マラソン界の第一人者である瀬古選手と対談
6月14日は、日比谷のペニンシュラホテルでマラソン選手として有名な瀬古利彦さんと来年の東京オリンピック開催に向けて対談する機会を得ました。
私の近畿日本ツーリスト時代の同期である國分君が瀬古選手と中学の同級生であるというご縁で実現したトークショーです。
マラソン界のスター瀬古選手と対談
瀬古選手も國分君も私と同じ三重県出身で、これまでまだフルマラソンの大会が行われていない三重県での開催を支援している仲間です。
瀬古選手は桑名市のご出身で、早稲田大学入学後、中村清監督と出会い、箱根駅伝では「花の2区」を走って区間新を出し、マラソン界のスターとなった長距離界の世界的選手です。
私は瀬古選手の安定したピッチ走法からラストスパートでライバルを追い抜き、さらに引き離して鮮やかにゴールする姿に憧れていました。
1978年から1980年まで福岡国際マラソン3連覇してヱスビー食品に入社、ボストンマラソンなどの国際大会で優勝するも、絶好調の1980年、モスクワオリンピックが日本政府にボイコットされたため、オリンピック大会では残念ながら続くロスアンゼルス大会、ソウル大会ともに入賞されていません。
しかし、日本の長距離界のみならず陸上競技の世界で私たちに夢を与えてくれた、本来ならば国民栄誉賞第1号として表彰されるべき偉大なアスリートだと思います。
瀬古選手からのアドバイス「惰性でない継続こそ力なり」
瀬古さんとペニンシュラホテルにて
ペニンシュラホテルでは、一般には知られていない早稲田大学入学前におけるアメリカ留学時での苦労話や中村監督の世界一を目指す厳しいルールにより、恋愛が禁じられていたため、見合い結婚で理想的な「瀬古の花嫁」を得たことなど、興味深いお話をしていただきました。
6月14日金曜日は何とその「瀬古の花嫁」さんとの結婚記念日ということで、お祝いにケーキをご用意させていただきました。
私は早稲田大学時代の中村監督による「努力する天才になれ」という指導方針は聞いていましたが、瀬古さんの「惰性でない継続こそ力なり」という言葉に感銘を受けました。
毎日走り続けるだけでも大変ですが、惰性で走るのではなく、気合を入れて走ることの継続ですから精神的にも強くなったのだと思います。
また瀬古さんの「人と違うことをしたから勝てた」という言葉も印象的でした。なぜなら、ビジネスの世界でも人と違うことに挑戦してこそ価値ある成果が得られるからです。
自動車王ヘンリー・フォードも他の人が工夫していた早く走る馬車ではなく、画期的な化石燃料で走る自動車を量産したから成功したのです。
瀬古さんの現役の頃は、スポーツ医学や心理学的トレーニングではなく、「巨人の星」の世界だったと思いますが、そのような苦労があってこそ、最後の力強いラストスパートができたのではないでしょうか。
瀬古さんの話をお聞きして、私は日々の生活に令和時代の科学的学習法だけでなく、昭和時代のメンタルトレーニングも取り入れたいと思いました。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
「令和の旅」へ挑む平成芭蕉
*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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平成芭蕉の旅語録~ マラソン界のスター瀬古利彦選手と対談
更新日:
マラソン界の第一人者である瀬古選手と対談
6月14日は、日比谷のペニンシュラホテルでマラソン選手として有名な瀬古利彦さんと来年の東京オリンピック開催に向けて対談する機会を得ました。
私の近畿日本ツーリスト時代の同期である國分君が瀬古選手と中学の同級生であるというご縁で実現したトークショーです。
マラソン界のスター瀬古選手と対談
瀬古選手も國分君も私と同じ三重県出身で、これまでまだフルマラソンの大会が行われていない三重県での開催を支援している仲間です。
瀬古選手は桑名市のご出身で、早稲田大学入学後、中村清監督と出会い、箱根駅伝では「花の2区」を走って区間新を出し、マラソン界のスターとなった長距離界の世界的選手です。
私は瀬古選手の安定したピッチ走法からラストスパートでライバルを追い抜き、さらに引き離して鮮やかにゴールする姿に憧れていました。
1978年から1980年まで福岡国際マラソン3連覇してヱスビー食品に入社、ボストンマラソンなどの国際大会で優勝するも、絶好調の1980年、モスクワオリンピックが日本政府にボイコットされたため、オリンピック大会では残念ながら続くロスアンゼルス大会、ソウル大会ともに入賞されていません。
しかし、日本の長距離界のみならず陸上競技の世界で私たちに夢を与えてくれた、本来ならば国民栄誉賞第1号として表彰されるべき偉大なアスリートだと思います。
瀬古選手からのアドバイス「惰性でない継続こそ力なり」
瀬古さんとペニンシュラホテルにて
ペニンシュラホテルでは、一般には知られていない早稲田大学入学前におけるアメリカ留学時での苦労話や中村監督の世界一を目指す厳しいルールにより、恋愛が禁じられていたため、見合い結婚で理想的な「瀬古の花嫁」を得たことなど、興味深いお話をしていただきました。
6月14日金曜日は何とその「瀬古の花嫁」さんとの結婚記念日ということで、お祝いにケーキをご用意させていただきました。
私は早稲田大学時代の中村監督による「努力する天才になれ」という指導方針は聞いていましたが、瀬古さんの「惰性でない継続こそ力なり」という言葉に感銘を受けました。
毎日走り続けるだけでも大変ですが、惰性で走るのではなく、気合を入れて走ることの継続ですから精神的にも強くなったのだと思います。
また瀬古さんの「人と違うことをしたから勝てた」という言葉も印象的でした。なぜなら、ビジネスの世界でも人と違うことに挑戦してこそ価値ある成果が得られるからです。
自動車王ヘンリー・フォードも他の人が工夫していた早く走る馬車ではなく、画期的な化石燃料で走る自動車を量産したから成功したのです。
瀬古さんの現役の頃は、スポーツ医学や心理学的トレーニングではなく、「巨人の星」の世界だったと思いますが、そのような苦労があってこそ、最後の力強いラストスパートができたのではないでしょうか。
瀬古さんの話をお聞きして、私は日々の生活に令和時代の科学的学習法だけでなく、昭和時代のメンタルトレーニングも取り入れたいと思いました。
日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はこのたび『縄文人からのメッセージ』というタイトルで令和の旅を語り、Amazonの電子本として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。
★平成芭蕉ブックス
①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
③『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
平成芭蕉ブックス『令和の旅指南』
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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
平成芭蕉の旅語録
平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。
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*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照
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