琉球神話の聖地「久高島」と沖縄版アダムとイブ伝説が伝わる「古宇利島」
沖縄本島周辺には、神の島と言われる場所が2つあり、ひとつは「琉球の創世神アマミキヨが天から降りてきて国づくりを始めた」という琉球神話の聖地「久高島」、そしてもうひとつは沖縄版アダムとイブ伝説(人類創成神話)が伝わる「古宇利島」で、今帰仁村に属する「神の島」とも「恋の島」とも伝えられる島です。
「古宇利島」の語源については諸説あるものの、「恋島(くいじま)」からきているといわれており、ほぼ円形の島で、面積が約3平方km、周囲には約7km弱の外周道路が走っている隆起サンゴ礁の小島でしたが、2005年、本島とすでに橋でつながっていた屋我地島との間に約2km.の古宇利大橋ができて、本島と地続きの離島になりました。
古宇利島の人類創成の地
伝承によるとその昔、古宇利島に天から2人の男女が降りてきて、毎日天から降ってくる餅を食べて幸せに暮らしていましたが、餅が降ってこなくなったらどうしようと考えるようになり、毎日少しずつ餅を食べ残すことにしました。少しずつ餅を蓄えるようになると天から餅が降らなくなり、月に餅を降らせてもらうようにお願いをしたものの、餅が降ってくることはありませんでした。
天から2人の男女が降りた場所
そこで二人は場所を変え、今度は海辺へ行きそこで生活をすることとし、海では魚や貝を獲って生活を始めました。そしてここで生活をしていくうちに海岸でジュゴンが交尾しているのを見た二人は、男女の交合を知ると同時に男女の違いを知り、2人の子孫が増えていき、琉球人の先祖となったという神話です。
この人類創世神話が伝わる「チヌグ浜」は、古宇利大橋を渡ってすぐの場所にある古宇利ビーチから西に向かった先にあり、「はじまりの洞穴」と呼ばれる、アダムとイブが暮らしていたとされる洞穴が残されています。
アダムとイブが暮らしていた洞穴
また、「恋の島」と呼ばれるだけに島の北側に位置する「ティーヌ浜」というビーチには、「恋のパワースポット」で有名な「ハートロック」があります。アイドルグループ「嵐」が出演したJALのCMで紹介されたことから一躍有名になった場所で、海から突き出た2つの岩が、見る角度によってハート型に見えることから「ハートロック」と呼ばれるようになりました。
2つの岩の空間が「逆ハート」
自然が時間をかけて創り出したこのハート型の岩は、縁結びのパワーを秘めているとされ、2つの岩をそれぞれ単体で見た場合、海に向かって左側にある岩がハート型に見えます。少々いびつなハート型ですが、純粋な心を持っている人が見ればハート型に見えるでしょう。そして2つの岩の空間の「逆ハート」は、単体で見た時より綺麗なハート型となります。古宇利島に降りた男女2人もこの2つの岩が重なり合って出来上がるハートを見て結ばれたのかもしれません。
呼ばれた人だけが訪れることができる神の島「久高島」
一方、「久高島」は島全体が神聖な土地とされ、琉球神話の聖地として、島内には御嶽(うたき)、拝み所(うがんしょ)、殿(とぅん)、井泉(かー)などの聖域が散在しています。そして、歴代の琉球国王も参拝を欠かさなかったといわれる久高島は、今でも沖縄の人々の信仰の対象となっている「祈りの島」です。
祈りの島「久高島」
しかし、私はこの「祈りの島」で不覚にも自転車で転倒し、左肘を骨折してしまいました。そこで、招かれざる客であったことを反省し、今回は徒歩で沖縄の人々と同様、水平線の彼方に幸福な世界、理想郷「ニライカナイ」があると信じ、その海神の国(ニライカナイ)の神々とアマミキヨに傷の早期回復と平穏な生活を祈りつつ、久高島の重要な聖域を気持ちを込めて巡ってきました。
久高島の徳仁港
沖縄本島の安座真港からフェリーで久高島の徳仁港に到着し、最初に訪れる場所は伊敷浜(イシキハマ)です。『琉球国由来記』によると、島の東海岸にある伊敷浜に流れ着いた壷の中に七種の種子が入っていたと記載されており、五穀発祥の地とされています。そして今では、年始に男子一人につき伊敷浜の石を三個拾い、お守りとして家に置き、年末に浜に戻す儀式が残っています。
五穀発祥の地「伊敷浜(イシキハマ)」
伊敷浜から島の東端カベール岬に続く一本道は、まさに久高島ならではの美しさで、両側には濃い緑の植物があり、「カベールの海岸植物群落」として特に大事にされています。怪我をしたときは雨天でしたが、今回は天候に恵まれて久高島の白砂と植物、そして空の青はとても美しく、心を和ませてくれました。そして私は琉球開闢の創世神アマミキヨが降り立った聖域のカベール岬(ハビャーン)で「生誕の穴」に向かって生まれ変わりを祈念しました。
カベール岬に続く一本道
すると改めて人類は自然から様々な恩恵を授かっていることが理解でき、私は怪我の痛みを忘れて「すべてに有難う」という感謝の念が生まれました。「地球にやさしい」と言ったコピーがありましたが、久高島では「地球にやさしくされてきた」ことに気付かされます。
カベール岬の「生誕の穴」
この地に降りたアマミキヨは島の大きさを棒で計測するも、思ったより小さかったため、その後沖縄本土の百名浜に渡り、国始めとして7つの「御嶽」を造ったと言われています。また、漁労の神「ソールイガナシ」はこのハビャーンの森にいるタディマンヌワカダラーと言われ、二頭の白馬として語られています。大漁祈願がこの地で行われるのは、漁労の神「ソールイガナシ」に由来します。
アマミキヨが降りたハビャーン
そしてこの琉球開びゃく神話にも登場する七御嶽のひとつが久高島の中央西側に位置するクボー御嶽で、男子禁制の昔から霊威(セジ)高い御嶽として琉球王府からも大切にされ、奥にある円形広場は秘祭イザイホーなどの祭祀場とされる最高の聖域です。
最高の聖域「クボー(フボー)御嶽」
イザイホーは琉球王朝に作られた神女組織「祝女(ノロ)」制度を継承し、12年に一度の午(うま)年の旧暦11月15日からの6日間、島の30歳から41歳までの女性が「ナンチュ」という一人前の神女になるための儀礼として行われていましたが、後継者の不足のために1978年に行われた後は行われていません。しかし、今でもヨーカビー(お祓い)、ピーマティー(火の神の祀り)、ハマシーグ(害虫祓い)、八月祭など多くの祭祀がここを舞台に執り行われています。
そして、祭祀の際、神女が身を清めていたとされている神聖なる泉が「ヤグルガー」です。また、このヤグルガーと呼ばれる泉は久高島の五穀起源神話ゆかりの地でもあり、伊敷浜に漂っていた五穀の入った壺を取るために、ここの泉で禊をしたとされ、祭祀の際の神聖な禊場として現在でも使用されています。
神聖なる泉「ヤグルガー」
この「五穀の壺」物語の主人公は、島で一番古い「大里家(ウプラトゥ)」の男女ですが、昔、大里家にシマリバー(女性)とアカツミー(男性)という2人が住んでいました。ある日、アカツミーが伊敷浜(イシキハマ)で漁をしていたところ、沖のほうから白い壷(一説には金色)が流れてきました。彼は拾おうとしましたが、沖に流されて上手く取れません。
島で一番古い「大里家(ウプラトゥ)」
そこで家に帰りシマリバーに話した所、まずはヤグルガーで身を清め、白い着物を着て行けば簡単に取れるだろうと教えてくれました。彼はその通りにして改めて伊敷浜(イシキハマ)に行ったところ、壷は難なくアカツミーの白衣の袖に入り取る事ができました。その壷を開けてみると、麦、粟、アラカ、小豆の種が入っていて、その中から麦と粟の種をハタスという所に植えて、その壷もそこに埋めました。 麦と粟は、ここから島中に広まり、沖縄全体にも広められたのです。
麦と粟の種を植えた「ハタス」
そして五穀の神様となったアカツミーとシマリバーは大里家宅に祀られていますが、天頭神(天の神の総帥)、玉礼乃神(太陽神)、松乃美神(月の神)、ニレー大主神(竜宮神)、アマミキヨ神(国造りの神)百畑地方照乃神(植物の神)、梁万神(健康の神)などの久高島の神々は「外間殿(ウプグイ)」と呼ばれる祭場に祀られています。
「外間殿(ウプグイ)」
また、外間殿(ウプグイ)と並ぶ島の二大祭場の一つである久高殿(御殿庭・ウドゥンミャー)は、久高島の始祖シラタル(百名白樽)とその娘タルガナー(多留加那)が天地の神々を祀って、久高島の繁栄を祈った場所と言われており、イザイホーの舞台となった神聖な場所です。中央の建物は神アシャギと呼ばれ、イザイホーの時、神の世界とこの世の境界となります。右の建物はシラタル宮、左側の建物はタルガナー宮と呼ばれ、イラブー(海蛇)の薫製小屋になっています。
久高殿(御殿庭・ウドゥンミャー)
なお、久高島ではこのように女性を守護神とする母性原理の精神文化を伝えており、民俗学的にも重要な島ですが、琉球王朝の歴史にも大いに関わっていました。琉球王朝第一尚氏最後の7代尚徳王は、国王自ら兵を率いて喜界島へ親征し、琉球王国の版図に加えましたが、喜界島戦勝のみぎり、久高島参詣に出向いた尚徳王は、島の外間村国笠ノロに就任した大里家の娘(クニチャサ)に心を奪われてしまったのです。
琉球王国の首里城「守礼の門」
国王自ら軍を率いて戦に向かうのは、祖父・尚巴志王以来のことで討伐は果たしましたが、クニチャサへの寵愛で帰還を忘れ、その隙に首里でクーデターが起こったのです。遠征の強行などの政策により、次第に重臣の信頼を失ったことが、政変に繋がっていったとも言われていますが、尚徳王は皮肉にも自ら征服した喜界島に流され、そこで匿われて生涯を閉じて第一尚氏王統は終わりを告げたのです。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。
また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
②『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
③『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
「令和の旅」へ挑む平成芭蕉
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平成芭蕉の旅語録~琉球神話の聖地「久高島」と沖縄版人類創成神話の「古宇利島」
更新日:
琉球神話の聖地「久高島」と沖縄版アダムとイブ伝説が伝わる「古宇利島」
沖縄本島周辺には、神の島と言われる場所が2つあり、ひとつは「琉球の創世神アマミキヨが天から降りてきて国づくりを始めた」という琉球神話の聖地「久高島」、そしてもうひとつは沖縄版アダムとイブ伝説(人類創成神話)が伝わる「古宇利島」で、今帰仁村に属する「神の島」とも「恋の島」とも伝えられる島です。
「古宇利島」の語源については諸説あるものの、「恋島(くいじま)」からきているといわれており、ほぼ円形の島で、面積が約3平方km、周囲には約7km弱の外周道路が走っている隆起サンゴ礁の小島でしたが、2005年、本島とすでに橋でつながっていた屋我地島との間に約2km.の古宇利大橋ができて、本島と地続きの離島になりました。
古宇利島の人類創成の地
伝承によるとその昔、古宇利島に天から2人の男女が降りてきて、毎日天から降ってくる餅を食べて幸せに暮らしていましたが、餅が降ってこなくなったらどうしようと考えるようになり、毎日少しずつ餅を食べ残すことにしました。少しずつ餅を蓄えるようになると天から餅が降らなくなり、月に餅を降らせてもらうようにお願いをしたものの、餅が降ってくることはありませんでした。
天から2人の男女が降りた場所
そこで二人は場所を変え、今度は海辺へ行きそこで生活をすることとし、海では魚や貝を獲って生活を始めました。そしてここで生活をしていくうちに海岸でジュゴンが交尾しているのを見た二人は、男女の交合を知ると同時に男女の違いを知り、2人の子孫が増えていき、琉球人の先祖となったという神話です。
この人類創世神話が伝わる「チヌグ浜」は、古宇利大橋を渡ってすぐの場所にある古宇利ビーチから西に向かった先にあり、「はじまりの洞穴」と呼ばれる、アダムとイブが暮らしていたとされる洞穴が残されています。
アダムとイブが暮らしていた洞穴
また、「恋の島」と呼ばれるだけに島の北側に位置する「ティーヌ浜」というビーチには、「恋のパワースポット」で有名な「ハートロック」があります。アイドルグループ「嵐」が出演したJALのCMで紹介されたことから一躍有名になった場所で、海から突き出た2つの岩が、見る角度によってハート型に見えることから「ハートロック」と呼ばれるようになりました。
2つの岩の空間が「逆ハート」
自然が時間をかけて創り出したこのハート型の岩は、縁結びのパワーを秘めているとされ、2つの岩をそれぞれ単体で見た場合、海に向かって左側にある岩がハート型に見えます。少々いびつなハート型ですが、純粋な心を持っている人が見ればハート型に見えるでしょう。そして2つの岩の空間の「逆ハート」は、単体で見た時より綺麗なハート型となります。古宇利島に降りた男女2人もこの2つの岩が重なり合って出来上がるハートを見て結ばれたのかもしれません。
呼ばれた人だけが訪れることができる神の島「久高島」
一方、「久高島」は島全体が神聖な土地とされ、琉球神話の聖地として、島内には御嶽(うたき)、拝み所(うがんしょ)、殿(とぅん)、井泉(かー)などの聖域が散在しています。そして、歴代の琉球国王も参拝を欠かさなかったといわれる久高島は、今でも沖縄の人々の信仰の対象となっている「祈りの島」です。
祈りの島「久高島」
しかし、私はこの「祈りの島」で不覚にも自転車で転倒し、左肘を骨折してしまいました。そこで、招かれざる客であったことを反省し、今回は徒歩で沖縄の人々と同様、水平線の彼方に幸福な世界、理想郷「ニライカナイ」があると信じ、その海神の国(ニライカナイ)の神々とアマミキヨに傷の早期回復と平穏な生活を祈りつつ、久高島の重要な聖域を気持ちを込めて巡ってきました。
久高島の徳仁港
沖縄本島の安座真港からフェリーで久高島の徳仁港に到着し、最初に訪れる場所は伊敷浜(イシキハマ)です。『琉球国由来記』によると、島の東海岸にある伊敷浜に流れ着いた壷の中に七種の種子が入っていたと記載されており、五穀発祥の地とされています。そして今では、年始に男子一人につき伊敷浜の石を三個拾い、お守りとして家に置き、年末に浜に戻す儀式が残っています。
五穀発祥の地「伊敷浜(イシキハマ)」
伊敷浜から島の東端カベール岬に続く一本道は、まさに久高島ならではの美しさで、両側には濃い緑の植物があり、「カベールの海岸植物群落」として特に大事にされています。怪我をしたときは雨天でしたが、今回は天候に恵まれて久高島の白砂と植物、そして空の青はとても美しく、心を和ませてくれました。そして私は琉球開闢の創世神アマミキヨが降り立った聖域のカベール岬(ハビャーン)で「生誕の穴」に向かって生まれ変わりを祈念しました。
カベール岬に続く一本道
すると改めて人類は自然から様々な恩恵を授かっていることが理解でき、私は怪我の痛みを忘れて「すべてに有難う」という感謝の念が生まれました。「地球にやさしい」と言ったコピーがありましたが、久高島では「地球にやさしくされてきた」ことに気付かされます。
カベール岬の「生誕の穴」
この地に降りたアマミキヨは島の大きさを棒で計測するも、思ったより小さかったため、その後沖縄本土の百名浜に渡り、国始めとして7つの「御嶽」を造ったと言われています。また、漁労の神「ソールイガナシ」はこのハビャーンの森にいるタディマンヌワカダラーと言われ、二頭の白馬として語られています。大漁祈願がこの地で行われるのは、漁労の神「ソールイガナシ」に由来します。
アマミキヨが降りたハビャーン
そしてこの琉球開びゃく神話にも登場する七御嶽のひとつが久高島の中央西側に位置するクボー御嶽で、男子禁制の昔から霊威(セジ)高い御嶽として琉球王府からも大切にされ、奥にある円形広場は秘祭イザイホーなどの祭祀場とされる最高の聖域です。
最高の聖域「クボー(フボー)御嶽」
イザイホーは琉球王朝に作られた神女組織「祝女(ノロ)」制度を継承し、12年に一度の午(うま)年の旧暦11月15日からの6日間、島の30歳から41歳までの女性が「ナンチュ」という一人前の神女になるための儀礼として行われていましたが、後継者の不足のために1978年に行われた後は行われていません。しかし、今でもヨーカビー(お祓い)、ピーマティー(火の神の祀り)、ハマシーグ(害虫祓い)、八月祭など多くの祭祀がここを舞台に執り行われています。
そして、祭祀の際、神女が身を清めていたとされている神聖なる泉が「ヤグルガー」です。また、このヤグルガーと呼ばれる泉は久高島の五穀起源神話ゆかりの地でもあり、伊敷浜に漂っていた五穀の入った壺を取るために、ここの泉で禊をしたとされ、祭祀の際の神聖な禊場として現在でも使用されています。
神聖なる泉「ヤグルガー」
この「五穀の壺」物語の主人公は、島で一番古い「大里家(ウプラトゥ)」の男女ですが、昔、大里家にシマリバー(女性)とアカツミー(男性)という2人が住んでいました。ある日、アカツミーが伊敷浜(イシキハマ)で漁をしていたところ、沖のほうから白い壷(一説には金色)が流れてきました。彼は拾おうとしましたが、沖に流されて上手く取れません。
島で一番古い「大里家(ウプラトゥ)」
そこで家に帰りシマリバーに話した所、まずはヤグルガーで身を清め、白い着物を着て行けば簡単に取れるだろうと教えてくれました。彼はその通りにして改めて伊敷浜(イシキハマ)に行ったところ、壷は難なくアカツミーの白衣の袖に入り取る事ができました。その壷を開けてみると、麦、粟、アラカ、小豆の種が入っていて、その中から麦と粟の種をハタスという所に植えて、その壷もそこに埋めました。 麦と粟は、ここから島中に広まり、沖縄全体にも広められたのです。
麦と粟の種を植えた「ハタス」
そして五穀の神様となったアカツミーとシマリバーは大里家宅に祀られていますが、天頭神(天の神の総帥)、玉礼乃神(太陽神)、松乃美神(月の神)、ニレー大主神(竜宮神)、アマミキヨ神(国造りの神)百畑地方照乃神(植物の神)、梁万神(健康の神)などの久高島の神々は「外間殿(ウプグイ)」と呼ばれる祭場に祀られています。
「外間殿(ウプグイ)」
また、外間殿(ウプグイ)と並ぶ島の二大祭場の一つである久高殿(御殿庭・ウドゥンミャー)は、久高島の始祖シラタル(百名白樽)とその娘タルガナー(多留加那)が天地の神々を祀って、久高島の繁栄を祈った場所と言われており、イザイホーの舞台となった神聖な場所です。中央の建物は神アシャギと呼ばれ、イザイホーの時、神の世界とこの世の境界となります。右の建物はシラタル宮、左側の建物はタルガナー宮と呼ばれ、イラブー(海蛇)の薫製小屋になっています。
久高殿(御殿庭・ウドゥンミャー)
なお、久高島ではこのように女性を守護神とする母性原理の精神文化を伝えており、民俗学的にも重要な島ですが、琉球王朝の歴史にも大いに関わっていました。琉球王朝第一尚氏最後の7代尚徳王は、国王自ら兵を率いて喜界島へ親征し、琉球王国の版図に加えましたが、喜界島戦勝のみぎり、久高島参詣に出向いた尚徳王は、島の外間村国笠ノロに就任した大里家の娘(クニチャサ)に心を奪われてしまったのです。
琉球王国の首里城「守礼の門」
国王自ら軍を率いて戦に向かうのは、祖父・尚巴志王以来のことで討伐は果たしましたが、クニチャサへの寵愛で帰還を忘れ、その隙に首里でクーデターが起こったのです。遠征の強行などの政策により、次第に重臣の信頼を失ったことが、政変に繋がっていったとも言われていますが、尚徳王は皮肉にも自ら征服した喜界島に流され、そこで匿われて生涯を閉じて第一尚氏王統は終わりを告げたのです。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。
また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
②『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
③『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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