆に知らせて欲しい」と源翁に語ったのです。
そこで、源翁はその洞窟を「地蔵倉」、温泉を「肘折温泉」と名付けて、守り続けたと言われています。
立谷沢川の『黙而雄』と「疎水百選」の北楯大堰
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立谷沢川上流は、地質がもろく、大規模な土砂崩壊が発生していたので、今日では龍神・水神様を参拝する代わりに六淵ダムや瀬場ダムのような砂防堰堤が地元民の家や命を守っており、『現代の龍神石碑』ということで壁面に龍が描かれています。
私は国土交通省の新庄河川事務所の方から、この立谷沢川流域の歴史や史跡、そして砂防事業との関わり等について詳しい説明を受けました。
その中で瀬場堰堤工事に尽力された当時の工務課長、倉上靖氏の『黙而雄(もくしてゆう)』という言葉を刻んだ石碑が印象に残りました。
最近の異常気象で洪水や土砂災害がニュースで報じられるケースが増えてきましたが、この『黙而雄』の碑は長きにわたる「土砂災害との闘いの歴史」を風化させずに後世に伝え、さらには地域の魅力再発見にもつながるモニュメントかと思います。
バオバブが群生する不思議な島「マダガスカル」
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マダガスカル島は日本の約1.6倍で、グリーンランド、ニューギニア、カリマンタンに次ぐ世界で4番目に大きい島で、1億年以上も昔にアフリカ大陸と分離したと考えられ、島に棲息する動植物の3分の2が固有種です。
植物ではサン・テグジュペリの「星の王子さま」に登場するバオバブ、動物では横っ飛びが特徴的なシファカやキツネザルが有名です。
そのバオバブは植物分類学上では「木」ではなく「草」ですが、樹齢は500年以上と言われ、死者の魂が戻る場所と考えられているためか生命力を感じます。
私はマダガスカルを訪れた際には、「モロンダバのバオバブ並木」はもちろんですが、「ベレンティの森」にも宿泊し、ベローシファカの横っ跳びやワオキツネザルの動きをじっくりと観察していました。
青の都サマルカンドとウルゲンチの仲間たち
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ウズベキスタンで出会った女子学生にウルゲンチを案内してもたった際には、初めて訪れたにもかかわらず、すでに来たことがあるような既視感(デジャヴ)に遭遇しました。
私はアジアを旅行していると時々このデジャヴュに遭遇します。
静かで不思議な感動を伝える信仰や土着民族の風習、懐かしいと感じる風景など、五感に新鮮な驚きが溢れ、肌ににじんだ汗が地元の空気に馴染む頃、このデジャヴュがやってくるのです。
ウズベキスタンの古都サマルカンドはサンスクリット語のSamaryaに由来し、「人々が出会う場所」という意味がありますが、まさにこの国は人種のるつぼです。
日本人そっくりの蒙古系から先住民族のソグド系民族にいたるまで、様々に着飾った民族が一堂に会する光景は飽きることがありません。
奥飛騨温泉郷福地温泉「湯元長座」での至上のひととき
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今日は甲州街道を経由して奥飛騨の福地温泉「湯本長座」にやって来ました。
この宿は昔ながらの飛騨造りによる古民家を移築しており、木の香り、囲炉裏のぬくもりなど、懐かしいい日本の情緒を味わえるお薦めの温泉宿です。
玄関から続く廊下にも趣があって、重厚な柱や梁、そして柔らかく差し込む光が都会の喧騒を忘れさせてくれます。
お風呂も豊富な源泉を使った趣のある露天風呂や家族風呂もあって、心身ともにくつろげます。
また、食事も囲炉裏端の部屋で、飛騨牛をはじめ、奥飛騨の山の幸にこだわった「ごっつを」を堪能することができます。
飛騨に伝わる口碑と位山の「天の岩戸」伝説
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「飛騨の口碑」によると、飛騨王朝第15代淡上方(あわのうわかた)様は、飛騨の地がしだいに寒冷化してきたため、都を淡山の麓から雪の少ない宮村(現高山市一之宮町付近)に移し、その近くにそびえる位山を祭祀場として、位山の山頂から淡山を遥拝したと言われています。
そして偉大なる神通力者であった淡上方様は、宮村で崩御された後、位山の大岩の横に埋葬され、以後、皇統一族は亡くなると位山の巨岩「天の岩戸」のそばに埋葬されるようになったと言われています。
そのため、皇統命(スメラミコト)が新たに即位するときには、歴代の先祖が眠るこの位山のイチイの木の板(位板)が辞令として謹製されるようになったと飛騨の一宮である水無(みなし)神社にも伝わっています。
松阪商人の活躍と伊勢街道
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私が『価値ある旅行のゴールデンルール』というテーマで講演させていただく際には「魅力ある街にはシンボルとなる建造物があり、主要な街道が通っています」と説明しています。
私は来る8月20日に三重県松阪市で「旅行会社が地域に望むこと」というタイトルで講演させていただく予定ですが、この松阪市こそ実は価値ある旅行のゴールデンルール上からも魅力ある街の筆頭なのです。
今年はその松阪出身の北海道命名者、松浦武四郎が生誕200周年を迎えるということもあり、私はこの機会に松阪の魅力を一人でも多くの人に知っていただきたいと思っています。
松阪と言えばまずは松阪牛、そして蒲生氏郷の美意識の高さを感じさせてくれる松坂城、さらには「松阪の一夜」で有名な本居宣長を連想しますが、忘れてはならないのは三井家、長谷川家、小津家で代表される松阪商人の存在です。
ディオクレティアヌス宮殿跡に誕生した港町スプリット
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20世紀の歴史学者アーノルド・トインビー博士は「人間とは歴史に学ばない生き物である」と名言を残していますが、このスプリットの街を見れば本当にこの言葉が実感されます。
すなわち、古代ローマの時代には上下水道も完備し、ディオクレティアヌス邸も現代に通用する立派な建造物だったと思われます。
しかし、この地に来たゲルマン民族やヴェネツィア人は、街の歴史を無視し、古代ローマ人の造った施設の意味も理解せずに自分勝手な破壊活動を行った結果、ローマ時代には下水道も完備して清潔だった街にペストが流行したり、余計な争いが増える原因を作ったのです。
因みに下水道設備は壊されましたが、上水道は古代ローマ時代のものが現在でも利用されています。
クロアチアの旅を通じて私は、日本においても古代ローマ同様に古代の人の作った遺跡は、今一度その意味を精査すべきだと思いました。
クロアチアの古都トロギールのLiberty精神
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スプリットから海岸道路を西へ約25km走った場所に、世界遺産にも登録された美しい中世の面影を残す古都トロギールがあり、私はこの小さな町の象徴である聖ロヴロ大聖堂の門のレリーフを正確に読み解く目的で再度この地を訪ねました。
ロギールは紀元前2~3世紀にギリシャ人が建設した殖民都市で、そのギリシャ人が「トラグリオン」と名づけたのが町の起源ですが、実際はクロアチアの先住民イリュリア人が独自の文化を育んでいたと言われています。
トロギールはその後ローマ人に引き継がれ、ローマ軍が去った後はラテン人の町として発展し、7世紀にトロギールとスプリットの間にあるローマ人の町サロナがスラヴ人に攻撃された際、町はサロナからの避難民を受け入れてさらに拡大したのです。
しかし、トロギールはダルマチア文化の中心地としてLiberty精神を大切にし、「異民族支配からの自由」より、Libertyという「信仰への自由」を求め、その象徴が聖ロヴロ大聖堂です。
平和な日本ではあまり意識しないことですが、生きる上においては「何らかの束縛からの自由より、自分の信念に従って積極的に行動せよ」ということでしょうか。
このトロギール市民のLiberty精神こそが真の世界遺産だと感じました。
ドゥブロヴニクの隠れた魅力
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イギリスの劇作家、バーナード・ショーは「この世の天国を見たければ、ドゥブロブニクに行かれよ」という言葉を残しており、今回の私の最終目的地もこの「アドリア海の真珠」と呼ばれたドゥブロヴニクでした。
ドゥブロヴニクとはスラヴ語の名称で、ラテン語ではラグーサと言い、ナポレオン侵攻まではラグーサ共和国と呼ばれる海洋都市国家でした。イタリアのヴェネツィアと同様に地中海貿易で栄え、ハンガリー、オスマン・トルコと次々に宗主国が変わる中、巧みな外交術と堅牢な城塞によって都市国家としての自由と自治を守り続けたのです。
紺碧の海と空を背景に、茜色の屋根瓦を載せた象牙色の家々がびっしりと軒を連ねる旧市街には頑強な城壁がぐるりと取り囲んでいます。
ロープウェイでスルジ山に登り、展望台から見た城塞都市ドゥブロヴニクは、真っ青なアドリア海に向かって挑むように張り出し、溢れる陽光に輝いており、まさしく「アドリア海の真珠」という表現がふさわしい街です。
旧市街入り口のピレ門に近いロヴリィエナッツ要塞の砦には、ラテン語で「どんな黄金との引き換えであっても、自由を売り渡してはならない」と書かれています。軍隊もろくに持たない小国ながら、自由を得るためには敵に黄金を差し出すことさえいとわなかったドゥヴロヴニク市民の強い意志が伝わってきます。
森羅万象に神々が宿るパワースポット壱岐島
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長崎県の壱岐島は、古事記の国生み神話で大八島と言われる日本の国土を生んだ伊邪那岐神・伊邪那美神が5番目に造った島とされ、そこに光の柱が降臨したのでまたの名を「天比登都柱(アメヒトツバシラ)」とも呼ばれています。
神道においては「柱」は神様が宿るものとして信仰され、天地を結ぶ交通路とも考えられているので、古代の世界観では「壱岐からは天上の世界へいくことができる」という観念があったと推測されます。
そして私の干支にも関連する猿田彦命を祀る男嶽(おんだけ)神社は、その「天比登都柱」が降臨した場所と伝えられ、拝殿裏にあるご神体の岩は男嶽大明神のパワースポットとしても注目されています。
今回は吉野理(ただし)宮司に境内をご案内いただきましたが、奉納された多くの石猿や鬱蒼とした参道にはパワーを感じました。
嬬恋村鎌原の歴史と浅間山の天明大噴火
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ダイヤモンド浅間を撮影する国土交通省管轄の片蓋川第二砂防堰堤の近くには、溶岩の芸術と呼ばれる「鬼押出し園」がありますが、この溶岩は天明3(1783)年8月5日(旧暦では7月8日)に起きた浅間山噴火の際、最後に流出した溶岩流が固まったものです。
今年に入って草津白根火山の噴火がニュースになりましたが、キャベツ畑の「愛妻の丘」で有名な嬬恋村の鎌原(かんばら)にある嬬恋郷土資料館には、当時の浅間山噴火に起因する「土石なだれ」によって埋没した鎌原村からの発掘品や噴火当時の絵図が展示されています。
今回のダイヤモンド浅間撮影場所となる砂防堰堤は、このような「土石なだれ」や火砕流から住民の生活を守るために建設されており、八ッ場ダムのような建造物は話題になってもこのような砂防堰堤は知る人ぞ知る防災設備なのかもしれません。
私は11月10日(土)に嬬恋会館ホールにて、「吾妻川上流域の防災・減災と活力のある地域づくりを考える会」実行委員会が主催する講演会で『地域の魅力を活力につなぐ』をテーマに講演をさせていただく予定ですが、奇跡的な復興をとげた鎌原地域については是非とも多くの人に知っていただきたいと考えています。
安来節と尼子氏の山城で有名な「はがねの町」安来
第25回山城サミット安来大会の主役である月山富田城は、戦国大名の尼子氏が拠点とした山城ですが、山陰地方の鉄生産の中心地であった奥出雲地域を支配下においたことから、「鉄づくり千年が生んだ物語」の一つとして日本遺産の構成文化財となっています。
現在では当時の建築物は残っていませんが、登山道の整備はなされており、山中御殿から七曲りを経て本丸まで登ると、眼下には鉄の流通路であった安来平野から島根半島を見渡すことができます。
しかし、私の関心は私の姓と同じ安来市広瀬町にある黒田の奥非田(比田)の森の桂の木に降り立たれたと伝わる、たたらの神「金屋子神」でした。かつて西宮青年会議所のメンバーであった際、おなじ兵庫県内の宍粟市千種町も金屋子神ゆかりの地であると聞いていたからです。
たたらの女神「金屋子神」を祀る金屋子神社の総本社を参拝した私は、境内の参道や黒田川に製鉄の副産物を発見し、良質の砂鉄と豊富な森林資源、そして黒田川の清らかな水という製鉄に必要な条件がそろっていたことも理解できました。
近くにある金屋子神話民俗館の展示資料によると、金屋子神は高天原から最初に天降下った場所が播磨国志相郡(兵庫県宍粟市)で、その後、「私は西方を司どる神である」と言って白鷺に乗り、この出雲国の黒田に来たと解説してありました。しかし、一説には、途中、備中国吉備の中山を経由したとも言われています。
安来の平和を発信する加納美術館と清水寺の精進料理
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安来の美術館と言えば、足立美術館が有名ですが、平和を願い続けた加納莞蕾(辰夫)氏の思いを伝える展示で知られる加納美術館もお勧めです。
私は氏の娘さんで名誉館長の加納佳世子さんに館内を案内していただきましたが、私の好きな「奥の細道句抄絵」の作者小野竹喬さんの作品も展示されており、また、備前焼や名碗の展示も充実していて、茶室「如水庵」ではその名碗を手に取って愉しむこともできます。
しかし、この美術館の第一の魅力は、終戦後、フィリピン刑務所に収容されていた日本兵戦犯108名の釈放助命嘆願書をキリノ大統領に送り、目的を達成させた従軍画家加納莞蕾氏の魂が宿っているところです。
キリノ大統領に宛てた嘆願書の中の
『「許し難きを許す」という奇跡によってのみ人類に恒久の平和をもたらし、「目には目を」ということでは決して達成し得ないということを、これまで以上に強く感ずる次第であります。』
という加納莞蕾氏の言葉が、フィリピンのキリノ大統領に日本人戦犯の釈放減刑通告を促したのです。すなわち、この美術館は世界に平和をアピールする拠点でもあるのです。
乃木神社の管絃祭と正松神社
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乃木神社境内に鎮座する正松神社は学問の神様で、乃木将軍が敬愛した吉田松陰を祀る神社です。
乃木将軍は師である玉木文之進より、吉田松陰直筆の「士気七則」を贈られて、その教えを大切に守っていたと言われていますが、その中に
「一つ、日本に生まれたのであれば、まず日本の偉大なるところをしるべきである」
との教えがあります。
その日本人の偉大なるところは、今日、乃木神社に奉納された雅楽や舞楽の深淵なる宇宙観を感じ、自然と調和する能力だと思います。
日向薬師と大友皇子開基の石雲寺
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日向薬師は正式名を日向山霊山寺と呼び、716年に行基菩薩が開創した古刹です。
最盛期には13防あったそうですが、明治の廃仏毀釈で破壊され、今は宝城坊のみが残り、これが日向薬師宝城坊、通称「日向薬師」として知られています。
境内には天然記念物の二本杉の隣に南北朝時代の梵鐘がありますが、鐘楼は4隅に3本ずつの柱があって、12神将を表すという珍しいものです。
本尊は鉈(なた)彫りで有名な薬師三尊像で、これは厨子の中にあって見ることはできませんでしたが、他にも薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、四天王立像、十二神将立像など日向薬師の重要文化財は数多くあって見ごたえがあります。
由緒ある神社仏閣が残る伊勢原比々多地区
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聖峰不動尊は初日の出を拝むパワースポットで知る人ぞ知る穴場ですが、九十九曲でなく、女坂を登るのもなかなか大変で、山城の視察に来ているように感じました。
しかし、標高375mの頂からの眺めは素晴らしく、不動明王を祀った祠堂もあって、案内板によれば、平安時代に紀州の僧・子の聖が修行の場として建立したと書いてあり、歴史のある場所でもあります。
聖峰不動尊にお参りした後は、三之宮比々多神社に参拝し、禰宜の永井さんには丘の上にある元宮にもご一緒していただきました。
比々多神社は平安時代の延喜式の記録に残る古社で、霊山大山をご神体に仰ぎ、はるか縄文時代の昔からパワースポットでした。その証拠に境内からは縄文時代の土器や古墳時代の勾玉などが出土しており、元宮に向かう境内に流れる空気には癒しの力を感じました。
第35代五島家当主が所有する福江城と五島氏庭園
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福江城の五島氏庭園は、第30代の盛成が家督を譲った後、城郭内に隠殿屋敷を建て、その東側に京都の僧、全正に作らせた庭です。全正は金閣寺の丸池を模倣し、福江島のシンボルである鬼岳(おんだけ)の溶岩を多用しています。
なお、盛成は亀を好んでいたので、中島などの随所に亀に似た石を据えており、池は心の字を形どって「心字が池」と呼ばれています。
隠殿屋敷の玄関の間には、その「心字が池」庭園を設計した全正の辞世の句が書かれた屏風が立てられています。
盛成はこの邸宅完成後は、戒律を破って京都から逃れてきた全正を友とし、風月を愛したと言われていますが、邸宅から見る庭園には樹齢800年以上のクスノキや南方系の樹木も配されており、私は江戸時代にワープしたような感動を覚えました。
また、この隠殿は盛成というご隠居さんの住居ですが、亀の釘隠しや透かし欄干など、様々な趣向が取り入れられており、落ち着いた雰囲気の中にご隠居さんの茶目っ気を感じました。
五島は今、世界遺産登録によって教会が注目されていますが、この福江城(石田城)や見ごたえのある日本庭園「心字が池」も世界にアピールすべきだと思います。
日本遺産の塩竃神社を詣でる『奥の深い細道』
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『おくのほそ道』は俳句を愛する人々の聖典の一つですが、旅を愛する者にとっても貴重な紀行文の一つです。
松尾芭蕉は旅行業界にとっても模範とすべき存在であり、『おくのほそ道』という旅行記を残してくれたおかげで、後世のわれわれは、その旅を追体験する楽しみを得ることができるのです。
よって、私も芭蕉さんの『おくのほそ道』を参考に、平成芭蕉を名乗り、『奥の深い細道』の取材を兼ねて記録を残す旅を心がけています。
今回はその芭蕉さんが訪れた塩竃で地元のガイドさんと交流する機会を得て、その日本遺産ガイド研修会終了後、私も芭蕉さんが詣でた塩竃神社を参拝しました。
『おくのほそ道』には
「早朝、塩竃の明神に詣づ。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩槇(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仭(きゅうじん)に重なり、朝日朱(あけ)の玉垣をかかやかす」
とあり、芭蕉さんは陸奥の一宮である塩竃神社を詣で、表参道の202段の急な石段を「石の階、九仭に重なり」と表現しています。
「仭」とは古代中国の高さの単位で「九仭」とは非常に高いという意味です。
国守である藩主伊達政宗公が再建しただけあって、社殿の宮柱はとても太く、垂木(槇)も彩色されていて美しいと芭蕉さんは感嘆しています。
この神社の祭神は日本神話に登場するシオツチノヲジ(塩竃明神)で、人々に漁業や製塩法を教えたとされていますが、日本書紀の記述ではこの神が東に良い土地があると言ったことから神武天皇が東征を決意したとも言われています。
バンダウガル国立公園でのタイガーサファリ
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インドの「バンダウガル国立公園」は、かつてはマハラジャの狩猟森林地帯で、現在、希少種となったベンガルトラと遭遇する確率が最も高い場所として有名です。1968年に国立公園に指定され、約450平方キロメートルが自然保護区となっています。
ベンガルトラは絶滅を危惧されるネコ科最大の希少動物で、この遭遇確率の高いバンダウガル国立公園でも毎回会えるとは限りません。
動物園でみるトラは檻の中で落ち着きのない動きをするケースがありますが、この地で見る野生のベンガルトラはやはりゆったりとした動きで威厳を感じさせてくれます。
また非常に美しい毛並みでほれぼれするのですが、自然の中ではこれは保護色になっており、ガイドに示されても最初は識別できず、どこにいるのか分かりませんでした。
このタイガーサファリは、ゲートにて各ジープのコースが決められ、レインジャー同乗で公園内を巡ります。
アフリカのサファリのような多種の動物はいませんが、アクシスジカ、サンバー等の鹿類、ラングール、アカゲザル等の猿やイノシシは多く見ることができます。
しかし、主役のベンガルトラに会うには早朝または夕暮れ時に1時間以上、砂ぼこりの中を走らないと難しいのです。
泉岳寺での忠臣蔵「赤穂義士追憶の集い」
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以前はこの12月の歴史的な赤穂事件を取り扱った「忠臣蔵」のドラマがテレビでも多く見かけましたが、最近はその頻度も減ってきているようです。
確かに忠臣蔵はお芝居なので、脚色が多いのはやむをえないのかもしれませんが、中央義士会の中島理事長の歴史的資料に基づく真実の「忠臣蔵」を知れば、やはりこの旧暦12月14日に起きた、通称「赤穂浪士の討ち入り」事件は興味深い内容です。
午後2時からの泉岳寺住職による法要を終えた後は、講談協会所属の田辺凌鶴講談師による「赤垣源蔵徳利の別れ」という記念講演を拝聴しました。
て赤穂義士の子孫紹介があって、最後に中央義士会創立110年を記念して中島康夫理事長の「赤穂義士討ち入り」の話がありました。
中島理事長は朝起きてから、寝るまで一日中、「忠臣蔵」のことに取り組まれている方で、一つのことに打ち込んで「好きなことをして生きる」見本のような方です。
中島理事長の話を聞いているとやはり、武士には「面目」を立てることが大切だと感じました。
デンマーク王国のスヴェイネ駐日大使にご挨拶
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12 月20 日はデンマーク大使公邸を訪ね、フレディ・スヴェイネ駐日大使夫人より、デンマークの伝統的な習慣である「ヒュッゲ」に関する講義を拝聴した後、スヴェイネ大使にもご挨拶させていただきました。
私は20代から30代にかけてVOLVO関連のツアーを担当し、VOLVO本社のあるスウェーデンのイヨテボリを訪ねた際、スカンジナビア航空を利用していた関係で必ずコペンハーゲンに立ち寄っていました。
そのため、デンマークは私にとって馴染みの国の一つで、チボリTivoli公園や人魚姫の像、ゲフィオンの泉などの光景は、今でも鮮明に覚えています。
しかし、デンマークでの一番の想い出は、世界遺産旅行講座の「クロンボー城」の記事でもご紹介しましたが、現地の人と過ごした「ヒュッゲ」のひとときです。
すなわち、デンマークの友人宅に招かれて、ろうそくの灯された食卓でスモーブロー(オープンサンドウィッチ)を食べながら、デンマーク人が大切にしている「ヒュッゲ」の時間を体験したことが、その後の私にとって大きな学びとなりました。
平成最後の「初詣」は「猪」を祀る馬見岡綿向神社
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平成最後の「初詣」に今年の干支である「イノシシ」を祀った、滋賀県日野に鎮座する馬見岡綿向神社に参詣しました。
干支や恵方に関する神社については、その年によって異なりますが、今年の干支であるイノシシは私のような猪突猛進型の人間には親しみもあり、猪を祀る馬見岡綿向神社ではエネルギーを感じると同時に天地の神と一心同体になった気がしました。
この神社には古くからイノシシの焼き印が伝わり、12年に一度の亥年にのみ「焼き印入り特製絵馬」を奉製授与され、かつて司馬遼太郎の『街道をゆく』でも紹介され話題となりました。
壮大な境内には滋賀県指定文化財の本殿をはじめ、日野商人が寄進した立派な拝殿や絵馬殿、石橋などがありますが、狛犬ならぬ猪の像もあって、突進するような強い力、高い気を発しています。
まだ今年の方針が定まっていない人には、自分がどこに着地し、いかに根を張るべきかを教えてくれそうな神社です。
日本人であれば、開運の旅はまずは初詣という神社参りから始めるのが常道だと思います。
1月7日は昭和天皇崩御の日で七草粥を食す「人日(じんじつ)の節句」
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今から30年前の昭和64年1月7日は、昭和天皇が崩御された日で、昭和天皇は今現在、武蔵野陵墓地に眠っていらっしゃいます。
また、この1月7日は平安時代から、無病息災を願って、七種の穀物や七草をお粥にして食べる習慣がありました。
すなわち「米、粟、小豆、きび、ひえ、みの、ごま」の七種の穀物と「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、すずな、すずしろ、ほとけのざ」の七草です。
旧暦の1月7日は今の暦では2月上旬、新たな草花が大地の下に芽吹き始める時期で、そんな春のエネルギーを取り込むという意味がありました。
実際、これらは身体を温め、血液を浄化するなどの薬効があり、この時期に食べると1年間、気力がみなぎって無病息災につながると信じられていました。
まさに神様の宿る仙人の草が七草で、今日に残っている習慣の七草粥に入っている薬草です。
春のエネルギーを取り込むには、やはり旧暦の1月7日に食べた方が効果的かと思いますが、お正月休みの最後に七草粥を用意し、知人を招いて楽しみたいものです。
なぜなら、1月7日は「人日(じんじつ)」の節句でもあり、人間関係を見直すのにふさわしい日だからです。
そして、昭和天皇のご冥福をお祈りして、昭和の良き伝統文化を見直すことも必要だと思います。
「成人式」に相応しい旅は新宮晋「風」をテーマとした旅
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私は自身の成人式には出席しませんでしたが、父から「大人になれば3つの目を持ちなさい」と教わりました。
3つの「目」とは、1つ目が「虫の目」、2つ目が「鳥の目」、そして3つ目が「魚の目」のことです。
1つ目の虫は地上に近いところに棲息し、行動範囲は狭いのですが、その生活圏の情報はしっかりと把握しています。
2つ目の鳥は地上の情報に関しては虫に及びませんが、空から広範囲を眺めることができるので、視野は虫より広く、風の「流れ」で大局的に物事を判断することができます。
3つ目の魚はいわゆる魚眼レンズを持って、海や川に棲息し、基本的に水の「流れ」に乗って生活しています。
すなわち、成人式を迎えた私に対して「自分の生きる生活文化圏をしっかり観察すると同時に、旅を通じて他の文化圏も見聞し、基本的には時代の流れに逆らわない生き方をすべし」との教えでした。
私が大学を卒業して旅行業界に入ったのもこの教えの影響が大なのです。
そこで、成人の日には時代の流れを参考にしつつ、風の流れ、すなわち天候を考えて旅をしていたのです。
すなわち私は「風」をテーマとした旅を目指すのですが、おすすめは「風」の彫刻家と呼ばれる新宮晋(しんぐうすすむ)氏の作品を見に行く旅です。
例えば新宿駅西口地下広場の「宇宙へのメッセージ」、横浜美術館の「風の音符」、関西国際空港の「はてしない空」など全国各地にあります。
日本遺産「鞆の浦」の仙酔島で不思議体験
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仙酔島は鞆の浦に浮かぶ瀬戸内海国立公園の中心となる神秘と安らぎの島で、太古の自然が今なお残っています。時間があれば洞窟蒸し風呂にも入りたかったのですが、今回は地層を中心に見学しました。
仙酔島は全体が赤・白・黄・青・黒の5色の岩からできており、「5色岩」はその五色が見られるパワースポットです。
また、五色岩から少し離れたところにある「閃きの門」は、宇宙の神秘に心を向けた時、目の前に大きな門が現れ、この大門が開くと「自分が生まれてきた役割に気づく」と言われています。
私は講演の前に気力を充実させるために、この「閃きの門」を前にしてしばらく瞑想しましたが、残念ながら門は現れませんでした。しかし、私は目には見えない世界から「気持ちを込めて話をせよ」といったメッセージを受けた気がしました。
私は子供の頃から両親より「目に見えることだけがすべてではありません。不思議なことにも真剣に取り組みなさい」と教えられてきましたので、この島はまさしく不思議の島に思えました。
そして仙酔島から鞆の浦港に戻り、朝鮮通信使も滞在した福禅寺対潮楼入り口に建つ大伴旅人の万葉歌
我妹子が見し 鞆の浦のむろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき
を詠むと、私は仙酔島ではなく太宰府から戻ったような不思議な感覚を覚えました。今回、日本遺産に登録された鞆の浦は私にとって瀬戸内海の「まほろば巡礼」の地なのかもしれません。
次回は鞆の浦に宿泊して「瀬戸の夕凪が包むセピア色の港町」のストーリーを肌で感じたいと思いました。
宇都宮餃子の由来と二荒山神社の見所
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二荒山神社は第十代の崇神天皇の第一皇子である豊城入彦命を主祭神とし、私の氏神である大神神社の大国さまと西宮神社の主祭神恵比寿さまも相殿として祀られているので特に親しみを覚えるのです。
また、私はかつて宇都宮に置かれた陸軍第14師団の遺族の方々と二荒山神社の宮司さん同行で、パラオのペリリュー島慰霊団にもご一緒させていただいています。
この宇都宮陸軍第14師団は、現在、私が住んでいる千葉県の習志野・佐倉の歩兵連隊から構成され、パラオの前は満州で関東軍の主力として活躍し、陸軍最強部隊と呼ばれていたのですが、兵士たちはこの満州滞在中、当地の中国人たちから餃子作りを学んだのです。
そして、戦後、復員・帰国した第14師団の人たちが、ふるさと宇都宮で満州仕込みの餃子づくりを始め、今日の「餃子のまち宇都宮」の基礎を築きました。
会議で私は宇都宮が「小倉百人一首発祥の地」であることもセールスポイントですと提言しましたが、俳諧では私の敬愛する与謝蕪村ゆかりの地でもあるのです。
すなわち、松尾芭蕉の行脚生活に憧れた与謝蕪村は、僧の姿に身を変えてみちのくを周遊、この宇都宮の佐藤露鳩宅滞在中に編集した『宇都宮歳旦帳』で初めて「蕪村」と名乗ったのです。
そして、「蕪村」を名乗る前の「宰鳥」として詠んだ次の句碑がこの二荒山神社にあります。
鶏(とり)は羽に はつねをうつの 宮柱 宰鳥
神武天皇お船出の地「日向美々津」
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古くからから天然の良港として交易で栄えた美々津の繁栄ぶりは、「美々津千軒」という言葉にも残っています。
しかし、交易港としての歴史を刻んできたこの町には、古事記に描かれた神武東征伝説が生きており、神武天皇お船出の様子を彫った郵便ポストが各家庭に備えられていて私も欲しくなりました。
美々津沖には龍神バエという大きな岩礁があります。神武天皇一行の船は、ここと陸地の間にある瀬戸水道を通って出発し、二度と戻ってこなかったことから、地元ではその後、船出にこの瀬戸を通らなくなったと言われています。
しかし、この町では神武東征伝説を大切にしており、「つきいれ団子」もこの地の名物として伝わっています。
これは、当初、船出予定は8月2日(旧暦)でしたが、潮と風の関係で急遽1日出発が早まり、8月1日の未明に人々が急ごしらえで作った団子に由来します。
また、夜明け前から家々を「起きよ起きよ」と戸を叩いてまわった言い伝えから、美々津では8月1日未明に「おきよおきよ祭り」というユニークな祭りが行われています。
ひむかの国のスピリチュアルスポット「日向のお伊勢さま」大御神社
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特にお勧めは、境内東に鎮座する鵜戸神社にある亀の形をした石と岩窟で、その岩窟奥にある社の前に立って入口の方を振り返ると、なんと「天に昇る龍」の姿が見られるのです。
これは古代の人々が人工的に作ったものとされ、大御神社境内にある龍神の玉(神座前の水窪底に据えられた卵型のさざれ石)と同様に当時の龍神信仰を裏付けるものと言われています。
さすがに神武天皇が祈願された場所だけあって、昇竜のエネルギーを感じる究極のパワースポットです。
日向の国の銘菓「龍神伝説」のチラシには、「君は5千年前の龍神信仰の証を見たか?」といった文句がありましたが、私は確かに5000年の時空を経て甦った龍神と共に神武天皇の勇壮な姿も浮かび、神話の謎はロマンとなりました。
まさにひむかの国のスピリチュアルスポットです。
江戸料理研究家、車浮代先生による『江戸料理』を語る会
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浅草すし若『江戸料理』を語る会での車浮代先生の興味深い話の中でも、印象に残ったのは「割烹」の話です。
私は単純に肉を「割(さ)き、烹(に)る」の日本料理調理法かと思っていましたが、もっと深い意味があったのです。
「割烹」とは「割主烹従(かっしゅぼうじゅう)」、すなわち、まずは素材を切って(割)、それから煮る(烹)という日本の伝統的な調理作法から来ているのです。
よって、江戸時代の料理絵図をみると、素材を切る人が一番中心に描かれており、次に煮方、焼き方が描かれています。
「日本刀」を語るにも「切れ味」という料理に関連した言葉を使いますが、確かに包丁も切れ味が悪いと、刺身も美味しく調理できないでしょう。
日本刀の刀匠、藤安将平氏もおっしゃっておられましたが、この「切る」道具に芸術性を持たせているのが日本文化の奥ゆかしいいところです。
日本一、江戸文化を今に伝える岐阜の宝もの「地歌舞伎」
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歌舞伎と言えば、能や狂言、落語と並ぶ日本固有の伝統芸能で、ユネスコの無形文化遺産に登録されていますが、「地歌舞伎」はプロの役者が演じるいわゆる大歌舞伎と異なり、アマチュアが演じる地域のお宝的な行事です。
また、大歌舞伎では男役(立役)、女役(女形)ともにプロの男性が演じますが、地歌舞伎では男役を女性が、女役を男性、しかも大人ではなく子供が演じることもあり、地方色も感じられます。
すなわち、プロによる大歌舞伎では失われてしまった庶民の娯楽的要素が残っている点が魅力です。
私は子供の頃に神社の奉納歌舞伎として見学した記憶があり、今回訪れた芝居小屋の白雲座や常盤座ではデジャブを感じ、懐かしい時代劇の世界に浸ることができました。
ともに、芝居小屋の傍に神社があって、子供の頃に親しんだ祭囃子の音も聞こえてくるようでした。
初日の東美濃ふれあいセンターでは、子供歌舞伎の『絵本太功記録 尼ケ崎閑居』を鑑賞しましたが、特に武智十兵衛光秀、母の皐月役を演じた小学4年生の名演技には大いに感銘を受けました。
地歌舞伎ならではの小銭(五円玉)を包んだ「おひねり」も用意して、「大向う」から声をかけるつもりでしたが、舞台に近い桟敷席に案内され、逆に声をかけるタイミングを逸してしまいました。
原城跡に秘められたキリシタンの真実
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日本のキリスト教史の謎に迫るために原城から雲仙・島原を巡ってきました。
原城は16歳の天草四郎を総大将とする1637年の島原の乱(天草・島原一揆)において、天草・島原の住民が幕府軍と籠城戦を戦った城跡です。
この一揆は島原藩主の松倉重政・勝家父子による過酷な年貢取り立てとキリシタン弾圧が原因とされています。
キリスト教徒が弾圧に耐えかねて反乱を起こしたように語られていますが、実際は見栄っ張りの藩主による苛政と飢饉により、住民が生きるために正当なる抗議をしたのが真実かと思われます。
私は地元市議会議員の先生にご同行いただき、有馬キリシタン遺産記念館の学芸員の方からも詳しい説明を受け、歴史の真実に触れたような気がしました。
やはり、地元に伝わる伝承は活字になった歴史より興味深く感じます。
特に一揆の後、地元の願心寺の住職や村人が敵味方なく遺骨を集めて「ほねかみ地蔵」を建立した話は、日本の宗教を越えた「祀らう」という精神からだと思います。
ちなみに「ほねかみ」とは、「骨をかみしめる」から転じて「人々を助ける」という意味です。
「縁結び」のパワースポット、神前結婚式で有名な東京大神宮
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3月10日の誕生日を迎えて歳を重ねたので、三重出身の私としては、本来、伊勢の神宮にご挨拶すべきところですが、伊勢の神宮を東京から遙拝しようと飯田橋の東京大神宮へお参りしてきました。
東京大神宮の主祭神は伊勢神宮と同じアマテララスオオミカミ(天照大神)とトヨウケノオオカミ(豊受大神)、ヤマトヒメノミコト(倭姫命)ですが、さらに『古事記』に最初に登場する「造化の三神」も祀られています。
この造化三神とは”むすび”を司る最高位の三柱で、アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)、タカミムスヒノカミ(高御産巣日神)、カミムスヒノカミ(神産巣日神)の神様です。
よって、「縁を結ぶ」ご利益が最強ということで恋愛成就を祈念する女性参拝者が今日も多数見受けられました。
有難いことに東京大神宮には伊勢神宮と違って参拝の順序はありません。
すなわち、伊勢の神宮は内宮と外宮に分かれており、お参りの順序は外宮から内宮へと決められていますが、東京大神宮は一度の参拝で内宮と外宮の両方の神様をお参りできます。
「さくら」の意味と「大山詣り」の参拝作法
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今日は日本遺産をテーマとした「大山詣りで体感する粋とご利益の旅」を満喫してきました。
「浮世を忘れる庶民参拝」として江戸時代に盛んであった「講」と呼ばれる団体でのお参り旅行の再現です。
通常の大山詣では訪れない神奈川県伊勢原市日向地区の宝城坊(日向薬師)、大友皇子の墓を祀る雨降山石雲寺、比々多地区の妙寶山勝興寺、三嶋神社、そして相模国三宮の比々多神社を詣でました。
今年は全国的に例年より桜の開花が早いようで、枝垂れ桜で有名な三嶋神社も三分咲きと言われていましたが、勝興寺の西澤住職夫妻の案内で実際に訪れてみるとちょうど見頃でした。
「さくら」という名前の由来は、花が「咲く」に複数を意味する接尾語「ら」を加えたという説もありますが、私は幼少の頃「春になれば里山に降りてくる稲(サ)の神様が座す坐(クラ)」から「サクラ」と教わりました。
もちろん「櫻」と書いて「貝を2つ並べた首飾りのような美しい樹木」という意味もあるようですが、私は三重県名張市の「桜ケ丘」という土地に住んでいたので、やはり稲の神様が降臨する場所というイメージです。
「因幡の白兎」で知られる大国主命を祀る出雲大社東京分詞
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一般的に神話の勉強と言えば、『古事記』や『日本書紀』を学ぶのが常道ですが、私は奥出雲の「野城爺婆掘起隊」の『大国主の神語(かんがたり)』を読んで『出雲國風土記』の研究を始めました。
なぜなら、神話の中でも面白い場面は、安来での国造りから始まる『出雲國風土記』の「大国主命物語」だからです。
神社参拝するうえで、日本人として知っておくべき神様は、国生みのイザナギノミコト(伊邪那岐命)とイザナミノミコト(伊邪那美命)、天上界を治める太陽神のアマテラスオオミカミ(天照大神)、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト(須佐之男命)、そして出雲の国造りを行ったオオクニヌシノミコト(大国主命)の五大神です。
そして、最後の大国主命は「因幡の白兎」でも知られる優しくて恋多き神様ですが、彼こそが国を造り、米を作って日本の食文化を変えたと言われています。
大国主命は、現在、島根県の出雲大社に鎮まり、縁結びの神様として崇敬を集めていますが、東京にも大国主命の分霊をお祀りした出雲大社(東京都六本木)があるのです。
祝!日本遺産「甲信縄文フェスティバル」パネルディスカッション
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パネルディスカッションでは美術史家の山下裕二氏がコーディネーターを務め、パネリストには河合敦先生と私、平成芭蕉以外に「初めての土偶」著者の誉田亜紀子氏、そして黒曜石体験ミュージアム学芸員の大竹幸恵氏が登壇しました。
大竹さんからは黒曜石発掘調査のこと、誉田さんからは有名な国宝の土偶「仮面の女神」や棚畑遺跡から出土したもう一つの国宝土偶「縄文のビーナス」についての興味深いお話がありました。
私もこの「仮面の女神」や「縄文のビーナス」の土偶を観察すれば、縄文時代はやはり女性が生命の原点であり、感謝の対象として崇敬されていた感じます。
すなわち、縄文時代は男性の狩猟採取の活動も認識しつつも、あくまで女性の勤勉さと充足・安定を尊ぶ文化であったと考えられます。
祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌
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本日、新しい元号「令和」が発表されました。
新元号は日本最初の「大化」から数えて248番目にあたり、出典は『万葉集』巻五の「梅花の歌序」です。
『万葉集』は日本人の古典で一般庶民から貴族、天皇に至るあらゆる階層の人が見事に謳いあげた民族詩の金字塔であり、日本人の心の源ともいえるでしょう。
そして私にとっては「万葉」という言葉にはロマンがあり、万葉ゆかりの地や万葉人、万葉の散歩道とか聞けば、そこを訪ねて万葉時代の旅を再現し、おおらかな時代に想いを馳せて心の解放感を味わいたいと思うのです。
『万葉集』では遣唐使たちが持ち帰ったとされる「梅」が多く詠まれていますが、当時、梅(白梅)は外来の植物として珍重されていました。
そして、天平2年正月13日に太宰府の帥(そち)であった大伴旅人は、自宅に開花した梅花をめでる宴を催し、そのときに詠まれた歌が「梅花の歌32首」であり、今回の「令和」は大伴旅人によるその序文からとられました。
「平和の国」ボツワナ共和国のンコロイ大使と対談
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今日は久々に学生時代にお世話になった懐かしい田町駅に降りました。しかし目的地は母校の慶應義塾大学三田キャンパスではなく、私の好きな野生動物の楽園、ボツワナ共和国の大使館でした。
日本旅行作家協会を通じて知り合った在日南アフリカ商工会議所理事のルンギレさんのご紹介で、ボツワナ共和国のンコロイ ンコロイNkoloi NKOLOI大使にお会いして、ボツワナの魅力を直接お伺いしたのです。
私は南アフリカの「豪華列車ロボスの旅」を含め、ボツワナへは3回訪れていますが、大使とお話ししているとオカバンゴ湿原やチョベ国立公園の野生動物が集まる光景が鮮明に思い出されました。
一般的な観光旅行では、世界三大瀑布のビクトリアの滝を見学した際、ボツワナのチョベ国立公園を訪ねる機会もありますが、まだまだ日本人にとってボツワナは馴染みの薄い国です。
平静芭蕉令和の旅 吉田兼好「徒然草」ゆかりの兼好塚
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私も平成芭蕉として令和の挨拶を兼ねて芭蕉さんの出身地である伊賀上野を訪ねようと旅立ちましたが、まずは同じ三重県伊賀市で芭蕉さんが敬愛していた吉田兼好が晩年過ごした種生(たなお)の国見山に立ち寄ることにしました。
国見山一帯は、織田信長が攻めてきた天正伊賀の乱で、伊賀者が強敵織田軍相手に最後まで抵抗した場所です。
「平成」から「令和」への改元は天からの贈り物
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PresentとGiftですが、「贈り物」という意味以外にPresentは「現在」、Giftには「才能」という意味もあります。
共通する「贈り物」という意味から少しかけ離れた感じがしますが、ともに「神様が与えてくれたもの」と考えれば、自分が今生きている「現在」も自分の「才能」も天からの授かりものと言えるでしょう。
特に去っていく「平成」から新しい「令和」の時代を迎える今Present(現在)という時空は、神様から時間の大切さを教えてくれる「贈り物」のような気がします。
ブルネイで悟った ゴルファーにとってのドライバー飛距離
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ブルネイはアジアで一番豊かで平和な国で、首都のバンダル・スリ・ブガワンには有名な7つ星ホテルがあり、それが当時、宿泊してプレイしたThe Empire Hotel & Coutry Clubです。
ホテルも豪華でしたが、ゴルフ場も素晴らしいコースでした。当時の私はドライバーの調子も絶好調でしたので、ブルネイで悟った「ドライバーショットと飛ばし」についてのメモが日記に残っていましたので、参考までにご紹介します。
写真家テラウチ マサト氏とファン・ゴッホについて対談
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先週の5月9日、銀座のリコーイメージングスクエア銀座8階A.W.Pギャラリーゾーンで写真家のテラウチマサト氏にお会いして、氏のフィンセント・ファン・ゴッホに対する熱い思いを語っていただきました。
テラウチマサト氏は、フィンセント・ファン・ゴッホの足跡を長年にわたり研究され、今回、カメラを持ったゴッホとして「ほんとうのことは誰も知らない」というテーマで写真展を開催されました。
今回はテラウチ氏がファン・ゴッホの足跡を巡り、季節を変えて撮影されたオランダのニューネン、パリのモンマルトル、フランス南部のアルル、サン・レミ・ド・プロバンス、そしてファン・ゴッホ終焉の地オーヴェル・シュル・オワーズでの写真が紹介されていました。
朝鮮通信使と新羅王国千年の都 慶州
江戸幕府の外交政策では中国(明や清)、オランダ(紅毛)は通商(貿商)国、沖縄の琉球王国と朝鮮は正式な国交のある通信国とされていたのです。しかし、朝鮮通信使の実態は活字では正しく伝えられていないように感じます。
その朝鮮通信使の発地「屋根のない博物館」と呼ばれる朝鮮半島の慶州は、世界でも指折りの古都でローマ、イスタンブール(コンスタンティノープル)、バグダッド、西安(長安)などの世界的な都に引けをとらない新羅王国、千年の都でした。
NHK「ごごナマ・おいしい金曜日」で西川きよし師匠に「オムライス街道」をご紹介
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平成芭蕉は本日、NHK大阪発『ごごナマ・おいしい金曜日』にゲスト出演しました。
吉本の西川きよし師匠、テンダラーの濱本広晃さん、そして三戸なつめさんに私がおすすめの街道を紹介する「週末行きたくなる!街道歩き旅のススメ」という番組でした。
そして西川きよし師匠には、通常の歩く街道ではなく、ご出身の高知に近い日高村の村おこし企画「オムライス街道」をご紹介しました。
これは、人口5000人ほどの小さな日高村が、特産である糖度の高いシュガートマトを使ったオムライスを、村を通る国道33号線沿いの飲食店(現在は9店)で供するようにしたユニークな街道です。
伊勢原市比々多観光振興会総会での講演~ 遺跡や由緒ある神社仏閣に加えて人が魅力
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今日は伊勢原市比々多観光振興会の総会に招かれて「比々多地区の魅力」について講演させていただきました。
伊勢原は「江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで大山詣り」というストーリーが日本遺産に認定され、特に大山阿夫利神社や大山寺が脚光を浴びるようになりました。
大山は雨が多いため、「雨降山」と呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣を祈願する場となり、さらには商売繁盛のご利益もあるとされ、江戸時代には「講」と呼ばれる団体でのお参りが盛んに行われました。
マラソン界の第一人者である瀬古選手と対談
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6月14日は、日比谷のペニンシュラホテルでマラソン選手として有名な瀬古利彦さんと来年の東京オリンピック開催に向けて対談する機会を得ました。
私の近畿日本ツーリスト時代の同期である國分君が瀬古選手と中学の同級生であるというご縁で実現したトークショーです。
瀬古選手も國分君も私と同じ三重県出身で、これまでまだフルマラソンの大会が行われていない三重県での開催を支援している仲間です。
瀬古選手は桑名市のご出身で、早稲田大学入学後、中村清監督と出会い、箱根駅伝では「花の2区」を走って区間新を出し、マラソン界のスターとなった長距離界の世界的選手です。
野崎島に残るレンガ造りの旧野首教会
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「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産指定された12の遺産を巡ってきました。
これらの遺産は潜伏キリシタンが「潜伏」したきっかけや、信仰と共同体の維持のためにひそかに行っていた様々な試み、そして「信徒発見」以降の宣教師との接触により転機を迎え、「潜伏」が終わりを迎えるまでを表しています。
実際にお客様に解説しながら、私自身が感じたことは、潜伏キリシタンの人たちの目的意識の高さです。
特に今は無人島となった野崎島に残るレンガ造りの旧野首教会を訪ねると、当時の信徒たちの並々ならぬ意識の奥深さに感銘を受けます。
淡路ワールドパークで兼高かおるさんと世界の旅
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最近は国内の歴史ツアー同行が多いのですが、私の旅の原点はやはり兼高かおるさんの「世界の旅」でした。
その兼高かおるさんは今年の1月5日に永眠されましたが、私も兼高さんが会長を務められた日本旅行作家協会の一員ですので、在りし日のお姿を拝見するために、淡路島にある「兼高かおる旅の資料館」を訪ねました。
この資料館は兵庫県淡路市のテーマパーク「淡路ワールドパークONOKORO(オノコロ)」内にあり、1985年、淡路島で開催された「くにうみの祭典」のメイン会場に建設されたものです。
そして、この淡路ワールドパークONOKOROには、世界の有名建築物のミニチュア版があって、コンパクトに世界一周できることから、「兼高かおる世界の旅」の資料館がここにあるのです。
磯崎新氏監修の現代アートを五感で鑑賞する奈義町現代美術館
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小豆島に引き続き、今回は石をテーマとした日本遺産の視察でカブトガニや日本画家小野竹喬で知られる岡山県笠岡市を尋ねましたが、あまりの暑さに笠岡諸島の採石場視察はあきらめて、かねてより訪ねてみたかった奈義町現代美術館(通称Nagi MOCA)で石の彫刻家、北川太郎氏の作品と現代アートを鑑賞することにしました。
この現代美術館NagiMOCAは、さる3月5日、「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞を受賞された建築家の磯崎 新氏がプロデュースした、まったく新しい構想から設立された岡山県勝田郡奈義町にある美術館です。
和歌山県 広川町 日本遺産認定記念シンポジウム参加
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防災の日である2019年9月1日、和歌山県広川町が主催する「濱口梧陵を生んだ紀州広川の挑戦」と題した日本遺産認定記念シンポジウムにパネラーとして参加しました。
これは『稲むらの火』の物語で知られる濱口梧陵生誕200年のプレイベントとして開催されたシンポジウムで、「紀州が生んだ偉人 濱口梧陵」をテーマに平井理央さんと荒俣宏先生のトークショーもありました。
トレドのパラドールでエル・グレコが描いた風景を堪能
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どの国へ旅しても、日本における富士山のように、これだけは見ておくべき景観があり、スペインの場合は三方をタホ川に囲まれ、丘の上に建つトレドの旧市街こそがその景観です。
西ゴート王国の首都であったトレドには中世の街並みがそのまま残っており、大原美術館の『受胎告知』で知られる画家エル・グレコが活躍した街としても有名です。
今回、私はそのエル・グレコが描いた『トレド全景』の景観をじっくりと眺めるために、トレドのパラドール(国営ホテル)に宿泊しました。
江戸川乱歩の故郷 名張の新名所「はなびし庵」で影絵鑑賞
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先日、元伊勢めぐりで久々に故郷の名張に立ち寄ったので、私は故郷の歴史を学ぶべく、その初瀬街道沿いの中町にある「伊賀まちかど博物館(はなびし庵)」を訪ね、「歴史影絵劇」を鑑賞してきました。
この「伊賀まちかど博物館(はなびし庵)」は「すみた酒店」(名張市中町石の鳥居前)内にあり、幕末の町屋敷である書院造りの座敷で、劇団「ふたり」(店主の角田夫妻)のおもてなしを受けながら影絵劇が楽しめるのです。
今回は名張の観光名所である「赤目四十八滝」を舞台にした幕末の藤堂藩の儒学者、鎌田梁洲が登場する『赤目滝能楽案内』を鑑賞しました。
話題の八ッ場ダムと注目すべき「片蓋川第二砂防堰堤」
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10月1日、群馬県長野原町の八ツ場(やんば)ダムで試験貯水が始まったと聞き、吾妻川流域の下見調査を兼ねて見学してきました。
午前9時にダム本体中央下のゲートが閉じられて吾妻川をせき止め、潜水士が潜ってゲートの密閉具合を確認したそうです。
3~4か月かけて、満水位の標高583mまで水を貯め、ダム本体の強度、基礎地盤や斜面の安全性などを確認し、異常がなければ来春以降にダムとして使用される見込みです。
天候にもよりますが、約1か月で今残っている付近の橋や道路などは水底に沈むそうです。
ダイヤモンド・プリンセスでの台湾で「九份」観光と天燈上げ
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台湾旅行といえば「台北」や「台南」をイメージする方も多いかもしれませんが、台北の右上にある港町「基隆」は今イチオシの観光地なのです。
私はこの基隆港近辺を散策した後、ノスタルジックな坂の街「九份」と奇岩が立ち並ぶ「野柳地質公園」を訪ねました。
そして夕食後はクラブツーリズムのオリジナルイベント「特別天燈上げ」に参加しましたが、このイベントは台湾北部、平渓区の山間にある天燈の街として有名な「十份」で行われました。
ここでは年中天燈を上げることが出来るので天燈を上げるために訪れる観光客も多いのです。
餃子のまち宇都宮は駅弁発祥の地
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栃木県の宇都宮は今日では餃子が有名で、私もしばしばその餃子と駅弁を目的に訪れますが、「餃子のまち」の基礎を築いたのは宇都宮陸軍第14師団の人たちでした。
交通の要衝だった宇都宮には戦前、旧陸軍第14師団が置かれ、満州における関東軍の主力として活躍し、陸軍最強部隊と呼ばれていたのですが、兵士たちはこの満州滞在中、当地の中国人たちから餃子作りを学んだのです。
そして、戦後、復員・帰国した第14師団の人たちが、ふるさと宇都宮で満州仕込みの餃子づくりを始めたのが、今日の「餃子のまち宇都宮」の由来です。しかし、あまり知られていませんが、餃子のまち宇都宮は駅弁発祥の地でもあるのです。
すなわち、明治18(1885)年7月16日、日本鉄道の嘱託を受けた旅館「白木屋」(後の「白木屋ホテル」)が、この日開業した日本鉄道宇都宮駅でタクアンと握り飯2個を竹の皮に包んで販売したのが駅弁の最初と言われています。
芦田愛菜さんの祝辞と水に関わる桑名の木曽三川・多度大社
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天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」の祝賀式典で、女優の芦田愛菜さんが「天皇陛下が松尾芭蕉の『奥の細道』を読んで水に関心を持たれ、水を通して世界のさまざまな問題をとらえていらっしゃる」と祝辞の中で述べられました。
そこで、芭蕉さんと同様に水にこだわる平成芭蕉は、自分の故郷である三重県の水に関わる桑名の木曽三川と伊勢神宮にもゆかりの深い多度大社をご紹介したいと思います。
「木曽三川」とはその源流を異にしながら濃尾平野を入り乱れて流れ、下流部で合流して伊勢湾にそそぐ木曽川・長良川・揖斐川を一本の川として呼ぶ名称です。
壱岐の万葉公園開園50周年記念イベントに想う
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令和元年11月17日、長崎県壱岐市石田町の万葉公園で「開園50周年記念イベント」が開催され、新元号「令和」の典拠となった万葉集が注目される中、壱岐市の白川博一市長のご挨拶の後、犬養万葉記念館の岡本三千代館長による「万葉講話と万葉うたがたり」および大宰府万葉会による歌語りが披露されました。
明治神宮鎮座100年記念講演とダニエル・オスト氏の奉祝の花展示会
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2019年12月4日、明治神宮鎮座百年奉祝記念行事のクラブツーリズム・イベントにおいて、私は「明治神宮100年の杜の物語」と-いう題目で講演をさせていただく機会がありました。
このイベントはベルギーのフラワー・アーティストであるダニエル・オスト氏が、日本の新しい御代、「令和」の始まりを祝って明治神宮に奉祝の花を捧げた展示会でした。
泉岳寺での赤穂義士追憶の集い 神田松之丞「赤穂義士伝から」
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今年も12 月14 日は泉岳寺での「赤穂義士追憶の集い」に行ってきました。一般に「四十七士」と言われる赤穂義士ですが、泉岳寺には討ち入り前に自害した浅野氏の家臣・萱野重実の供養塔を含めて48基の墓があり、 義士たちの墓は討ち入り後の預け先によってそれぞれ分けて並べられています。
今年は赤穂義士討ち入り317年祭ですが、主宰する中央義士会は創立111年ということで、記念講演として講釈師の神田松之丞さんによる忠臣蔵講談がありました。
日本人が知らないクリスマス サンタはサタン(悪魔)
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クリスマスはイエス・キリストの誕生日ということになっていますが、聖書にはイエスの生年月日についての記録はありません。
クリスマスChristmasは古い英語表現のChristesmaesse=Christ’s mass(キリストのミサ)から来ており、Xmasとも記されますが、これはX(ギリシャ語でXristosの略)+mas(礼拝)の略で、Xristos(クリストス)とは「油を注がれた者」、すなわち「救世主・キリスト」のことです。
あわら温泉「清風荘」での講演と東尋坊
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今回はクラブツーリズムの「旅の友」配送スタッフの集会「エコースタッフ総会」に「令和と万葉集特別講演」の講師として招かれ、あわら温泉「清風荘」に連泊しました。講演は清風荘で3日間、毎日ありましたが、せっかく越前まで来ているので、私は講演前の昼食時には東尋坊に行って越前ガニのコース料理を食べてきました。
東尋坊は波の浸食によってできた断崖絶壁が続く景勝地で、自殺の名所としても有名ですが、「輝石安山岩の柱状節理」という、地質学的にも珍しい奇岩は、国の天然記念物に指定されています。
日本遺産シンポジウム基調講演 中世荘園「日根荘遺跡」を活かした観光都市
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泉佐野の日本遺産シンポジウムでは、私は第二部の『中世荘園「日根荘遺跡」を活かした観光都市 泉佐野』を担当し、第一部は歴史研究家の多摩大学客員教授 河合敦先生が担当され、『世界一わかりやすい中世荘園「日根荘遺跡』と旅引付の世界』についてお話しいただきました。
河合先生からは今回の主題である日根荘についてわかり易いご説明があったので、私は同じ荘園でも公家ではなく、東大寺が領主を務めた私の出身地、黒田荘(くろだのしょう)を例に荘園の魅力を語ってみました。
第8回“おおやまみち”まちづくりサミットでの講演
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2月11日の建国記念日には神奈川県伊勢原市文化会館で「第8回“おおやまみち”まちづくりサミット」が開催されました。
私は今回、このサミットにおいて基調講演の講師、ならびに「魅力再発見!令和に伝える大山道」のパネルディスカッションにおけるパネラーとして招かれました。
基調講演では「大流行した元祖ツーリズム“大山詣り”それぞれの物語」というタイトルでお話ししましたが、私はこの「それぞれの物語」創りこそがこれからの旅の在り方だと思います。
鳥羽・志摩での講演 女性文化「海女(あま)」と「はしりがね」
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2月13日の「日本遺産の日」には、伊勢志摩国立公園の横山ビジターセンターで「旅行会社から見た鳥羽・志摩の魅力」という演目で講演させていただきました。
今回の講演は、鳥羽市と志摩市合同で申請を行っていた「海女(Ama)に出逢えるまち鳥羽・志摩 ~素潜り漁に生きる女性たち」が、令和元年5月20日、日本遺産に認定されたことで、この海女のストーリーを正しく紹介するためのガイド養成講座が海女振興協議会主催で行われ、私はその講師として招かれたのです。
那須野が原日本遺産ガイド養成講座フィールドワーク同乗記録
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那須野が原開拓の歴史が「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」として日本遺産に認定され、2月21日、那須野が原開拓日本遺産活用推進協議会によるガイド養成講座の実地研修(フィールドワーク)が行われました。
このガイド養成講座は全6回予定されており、私は第1回の「日本遺産とは何か」、「日本遺産ガイドの心得」に講演させていただいた関係で、実地研修にも那須野が原博物館の松本館長と共に講師として同乗させていただきました。
両備フェリー新型船での小豆島の旅と新型ウイルス感染対策
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新型コロナウイルスの感染拡大で外出は控えられているためか、どこの観光地も閑散としています。しかし、旅を住処とする私は、インドで身に付けた免疫力を信じて「石と歩んだ歴史の島」小豆島の日本遺産を訪ねてきました。
目的は両備フェリーの新型船「おりんぴあどりーむ せと」に乗ることと小豆島町企画振興部の川宿田課長にお会いして、小豆島の石をテーマとした日本遺産の旅の今後について話し合うことが目的でした。
南あわじ市の観光資源調査と新型コロナウイルス感染拡大防止祈願
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新型コロナウイルス感染拡大の影響で、予定していた講演が中止となり、南あわじ市教育委員会の観光資源調査の仕事で淡路島を訪ね、参拝した元熊野宮「諭鶴羽神社」では新型コロナウイルス感染拡大防止祈願をしてきました。
今回の視察目的は、南あわじ市内に点在する指定重要文化財を対象として、商品企画化を念頭に地元の方との協働のもと“観光商品として販売できる観光資源”の調査でした。
南あわじ市滝川記念美術館「玉青館」で直原画伯の代表作を鑑賞
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南あわじ市では滝川記念美術館「玉青館」2階に「松帆銅鐸」を展示する準備を進めており、私はその視察を兼ねて、日本現代南画の第一人者である直原玉青画伯の代表作である『禅の牧牛 うしかひ草』を鑑賞してきました。
直原玉青画伯は岡山県赤磐市の生まれですが、淡路島で育ち、南あわじ市の国清禅寺を復興された際に数十点の襖絵を描かれました。そしてその国清禅寺の襖絵の素晴らしさと直原画伯の人柄に魅せられた開業医の滝川弘氏がこの南画の美術館「玉青館」を建てられたのです。
太陽の有難さを感じた「烏鎮の奇跡」皆既日食の想い出
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「天の岩戸伝説」のモチーフが『日食』とされていますが、私は2009年7月22日、「アジアのヴェネツィア」とも称される中国浙江省の烏鎮(ウーチン)で感動的な「皆既日食」を観ることができました。それは「烏鎮の奇跡」とも言われた劇的な天体ショーだったのです。
烏鎮は上海から約140キロの距離にある水郷地帯で、「水のある古い街並み」が残る観光都市です。観光の中心は、西柵地区の中心を流れる運河で、通安橋や万興橋など、10を超える石橋が運河にかかっています。
『古事記』にも登場する神々が宿る島「隠岐」
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新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大きな打撃を受けている旅行業界ですが、今後の観光業の在り方を探り、新型コロナウイルス感染拡大防止祈願を目的として、神々の宿る島「隠岐」4島を訪ねてきました。
島根半島の北島約60㎞に位置する隠岐諸島は、島後(どうご)と島前(どうぜん)と呼ばれる中ノ島、西ノ島、知夫里島の主要4島からなり、大山隠岐国立公園の一部であると同時に、ユネスコの世界ジオパークにも認定されています。
台湾の「民主先生」李登輝元総統と八田與一の功績
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親日家で「岩里政男」という日本人名をもつ台湾の元総統、李登輝(リートンホイ)氏が97歳で亡くなられました。李氏と言えば、2002年、私の母校である慶應義塾大学の学園祭実行委員会が李元総統を招聘するも、ビザが発給されず、三田際での講演会が幻となったことが思い出されます。
もし、この幻の講演会が実現しておれば、李氏は「台湾で最も尊敬されている日本人」八田與一(はったよいち)について紹介される予定でした。八田與一といっても、日本ではピンとくる人は少ないかもしれなませんが、台湾では教科書に載るほど知名度が高く尊敬されている日本人です。台湾にダムと灌漑用水路を建設し、不毛の土地を穀倉地帯に変えた人で、台湾にとって恩人であるだけでなく、日本人が誇りとすべき人物です。
ゆったりとした時の流れを感じる島根県安来の「たたら」旅
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今回、私は安来市観光協会に招かれて、その山中鹿介が活躍した尼子氏の居城、月山富田城の歴史資料館やその城下町として栄えた安来市広瀬町を訪ねました。月山富田城の城下町であり、後の松江藩陣屋町として栄えた安来市広瀬町布部地区には、広瀬清水街道と呼ばれた旧道と古い町並みが残っていました。広瀬から安来市・宇賀荘・清水峠・門生を結ぶこの街道は、清水寺参りや嵩(だけ)神社参りの道として利用され、巡礼の人々がさかんに往来していたと言われています。
この情緒ある宿場町のような広瀬町布部には、たたら製鉄を司る村下(むらげ)の家系を継ぐ鍛冶職人、小藤宗相(ことうしゅうすけ)氏の鍛冶工房「弘光」があります。この鍛冶工房を訪ねると、昔懐かしい「しばしも休まず 槌(つち)うつ響き」の童謡『村の鍛冶屋』が思い出されました。
「星空保護区」を目指す神々が集う島 神津島(こうづしま)
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新しい企画を求めて八丈島や三宅島などと並ぶ「東京諸島」の1つ、伊豆諸島のほぼ真ん中に浮かぶ国立公園の神津島(こうづしま)を訪ねました。
神津島は白い砂浜と緑豊かな変化に富む美しい島で、島の中央にそびえる天上山は、四季折々の花々が咲き「花の百名山」や「新日本の百名山」にも数えられる山です。地下水が豊富で各所より湧水が湧いているだけでなく、透明度と水質が日本一にも選ばれた綺麗な海に囲まれています。
島根県安来の人魚姫像と「はがねの街」散策
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安来市観光協会のお招きで「ウィズ・アフターコロナの観光動向セミナー」と題した講演の機会があり、安来市内のレトロな街並みや話題の列車「銀河」を見学し、また月山富田城に登り、奥出雲のたたら風土記の里も巡ってきました。
しかし、一番印象に残ったのはコペンハーゲンの人魚姫像を連想させる安来港の「語臣猪麻呂の毘売像」でした。
「天空の城」月山富田城とアテネのアクロポリスとの共通点
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安来市観光協会主催「ウィズ・アフターコロナの観光動向セミナー」の翌日は、出雲観光タクシー運転手さんの旅程管理実地研修に講師として同行させていただき、尼子氏の栄光を支えた月山富田城(がっさんとだじょう)に登ってきました。
頂上まで登るのは2018年の山城サミット安来大会でこの地を訪れて以来です。日頃お世話になっている小和田哲男先生の基調講演の後に登ったのですが、2016年に大規模な伐採が行われたため、山麓からの視界が広がっていたのが印象的でした。
街道情緒と五百羅漢、「鶉野飛行場」や第一次大戦の戦争遺跡が残る加西市
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加西市では最近、第二次大戦時の紫電改を展示した鶉野飛行場跡が注目を浴びていますが、青野原町には第一次大戦時の貴重な遺産「青野原捕虜収容所跡」もあります。
また、山城の小谷城跡や五百羅漢の石仏に加えて、西国街道の「北条の宿(しゅく)」は、酒見寺・住吉神社の門前町として栄えていたので、多くの商家が立ち並び、当時の繁栄が袖卯建(そでうだつ)、虫籠窓(むしこまど)、出桁(だしげた)等の町屋建築に残っており、旧街道の散策道として楽しめます。
「お伊勢参りのみそぎ参り」の「東国三社参り」
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今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で神社仏閣に詣でる機会が多く、10月には会津の「ころり三観音」を参拝しましたが、今回は江戸時代に「お伊勢参りのみそぎ参り」と呼ばれた「東国三社(とうごくさんしゃ)」を参拝し、鹿島神宮から鎌足神社までの鹿嶋「神の道」も歩いてきました。
東国三社とは、茨城県にある「鹿島神宮」と「息栖(いきす)神社」、千葉県にある「香取神宮」の三社をまとめた呼び名で、この三社の位置を結ぶと直角二等辺三角形になり、そのトライアングルエリア内には強力なパワーが存在すると言われています。
伊勢へのレイライン「太陽の道」~大神神社から斎宮跡へ
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2020年最後の旅は黒田家恒例の天照大神を祀る伊勢の神宮へのお蔭参りです。ルートは西宮から笠縫邑の三輪山をご神体とする大神神社、檜原神社を経て、斎宮跡へと通じるレイライン〈太陽の道〉です。
本来ならばこの先の伊勢湾に浮かぶ神島も訪ね、太陽霊の復活祭とされるゲーター祭を見学したいところですが、今はこの祭りは行われていません。〈太陽の道〉上には、太陽信仰の聖地が古代人の足跡のように点在し、初代の斎王とも言われる倭姫命の巡幸を連想させてくれます。
大神神社は私が生まれてから一度も欠かさず毎年お詣りしている私の氏神のような存在で、杉やヒノキなどの大樹が生い茂る参道は、いつも厳かながら優しい雰囲気に包まれています。
「話の神様」稗田阿礼の賣太(めた)神社と太安万侶の多神社参拝
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児童文学者の久留島武彦氏は、アンデルセンに匹敵する「話の神様」は稗田阿礼が最もふさわしいと語っています。そこで、「歴史の語り部」を自称する平成芭蕉は、その稗田阿礼を祀る賣太(めた)神社にお参りしてきました。
今日では稗田阿礼の非凡な暗記能力から、「学問の神」、「物語の神」として信仰されていますが、稗田阿礼の言葉を太安万呂(おおのやすまろ)が記録したものが、日本最古の書『古事記』となったので、私は併せて太安万呂を祀る多神社も参拝することにしました。
「鳥羽・志摩の海女文化」日本遺産ガイド養成講座実地研修
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2021年1月19日、私は三重県の日本遺産「海女に出逢えるまち 鳥羽・志摩〜素潜り漁に生きる女性たち」の日本遺産ガイド実地研修に講師として同行しました。
行程は午前中、伊勢神宮へのアワビの御贄所(みにえどころ)として知られている鳥羽の国崎(くざき)の海士潜女(あまかずきめ)神社参拝、海女小屋体験施設の「さとうみ庵」で昼食を取った後、午後は志摩の御座に鎮座する爪切不動尊と石仏(潮仏)、そして御田植え祭で知られる伊雑宮を巡りました。
出雲の謎を紐解く〜古代の歴史に触れる鳥取・島根の遺跡巡り
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島根県の出雲地方といえば、大国主命をまつる出雲大社や数々の古代遺跡で知られる歴史の宝庫ですが、今回は鳥取県の妻木晩田遺跡から出雲大社までの古代遺跡を巡り、出雲地方の歴史の豊さをお伝えします。
愛知県街道推進事業「東海道シンポジウム」で紹介された東海道57次
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2021年2月1日、愛知県金山駅近くのANAクラウンプラザホテル グランコート名古屋で愛知県街道観光推進事業「東海道シンポジウム」が開かれ、私は「街道歩きの魅力と楽しみ方」と題して講演させていただきました。
このシンポジウムはCBCテレビNEWSでも紹介され、東海道の魅力を観光資源に活用するためのイベントでしたが、一般的に知られている歌川広重の描いた「東海道53次」ではなく、京街道を含む「東海道57次」がテーマでした。
「朝鮮通信使」の足跡をたどる風待ち・潮待ちの港町巡り
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江戸時代には鎖国中でも朝鮮通信使と呼ばれる、新しい将軍が即位した際、朝鮮からお祝いを言いに来る使節がありました。
一行は、ソウルから約2カ月かけて釜山まで行き、釜山の永嘉台(ヨンガデ)で航海の安全を祈る海神祭を行った後、6隻の通信使船で対馬の佐須灘港へと出発し、対馬から大阪までは、対馬藩主に案内されて、壱岐・相ノ島・赤間関・上関・蒲刈・鞆の浦・牛窓・室津・明石・兵庫に停泊しながらの船旅でした。
日本遺産「海を越えた鉄道」と快適空間の近鉄特急
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2月18日、19日は雪景色の中、ニューサンピア敦賀で長浜市・敦賀市・南越前町にまたがる鉄道遺産で構成される「海を越えた鉄道〜世界へつながる鉄路のキセキ」の日本遺産ガイド養成講座で講演させていただきましたが、地元の名産である「焼き鯖」を食べながら、鉄道文化について考えてみました。
「道」あるいは「路」は、「けもの道」という言葉があるように、野生動物にも道の歴史がありますが、それを大きく進化させてきたのが人類で、道路(街道)、鉄路(鉄道)、海路、空路の歴史です。
勝沼中学校での日本遺産講演とえんざん桃源郷「雛飾りの桃の花まつり」
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2021年2月24日、私は甲州市立勝沼中学校で令和2年度に認定された日本遺産「日本ワイン140年史 ~国産ブドウで醸造する和文化の結晶」に関し、1,2年生を対象に講演させていただく機会を得ました。
新型コロナウイルス感染拡大の影響から、高校受験を控えている3年生の出席はありませんでしたが、皆さん熱心に私の話を聞いてくれて、講演終了後には1年生、2年生の代表が立派な感想を語ってくれたことはとても嬉しく思いました。
多古町の中世城郭と日蓮宗「不受不施派」の隠れ里
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新型コロナウイルス感染拡大の影響で、昨年から海外へのツアーがなくなり、成田空港とは疎遠になりましたが、今回は多古町の城郭を巡る目的で久々に空港第2ビル駅に降り立ちました。多古町は成田空港に近い北総台地の北東部にあり、中世城郭だけでなく、古くは旧石器時代から中世、江戸時代に至るまで、様々な時代の遺跡が存在する魅力的な場所なのです。
日本遺産 伊賀の「リアル忍者」の生き様に学ぶ
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3月10日の誕生日を前に故郷、「黒田荘」の名張(隠)と生まれ故郷の伊賀上野に行ってきました。今回は伊賀市の忍者市駅前にあるハイトピア伊賀で日本遺産「リアル忍者」ガイド研修の講座を担当しましたが、私にとって故郷は室生犀星の「遠きにありて思ふもの」ではなく、実際に訪ねて忍者の魂を呼び起こす場所でした。伊賀上野城や百地丹波城(百地砦)などは、私にとっては観光の城というよりも、子供の遊び場であると同時に修行の場であったように思い出されます。
南あわじ市の日本遺産・重要文化財から学ぶ
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3月15日、16日は「南あわじ市の日本遺産・重要文化財を活用した旅行商品造成のためのモニターツアー」に同行し、南あわじ市の国分寺、栄福寺、濱田ファーム、大鳴門橋記念館、滝川記念美術館玉青館そして慶野松原と巡り、さらに沼島にも渡りました。
淡路島は『古事記』に日本で最初に誕生した「国生みの島」と記されていますが、この島には巧みな航海術で大陸と交易し、食材や鉄器などを島外に運んでいた「海人(あま)」という民が住んでいました。
神々の島、世界ジオパーク隠岐で感情の老化を防ぐ
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3月21日に緊急事態宣言が解除されたおかげで、3月23日、久々にツアーを催行することができ、「隠岐諸島3島めぐりの旅」に同行しました。
今回はまず、オープン前の「隠岐自然館」で、隠岐世界ジオパークについて野辺事務局長より説明を受けました。ジオパークは、「大地の公園」と訳され、地球の仕組みを知ることができる場所ですが、隠岐には地球の歴史が刻まれており、また神々の島でもあるのです。
今回はまず、オープン前の「隠岐自然館」で、隠岐世界ジオパークについて野辺事務局長より説明を受けました。ジオパークは、「大地の公園」と訳され、地球の仕組みを知ることができる場所ですが、隠岐には地球の歴史が刻まれており、また神々の島でもあるのです。
大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一ゆかりの深谷
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20年ぶりの新紙幣発行が決まり、その中で紙幣の代名詞とも言える一万円札の肖像が私の母校の創立者である福沢諭吉から今年の大河ドラマの主人公、渋沢栄一に変更されることになりました。
そこで私は渋沢栄一翁の半生を知るべく、埼玉県深谷市の大河ドラマ館と渋沢栄一ゆかりの尾高惇忠生家と旧渋沢邸「中の家(なかんち)」を巡ってきました。深谷を訪れたことで、私が慶應義塾大学在学中に福沢諭吉先生の『時事新報』で読んだ社説「一覚宿昔星雲夢」は渋沢栄一翁のことであったことを思い出しました。
あの世を感じる長崎県の「国境の島」五島列島福江島
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私は旅を住処としてきましたので、見るべきものは見て、聞くべきことは聞いたつもりでした。そこで先日、帰省した際、伊勢本街道沿いの道祖神に「お陰様で歳をとってからもこうして元気に旅することができ、もう行っていないところはあの世くらいです」と疫病退散の祈願と共に感謝の気持ちを伝えると、お地蔵さんはまだ「あの世の下見」はしていないだろう?と聞いてきたように感じました。
そこで、私は本当のあの世を訪れる前に、その空気を感じられる「あの世の下見」に行こうといろいろ考え、極楽浄土とされた「国境の島」五島列島福江島の三井楽を訪ねてみました。
琉球神話の聖地「久高島」と沖縄版アダムとイブ伝説が伝わる「古宇利島」
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沖縄本島周辺には、神の島と言われる場所が2つあり、ひとつは「琉球の創世神アマミキヨが天から降りてきて国づくりを始めた」という琉球神話の聖地「久高島」、そしてもうひとつは沖縄版アダムとイブ伝説(人類創成神話)が伝わる「古宇利島」で、今帰仁村に属する「神の島」とも「恋の島」とも伝えられる島です。
「しゃがむ土偶」と注目すべき福島県の縄文遺跡群
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縄文遺跡の代表である青森県の三内丸山遺跡は、全国最大規模の縄文集落として有名ですが、同じ東北でも南の福島県にも大規模で特徴的な縄文集落があったことはあまり知られていないのではないでしょうか。例えば会津といえば、戊辰戦争と白虎隊を連想しますが、この地では新潟県の火焔土器に勝るとも劣らない見事な縄文土器が出土しているのです。それは赤べこ伝説発祥の地として知られる福島県柳津町大字石生字石生前にある約5000年前から3500年前の縄文時代中期・後期に属する「石生前(いしゅうまえ)遺跡」です。
新潟県十日町市の縄文人と雪国のものがたり
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私は先日、新潟県十日町市の令和2年に日本遺産認定された「究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたり―」のモニターツアーに参加し、平成28年に認定された日本遺産「『なんだ、コレは! 』信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」も調査すべく、火焔型土器での食事と縄文人の冬の生活を体験してきました。
「環境は人本来の姿を自身に明らかにする」と言われますが、今日の先の見えない環境は、縄文人のように人間本来の姿を見つめ直す良い機会かと思います。今日では縄文美術の傑作とされる火焔型土器ですが、1936年に最初の火焔土器が新潟県長岡市で発見された当時は、美術品としては扱われていませんでした。
熊野古道を歩いて那智熊野大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社の熊野三山詣で
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『伊勢へ七度、熊野へ三度』と言われ、古くから人々の熱い信仰に支えられた熊野ですが、私はこの連休中、石畳が美しい「大門坂」を上り、那智の滝への熊野古道を歩いて熊野那智大社、那智山青岸渡寺にお参りし、さらに熊野妙法山阿弥陀寺への「ひとつ鐘まいり」を済ませた後、新宮に宿泊して熊野本宮大社、熊野速玉大社にも詣でてきました。
「大門坂」入口から熊野那智大社への苔むした石段と杉木立は、熊野古道の雰囲気が満点で、大門坂入口に近い場所には、私の敬愛する南方熊楠が3年近く滞在した大坂屋旅館跡もありました。
祝!世界文化遺産推薦 トキが舞う金銀の島「佐渡島」の遺産巡り
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佐渡は、1000mを越す山や「大野亀」や「琴浦洞窟」など、名勝・天然記念物に指定された海岸を持つ島で、海域を含む島全体がジオパークとなっており、島内には10のジオサイトが設定されています。また、金を産出した島としても世界的に知られ、世阿弥の影響を受けた「能」などの独自文化も息づいており、さらに2011年には先進国で初めて「トキと共生する佐渡の里山」が世界農業遺産(GIAHSジアス)に認定されました。
現在、佐渡市は3つの世界遺産に取り組んでいます。すなわち、ジオパーク「大地の物語」、ジアス「トキと共生する佐渡の里山」、そしてこのたび世界文化遺産に推薦された「佐渡島の金山」です。
上田市の日本遺産ガイド研修で散策した「信州の学海」
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上田市日本遺産推進協議会が主催する日本遺産ガイド研修に同行し、「信州の学海」と呼ばれる塩田平を尋ねました。
上田市の日本遺産は、大日如来を安置する「信濃国分寺」(=太陽)、国土を御神体とする「生島足島神社」(=大地)、夫神岳(おがみだけ)のふもとにある信州最古の温泉といわれる塩田平の「別所温泉」(=聖地)が、1本の直線状に配置され、レイラインをつないでいるというストーリーで、今回の研修では塩田平の「信州の鎌倉」を散策しました。
人生を二度生きた伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる
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2022年7月30日、私は映画「大河への道」に描かれた伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる(九十九里・佐原編)「伊能忠敬を育んだ北総の台地へ 誕生地九十九里から佐原をめぐる」ツアーに同行し、九十九里町の伊能忠敬記念公園、銚子マリーナの測量記念碑そして佐原の伊能忠敬旧宅と伊能忠敬記念館を案内してきました。
この伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる旅は前編・後編に分かれており、後編は9月17日に江戸編として「念願の隠居生活から江戸へ 東京の由緒ある下町・深川から浅草をめぐる」ツアーが企画されています。
北海道と北東北の国宝土偶と有名な「遮光器土偶」
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北海道と言えば、唯一の国宝である「中空土偶」が有名ですが、これは北海道旧南茅部町(現・函館市)の著保内野(ちょぼないの)遺跡で出土した土偶です。一方、北東北の国宝「合掌土偶」は、青森県の是川遺跡に近い風張(かざはり)遺跡で発見され、両足、腕が割れていましたが、アスファルトで修復されていました。顔料が残り、往時は全身が赤く着色されていたとみられ、大切に扱われていたものと考えられます。
松尾芭蕉が敬慕した西行法師終焉の地「弘川寺」
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私が敬愛する松尾芭蕉の旅の師匠である西行は、花と月をこよなく愛した平安末期の歌人で、中でも桜に心を惹かれ、230もの桜を題材にした和歌を残しています。そして自然や心情をありのまま歌に詠み、
「願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月の頃」
(できれば春、桜の花の下で死にたいものだ、ちょうど釈迦が入滅した2月の満月のころが望ましい)
と遺言めいた歌を生前に残し、歌の通り1190年2月16日、河内の国の弘川寺で西方の浄土へと旅立たれました。
男鹿半島・大潟が育む人と大地の物語「ジオパーク」
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ジオパークとは、地球形成の歴史を楽しみながら学べる「大地の公園」です。 この「大地」には、地形や地層だけでなく、その上に成り立っている山・川・湖沼・温泉等の自然と農林水産物といった恵み、そして大地に暮らす人々が育んだ歴史や文化も含まれます。秋田県のジオパークは、正しくは「男鹿半島・大潟ジオパーク」と呼び、約30km四方に過去7,000万年間の大地の歴史をほぼ連続して観察できる地層がそろっており、日本で2番目に大きかった湖「八郎潟」から誕生した人工の干拓大地からなります。
縄文人の謎を紐解く 岩宿遺跡と群馬県・栃木県の縄文遺跡
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世界文化遺産に登録されたことで北東北の縄文遺跡は知られるようになりましたが、北関東の群馬県や栃木県にも数多くの遺跡が存在しますので、いくつかの代表的遺跡をご紹介します。中でも群馬県の岩宿遺跡の発見は「赤土の中にヒトは住めない」という当時の常識を覆す考古学上の貴重な出来事でした。
人生を二度生きた伊能忠敬ゆかりの江戸深川・浅草を訪ねる
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2022年9月17日、私は映画「大河への道」に描かれた伊能忠敬ゆかりの地を訪ねる(江戸編)「念願の隠居生活から江戸へ 東京の由緒ある下町・深川から浅草をめぐる」ツアーに同行し、深川黒江町にあった伊能忠敬旧居跡や富岡八幡宮、そして浅草の浅草寺から伊能忠敬が師と仰いだ高橋至時の眠る源空寺を案内してきました。
日本考古学発祥の地「大森貝塚」と静岡県の古代遺跡群
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日本近代考古学の学問としての始まりは1877年(明治10年)にエドワード・モースが大森貝塚を発見したことに起因し、モースの活躍後は、当時京都帝国大学の教授をしていた濱田耕作がアメリカ流考古学を導入して日本考古学の基礎を築きました。そこで私は、日本考古学発祥の地である大森貝塚から、戦後、科学的、客観的に古代史を研究しようと画期的な調査が行われた弥生時代の登呂遺跡を視察し、同時に静岡県内の縄文遺跡も調査してきました。
八百万の神々が集まる出雲の国の神社巡り
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出雲では10月は全国の八百万(やおよろず)の神様たちが集まるので、“神在月(かみありづき)”と呼ばれますが、他の土地では神様が留守となるため、“神無月”と呼ばれます。
そして出雲に集まった神様は何をするかと言えば、“神議(かみはかり)”と言う縁結びの会議をします。そのためか、八雲立つ出雲の国は神の国・神話の国として神々をお祀りする古い神社がいたるところに鎮座しています。
「星ヶ塔遺跡」と黒曜石に関連した八ヶ岳山麓の縄文遺跡群
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人気テレビ番組「ブラタモリ」で紹介され、一躍全国に知られるようになった、黒曜石の採掘遺跡「星ヶ塔遺跡」を訪ねてきました。この遺跡は下諏訪町の北東部、霧ケ峰山塊北西に位置する星ヶ塔山(標高1576メートル)の東斜面に広がる東俣国有林内にあり、通常は立入禁止となっています。
今回、私は古代遺跡ツアー企画の下見調査という名目で、特別に星ヶ塔ミュージアム「矢の根や」館長、宮坂清さんの案内で現地を視察することができました。宮坂館長はこの星ヶ塔遺跡を発見し、実際に発掘された方で、テレビ番組でタモリさんも現地へ案内されました。
『万葉集』に多くの秀歌を遺した歌聖柿本人麻呂
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平成芭蕉にとって詩人と言えば、俳聖松尾芭蕉と歌聖と呼ばれる柿本人麻呂が代表です。松尾芭蕉については、『おくの細道』をはじめとする紀行文や俳句などでその生き様を知ることができます。しかし、柿本人麻呂は『万葉集』に数多くの秀歌が残されており、多くの人々の心を捉えていますが、その生涯は数多くの謎に包まれています。
そこで、私は島根県に残る柿本人麻呂ゆかりの地を訪ねてみました。島根県益田市内には柿本人麻呂を祀る神社が2社あり、一つは人麻呂生誕伝承の里にある戸田柿本神社で、今一つは人麻呂終焉の伝承が残る高津柿本神社です。
日本の歴史ある古窯「美濃」「瀬戸」「常滑」「伊賀」「信楽」の焼き物めぐり
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世界に誇る日本古来の技術を継承した歴史ある5つのやきもの産地「美濃」「瀬戸」「常滑」「伊賀」「信楽」を3日間で巡ってきました。やきもの産地を巡れば、“ 焼き物”を通して、人間の根源的な営み、人と自然との関わり、ものづくりの根源について考えると同時に、千年という時をかけて育まれてきた産地にある「火と人、土と人、水と人が出会った風景」に触れることができます。
益田市から温泉津温泉に浸かる石見海岸ローカル線の旅
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島根県益田市出身の作家、田畑修一郎は「鳥羽家の子供」などで石見人の純朴さを広く世に紹介し、石見一帯の風景の素晴らしさを今日に伝えています。そこで、益田から出雲市にかけて、田畑修一郎の「出雲・石見」を参考に、のんびりと山陰本線ローカル線で日本海沿いの名所を巡ってきました。
「塩の町」赤穂の隠れた名所「有年(うね)の古代遺跡群」
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赤穂市の日本遺産「『日本第一』の塩を産したまち 播州赤穂」の写真展を見学した後、かねてより関心のあった古代遺跡の宝庫「有年(うね)地区」を訪ねてきました。
今年は兎年ということもあり、まずは兎にゆかりのある神社に参拝してきました。それは小池百合子東京都知事のお母様の実家「小川邸」ゆかりの赤穂市有年(うね)に鎮座する有年八幡(うねはちまん)神社です。
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本全国、世界各地を旅しています。
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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