嬬恋村鎌原の歴史と浅間山の天明大噴火 | 芭蕉さんの旅講座

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嬬恋村鎌原の歴史と浅間山の天明大噴火

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平成芭蕉の旅語録「日本のポンペイ、嬬恋村鎌原(かんばら)」

ダイヤモンド浅間撮影ツアー

壱岐島では壱岐市観光連盟の方にご案内していただきましたが、今日は土砂災害防止広報センターの方と共に吾妻川流域の視察に来ています。

今回の視察の第一目的は、来る11月5日の「ダイヤモンド浅間撮影ツアー」の下見調査です。ダイヤモンド富士と言えば富士山の頂上に昇る太陽のことですが、ダイヤモンド浅間は日本有数の活火山である浅間山の頂上に沈む夕陽のたとえです。

しかし、この夕陽を撮影できる場所は、浅間六里ケ原の国土交通省管理下にある片蓋川第二砂防堰堤の上しかなく、本企画はその国土交通省利根川水系砂防事務所のご理解とご協力のおかげで実現したものです。

そもそもこの「ダイヤモンド浅間」のことは、国土交通省利根川水系砂防事務所の職員の方に添付の写真を見せていただいたことがきっかけで、天体写真の好きな私が事務所長にお願いして実現した企画です。

溶岩の芸術「鬼押出し園」と天明3年の浅間山噴火

この砂防堰堤の近くには、溶岩の芸術と呼ばれる「鬼押出し園」がありますが、この溶岩は天明3(1783)年8月5日(旧暦では7月8日)に起きた浅間山噴火の際、最後に流出した溶岩流が固まったものです。

今年に入って草津白根火山の噴火がニュースになりましたが、キャベツ畑の「愛妻の丘」で有名な嬬恋村の鎌原(かんばら)にある嬬恋郷土資料館には、当時の浅間山噴火に起因する「土石なだれ」によって埋没した鎌原村からの発掘品や噴火当時の絵図が展示されています。

今回のダイヤモンド浅間撮影場所となる砂防堰堤は、このような「土石なだれ」や火砕流から住民の生活を守るために建設されており、八ッ場ダムのような建造物は話題になってもこのような砂防堰堤は知る人ぞ知る防災設備なのかもしれません。

私は11月10日(土)に嬬恋会館ホールにて、「吾妻川上流域の防災・減災と活力のある地域づくりを考える会」実行委員会が主催する講演会で『地域の魅力を活力につなぐ』をテーマに講演をさせていただく予定ですが、奇跡的な復興をとげた鎌原地域については是非とも多くの人に知っていただきたいと考えています。

「日本のポンペイ」鎌原村復興の歴史

すなわち鎌原観音堂に逃れて生き残った93人の復興をかけた努力の痕跡と歴史の物語です。

今日、大災害から人々の命を救った観音堂は、厄除け観音として多くの参拝者が訪れますが、噴火当時の江戸幕府の復興対策責任者が残した記録『耳袋』にある次の話はあまり知られていません。

『被災前の村においては、住民は家筋とか素性にこだわり、相手に応じて挨拶の仕方などにも差別がありました。そこで生き残った93人には互いに血のつながった一族であると親族の誓いをさせて、家筋や素性の差を取り払って村の再建を図ったのです。

具体的には夫を亡くした妻と妻を亡くした夫を再婚させ、また子を亡くした老人に親を亡くした子を養子として養わせ、93人全員を実際に一族としてまとめ直して奇跡的な復興がなされたのです』

鎌原村と同様、火山噴火で埋没したポンペイにも生き残った住民はいましたが、イタリアのポンペイについては復興はなりませんでした。

しかし、嬬恋の鎌原村は、江戸幕府(行政)と3人の地域リーダー(長左衛門、小兵衛、安左衛門)村(生き残った93人)の3者が役割を分担しつつ、協力しあって村を復興させたのです。

この非常時の3者の対応は、今日の自然災害からの復興にも大いに参考にすべきではないでしょうか。

私はこの「日本のポンペイ」鎌原村の歴史こそ世界に誇るべき遺産だと思います。by【平成芭蕉

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