平成芭蕉の旅語録 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座

平成芭蕉の旅語録

令和の「平成芭蕉」

Contents

平成芭蕉の理念「旅行+知恵=人生のときめき」

旅のコンセプトは「共感」

このカテゴリーでは旅先でのお勧めレストランや土産品等の旅行情報をお届けする予定でしたが、今の何でも検索できる時代においては、情報よりもむしろ私が体験した感動や旅のコンセプトをお伝えした方が良いと考え、

平成芭蕉を自称する私が「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマにお話をしたいと思います。

平成芭蕉の「平成」という言葉は、中国の歴史書からの引用で

『内(内平らかに外成る)』、『地(地平らかに天成る)』

という「平穏で周囲と仲良くする」といった想いが込められています。

そこで、私の旅のコンセプトは一にも二にも旅行中に“ラポール(フランス語で「共感する関係」)”を築くことです。

すなわち旅仲間や現地で出会った人と良い関係を築き、同じ時間を過ごすことによって、感動を共有することです。

もちろん、名所・旧跡からも多くの気付きや学びがありますが、私の場合はまずは「人との出会い」を旅の思い出の第一と考えています。

なぜなら旅の究極の楽しみは、時を共有した人との「再会」だからです。

平成芭蕉の「平成」の時代は幕を閉じて、新しい「令和」の時代を迎えましたが、平成芭蕉は令和の時代も旅を続けます。「令和」の由来については下記の「芭蕉さんの旅語録」の記事をご一読下さい。

祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌

旅には人に感動を与える「知恵」が必要

旅行中の忘れ物は良くありませんが、旅先に「時の流れの忘れ物」を残すのは「良き想い出」に変わるのでお勧めです。

芭蕉さんも旅先で門人と再会したり、句会を設けて「時の流れの忘れ物」を『おくの細道』をはじめとする紀行文として残しています。

よって、旅を楽しむコツは、現地の人との交流による想い出作りであり、そのためには人に感動を与える「知恵」が必要なのです。

例えば、現地の人に喜ばれる日本文化の話や、現地についての感想を伝えたり、意見交換するには最低限の「知恵」が必要ですが、この対話という「時の共有」があれば、それは「良き想い出」となり、将来、再会する機会に感動的な「人生のときめき」を味わうことができるのです。

すなわち、「旅行+知恵=人生のときめき」です。

平成芭蕉の旅のテーマ リラクゼーション「健康”五浴”」

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旅に出る目的のひとつに気分転換や療養があります。

すなわち、旅は心身の健康にも効果的で、私はかねてより、旅の「健康五浴」を提唱しています。

それは「観たい」、「食べたい」等の欲望の“欲”ではなく、次の5つの“浴”です。

  • 日光浴…太陽のエネルギーから新陳代謝の促進
  • 森林浴…新鮮な酸素と森のフィトンによるリラクゼーション効果
  • 温泉浴…日本人の大好きな大地のエネルギーから温泉療養
  • 海水浴(潮風浴)…体液に近い海水による塩分補給
  • イオン浴…水しぶきによるマイナスイオン効果、裸足で地面に触れてもよい

神様とご縁を結ぶ「五円玉」の秘密

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お賽銭としていくら納めればよいのかと問われて、「神様とご縁が結ばれ、願いが通じる穴があることから五円がおすすめです」と言いたいところですが、この五円玉にはもっと深い隠された秘密があり、それは

稲穂は日本の主力産業であった農業

・下部の複数の線は波、水面を表しており漁業

・穴の周りのギザギザは歯車で工業

・裏の双葉の木はこれからの国の繁栄を祈願すると同時に林業

・アラビア数字の記載がなく五円と大書されるのは商業

の5つの産業の繁栄祈願です。

この五円玉は戦争が終わって、戦後の日本を豊かにしようという願いが込められているのです。

旅の種類と修学旅行からから学ぶこと

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日本語の「旅」を英語で表現すると
・Travel
・Tour
・Trip
・Journey
・Excursion
のように区分されます。

一般的な旅行はトラベルTravelで、旅行会社もTravel Agencyと表記されます。

Tourは、その旅行会社が企画するGroup Tourのような団体旅行に使います。

TripはBusiness Tripのような個人出張で乗り物を使う個人旅が主です。

芭蕉さんのように「人生は旅」という場合にはJourneyで、通常、長旅を意味します。

私たちは子供の頃の修学旅行で旅のイメージを植え付けられますが、これはExcursionという遠足であったり、教育的指導の制約されたGroup Tour団体旅行で、本来の「旅」ではありません。

「忍城」城主の末裔阿部正靖氏の講演

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「生類憐みの令」という法律は江戸時代の第5代将軍徳川綱吉によって制定され、鷹の餌になる犬の保護を中心に「生類を憐れむ」ことを趣旨とし、捨て子や病人、動物保護のための法令ですが、これは1回で出されたものではなく、複数回に分けて発布された諸法令でした。

しかし、「江戸に多いもの、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と落語でネタにされるほど、犬の糞が放置される原因にもなった誤解の多い法令です。

すなわち、第8代将軍の吉宗が「鷹狩りの邪魔になる犬を遠くへ捨てなさい」とお触れを出すまで犬が増え続けたと言われています。

しかし、阿部正弘の末裔、阿部正靖さんも講演でお話されていましたが、この法令のおかげで、以前は刀を買った武士が試し切りと称して、辻切りをしていた習慣がなくなり、命が軽んじられていた世の中の倫理観が変わったのです。

伊勢の「朔日(ついたち)参り」

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「明けましておめでとうございます」とはお正月だけではありません。

無事にひと月を過ごせたことを神様に感謝して、新しく始まる月もどうか健康で満ち足りた日々を過ごせますように、と手を合わせるのが神社への「朔日参り」です。

今回の朔日参りは、神宮の早朝参拝で、毎月1日と15日に行われる「神馬見参」の儀に参列し、今年1月に内宮の新しい神馬となった「草新号」にご挨拶するのが目的でした。

「神馬見参」の「草新号」は、まだ慣れない素振りがあるかと思いきや、威風堂々と神職の礼に合わせて首を垂れていた姿にはとても感動しました。

パスポートのいらない英国「ブリティッシュ・ヒルズ」

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私は若い頃、シャーロックホーロックホームズクラブ会員となり、英国のベーカー街やホームズゆかりの地を旅行していました。

「シャーロックホームズ」という言葉から
コナンドイル→英国→ブリティッシュ・ヒルズ
まで、検索できれば福島県の羽鳥高原のブリティッシュ・ヒルズで英国に行かなくてもシャーロックホームズの気分が味わえます。

ブリティッシュ・ヒルズは専門学校の英語研修のために生まれた施設で、主要設備はすべて英国から取り寄せられたもので、「パスポートのいらない英国」として、人気のある宿泊施設です。

ホテルの一室には「シャーロック・ホームズの部屋」があって、シャーロック・ホームズの気分を味わうことができます。

福澤諭吉の出身地、中津の日本遺産「耶馬渓」

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先日、わが母校の創立者、福澤諭吉先生の出身地である大分県中津に行ってきました。聞くところによると今年は福澤諭吉先生が一万円札の肖像になって30周年だそうです。

しかし、今回の中津訪問は昨年、日本遺産に認定された「耶馬渓」の現地案内人さんを対象とした講演が目的です。

その日本遺産は、中津市と玖珠町にまたがる景勝地の歴史や文化を語る
「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」というストーリーです。

そして今年は頼山陽が「耶馬渓」と命名してからちょうど200年にあたる記念すべき年なのです。

北海道の命名者「松浦武四郎」

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松浦武四郎は幕末の偉大な探検家であり、科学者でもあり、「北海道」という地名の命名者で伊能忠敬以上に日本全国を歩きつくした「旅の達人」です。

2018年は松浦武四郎の生誕200年であると同時に『大日本沿海輿地全図』を完成させた伊能忠敬の没後200年にもあたります。

また、NHKスペシャルドラマ「永遠のニシパ~北海道と名付けた男松浦武四郎~」(北海道で先行放送後、全国放送)も放映されます。

この機会に偉大なる先人の足跡を訪ねる旅に出てみてはいかがでしょうか。
三重県の松阪には「松浦武四郎記念館」があって、松浦武四郎の生涯とその功績を学ぶことができます。

遠藤周作『沈黙』の舞台「外海から五島列島」

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五島家当主とツアー企画担当者

外海は昨年、公開された遠藤周作の映画『沈黙』の舞台になったところで、この地には信仰が自由になってからも潜伏時代からの信仰を守り続ける「かくれキリシタン」がいます。

昨年、私が現地でお世話になった外海観光ボランティアガイドの松川隆治会長は、黒崎地区のかくれキリシタンで、外海に伝わる伝説を分かり易く解説してくれました。

また、外海から五島に渡ったキリシタンについては、五島列島の五島家第35代五島典昭当主が、当時の大村藩との関係を踏まえて興味深い話を聞かせてくれました。

『奥の細道』のハイライト

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私の好きな芭蕉さんの句に 「五月雨を集めて 早し 最上川」 があります。

この句は元禄2(1689)年5月29日(新暦では7月中旬)に山形県大石田の俳諧をたしなむ人たちと句会(36句の歌仙一巻)を開いたときに詠まれたものです。

彼らの代表は船宿の主人、高野一栄という人で、芭蕉さんはその高野一栄の亭に招かれたのですが、そこは最上川の川っぺにある涼しい場所だったのです。

そして、芭蕉さんは『奥の細道』に「このたびの風流、ここに至れり」と書いており、みちのくの旅が最上川でピークに達したと自ら言っているのです。

【長崎県】幕末日本の外交を支えた長崎通詞 森山栄之助

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今年は幕末150年で大河ドラマの西郷隆盛や大久保利通が明治維新のヒーローとして話題を呼んでいます。

しかし、1853年の日本開国以降、幕末の外交を陰で支えた人物の存在も話題にすべきかと思います。その人物は1820年に長崎のオランダ通詞の家に生まれた森山栄之助(太吉郎)です。

彼はオランダ語に加えて独学で英語も勉強していましたが、ちょうど彼が23歳の時、アメリカインディアンの血を引くラナルド・マクドナルドが漂流民を装って北海道に上陸、捕らえられて長崎に送られてきた際、彼に対する奉行の尋問を通訳する機会に恵まれました。

遠藤周作『沈黙』の舞台、外海の潜伏キリシタン

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遠藤周作『沈黙の碑』

遠藤周作『沈黙』の舞台である外海の潜伏キリシタン関連教会を巡ってきました。

今回も外海ボランティアガイド協会の松川隆治会長にご案内いただき、黒崎教会、出津教会、大野教会と巡り、この地に伝わるバスチャン信仰についても解説していただきました。

バスチャンとは外海地区で活動した伝道師で、黒崎教会の資料館にはその「バスチャンの日繰り」と呼ばれる教会暦が展示されており、これは「御帳」と呼ばれる組織のリーダーが管理した教会暦のことです。

もとはフランシスコ・ザビエルが1550年の教会暦を鹿児島の信徒に与えたもので、バスチャンの「日繰り」もこれにならって1634年の教会暦(グレゴリオ暦)を当時の太陰暦に改編したものと言われています。

外海の世界遺産はド・ロ神父からの贈り物

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『沈黙』の舞台である外海を旅して、私は、信じること、守ること、伝えること、そして愛することという人間が生きていく上で大切なことを学んだ気がします。

特に「外海の太陽」として今日まで語り継がれているド・ロ神父の献身的な功績には感動します。

おぼつかない日本語については、神父の良きパートナーであった黒崎村出身の伝道師中村金蔵がサポートし、外海の人々に生きる力を与え、自立することを教えたド・ロ神父の強さと真の愛情はこれからも永遠に語り継がれことと思います。

世界に誇る五島の潜伏キリシタン教会群

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頭ケ島教会堂

頭ケ島教会堂

今回の世界遺産では旧五輪、江上、頭ケ島、青砂ケ浦教会堂といった建物ではなく、集落や集落跡が登録対象となっていますが、これらの教会堂は長い潜伏期間を乗り越え、どんなに過酷な迫害に遭っても、決してその信仰を捨てなかった信者たちが渇望した「神の家」です。

厳しい生活の中から少しづつ資金を捻出し、自分たちの生活よりも神の家を建てることを優先した信徒たち。

私はつつましく、まじめに生きた五島の潜伏キリシタンから、決して諦めないサバイバル精神を学んだ気がします。

ユーミンの歌で有名な長崎県五島の奈留島と野茂投手

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私は兵庫県立鳴尾高等学校、通称「鳴高」の出身で、五島の奈留島を訪れた際、同じ発音の「奈留高」生に親近感を覚え、その奈留高生にお願いして有名な奈留高生の愛唱歌、すなわちユーミン(松任谷由実)の『瞳を閉じて』を歌ってもらいました。

この曲はまだ、分校だった奈留高の一人の女生徒が、ユーミンがDJをつとめる深夜のラジオ番組『オールナイトニッポン』に「分校には校歌がないので作って欲しい」と書き送った結果、ユーミンから贈られた曲です。

1988年には同高卒業生の寄付でユーミン直筆の歌詞を刻んだ歌碑が校内に建立され、除幕式にはユーミン本人も訪れました。

日本で最後に沈む五島の夕陽と空海の足跡

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弘法大師と辞本涯の碑

弘法大師と辞本涯の碑

長崎県の五島は今話題の世界遺産だけでなく、「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋」というストーリーで日本遺産にも認定されています。

これらの島に残る史跡や文化財で構成される物語は、朝鮮半島や中国大陸との交流や交易によって作られた「国境の島」特有の文化が伝わり、特に五島では奈良・平安時代に大海原へ漕ぎだした遣唐使たちに想いを馳せることができます。

空海も遣唐使として唐に赴いた際にはこの五島の福江島に立ち寄り、「辞本涯」という碑が建てられています。

関西の新名所「宝塚北SA」と手塚治虫

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先日、今話題の兵庫県宝塚市にある新名神高速道路の「宝塚北サービスエリア」に行ってきました。

この施設は宝塚市の「花のみち」周辺の南欧風景観をイメージした建物とパティオ、そしてお洒落なお店に加えて宝塚ならではの宝塚歌劇OGによるイベントが定期的に行われていることが特徴です。

また、メイントイレは高級会員制ゴルフ倶楽部のロッカールームを思わせるほど素晴らしく、ぜひとも利用してみて下さい。

しかし、私にとって最も興味深かったのは、宝塚が生んだ偉大な漫画家、手塚治虫の特設コーナーがあって、サファイア姫(王子)像や鉄腕アトムのトピアリーが設置されていることです。

マサイ族の子供とアフリカの動物

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私は動物が大好きで、以前は毎年アフリカのマサイマラセレンゲティ国立公園ンゴロンゴロ自然保護区に行き、心の洗濯をしていましたが、今も当時の動画を見ながら気分転換をはかっています。

特に「セレンゲティ国立公園」では、アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ山の裾野に広がる広大なサバンナでサファリを満喫することができ、地平線に動物の群れを眺めながら夕陽鑑賞というぜいたくな時間を過ごすこともできます。

都会の生活に疲れて、いろいろな悩みをかかえている方にはアフリカの国立公園がお勧めです。自然に対して謙虚になれると同時に価値観も変わり、感謝の気持ちと新しいマインドセットが生まれます

美しいペリト・モレノ氷河とLos Notros Hotel

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Los Notros Hotelからの眺め

Los Notros Hotelからの眺め

「地球に優しい」という標語がありますが、私はむしろ人類はこれまで「地球に優しくされてきた」のではないかと思っています。

その氷河崩落の場所は、南米のアルゼンチンにある、その名も「氷河」を意味するロス・グラシアレス国立公園です。

氷河はその広がりによって氷床(大陸氷河)山岳氷河に分けられますが、ロス・グラシアレス国立公園の氷河は南極やグリーンランドの氷床とは異なる山岳氷河です。

そしてこの山岳氷河の地域では、真冬でもさほど気温が下がらないので、氷河は溶けては凍る再氷結を繰り返しながら、速い速度で移動しているのが特徴です。

中でもアルヘンティーノ湖に流れ込むペリト・モレノ氷河は、中央部で1日に約2mも移動するので「生きている氷河」と呼ばれ、気温が上がる夏には、ビルほどの高さの氷河が大きな轟音とともに一気に崩落するシーンが見られるのです。

奄美の景勝地「あやまる岬」と奄美を愛した田中一村

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田中一村は明治41(1908)年、栃木県に生まれ、今年は生誕110周年ということで佐川美術館において「生誕110年特別企画展」が開催されています。

また、箱根の岡田美術館でも「奄美を愛した孤高の画家」田中一村特別展が開催されており、8月24日から1か月間、田中一村の最高傑作と名高い『アダンの海辺』(個人蔵)が特別公開されます。

田中一村は、昭和33年50歳で奄美大島に移住し、紬工場で染色工として働きながら、奄美大島の自然を描き続け、独自の世界を作り上げた孤高の画家です。

奄美大島の自然をこよなく愛し、大島に生息する亜熱帯植物や鳥を鋭い観察で力強くも繊細な花鳥画に描き、南を目指したことから「日本のゴーギャン」とも呼ばれています。

日本人の心の故里、中山道の追分と宿場町

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私は数ある街道の中でも中山道が大好きで、暑い日には陣中見舞いを兼ね、お客様を案内されている講師の先生を励ますという名目で、軽井沢の先にある追分宿や木曽路の贄川(にえかわ)宿等で待機し、お客様や先生に冷たい麦茶やスイカを提供していました。

追分とは宿場町の名前でもありますが、信越本線の信濃追分駅に近い「分去(わかさ)れ追分」は地名ではなく場所としての追分で、中山道と北國街道との分岐点です。

実は中山道は江戸時代に初めて制定された街道ではなく、その前身を「東山道」と呼ぶ古代から西国と東国を結ぶ重要な官道で、追分に立つ「道しるべ石」には「さらしなは右、みよしのは左にて、月と花とを追分の宿」と有名な歌が彫られています。

本州最西端の万葉故地「毘沙ノ鼻」

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私は学生時代に「犬養節」で知られる犬養孝先生の講座を聞いて、万葉集に関心を抱くようになったのですが、万葉集の歌は「心の音楽」だと思います。

しかし、関西圏以外の万葉故地は、今、訪れるとなると結構不便なところが多いのですが、感動的な歌は案外、僻地で詠まれているのです。

その代表が本州最西端にあたる「毘沙ノ鼻」です。ここは山口県西部の海岸にあり、沖には蓋井(ふたおい)島が浮かんでいますが、あとは遮るものはなく、どこまでも大海原が広がる最果ての地です。

その「本州最西端の地」の記念碑の横には

『長門なる 沖つ借島 奥まへて 吾が思ふ君は 千歳にもがも』

の万葉歌碑が立っています。この歌は天平10(738)年、この地を治めていた長門守の巨曽倍対馬(こそべのつしま) が都で催された橘諸兄(たちばなのもろえ) に詠んだ歌です。

豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号とカジノ

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最近ではダイヤモンド・プリンセス号のチャーター企画で船内講座を担当し、昨年まで毎年乗船していましたが、今年はその企画はありません。

しかし、来年の10月にはまた台湾に向けて同船のチャータークルーズ企画があり、私はまたセミナー講師として乗船する予定です。

そして今週末にその船内クルーズの魅力を語る講座を設けることになりましたので、この機会に未公開の写真を披露することにしました。

それは、今では保安上、一般客が立ち入ることのできない、船橋と呼ばれる操舵室ブリッジでキャップテン自らが操縦している写真です。

「げに一刻も千金」のヘリコプタークルージング

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エクセル航空のヘリコプターによる「東京ナイトクルージング」を満喫してきました。

台風が接近しつつある状況で運行が危ぶまれましたが、幸い風もなければ雲もなく、美しい夕焼けを鑑賞した後、浦安ヘリポートより約15分間、極上の時間を体験することができました。

私は世界各地を巡って多くの人を見てきましたが、「日本人は分単位で時間を節約しながら仕事をして、年単位で時間を損している」ように感じます。

すなわち、毎日一生懸命働いていても、1年を振り返ると鮮明な想い出が少ないのではないか、ということです。

今日も通常ならば、仕事をしている時間ですが、そのわずか15分を利用して大都会東京の夜景を鑑賞すると、一生忘れることのできない想い出となります。

日本刀と日本を代表する現代の刀匠、藤安将平氏

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平成芭蕉は現代の刀匠藤安将平氏に、日本刀についてのお話をお伺いするべく、福島県の鍛錬所「将平鍛刀場」を訪ねました。

藤安刀匠は人間国宝・宮入行平刀匠のもとに弟子入りして修行されました。

正確に言えば、師匠となる宮入刀匠の奥さんの「家事」手伝いをしながら刀鍛冶の技術を伝授されたそうです。すなわち、師匠の奥さんに支援されて今日があるとのことです。

現在、国宝として指定を受けている名刀は約120点ばかりあり、それらは平安末期から鎌倉、南北朝時代にかけて作られたものです。

そこで藤安刀匠は「古名刀とまではいかなくとも、古刀のような条件を備えた刀を作りたい」と鍛錬されてこられました。

倉敷・備前「日本遺産を訪ねて」

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岡山県では平成27年度の旧閑谷学校「近世日本の教育遺産群~学ぶ心・礼節の本源~」に引き続き、平成29年には

備前市の「きっと恋する六古窯~日本生まれ日本育ちのやきもの産地~」

倉敷市の「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」

という2つのストーリーが文化庁の日本遺産に登録されました。

六古窯とは日本古来の陶磁器窯のうち、現在まで生産が続けられている代表的な6つの窯(備前、瀬戸、越前、常滑、信楽、丹波)の総称で、日本の技術、伝統を古くから継承している日本独自の焼き物で、備前焼もその一つです。

また、倉敷の日本遺産は県内で初めて単一の自治体で完結する「繊維のまち」のストーリーです。

さらに、岡山県では平成30年に岡山市、倉敷市、総社市、赤磐市が申請した「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」も日本遺産に認定されました。

「四ケ村の棚田」と肘折温泉郷の砂防堰堤(ダム)

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日本棚田百選のひとつ「四ケ村の棚田」は、霊峰月山葉山の懐に抱かれ、それらの山々を源とする銅山川と赤松川が村を貫き、山村としては珍しい広々とした台地が各所に広がっています。

また、近くには数度にわたる爆発を繰り返した、肘折火山のカルデラに位置する肘折温泉郷もあります。

そして、肘折温泉の南には大規模なブナ林が広がっていますが、今回は冬には行けなかった地蔵倉洞窟の散策コースを巡ってきました。

地蔵倉は、この肘折温泉を発見したと伝えられる豊後の国(大分県)から来た源翁が、地蔵菩薩に出会った場所です。

地蔵菩薩は、この崖から落ち、「肘を折って痛かったが、岩の間から湧き出る温泉で傷が治ったので、このお湯のことを皆に知らせて欲しい」と源翁に語ったのです。

そこで、源翁はその洞窟を「地蔵倉」、温泉を「肘折温泉」と名付けて、守り続けたと言われています。

立谷沢川の『黙而雄』と「疎水百選」の北楯大堰

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立谷沢川上流は、地質がもろく、大規模な土砂崩壊が発生していたので、今日では龍神・水神様を参拝する代わりに六淵ダムや瀬場ダムのような砂防堰堤が地元民の家や命を守っており、『現代の龍神石碑』ということで壁面に龍が描かれています。

私は国土交通省の新庄河川事務所の方から、この立谷沢川流域の歴史や史跡、そして砂防事業との関わり等について詳しい説明を受けました。

その中で瀬場堰堤工事に尽力された当時の工務課長、倉上靖氏の『黙而雄(もくしてゆう)』という言葉を刻んだ石碑が印象に残りました。

最近の異常気象で洪水や土砂災害がニュースで報じられるケースが増えてきましたが、この『黙而雄』の碑は長きにわたる「土砂災害との闘いの歴史」を風化させずに後世に伝え、さらには地域の魅力再発見にもつながるモニュメントかと思います。

バオバブが群生する不思議な島「マダガスカル」

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マダガスカル島は日本の約1.6倍で、グリーンランド、ニューギニア、カリマンタンに次ぐ世界で4番目に大きい島で、1億年以上も昔にアフリカ大陸と分離したと考えられ、島に棲息する動植物の3分の2が固有種です。

植物ではサン・テグジュペリの「星の王子さま」に登場するバオバブ、動物では横っ飛びが特徴的なシファカキツネザルが有名です。

そのバオバブは植物分類学上では「木」ではなく「草」ですが、樹齢は500年以上と言われ、死者の魂が戻る場所と考えられているためか生命力を感じます。

私はマダガスカルを訪れた際には、「モロンダバのバオバブ並木」はもちろんですが、「ベレンティの森」にも宿泊し、ベローシファカの横っ跳びやワオキツネザルの動きをじっくりと観察していました。

青の都サマルカンドとウルゲンチの仲間たち

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ウズベキスタンで出会った女子学生にウルゲンチを案内してもたった際には、初めて訪れたにもかかわらず、すでに来たことがあるような既視感(デジャヴ)に遭遇しました。

私はアジアを旅行していると時々このデジャヴュに遭遇します。

静かで不思議な感動を伝える信仰や土着民族の風習、懐かしいと感じる風景など、五感に新鮮な驚きが溢れ、肌ににじんだ汗が地元の空気に馴染む頃、このデジャヴュがやってくるのです。

ウズベキスタンの古都サマルカンドはサンスクリット語のSamaryaに由来し、「人々が出会う場所」という意味がありますが、まさにこの国は人種のるつぼです。

日本人そっくりの蒙古系から先住民族のソグド系民族にいたるまで、様々に着飾った民族が一堂に会する光景は飽きることがありません。

奥飛騨温泉郷福地温泉「湯元長座」での至上のひととき

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今日は甲州街道を経由して奥飛騨の福地温泉「湯本長座」にやって来ました。

この宿は昔ながらの飛騨造りによる古民家を移築しており、木の香り、囲炉裏のぬくもりなど、懐かしいい日本の情緒を味わえるお薦めの温泉宿です。

玄関から続く廊下にも趣があって、重厚な柱や梁、そして柔らかく差し込む光が都会の喧騒を忘れさせてくれます。

お風呂も豊富な源泉を使った趣のある露天風呂や家族風呂もあって、心身ともにくつろげます。
また、食事も囲炉裏端の部屋で、飛騨牛をはじめ、奥飛騨の山の幸にこだわった「ごっつを」を堪能することができます。

飛騨に伝わる口碑と位山の「天の岩戸」伝説

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「飛騨の口碑」によると、飛騨王朝第15代淡上方(あわのうわかた)様は、飛騨の地がしだいに寒冷化してきたため、都を淡山の麓から雪の少ない宮村(現高山市一之宮町付近)に移し、その近くにそびえる位山を祭祀場として、位山の山頂から淡山を遥拝したと言われています。

そして偉大なる神通力者であった淡上方様は、宮村で崩御された後、位山の大岩の横に埋葬され、以後、皇統一族は亡くなると位山の巨岩「天の岩戸」のそばに埋葬されるようになったと言われています。

そのため、皇統命(スメラミコト)が新たに即位するときには、歴代の先祖が眠るこの位山のイチイの木の板(位板)が辞令として謹製されるようになったと飛騨の一宮である水無(みなし)神社にも伝わっています。

松阪商人の活躍と伊勢街道

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私が『価値ある旅行のゴールデンルール』というテーマで講演させていただく際には「魅力ある街にはシンボルとなる建造物があり、主要な街道が通っています」と説明しています。

私は来る8月20日に三重県松阪市で「旅行会社が地域に望むこと」というタイトルで講演させていただく予定ですが、この松阪市こそ実は価値ある旅行のゴールデンルール上からも魅力ある街の筆頭なのです。

今年はその松阪出身の北海道命名者、松浦武四郎が生誕200周年を迎えるということもあり、私はこの機会に松阪の魅力を一人でも多くの人に知っていただきたいと思っています。

松阪と言えばまずは松阪牛、そして蒲生氏郷の美意識の高さを感じさせてくれる松坂、さらには「松阪の一夜」で有名な本居宣長を連想しますが、忘れてはならないのは三井家、長谷川家、小津家で代表される松阪商人の存在です。

ディオクレティアヌス宮殿跡に誕生した港町スプリット

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20世紀の歴史学者アーノルド・トインビー博士「人間とは歴史に学ばない生き物である」と名言を残していますが、このスプリットの街を見れば本当にこの言葉が実感されます。

すなわち、古代ローマの時代には上下水道も完備し、ディオクレティアヌス邸も現代に通用する立派な建造物だったと思われます。

しかし、この地に来たゲルマン民族やヴェネツィア人は、街の歴史を無視し、古代ローマ人の造った施設の意味も理解せずに自分勝手な破壊活動を行った結果、ローマ時代には下水道も完備して清潔だった街にペストが流行したり、余計な争いが増える原因を作ったのです。

因みに下水道設備は壊されましたが、上水道は古代ローマ時代のものが現在でも利用されています。
クロアチアの旅を通じて私は、日本においても古代ローマ同様に古代の人の作った遺跡は、今一度その意味を精査すべきだと思いました。

クロアチアの古都トロギールのLiberty精神

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スプリットから海岸道路を西へ約25km走った場所に、世界遺産にも登録された美しい中世の面影を残す古都トロギールがあり、私はこの小さな町の象徴である聖ロヴロ大聖堂の門のレリーフを正確に読み解く目的で再度この地を訪ねました。

ロギールは紀元前2~3世紀にギリシャ人が建設した殖民都市で、そのギリシャ人が「トラグリオン」と名づけたのが町の起源ですが、実際はクロアチアの先住民イリュリア人が独自の文化を育んでいたと言われています。

トロギールはその後ローマ人に引き継がれ、ローマ軍が去った後はラテン人の町として発展し、7世紀にトロギールとスプリットの間にあるローマ人の町サロナがスラヴ人に攻撃された際、町はサロナからの避難民を受け入れてさらに拡大したのです。

しかし、トロギールはダルマチア文化の中心地としてLiberty精神を大切にし、「異民族支配からの自由」より、Libertyという「信仰への自由」を求め、その象徴が聖ロヴロ大聖堂です。

平和な日本ではあまり意識しないことですが、生きる上においては「何らかの束縛からの自由より、自分の信念に従って積極的に行動せよ」ということでしょうか。
このトロギール市民のLiberty精神こそが真の世界遺産だと感じました。

ドゥブロヴニクの隠れた魅力

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イギリスの劇作家、バーナード・ショー「この世の天国を見たければ、ドゥブロブニクに行かれよ」という言葉を残しており、今回の私の最終目的地もこの「アドリア海の真珠」と呼ばれたドゥブロヴニクでした。

ドゥブロヴニクとはスラヴ語の名称で、ラテン語ではラグーサと言い、ナポレオン侵攻まではラグーサ共和国と呼ばれる海洋都市国家でした。イタリアのヴェネツィアと同様に地中海貿易で栄え、ハンガリー、オスマン・トルコと次々に宗主国が変わる中、巧みな外交術と堅牢な城塞によって都市国家としての自由と自治を守り続けたのです。

紺碧の海と空を背景に、茜色の屋根瓦を載せた象牙色の家々がびっしりと軒を連ねる旧市街には頑強な城壁がぐるりと取り囲んでいます。

ロープウェイでスルジ山に登り、展望台から見た城塞都市ドゥブロヴニクは、真っ青なアドリア海に向かって挑むように張り出し、溢れる陽光に輝いており、まさしく「アドリア海の真珠」という表現がふさわしい街です。

旧市街入り口のピレ門に近いロヴリィエナッツ要塞の砦には、ラテン語で「どんな黄金との引き換えであっても、自由を売り渡してはならない」と書かれています。軍隊もろくに持たない小国ながら、自由を得るためには敵に黄金を差し出すことさえいとわなかったドゥヴロヴニク市民の強い意志が伝わってきます。

森羅万象に神々が宿るパワースポット壱岐島

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長崎県の壱岐島は、古事記の国生み神話で大八島と言われる日本の国土を生んだ伊邪那岐神・伊邪那美神が5番目に造った島とされ、そこに光の柱が降臨したのでまたの名を「天比登都柱(アメヒトツバシラ)」とも呼ばれています。

神道においては「柱」は神様が宿るものとして信仰され、天地を結ぶ交通路とも考えられているので、古代の世界観では「壱岐からは天上の世界へいくことができる」という観念があったと推測されます。

そして私の干支にも関連する猿田彦命を祀る男嶽(おんだけ)神社は、その「天比登都柱」が降臨した場所と伝えられ、拝殿裏にあるご神体の岩は男嶽大明神のパワースポットとしても注目されています。

今回は吉野理(ただし)宮司に境内をご案内いただきましたが、奉納された多くの石猿や鬱蒼とした参道にはパワーを感じました。

嬬恋村鎌原の歴史と浅間山の天明大噴火

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ダイヤモンド浅間を撮影する国土交通省管轄の片蓋川第二砂防堰堤の近くには、溶岩の芸術と呼ばれる「鬼押出し園」がありますが、この溶岩は天明3(1783)年8月5日(旧暦では7月8日)に起きた浅間山噴火の際、最後に流出した溶岩流が固まったものです。

今年に入って草津白根火山の噴火がニュースになりましたが、キャベツ畑の「愛妻の丘」で有名な嬬恋村の鎌原(かんばら)にある嬬恋郷土資料館には、当時の浅間山噴火に起因する「土石なだれ」によって埋没した鎌原村からの発掘品や噴火当時の絵図が展示されています。

今回のダイヤモンド浅間撮影場所となる砂防堰堤は、このような「土石なだれ」や火砕流から住民の生活を守るために建設されており、八ッ場ダムのような建造物は話題になってもこのような砂防堰堤は知る人ぞ知る防災設備なのかもしれません。

私は11月10日(土)に嬬恋会館ホールにて、「吾妻川上流域の防災・減災と活力のある地域づくりを考える会」実行委員会が主催する講演会で『地域の魅力を活力につなぐ』をテーマに講演をさせていただく予定ですが、奇跡的な復興をとげた鎌原地域については是非とも多くの人に知っていただきたいと考えています。

安来節と尼子氏の山城で有名な「はがねの町」安来

第25回山城サミット安来大会の主役である月山富田城は、戦国大名の尼子氏が拠点とした山城ですが、山陰地方の鉄生産の中心地であった奥出雲地域を支配下においたことから、「鉄づくり千年が生んだ物語」の一つとして日本遺産の構成文化財となっています。

現在では当時の建築物は残っていませんが、登山道の整備はなされており、山中御殿から七曲りを経て本丸まで登ると、眼下には鉄の流通路であった安来平野から島根半島を見渡すことができます。

しかし、私の関心は私の姓と同じ安来市広瀬町にある黒田の奥非田(比田)の森の桂の木に降り立たれたと伝わる、たたらの神「金屋子神」でした。かつて西宮青年会議所のメンバーであった際、おなじ兵庫県内の宍粟市千種町も金屋子神ゆかりの地であると聞いていたからです。

たたらの女神「金屋子神」を祀る金屋子神社の総本社を参拝した私は、境内の参道や黒田川に製鉄の副産物を発見し、良質の砂鉄と豊富な森林資源、そして黒田川の清らかな水という製鉄に必要な条件がそろっていたことも理解できました。

近くにある金屋子神話民俗館の展示資料によると、金屋子神は高天原から最初に天降下った場所が播磨国志相郡(兵庫県宍粟市)で、その後、「私は西方を司どる神である」と言って白鷺に乗り、この出雲国の黒田に来たと解説してありました。しかし、一説には、途中、備中国吉備の中山を経由したとも言われています。

安来の平和を発信する加納美術館と清水寺の精進料理

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安来の美術館と言えば、足立美術館が有名ですが、平和を願い続けた加納莞蕾(辰夫)氏の思いを伝える展示で知られる加納美術館もお勧めです。

私は氏の娘さんで名誉館長の加納佳世子さんに館内を案内していただきましたが、私の好きな「奥の細道句抄絵」の作者小野竹喬さんの作品も展示されており、また、備前焼や名碗の展示も充実していて、茶室「如水庵」ではその名碗を手に取って愉しむこともできます。

しかし、この美術館の第一の魅力は、終戦後、フィリピン刑務所に収容されていた日本兵戦犯108名の釈放助命嘆願書キリノ大統領に送り、目的を達成させた従軍画家加納莞蕾氏の魂が宿っているところです。

キリノ大統領に宛てた嘆願書の中の

「許し難きを許す」という奇跡によってのみ人類に恒久の平和をもたらし、「目には目を」ということでは決して達成し得ないということを、これまで以上に強く感ずる次第であります。』

という加納莞蕾氏の言葉が、フィリピンのキリノ大統領に日本人戦犯の釈放減刑通告を促したのです。すなわち、この美術館は世界に平和をアピールする拠点でもあるのです。

乃木神社の管絃祭と正松神社

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乃木神社境内に鎮座する正松神社は学問の神様で、乃木将軍が敬愛した吉田松陰を祀る神社です。

乃木将軍は師である玉木文之進より、吉田松陰直筆の「士気七則」を贈られて、その教えを大切に守っていたと言われていますが、その中に

「一つ、日本に生まれたのであれば、まず日本の偉大なるところをしるべきである」

との教えがあります。

その日本人の偉大なるところは、今日、乃木神社に奉納された雅楽や舞楽の深淵なる宇宙観を感じ、自然と調和する能力だと思います。

日向薬師と大友皇子開基の石雲寺

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日向薬師は正式名を日向山霊山寺と呼び、716年に行基菩薩が開創した古刹です。

最盛期には13防あったそうですが、明治の廃仏毀釈で破壊され、今は宝城坊のみが残り、これが日向薬師宝城坊、通称「日向薬師」として知られています。

境内には天然記念物の二本杉の隣に南北朝時代の梵鐘がありますが、鐘楼は4隅に3本ずつの柱があって、12神将を表すという珍しいものです。

本尊は鉈(なた)彫りで有名な薬師三尊像で、これは厨子の中にあって見ることはできませんでしたが、他にも薬師如来坐像阿弥陀如来坐像四天王立像十二神将立像など日向薬師の重要文化財は数多くあって見ごたえがあります。

 

由緒ある神社仏閣が残る伊勢原比々多地区

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聖峰不動尊は初日の出を拝むパワースポットで知る人ぞ知る穴場ですが、九十九曲でなく、女坂を登るのもなかなか大変で、山城の視察に来ているように感じました。

しかし、標高375mの頂からの眺めは素晴らしく、不動明王を祀った祠堂もあって、案内板によれば、平安時代に紀州の僧・子の聖が修行の場として建立したと書いてあり、歴史のある場所でもあります。

聖峰不動尊にお参りした後は、三之宮比々多神社に参拝し、禰宜の永井さんには丘の上にある元宮にもご一緒していただきました。

比々多神社は平安時代の延喜式の記録に残る古社で、霊山大山をご神体に仰ぎ、はるか縄文時代の昔からパワースポットでした。その証拠に境内からは縄文時代の土器や古墳時代の勾玉などが出土しており、元宮に向かう境内に流れる空気には癒しの力を感じました。

第35代五島家当主が所有する福江城と五島氏庭園

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福江城の五島氏庭園は、第30代の盛成が家督を譲った後、城郭内に隠殿屋敷を建て、その東側に京都の僧、全正に作らせた庭です。全正は金閣寺の丸池を模倣し、福江島のシンボルである鬼岳(おんだけ)の溶岩を多用しています。

なお、盛成は亀を好んでいたので、中島などの随所に亀に似た石を据えており、池は心の字を形どって「心字が池」と呼ばれています。

隠殿屋敷の玄関の間には、その「心字が池」庭園を設計した全正の辞世の句が書かれた屏風が立てられています。

盛成はこの邸宅完成後は、戒律を破って京都から逃れてきた全正を友とし、風月を愛したと言われていますが、邸宅から見る庭園には樹齢800年以上のクスノキや南方系の樹木も配されており、私は江戸時代にワープしたような感動を覚えました。

また、この隠殿は盛成というご隠居さんの住居ですが、亀の釘隠しや透かし欄干など、様々な趣向が取り入れられており、落ち着いた雰囲気の中にご隠居さんの茶目っ気を感じました。

五島は今、世界遺産登録によって教会が注目されていますが、この福江城(石田城)や見ごたえのある日本庭園「心字が池」も世界にアピールすべきだと思います。

日本遺産の塩竃神社を詣でる『奥の深い細道』

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『おくのほそ道』は俳句を愛する人々の聖典の一つですが、旅を愛する者にとっても貴重な紀行文の一つです。

松尾芭蕉は旅行業界にとっても模範とすべき存在であり、『おくのほそ道』という旅行記を残してくれたおかげで、後世のわれわれは、その旅を追体験する楽しみを得ることができるのです。

よって、私も芭蕉さんの『おくのほそ道』を参考に、平成芭蕉を名乗り、『奥の深い細道』の取材を兼ねて記録を残す旅を心がけています。

今回はその芭蕉さんが訪れた塩竃で地元のガイドさんと交流する機会を得て、その日本遺産ガイド研修会終了後、私も芭蕉さんが詣でた塩竃神社を参拝しました。

『おくのほそ道』には

「早朝、塩竃の明神に詣づ。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩槇(さいてん)きらびやかに、石の階(きざはし)九仭(きゅうじん)に重なり、朝日朱(あけ)の玉垣をかかやかす」

とあり、芭蕉さんは陸奥の一宮である塩竃神社を詣で、表参道の202段の急な石段を「石の階、九仭に重なり」と表現しています。

「仭」とは古代中国の高さの単位で「九仭」とは非常に高いという意味です。

国守である藩主伊達政宗公が再建しただけあって、社殿の宮柱はとても太く、垂木(槇)も彩色されていて美しいと芭蕉さんは感嘆しています。

この神社の祭神は日本神話に登場するシオツチノヲジ(塩竃明神)で、人々に漁業製塩法を教えたとされていますが、日本書紀の記述ではこの神が東に良い土地があると言ったことから神武天皇が東征を決意したとも言われています。

バンダウガル国立公園でのタイガーサファリ

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ンドの「バンダウガル国立公園」は、かつてはマハラジャの狩猟森林地帯で、現在、希少種となったベンガルトラと遭遇する確率が最も高い場所として有名です。1968年に国立公園に指定され、約450平方キロメートルが自然保護区となっています。

ベンガルトラは絶滅を危惧されるネコ科最大の希少動物で、この遭遇確率の高いバンダウガル国立公園でも毎回会えるとは限りません。

動物園でみるトラは檻の中で落ち着きのない動きをするケースがありますが、この地で見る野生のベンガルトラはやはりゆったりとした動きで威厳を感じさせてくれます。

また非常に美しい毛並みでほれぼれするのですが、自然の中ではこれは保護色になっており、ガイドに示されても最初は識別できず、どこにいるのか分かりませんでした。

このタイガーサファリは、ゲートにて各ジープのコースが決められ、レインジャー同乗で公園内を巡ります。

アフリカのサファリのような多種の動物はいませんが、アクシスジカ、サンバー等の鹿類ラングール、アカゲザル等の猿やイノシシは多く見ることができます。

しかし、主役のベンガルトラに会うには早朝または夕暮れ時に1時間以上、砂ぼこりの中を走らないと難しいのです。

泉岳寺での忠臣蔵「赤穂義士追憶の集い」

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前はこの12月の歴史的な赤穂事件を取り扱った「忠臣蔵」のドラマがテレビでも多く見かけましたが、最近はその頻度も減ってきているようです。

確かに忠臣蔵はお芝居なので、脚色が多いのはやむをえないのかもしれませんが、中央義士会の中島理事長の歴史的資料に基づく真実の「忠臣蔵」を知れば、やはりこの旧暦12月14日に起きた、通称「赤穂浪士の討ち入り」事件は興味深い内容です。

午後2時からの泉岳寺住職による法要を終えた後は、講談協会所属の田辺凌鶴講談師による「赤垣源蔵徳利の別れ」という記念講演を拝聴しました。

て赤穂義士の子孫紹介があって、最後に中央義士会創立110年を記念して中島康夫理事長の「赤穂義士討ち入り」の話がありました。

中島理事長は朝起きてから、寝るまで一日中、「忠臣蔵」のことに取り組まれている方で、一つのことに打ち込んで「好きなことをして生きる」見本のような方です。

中島理事長の話を聞いているとやはり、武士には「面目」を立てることが大切だと感じました。

デンマーク王国のスヴェイネ駐日大使にご挨拶

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12 月20 日はデンマーク大使公邸を訪ね、フレディ・スヴェイネ駐日大使夫人より、デンマークの伝統的な習慣である「ヒュッゲ」に関する講義を拝聴した後、スヴェイネ大使にもご挨拶させていただきました。

私は20代から30代にかけてVOLVO関連のツアーを担当し、VOLVO本社のあるスウェーデンのイヨテボリを訪ねた際、スカンジナビア航空を利用していた関係で必ずコペンハーゲンに立ち寄っていました。

そのため、デンマークは私にとって馴染みの国の一つで、チボリTivoli公園人魚姫の像ゲフィオンの泉などの光景は、今でも鮮明に覚えています。

しかし、デンマークでの一番の想い出は、世界遺産旅行講座の「クロンボー城」の記事でもご紹介しましたが、現地の人と過ごした「ヒュッゲ」のひとときです。

すなわち、デンマークの友人宅に招かれて、ろうそくの灯された食卓でスモーブロー(オープンサンドウィッチ)を食べながら、デンマーク人が大切にしている「ヒュッゲ」の時間を体験したことが、その後の私にとって大きな学びとなりました。

平成最後の「初詣」は「猪」を祀る馬見岡綿向神社

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成最後の「初詣」に今年の干支である「イノシシ」を祀った、滋賀県日野に鎮座する馬見岡綿向神社に参詣しました。

干支や恵方に関する神社については、その年によって異なりますが、今年の干支であるイノシシは私のような猪突猛進型の人間には親しみもあり、猪を祀る馬見岡綿向神社ではエネルギーを感じると同時に天地の神と一心同体になった気がしました。

この神社には古くからイノシシの焼き印が伝わり、12年に一度の亥年にのみ「焼き印入り特製絵馬」を奉製授与され、かつて司馬遼太郎の『街道をゆく』でも紹介され話題となりました。

壮大な境内には滋賀県指定文化財の本殿をはじめ、日野商人が寄進した立派な拝殿や絵馬殿、石橋などがありますが、狛犬ならぬ猪の像もあって、突進するような強い力、高い気を発しています。

まだ今年の方針が定まっていない人には、自分がどこに着地し、いかに根を張るべきかを教えてくれそうな神社です。

日本人であれば、開運の旅はまずは初詣という神社参りから始めるのが常道だと思います。

1月7日は昭和天皇崩御の日で七草粥を食す「人日(じんじつ)の節句」

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から30年前の昭和64年1月7日は、昭和天皇が崩御された日で、昭和天皇は今現在、武蔵野陵墓地に眠っていらっしゃいます。

また、この1月7日は平安時代から、無病息災を願って、七種の穀物七草をお粥にして食べる習慣がありました。

すなわち「米、粟、小豆、きび、ひえ、みの、ごま」の七種の穀物と「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、すずな、すずしろ、ほとけのざ」の七草です。

旧暦の1月7日は今の暦では2月上旬、新たな草花が大地の下に芽吹き始める時期で、そんな春のエネルギーを取り込むという意味がありました。

実際、これらは身体を温め、血液を浄化するなどの薬効があり、この時期に食べると1年間、気力がみなぎって無病息災につながると信じられていました。

まさに神様の宿る仙人の草が七草で、今日に残っている習慣の七草粥に入っている薬草です。

春のエネルギーを取り込むには、やはり旧暦の1月7日に食べた方が効果的かと思いますが、お正月休みの最後に七草粥を用意し、知人を招いて楽しみたいものです。

なぜなら、1月7日は「人日(じんじつ)」の節句でもあり、人間関係を見直すのにふさわしい日だからです。

そして、昭和天皇のご冥福をお祈りして、昭和の良き伝統文化を見直すことも必要だと思います。

「成人式」に相応しい旅は新宮晋「風」をテーマとした旅

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は自身の成人式には出席しませんでしたが、父から「大人になれば3つの目を持ちなさい」と教わりました。

3つの「目」とは、1つ目が「虫の目」2つ目が「鳥の目」、そして3つ目が「魚の目」のことです。

1つ目の虫は地上に近いところに棲息し、行動範囲は狭いのですが、その生活圏の情報はしっかりと把握しています。

2つ目の鳥は地上の情報に関しては虫に及びませんが、空から広範囲を眺めることができるので、視野は虫より広く、風の「流れ」で大局的に物事を判断することができます。

3つ目の魚はいわゆる魚眼レンズを持って、海や川に棲息し、基本的に水の「流れ」に乗って生活しています。

すなわち、成人式を迎えた私に対して「自分の生きる生活文化圏をしっかり観察すると同時に、旅を通じて他の文化圏も見聞し、基本的には時代の流れに逆らわない生き方をすべし」との教えでした。

私が大学を卒業して旅行業界に入ったのもこの教えの影響が大なのです。

そこで、成人の日には時代の流れを参考にしつつ、風の流れ、すなわち天候を考えて旅をしていたのです。

すなわち私は「風」をテーマとした旅を目指すのですが、おすすめは「風」の彫刻家と呼ばれる新宮晋(しんぐうすすむ)氏の作品を見に行く旅です。

例えば新宿駅西口地下広場の「宇宙へのメッセージ」、横浜美術館の「風の音符」、関西国際空港の「はてしない空」など全国各地にあります。

日本遺産「鞆の浦」の仙酔島で不思議体験

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酔島は鞆の浦に浮かぶ瀬戸内海国立公園の中心となる神秘と安らぎの島で、太古の自然が今なお残っています。時間があれば洞窟蒸し風呂にも入りたかったのですが、今回は地層を中心に見学しました。

仙酔島は全体が赤・白・黄・青・黒の5色の岩からできており、「5色岩」はその五色が見られるパワースポットです。

また、五色岩から少し離れたところにある「閃きの門」は、宇宙の神秘に心を向けた時、目の前に大きな門が現れ、この大門が開くと「自分が生まれてきた役割に気づく」と言われています。

私は講演の前に気力を充実させるために、この「閃きの門」を前にしてしばらく瞑想しましたが、残念ながら門は現れませんでした。しかし、私は目には見えない世界から「気持ちを込めて話をせよ」といったメッセージを受けた気がしました。

私は子供の頃から両親より「目に見えることだけがすべてではありません。不思議なことにも真剣に取り組みなさい」と教えられてきましたので、この島はまさしく不思議の島に思えました。

そして仙酔島から鞆の浦港に戻り、朝鮮通信使も滞在した福禅寺対潮楼入り口に建つ大伴旅人の万葉歌

我妹子が見し 鞆の浦のむろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき

を詠むと、私は仙酔島ではなく太宰府から戻ったような不思議な感覚を覚えました。今回、日本遺産に登録された鞆の浦は私にとって瀬戸内海の「まほろば巡礼」の地なのかもしれません。

次回は鞆の浦に宿泊して「瀬戸の夕凪が包むセピア色の港町」のストーリーを肌で感じたいと思いました。

宇都宮餃子の由来と二荒山神社の見所

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荒山神社は第十代の崇神天皇の第一皇子である豊城入彦命を主祭神とし、私の氏神である大神神社の大国さまと西宮神社の主祭神恵比寿さまも相殿として祀られているので特に親しみを覚えるのです。

また、私はかつて宇都宮に置かれた陸軍第14師団の遺族の方々と二荒山神社の宮司さん同行で、パラオのペリリュー島慰霊団にもご一緒させていただいています。

この宇都宮陸軍第14師団は、現在、私が住んでいる千葉県の習志野・佐倉の歩兵連隊から構成され、パラオの前は満州で関東軍の主力として活躍し、陸軍最強部隊と呼ばれていたのですが、兵士たちはこの満州滞在中、当地の中国人たちから餃子作りを学んだのです。

そして、戦後、復員・帰国した第14師団の人たちが、ふるさと宇都宮で満州仕込みの餃子づくりを始め、今日の「餃子のまち宇都宮」の基礎を築きました。

会議で私は宇都宮が「小倉百人一首発祥の地」であることもセールスポイントですと提言しましたが、俳諧では私の敬愛する与謝蕪村ゆかりの地でもあるのです。

すなわち、松尾芭蕉の行脚生活に憧れた与謝蕪村は、僧の姿に身を変えてみちのくを周遊、この宇都宮の佐藤露鳩宅滞在中に編集した『宇都宮歳旦帳』で初めて「蕪村」と名乗ったのです。

そして、「蕪村」を名乗る前の「宰鳥」として詠んだ次の句碑がこの二荒山神社にあります。

   鶏(とり)は羽に はつねをうつの 宮柱   宰鳥

神武天皇お船出の地「日向美々津」

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神武天皇お船出のポスト

くからから天然の良港として交易で栄えた美々津の繁栄ぶりは、「美々津千軒」という言葉にも残っています。

しかし、交易港としての歴史を刻んできたこの町には、古事記に描かれた神武東征伝説が生きており、神武天皇お船出の様子を彫った郵便ポストが各家庭に備えられていて私も欲しくなりました。

美々津沖には龍神バエという大きな岩礁があります。神武天皇一行の船は、ここと陸地の間にある瀬戸水道を通って出発し、二度と戻ってこなかったことから、地元ではその後、船出にこの瀬戸を通らなくなったと言われています。

しかし、この町では神武東征伝説を大切にしており、「つきいれ団子」もこの地の名物として伝わっています。

これは、当初、船出予定は8月2日(旧暦)でしたが、潮と風の関係で急遽1日出発が早まり、8月1日の未明に人々が急ごしらえで作った団子に由来します。

また、夜明け前から家々を「起きよ起きよ」と戸を叩いてまわった言い伝えから、美々津では8月1日未明「おきよおきよ祭り」というユニークな祭りが行われています。

ひむかの国のスピリチュアルスポット「日向のお伊勢さま」大御神社

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ひむかの国の龍神伝説

にお勧めは、境内東に鎮座する鵜戸神社にある亀の形をした石と岩窟で、その岩窟奥にある社の前に立って入口の方を振り返ると、なんと「天に昇る龍」の姿が見られるのです。

これは古代の人々が人工的に作ったものとされ、大御神社境内にある龍神の玉(神座前の水窪底に据えられた卵型のさざれ石)と同様に当時の龍神信仰を裏付けるものと言われています。

さすがに神武天皇が祈願された場所だけあって、昇竜のエネルギーを感じる究極のパワースポットです。

日向の国の銘菓「龍神伝説」のチラシには、「君は5千年前の龍神信仰の証を見たか?」といった文句がありましたが、私は確かに5000年の時空を経て甦った龍神と共に神武天皇の勇壮な姿も浮かび、神話の謎はロマンとなりました。

まさにひむかの国のスピリチュアルスポットです。

江戸料理研究家、車浮代先生による『江戸料理』を語る会

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浅草すし若の旦那さんと車浮代先生

浅草すし若『江戸料理』を語る会での車浮代先生の興味深い話の中でも、印象に残ったのは「割烹」の話です。

私は単純に肉を「割(さ)き、烹(に)る」の日本料理調理法かと思っていましたが、もっと深い意味があったのです。

「割烹」とは「割主烹従(かっしゅぼうじゅう)」、すなわち、まずは素材を切って(割)、それから煮る(烹)という日本の伝統的な調理作法から来ているのです。

よって、江戸時代の料理絵図をみると、素材を切る人が一番中心に描かれており、次に煮方、焼き方が描かれています。

「日本刀」を語るにも「切れ味」という料理に関連した言葉を使いますが、確かに包丁も切れ味が悪いと、刺身も美味しく調理できないでしょう。

日本刀の刀匠、藤安将平氏もおっしゃっておられましたが、この「切る」道具に芸術性を持たせているのが日本文化の奥ゆかしいいところです。

日本一、江戸文化を今に伝える岐阜の宝もの「地歌舞伎」

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子ども歌舞伎「絵本太功記」

歌舞伎と言えば、能や狂言、落語と並ぶ日本固有の伝統芸能で、ユネスコの無形文化遺産に登録されていますが、「地歌舞伎」はプロの役者が演じるいわゆる大歌舞伎と異なり、アマチュアが演じる地域のお宝的な行事です。

また、大歌舞伎では男役(立役)、女役(女形)ともにプロの男性が演じますが、地歌舞伎では男役を女性が、女役を男性、しかも大人ではなく子供が演じることもあり、地方色も感じられます。

すなわち、プロによる大歌舞伎では失われてしまった庶民の娯楽的要素が残っている点が魅力です。

私は子供の頃に神社の奉納歌舞伎として見学した記憶があり、今回訪れた芝居小屋の白雲座や常盤座ではデジャブを感じ、懐かしい時代劇の世界に浸ることができました。

ともに、芝居小屋の傍に神社があって、子供の頃に親しんだ祭囃子の音も聞こえてくるようでした。

初日の東美濃ふれあいセンターでは、子供歌舞伎の『絵本太功記録 尼ケ崎閑居』を鑑賞しましたが、特に武智十兵衛光秀、母の皐月役を演じた小学4年生の名演技には大いに感銘を受けました。

地歌舞伎ならではの小銭(五円玉)を包んだ「おひねり」も用意して、「大向う」から声をかけるつもりでしたが、舞台に近い桟敷席に案内され、逆に声をかけるタイミングを逸してしまいました。

原城跡に秘められたキリシタンの真実

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原城跡に立つ「ほねかみ地蔵」

日本のキリスト教史の謎に迫るために原城から雲仙・島原を巡ってきました。

原城は16歳の天草四郎を総大将とする1637年の島原の乱(天草・島原一揆)において、天草・島原の住民が幕府軍と籠城戦を戦った城跡です。

この一揆は島原藩主の松倉重政・勝家父子による過酷な年貢取り立てとキリシタン弾圧が原因とされています。

キリスト教徒が弾圧に耐えかねて反乱を起こしたように語られていますが、実際は見栄っ張りの藩主による苛政と飢饉により、住民が生きるために正当なる抗議をしたのが真実かと思われます。

私は地元市議会議員の先生にご同行いただき、有馬キリシタン遺産記念館の学芸員の方からも詳しい説明を受け、歴史の真実に触れたような気がしました。

やはり、地元に伝わる伝承は活字になった歴史より興味深く感じます。

特に一揆の後、地元の願心寺の住職や村人が敵味方なく遺骨を集めて「ほねかみ地蔵」を建立した話は、日本の宗教を越えた「祀らう」という精神からだと思います。

ちなみに「ほねかみ」とは、「骨をかみしめる」から転じて「人々を助ける」という意味です。

「縁結び」のパワースポット、神前結婚式で有名な東京大神宮

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「縁結び」で有名な東京大神宮

3月10日の誕生日を迎えて歳を重ねたので、三重出身の私としては、本来、伊勢の神宮にご挨拶すべきところですが、伊勢の神宮を東京から遙拝しようと飯田橋の東京大神宮へお参りしてきました。

東京大神宮の主祭神は伊勢神宮と同じアマテララスオオミカミ(天照大神)トヨウケノオオカミ(豊受大神)ヤマトヒメノミコト(倭姫命)ですが、さらに『古事記』に最初に登場する「造化の三神」も祀られています。

この造化三神とは”むすび”を司る最高位の三柱で、アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)タカミムスヒノカミ(高御産巣日神)カミムスヒノカミ(神産巣日神)の神様です。

よって、「縁を結ぶ」ご利益が最強ということで恋愛成就を祈念する女性参拝者が今日も多数見受けられました。

有難いことに東京大神宮には伊勢神宮と違って参拝の順序はありません。

すなわち、伊勢の神宮は内宮と外宮に分かれており、お参りの順序は外宮から内宮へと決められていますが、東京大神宮は一度の参拝で内宮と外宮の両方の神様をお参りできます。

「さくら」の意味と「大山詣り」の参拝作法

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三嶋神社の「しだれ桜」

今日は日本遺産をテーマとした「大山詣りで体感する粋とご利益の旅」を満喫してきました。

「浮世を忘れる庶民参拝」として江戸時代に盛んであった「講」と呼ばれる団体でのお参り旅行の再現です。

通常の大山詣では訪れない神奈川県伊勢原市日向地区の宝城坊(日向薬師)、大友皇子の墓を祀る雨降山石雲寺、比々多地区の妙寶山勝興寺三嶋神社、そして相模国三宮の比々多神社を詣でました。

今年は全国的に例年より桜の開花が早いようで、枝垂れ桜で有名な三嶋神社も三分咲きと言われていましたが、勝興寺の西澤住職夫妻の案内で実際に訪れてみるとちょうど見頃でした。

「さくら」という名前の由来は、花が「咲く」に複数を意味する接尾語「ら」を加えたという説もありますが、私は幼少の頃「春になれば里山に降りてくる稲(サ)の神様が座す坐(クラ)」から「サクラ」と教わりました。

もちろん「櫻」と書いて「貝を2つ並べた首飾りのような美しい樹木」という意味もあるようですが、私は三重県名張市の「桜ケ丘」という土地に住んでいたので、やはり稲の神様が降臨する場所というイメージです。

「因幡の白兎」で知られる大国主命を祀る出雲大社東京分詞

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出雲大社東京分詞

一般的に神話の勉強と言えば、『古事記』や『日本書紀』を学ぶのが常道ですが、私は奥出雲の「野城爺婆掘起隊」の『大国主の神語(かんがたり)』を読んで『出雲國風土記』の研究を始めました。

なぜなら、神話の中でも面白い場面は、安来での国造りから始まる『出雲國風土記』の「大国主命物語」だからです。

神社参拝するうえで、日本人として知っておくべき神様は、国生みのイザナギノミコト(伊邪那岐命)イザナミノミコト(伊邪那美命)、天上界を治める太陽神のアマテラスオオミカミ(天照大神)、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト(須佐之男命)、そして出雲の国造りを行ったオオクニヌシノミコト(大国主命)の五大神です。

そして、最後の大国主命は「因幡の白兎」でも知られる優しくて恋多き神様ですが、彼こそが国を造り、米を作って日本の食文化を変えたと言われています。

大国主命は、現在、島根県の出雲大社に鎮まり、縁結びの神様として崇敬を集めていますが、東京にも大国主命の分霊をお祀りした出雲大社(東京都六本木)があるのです。

祝!日本遺産「甲信縄文フェスティバル」パネルディスカッション

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甲信縄文フェスティバルのシンボル

パネルディスカッションでは美術史家の山下裕二氏がコーディネーターを務め、パネリストには河合敦先生と私、平成芭蕉以外に「初めての土偶」著者の誉田亜紀子氏、そして黒曜石体験ミュージアム学芸員の大竹幸恵氏が登壇しました。

大竹さんからは黒曜石発掘調査のこと、誉田さんからは有名な国宝の土偶「仮面の女神」や棚畑遺跡から出土したもう一つの国宝土偶「縄文のビーナス」についての興味深いお話がありました。

私もこの「仮面の女神」や「縄文のビーナス」の土偶を観察すれば、縄文時代はやはり女性が生命の原点であり、感謝の対象として崇敬されていた感じます。

すなわち、縄文時代は男性の狩猟採取の活動も認識しつつも、あくまで女性の勤勉さと充足・安定を尊ぶ文化であったと考えられます。

祝!新元号「令和」~出典『万葉集』の「筑紫歌壇」及び「防人」の歌

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万葉集に謳われた白梅

本日、新しい元号「令和」が発表されました。

新元号は日本最初の「大化」から数えて248番目にあたり、出典は『万葉集』巻五の「梅花の歌序」です。

『万葉集』は日本人の古典で一般庶民から貴族、天皇に至るあらゆる階層の人が見事に謳いあげた民族詩の金字塔であり、日本人の心の源ともいえるでしょう。

そして私にとっては「万葉」という言葉にはロマンがあり、万葉ゆかりの地や万葉人、万葉の散歩道とか聞けば、そこを訪ねて万葉時代の旅を再現し、おおらかな時代に想いを馳せて心の解放感を味わいたいと思うのです。

『万葉集』では遣唐使たちが持ち帰ったとされる「梅」が多く詠まれていますが、当時、梅(白梅)は外来の植物として珍重されていました。

そして、天平2年正月13日に太宰府の帥(そち)であった大伴旅人は、自宅に開花した梅花をめでる宴を催し、そのときに詠まれた歌が「梅花の歌32首」であり、今回の「令和」は大伴旅人によるその序文からとられました。

「平和の国」ボツワナ共和国のンコロイ大使と対談

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ボツワナ共和国ンコロイ大使と対談

今日は久々に学生時代にお世話になった懐かしい田町駅に降りました。しかし目的地は母校の慶應義塾大学三田キャンパスではなく、私の好きな野生動物の楽園、ボツワナ共和国の大使館でした。

日本旅行作家協会を通じて知り合った在日南アフリカ商工会議所理事ルンギレさんのご紹介で、ボツワナ共和国のンコロイ ンコロイNkoloi NKOLOI大使にお会いして、ボツワナの魅力を直接お伺いしたのです。

私は南アフリカの「豪華列車ロボスの旅」を含め、ボツワナへは3回訪れていますが、大使とお話ししているとオカバンゴ湿原やチョベ国立公園の野生動物が集まる光景が鮮明に思い出されました。

一般的な観光旅行では、世界三大瀑布のビクトリアの滝を見学した際、ボツワナのチョベ国立公園を訪ねる機会もありますが、まだまだ日本人にとってボツワナは馴染みの薄い国です。

平静芭蕉令和の旅 吉田兼好「徒然草」ゆかりの兼好塚

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兼好法師ゆかりの国見山

私も平成芭蕉として令和の挨拶を兼ねて芭蕉さんの出身地である伊賀上野を訪ねようと旅立ちましたが、まずは同じ三重県伊賀市で芭蕉さんが敬愛していた吉田兼好が晩年過ごした種生(たなお)の国見山に立ち寄ることにしました。

国見山一帯は、織田信長が攻めてきた天正伊賀の乱で、伊賀者が強敵織田軍相手に最後まで抵抗した場所です。

「平成」から「令和」への改元は天からの贈り物

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西国街道の拠点西宮神社

西国街道の拠点西宮神社

PresentとGiftですが、「贈り物」という意味以外にPresentは「現在」、Giftには「才能」という意味もあります。

共通する「贈り物」という意味から少しかけ離れた感じがしますが、ともに「神様が与えてくれたもの」と考えれば、自分が今生きている「現在」も自分の「才能」も天からの授かりものと言えるでしょう。

特に去っていく「平成」から新しい「令和」の時代を迎える今Present(現在)という時空は、神様から時間の大切さを教えてくれる「贈り物」のような気がします。

ブルネイで悟った ゴルファーにとってのドライバー飛距離

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The Empire Country Club

The Empire Country Club

ブルネイはアジアで一番豊かで平和な国で、首都のバンダル・スリ・ブガワンには有名な7つ星ホテルがあり、それが当時、宿泊してプレイしたThe Empire Hotel & Coutry Clubです。

ホテルも豪華でしたが、ゴルフ場も素晴らしいコースでした。当時の私はドライバーの調子も絶好調でしたので、ブルネイで悟った「ドライバーショットと飛ばし」についてのメモが日記に残っていましたので、参考までにご紹介します。

写真家テラウチ マサト氏とファン・ゴッホについて対談

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テラウチマサト写真集

テラウチマサト写真集

先週の5月9日、銀座のリコーイメージングスクエア銀座8階A.W.Pギャラリーゾーンで写真家のテラウチマサト氏にお会いして、氏のフィンセント・ファン・ゴッホに対する熱い思いを語っていただきました。

テラウチマサト氏は、フィンセント・ファン・ゴッホの足跡を長年にわたり研究され、今回、カメラを持ったゴッホとして「ほんとうのことは誰も知らない」というテーマで写真展を開催されました。

今回はテラウチ氏がファン・ゴッホの足跡を巡り、季節を変えて撮影されたオランダのニューネンパリのモンマルトル、フランス南部のアルルサン・レミ・ド・プロバンス、そしてファン・ゴッホ終焉の地オーヴェル・シュル・オワーズでの写真が紹介されていました。

NHK「ごごナマ・おいしい金曜日」で西川きよし師匠に「オムライス街道」をご紹介

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「ごごナマ」で西川きよし師匠と対談

「ごごナマ」で西川きよし師匠と対談

平成芭蕉は本日、NHK大阪発『ごごナマ・おいしい金曜日』にゲスト出演しました。

吉本の西川きよし師匠、テンダラーの濱本広晃さん、そして三戸なつめさんに私がおすすめの街道を紹介する「週末行きたくなる!街道歩き旅のススメ」という番組でした。

そして西川きよし師匠には、通常の歩く街道ではなく、ご出身の高知に近い日高村の村おこし企画「オムライス街道」をご紹介しました。

これは、人口5000人ほどの小さな日高村が、特産である糖度の高いシュガートマトを使ったオムライスを、村を通る国道33号線沿いの飲食店(現在は9店)で供するようにしたユニークな街道です。

伊勢原市比々多観光振興会総会での講演~ 遺跡や由緒ある神社仏閣に加えて人が魅力

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比々多地区の魅力を語る講演会

比々多地区の魅力を語る講演会

今日は伊勢原市比々多観光振興会の総会に招かれて「比々多地区の魅力」について講演させていただきました。

伊勢原は「江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで大山詣り」というストーリーが日本遺産に認定され、特に大山阿夫利神社や大山寺が脚光を浴びるようになりました。

大山は雨が多いため、「雨降山」と呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣を祈願する場となり、さらには商売繁盛のご利益もあるとされ、江戸時代には「講」と呼ばれる団体でのお参りが盛んに行われました。

マラソン界の第一人者である瀬古選手と対談

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瀬古さんとペニンシュラホテルにて

瀬古さんとペニンシュラホテルにて

6月14日は、日比谷のペニンシュラホテルでマラソン選手として有名な瀬古利彦さんと来年の東京オリンピック開催に向けて対談する機会を得ました。

私の近畿日本ツーリスト時代の同期である國分君が瀬古選手と中学の同級生であるというご縁で実現したトークショーです。

瀬古選手も國分君も私と同じ三重県出身で、これまでまだフルマラソンの大会が行われていない三重県での開催を支援している仲間です。

瀬古選手は桑名市のご出身で、早稲田大学入学後、中村清監督と出会い、箱根駅伝では「花の2区」を走って区間新を出し、マラソン界のスターとなった長距離界の世界的選手です。

野崎島に残るレンガ造りの旧野首教会

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レンガ造りの旧野首教会

レンガ造りの旧野首教会

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産指定された12の遺産を巡ってきました。

これらの遺産は潜伏キリシタンが「潜伏」したきっかけや、信仰と共同体の維持のためにひそかに行っていた様々な試み、そして「信徒発見」以降の宣教師との接触により転機を迎え、「潜伏」が終わりを迎えるまでを表しています。

実際にお客様に解説しながら、私自身が感じたことは、潜伏キリシタンの人たちの目的意識の高さです。

特に今は無人島となった野崎島に残るレンガ造りの旧野首教会を訪ねると、当時の信徒たちの並々ならぬ意識の奥深さに感銘を受けます。

淡路ワールドパークで兼高かおるさんと世界の旅

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兼高かおる旅の資料館

兼高かおる旅の資料館

最近は国内の歴史ツアー同行が多いのですが、私の旅の原点はやはり兼高かおるさんの「世界の旅」でした。

その兼高かおるさんは今年の1月5日に永眠されましたが、私も兼高さんが会長を務められた日本旅行作家協会の一員ですので、在りし日のお姿を拝見するために、淡路島にある「兼高かおる旅の資料館」を訪ねました。

この資料館は兵庫県淡路市のテーマパーク「淡路ワールドパークONOKORO(オノコロ)」内にあり、1985年、淡路島で開催された「くにうみの祭典」のメイン会場に建設されたものです。

そして、この淡路ワールドパークONOKOROには、世界の有名建築物のミニチュア版があって、コンパクトに世界一周できることから、「兼高かおる世界の旅」の資料館がここにあるのです。

磯崎新氏監修の現代アートを五感で鑑賞する奈義町現代美術館

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那岐山のふもと「奈義町現代美術館」

那岐山のふもと「奈義町現代美術館」

小豆島に引き続き、今回は石をテーマとした日本遺産の視察でカブトガニや日本画家小野竹喬で知られる岡山県笠岡市を尋ねましたが、あまりの暑さに笠岡諸島の採石場視察はあきらめて、かねてより訪ねてみたかった奈義町現代美術館(通称Nagi MOCA)で石の彫刻家、北川太郎氏の作品と現代アートを鑑賞することにしました。

この現代美術館NagiMOCAは、さる3月5日、「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞を受賞された建築家の磯崎 新氏がプロデュースした、まったく新しい構想から設立された岡山県勝田郡奈義町にある美術館です。

和歌山県 広川町 日本遺産認定記念シンポジウム参加

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シンポジウムでのパネルディスカッション

シンポジウムでのパネルディスカッション

防災の日である2019年9月1日、和歌山県広川町が主催する「濱口梧陵を生んだ紀州広川の挑戦」と題した日本遺産認定記念シンポジウムにパネラーとして参加しました。

これは『稲むらの火』の物語で知られる濱口梧陵生誕200年のプレイベントとして開催されたシンポジウムで、「紀州が生んだ偉人 濱口梧陵」をテーマに平井理央さんと荒俣宏先生のトークショーもありました。

トレドのパラドールでエル・グレコが描いた風景を堪能

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トレドのパラドールレストラン

トレドのパラドールレストラン

どの国へ旅しても、日本における富士山のように、これだけは見ておくべき景観があり、スペインの場合は三方をタホ川に囲まれ、丘の上に建つトレドの旧市街こそがその景観です。

西ゴート王国の首都であったトレドには中世の街並みがそのまま残っており、大原美術館の『受胎告知』で知られる画家エル・グレコが活躍した街としても有名です。

今回、私はそのエル・グレコが描いた『トレド全景』の景観をじっくりと眺めるために、トレドのパラドール(国営ホテル)に宿泊しました。

★平成曽良の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

令和記念プレゼント! 平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』

平成芭蕉のテーマ旅

平成芭蕉のテーマ旅

5月1日から令和の時代が始まりましたが、平成の芭蕉を自称する私は、これまでの旅行体験を活かして、令和の時代も「旅行から人生が変わる」新たなトラベルライフ「令和の旅」に挑戦します。

そこで、本ブログの訪問者であるあなたには、平成時代に私が実践してきた「旅行から人生が変わる」旅行体験を知っていただきたく、先着500名様に私の旅行記「平成芭蕉のテーマ旅『奥の深い細道』」の電子本をプレゼントさせていただきます。

*ペーパーバック(オンデマンド)版は下記のamazonからお買い求めいただけます。

ご一読いただければ、旅行を楽しむコツだけでなく、世界遺産や日本遺産等に関しても、ガイドブックには書かれていないような情報を得ることができます。この機会に下記フォームにお名前、メールアドレスをご登録の上、『奥の深い細道』をご一読下さい。

そして、この平成芭蕉の体験を共有していただき、今後は私と「令和の旅」をご一緒に楽しんでいただければ幸いです。

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