令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉の旅語録~福島県の火焔型土器と「しゃがむ土偶」

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注目すべき福島県の縄文遺跡群

私が出版したKindle電子本『縄文人からのメッセージ』全米Amazonランキングでベストセラーとなりました。これは、「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に認定されたことが影響したのかもしれませんが、外国の方が縄文土器をはじめとする縄文文化に関心を持っていただくことはとても嬉しいことです。

全米Amazonベストセラー「縄文人からのメッセージ」

その代表である青森県の三内丸山遺跡は、全国最大規模の縄文集落として有名ですが、同じ東北でも南の福島県にも大規模で特徴的な縄文集落があったことはあまり知られていないのではないでしょうか。例えば会津といえば、戊辰戦争と白虎隊を連想しますが、この地では新潟県の火焔土器に勝るとも劣らない見事な縄文土器が出土しているのです。

それは赤べこ伝説発祥の地として知られる福島県柳津町大字石生字石生前にある約5000年前から3500年前の縄文時代中期・後期に属する「石生前(いしゅうまえ)遺跡」です。

赤ベコ発祥の柳津町

只見川流域に発達する上位の河岸段丘の平坦部に残された大きな遺跡で、現在は大部分が畑になっていますが、昭和62年当時、農道と側溝であった幅10m、長さ115mの範囲で発掘調査を行った結果、非常に多くの縄文土器や土偶、耳飾り、足型や石器類に加えて、住居跡、貯蔵穴、土器捨て場などの遺構が検出されたのです。

注目すべき福島県「石生前遺跡」

特に立体的装飾をつけた大形の縄文中期の土器が多量に出土し、火焔文の深鉢型土器は柳津町を代表する重要な縄文文化の痕跡で、その曲線は波や風の運動に見られるような自然の霊の動きを表現しているようです。この石生前遺跡からの出土品は「やないづ縄文館」に展示されていますが、展示されている土器は、日本列島で作られた縄文土器の代表格といって過言ではありません。

石生前遺跡出土の縄文土器

福島県石生前遺跡の火焔型土器と「複式炉」

会津の山間部を中心とする地域の縄文人は、東北南部の大木系土器と越後方面で発達した馬高式火焔土器とを融合させて、地域独自の豪放かつ華麗な土器を生み出したのです。馬高式火焔土器の影響は口の部分の派手な装飾や上半部の立体的造形に認められますが、全体に大型で大胆なプロポーションとダイナミックかつ繊細な火焔型文様は、会津独特の芸術性を備えていると思います。

石生前遺跡出土の火焔型土器

また「ないやづ縄」に文館は、石生前遺跡の柱跡を参考に再現された「竪穴式住居」も展示されており、遺跡より移設した「複式炉」や土器、当時の食料と考えられるヤマドリ、キジ、タヌキ等の剥製、そして親子3人の模型から、この地における縄文時代の生活の様子を伺い知ることができます。

縄文文化の中の地域文化は土器の特徴と周辺の環境に関わっていますが、福島県の縄文文化は石生前遺跡にも見られる「複式炉」にあると考えられます。「複式炉」とは、前庭部(両側面にだけ石を置く部分)+石組部(石組みの炉)+土器埋設部という3つの部分で構成された囲炉裏の原型です。

代表的な「複式炉」

囲炉裏は、伝統的な日本の家屋において重要な場所ですが、その原型がすでに縄文時代にできあがっていたのです。炉の横には調理用の石皿やすり石を置き、調理や炊事のしやすい場所には女性が座っていたのでしょう。囲炉裏でいうところの嬶座(かかざ)横座(主の座るところ)の序列構造はすでに縄文時代の竪穴式住居に認められます。そして入口から見て炉の奥には、石棒や徳利型の土器が発見されることがあり、その場所は家の祭壇と考えられます。

白山遺跡の竪穴式住居

この「複式炉」という名前が生まれたのは、福島市飯野町飯野字白山の阿武隈川に注ぐ女神川を望む台地にある、縄文時代中期末から後期初めにかけての「白山(はくさん)遺跡」です。

この遺跡では直径5~6mの円形の竪穴住居跡1軒に6個の柱穴と、床面からはそれまで見たことのない石を組んだ大きな不思議な炉跡が発見されたのです。石組みの炉に接して土器を埋め込んだ「火つぼ」が2つあり、調査者の梅宮茂氏は学校の「複式学級」にちなんで「複式炉」と命名されました。複式炉は他にも例がありますが、2個以上の土器が並び、柱穴や周壁が発見された例は多くありません。

やないづ縄文館の竪穴式住居「複式炉」

複式炉の機能としては、実用的な炉としての機能と祭祀的な炉の機能があり、実用的な複式炉の機能としては、通常の炉としての役割の他に、トチの実のアク抜きの用途があげられています。

祭祀的な機能としての複式炉の利用法としては、火の神に対する祭祀的役割を果たした炉と考えられています。複式炉をもつ住居の屋内空間の利用を考えるにあたり、これら複式炉の機能及び複式炉の付設される位置が重要視されます。

「和台遺跡」の人体文土器と「宮畑遺跡」の掘立柱建物

やがて複式炉をもつ住居跡は縄文中期後半に福島県を中心に分布する特有の文化の所産であることがわかり、分布域を複式炉文化圏と呼ぶようになります。女神川をはさんだ白山遺跡の対岸の台地上には近年複式炉をもつ住居跡が170軒以上も検出された「和台遺跡」があり、この地域が複式炉文化の中心地であったことが確認されています。

「和台遺跡」出土の人体文土器

この「和台遺跡」こそ私が最も注目している福島県の縄文遺跡で、阿武隈川を望む高台に位置する縄文時代中期の大集落跡です。平成9年から11年にかけての発掘調査により、写実的な表現で縄文人の全身像が描かれた「人体文土器」、縄文人の狩猟の姿を描いた「狩猟文土器」などとともに数多くの出土品が発見されました。

「人体文土器」は、人の顔と体をしっかり表現した全国的にも非常に珍しい土器で、口縁部のみが地上に出ていましたが、文様のある胴体部は地中に埋もれていました。この土器の人間の顔には眉、目、鼻、口がついて、鼻筋が通り、鼻の穴も2つあいおり、腕・胴体・足もはっきりし、手と足の先端部には丸みがあります。人体文の文様部分は身長20センチメートルで、顔の部分の造形に高い芸術性が認められ、儀礼・信仰の対象であったといわれるナゾの多い不思議な土器です。

韮窪遺跡出土の「狩猟文土器」

一方、「狩猟文土器」が最初に発見されたのは青森県の韮窪(にらくぼ)遺跡ですが、和台遺跡の「狩猟文土器」は縄文時代中期後葉の古いもので、狩猟の成功や安全を祈る祭祀・儀式に使われたと考えられています。

この和台遺跡から出土した「人体文土器」や「狩猟文土器」は、福島市の「じょーもぴあ宮畑」で鑑賞することができます。「じょーもぴあ宮畑」は、縄文時代の遺跡である「宮畑遺跡」を整備した公園で、屋外には縄文時代の建物や景観などが復元されています。「宮畑遺跡」は、福島県福島市岡島にある縄文時代中期(約5,000 - 4,000年前)、後期(約4,000 - 3,000年前)、晩期(約3,000 - 2,500年前)の3つの集落跡が複合している遺跡で、2003年に国の史跡に指定されています。

じょーもぴあ宮畑

特に晩期の集落跡からは、「掘立柱建物」が円形に配置されている遺構が検出されており、中には直径90センチメートルの掘立柱を立てたと思われる巨大な柱穴跡も見つかっています。巨大な柱を持つ建物はムラのシンボルで、縄文人が幼児をあの世に送るまつりを行っていたと考えられ、円形に配置された掘立柱建物遺構群の外側には子供の墓と思われる埋甕(土器埋設遺構)が多数検出されています。

宮畑遺跡の大型掘立柱建物

また、宮畑遺跡の露出展示棟では、発掘調査で見つかった本物の土器をそのまま実物で展示しており、縄文人が使い終わった縄文土器をあの世に返す「送りの場」である可能性が高いと考えられています。

宮畑遺跡の露出展示棟

「しゃがむ土偶」は縄文人の宗教的エネルギーの結晶

そして併設された展示室は、縄文人の四季の暮らしぶり、縄文人の建築技術など「宮畑遺跡」に関する展示が中心ですが、目玉は国重要文化財の「上岡遺跡出土土偶」で、高さ約22cm、腕を組んでしゃがんだポーズをした通称「しゃがむ土偶」です。

しゃがむ土偶

上岡遺跡は、摺上(すりかみ)川の河岸段丘上にある縄文後期から晩期の遺跡で、「しゃがむ土偶」の発見は、昭和27年に地主の子息小原元七氏・恒七氏の兄弟が、桃畑の排水溝を設置する際、地元郷土史研究者の坪池忠夫氏とともに遺物を採集したのがきっかけでした。

「土偶」とは、縄文時代に造られた土製の人形で、日常生活の道具である土器や石器と異なり、縄文人の心に関わるものです。女性をかたどったものがほとんどで、基本的に妊娠した女性を表現しており、安産や子孫の繁栄、豊かな自然の恵みを祈る祭祀の道具と考えられています。また、けがや病気で痛む部位の身代わりとして、土偶のその箇所を壊して治癒を願う説、小さな土偶は子供の玩具や個人のお守りという説など、さまざまです。

代表的な土偶

大きさは大・中・小があり、大はムラの「まつり」、中は家族や身内での「まつり」、小は個人的に使われたと考えられています。

そこで、この「しゃがむ土偶」はムラの「まつり」用に使われていたと考えられますが、私はこのポーズから縄文人の精神性を強く感じます。すなわち、石生前遺跡の火焔土器と同様に宗教的エネルギーの結晶であり、宗教的情熱がここに秘められている気がするのです。

やないづ縄文館

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉のテーマ旅行

平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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