心ふるえる絶景~神々が宿るジオパーク「隠岐」 | 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の旅語録

心ふるえる絶景~神々が宿るジオパーク「隠岐」

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って令和時代を旅しています(サイトマップ参照)

平成芭蕉の令和の旅指南

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『古事記』にも登場する神々が宿る島「隠岐」

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大きな打撃を受けている旅行業界ですが、今後の観光業の在り方を探り、新型コロナウイルス感染拡大防止祈願を目的として、神々の宿る島「隠岐」4島を訪ねてきました。

隠岐観光マップ

隠岐観光マップ

島根半島の北島約60㎞に位置する隠岐諸島は、島後(どうご)島前(どうぜん)と呼ばれる中ノ島、西ノ島、知夫里島の主要4島からなり、大山隠岐国立公園の一部であると同時に、ユネスコの世界ジオパークにも認定されています。

地殻変動や海底火山の噴火などで隆起した隠岐諸島は、火山活動や海面の上下、さらには絶え間ない海食にさらされたことで、日本列島には珍しい岩質・地形と独自の生態系を育んできました。

「隠岐造り」の水若酢神社

歴史的にも古く、古事記によれば「隠伎之三子島」として3番目に生まれた「島」とされています。また、隠岐は神社が多いことでも知られていますが、平安時代以前に創建された古社も多く、『延喜式』によれば隠岐島にある水若酢神社・由良比女神社・宇受賀命神社・伊勢命神社の四つが「名神大社」となっており、小さな島に4つも名神大社があるのはいかに隠岐が古代より特別な島であったかが推察されます。

隠岐諸島で最も小さい知夫里島

今回はまず、島根半島の七類港からフェリー「くにが」で知夫里島来居港に上陸し、知夫里島観光協会の錦織さんに島の名所である赤ハゲ山と赤壁を案内していただきました。知夫里島は隠岐諸島でもっとも小さい人口600人の島です。

世界ジオパーク知夫里島

大きな商業施設はありませんが、赤ハゲ山周辺の牧草地でたくさんの牛たちがくつろいでいる、時の流れが止まったようなのんびりした島です。

のんびりした知夫里島

残念ながら、赤ハゲ山の山頂付近は濃い霧のため、美しい景観を見ることができませんでしたが、錦織さんによると4~5月には一面が紫色の野ダイコンの花が咲き誇るそうで、是非春に来てくださいとのことでした。濃霧でしたが、放牧のための石垣『名垣』や数頭の牛、そして「赤壁」は見ることができました。

知夫里島の名所「赤壁」

「赤壁」は名前の通り、赤茶色の岩肌をした海食絶壁で、噴火時の溶岩のしぶきに含まれる鉄分が高温のまま空気に触れ、急速に酸化してできた珍しい地形です。

Withコロナの旅は、少人数でこのようなのんびりした秘境を訪ねる島旅が癒されます。

後鳥羽上皇の流刑地、中ノ島の隠岐神社

素朴でのんびりした知夫里島の次は、内航船「いそかぜ」に乗って中ノ島菱浦港に上陸しました。

中ノ島の菱浦港

中ノ島は後鳥羽上皇の流刑地として知られていますが、近年、自治体の海士(アマ)町では独自のプロジェクトを展開し、地域活性化の話題でも注目されています。そのひとつが隠岐島前高校で実施されている「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」で、島前地区のおもしろい人物を紹介する雑誌作りなど、生徒が自分の興味や夢を明確にしていく『夢ゼミ(課題解決型プロジェクト学習』です。

後鳥羽上皇を祀る隠岐神社

このような独創的な教育手法で隠岐島前高校では10年弱で生徒数が倍増したと言われており、若者やIターン者を呼び込む原動力になりつつあります。

私たちは港の近くで隠岐牛の昼食を取った後、パワースポットとして知られる隠岐神社や公営キャンプ場のある明屋海岸を巡りました。

公営キャンプ場のある明屋海岸

隠岐神社では後鳥羽天皇の御火葬塚行在所跡後鳥羽院資料館を、離島キッチン海士を運営している隠岐桜風舎千葉さんに案内していただきました。

後鳥羽天皇の御火葬塚

隠岐神社は祭祀である後鳥羽上皇行在所跡に上皇没後700年祭を記念して創建され、ご神木はユーカリの木ですが、桜の名所としても知られています。近くには相撲の土俵があり、秋季例大祭には子供たちの奉納相撲が行われます。

後鳥羽院行在所跡

後鳥羽上皇は承久の乱に敗れ、1221年にこの地に配流となり、現在の隠岐神社近くにあった源福寺に滞在されていましたが、この中ノ島で多くの和歌を詠まれています。中でも

「我こそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け」

という歌からは、どんな環境においても負けずに乗り越えていこうとする力強さと意欲が感じられます。

後鳥羽院の腰掛の松

後鳥羽院の腰掛の松

私たちも後鳥羽院に倣って今日の逆境を乗り越えなければならないので、新型コロナウイルス感染拡大防止を祈願するには最適の神社です。

2021年は後鳥羽上皇ご来島800年を迎えますので、来年訪れる際には、この隠岐神社で正式参拝した後、離島キッチン海士の直会御膳として提供される「箱膳」の昼食をとりたいと思いました。

離島キッチン海士の「箱膳」

かつて個人的に来た際には、島北部の明屋海岸でキャンプをした記憶があるのですが、今回は中ノ島には泊まらず、また内航船「いそかぜ」で西ノ島別府港に向かいました。

ダイナミックな山と海を体感する西ノ島

西ノ島は鎌倉幕府との争いに敗れた後醍醐天皇が配流された地で、後醍醐天皇ゆかりの資料が展示された「黒木御所碧風館」や後醍醐天皇を祀る黒木神社黒木御所跡もあります。

後醍醐天皇の黒木御所跡

後鳥羽上皇の中ノ島同様に隠岐と言えば遠流(おんる)という島流しの歴史から暗い印象もありますが、この西ノ島町の国賀(くにが)海岸の絶景に接すれば、そのイメージも変わります。今回は知夫里島と同様に霧のため、赤尾展望台摩天崖の空と海が一体化した鮮烈な景色や放牧地の景観は見ることができませんでしたが、美しい国賀浜の奇岩は堪能できました。

西ノ島「国賀浜の奇岩」

西ノ島「国賀浜の奇岩」

国賀海岸は島前カルデラの外輪にあたる山々が、長い間、風と波にさらされてできた絶壁が約7㎞にわたって続く、西ノ島を代表する景勝地です。

西ノ島ウォーキングコース

また、晴れた日に海面から257mの高さを誇る「摩天崖」の上に行けば、広々とした牧草地に牛馬が草を食むのどかな風景を見ることができます。

牧草地が広がる摩天崖

今回は霧のため赤尾展望台にも行けませんでしたが、有難いことに島前カルデラの内海を見守る焼火(たくひ)神社には参拝することができました。焼火神社のある焼火山は、西ノ島南部にそびえる島の中心的存在で、風待ちにやってくる船が目印としたことから、「航海安全の神」として信仰されてきました。今日もフェリーが焼火山を通過するときには、汽笛を鳴らして乗員も焼火神社に遙拝するそうです。

焼火神社参道入り口

焼火神社参道入り口

西ノ島町観光協会の会長で、焼火神社の宮司も務める松浦さんのお話では、この神社は神仏習合の寺院で、廃仏毀釈の際、当時の宮司が機転をきかせて神社の体裁を整えたことで破壊されず、古い社殿が今日に残ったそうです。

焼火神社参道の鳥居

その社殿の背後には見事な巨岩が聳え立ち、まるで神社が岩を背負っているような恰好でした。また、この神社には旧暦大晦日の夜、海上から3つの火の玉が浮かび上がって本殿の後ろの岩の窪みにともり、これが灯台として船乗りの目印になったという伝説も残っています。

「航海安全の神」焼火神社

あいにくの天気でしたが、西ノ島観光のハイライトである国賀めぐり観光船には乗ることができました。しかし、浦郷港から町のシンボルである船引運河を経て、日本海に出ましたが、波が荒くて国賀海岸の「ローソク岩」とも呼ばれる観音岩を見ることはできず、天は「またゆっくり来てください」と言っているようでした。

国賀めぐりの観光船

宿泊はいつもお世話になっている隠岐シーサイドホテル鶴丸でしたが、安来市観光協会の門脇事務局長、隠岐観光協会の角橋事務局長の取り計らいで各島観光協会の方々と会食する機会にも恵まれ、隠岐の魅力について大いに語っていただきました。

隠岐シーサイドホテル鶴丸

独自の生態系、日本海に浮かぶジオパーク「隠岐」

翌日は快晴で、朝、西ノ島の別府港から高速船で隠岐の島町の西郷港に到着し、野邊事務局長の案内で隠岐の島の名所を案内していただきました。

隠岐の名ガイド野邊事務局長

野邊さんの説明では、隠岐の島からは高品質の黒曜石という石が産出されており、これが非常に重要な「交易品」として流通していたようです。日本国内のみならず、遠くロシアまで隠岐島の黒曜石は取引されていたことが分かっており、これは縄文時代にかなり広範囲で「交易があった」ことを示していています。

私たちはまず、島後の最高峰である大満寺山の北側に立つジオパークの象徴「岩倉の乳房杉(ちちすぎ)」を訪ねました。樹齢は推定で約800年、その巨大さと風貌は周囲の木々を圧倒し、いくつかの幹からは乳房状の下垂根がぶら下がっています。

ジオパークの象徴「乳房杉」

野邊さんによれば、この杉こそジオパークのテーマである大地の成り立ちと独自の生態系、人の営みの全てを物語っているそうです。

現在の杉は九州地方の「屋久杉グループ」、太平洋側の「表杉グループ」、日本海側の「裏杉グループ」に区分されますが、そのうちの裏杉グループのルーツがこの隠岐にあると言われています。

ジオパークの解説を受けた後は、祈りの島「島後」の神社巡りで、隠岐国の二大神社と言われる玉若酢命神社水若酢神社に参拝しました。この2大神社はともに出雲大社(大社造り)と奈良の春日大社(春日造り)、そして伊勢神宮(神明造り)という3つの有名な神社建築の様式を取り入れた「隠岐造り」で建てられています。

玉若酢神社の「隠岐造り」

西郷港に近い玉若酢命神社の鳥居をくぐると、参道の髄神門の奥には樹齢2000年とも言われる「八百杉(やおすぎ)」が立っています。島後には杉の巨木をご神木とする神社が多いようですが、この八百杉も日本海側特有の裏杉の特徴を備えた立派なご神木です。

玉若酢命神社の「八百杉」

玉若酢命神社の「八百杉」

この玉若酢命神社周辺は、かつて隠岐国の国府が置かれていた地と言われており、玉若酢命神社は隠岐国の総社であり、総社制度にまつわる神事「御霊会風流」も毎年執り行われています。玉若酢命神社の隣にある億岐家住宅は、古代日本の地方長官である国造(くにのみやつこ)の末裔で、代々、宮司を務めてきた築200年の億岐家の社家です。

国造の億岐家住宅

国造の億岐家住宅

玉若酢命神社と並ぶ古い歴史を誇る、島北西部の水若酢神社隠岐国の一の宮であり、毎年5月に執り行われる「祭礼風流」の山曳き神事が有名です。これは、かつて川の氾濫で社殿が流出した際、その再建に必要な用材を曳いたことに由来します。

隠岐の一の宮「水若酢神社」

隠岐ではこうした神事だけでなく、巨岩や山そのものを崇める磐座(いわくら)信仰も残っており、「壇鏡神社」の荘厳な岩と霧雨のような滝は、神秘的な雰囲気が漂う、まさに磐座信仰の聖地のような場所です。

壇境神社と壇境の滝

隠岐には他にも「島後久見神楽」で有名な伊勢命神社など、由緒正しい古社が多く祀られています。2億5000万年の大地の魅力だけでなく、古社のご利益を満喫できる隠岐は真に神々が宿る日本人の心の故郷です。

隠岐の名神大社「伊勢命神社」

また、隠岐諸島では度重なる気候変動と海面の上下によって生まれた特異な火山島景観独自の生態系・植生が見られ、まさしく日本海に浮かぶ秘境であり、新型コロナウイルス感染に打ち勝つ「大地の力」がみなぎっているような気がしました。

隠岐の主島である島後のバス

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