令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉の旅語録 日本六古窯「瀬戸・常滑・信楽」の里と「美濃」「伊賀」焼き物めぐり

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日本の歴史ある古窯「美濃」「瀬戸」「常滑」「伊賀」「信楽」の焼き物めぐり

世界に誇る日本古来の技術を継承した歴史ある5つのやきもの産地「美濃」「瀬戸」「常滑」「伊賀」「信楽」を3日間で巡ってきました。やきもの産地を巡れば、“ 焼き物”を通して、人間の根源的な営み、人と自然との関わり、ものづくりの根源について考えると同時に、千年という時をかけて育まれてきた産地にある「火と人、土と人、水と人が出会った風景」に触れることができます。

5つの焼き物めぐり

*関連記事 平成芭蕉の日本遺産 日本生まれ日本育ちの六古窯(瀬戸・常滑・信楽・越前・丹波・備前)

「美濃焼」と美濃焼ミュージアム

最初に訪れた多治見市「美濃焼ミュージアム」では、美濃焼千三百年の流れや、人間国宝をはじめ美濃を代表する陶芸作家の作品が展示されていますが、陶芸作家の作品でお茶をいただくことができます。

美濃焼ミュージアムでお茶

美濃焼とは美濃国(現在の岐阜県)の東部地域で生産されてきた陶磁器の総称で、多治見を中心に土岐、可児、瑞浪、笠原が含まれ、その起源は、奈良時代の須恵器窯からとされています。時代ごとに人々の好みに合わせた新しい釉薬を開発し、様々な姿形、色彩の焼物を誕生させ、「このような焼物」とひとつを示さず、様々な技法を持っている点が特徴です。

美濃焼ミュージアム

美濃焼の黄金期は安土桃山時代(1573年〜1603年)とされ、茶の湯の流行、千利休古田織部のような当時の茶人らの活躍もあり、今日の美濃焼の基本様式である黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部の四様式が誕生しました。

・黄瀬戸(きせと):美しい淡黄色の肌が特徴で、薄づくりの器に様々な草花の文様を描き、胆礬(たんばん)と呼ばれる緑の斑点や褐色の焦げを楽しむ「あやめ手」のほか、厚みがあり、ほとんど文様や焦げのない「ぐいのみ手」があります。

代表的な「黄瀬戸」

・瀬戸黒 (せとぐろ):それまでの黒い茶碗はどれも赤みを帯びたものでしたが、鉄釉をかけて1200度前後の窯で焼成し、引き出した後に急冷する「引出黒 (ひきだしぐろ) 」とも呼ばれる瀬戸黒の「漆黒」の茶碗は、茶人たちを喜ばれました。

代表的な「瀬戸黒」

・志野 (しの):細やかな貫入(かんにゅう) とほんのりと赤みを帯びた白い肌が特徴で、日本人が憧れてきた念願の「白い焼き物」であると同時に、従来の型押しや彫りではなく、素地の上に直接絵を描くことを可能にした、画期的な器でした。「もぐさ土」と呼ばれる土に白い長石釉 (志野釉) をかけて焼成し、茶碗だけでなく水指や香合など茶道具に多く用いられ、無地志野、絵志野、鼠志野、紅志野、練込志野などいくつかの種類があります。

代表的な「志野焼」

・織部(おりべ):安土桃山時代を生きた武人にして茶人であった古田織部が、自身の好みに合わせて造らせたと言われ、ゆがみも良しとする大胆な造形、鉄絵(鉄を含む顔料で描かれた絵)による意匠や鮮やかな緑色は、まさに焼きもの界の革命児・美濃焼を象徴するものでした。神官が履く靴をイメージさせる「沓茶碗(くつちゃわん)」は、縁の部分がぐにゃりと曲がり、当時の茶会で「へうげ (ひょうきん) 」と評されたという逸話も残り、織部黒、黒織部、総織部、鳴海織部、志野織部、弥七田織部、青織部、赤織部、唐津織部など色も多彩で、形や模様も様々なものが生み出されました。

代表的な「織部焼」

「美濃焼」と織田信長の奨励策

桶狭間の戦いから3年後の永禄6年(1563年)、美濃を併合した織田信長は「瀬戸物については、各地の商人が国内を自由に往来できるように新しい税なども賦課してはならない」と保護し、天正2年(1574年)1月12日には、加藤景茂(かげもち)という瀬戸の陶工に対して「瀬戸の焼き物窯は従来通り瀬戸でだけ操業することとし、よそでは一切焼いてはならない」と厳命し、「瀬戸で焼かれたものだけが〝瀬戸焼〟〝瀬戸物〟を謳って良い」という保証を与えました。

一方、併合した美濃地域の陶器産業については「瀬戸焼まがいの野良ブランドは許さないが、自分の管理下で志野焼などの美濃焼ブランドを育てていくことは大いに結構!」という方針のもと、加藤景茂(かげもち)の息子たちを用いて振興を図りました。

美濃桃山陶

加藤景茂には、景豊と景貞、景光という3人の息子がおり、美濃の大平(現在の岐阜県可児市久々利)、久尻に移って作陶を開始していましたが、信長は自分の目の届くところで奨励しました。この信長の政策により、加藤景豊の流れは「美濃桃山陶」というブランドを生み、志野焼織部焼など付加価値の高い茶器を送り出すことになりました。

桃山陶の生誕地「荒川豊三資料館」

志野焼は、長石を釉薬とした白い肌を持ち、筆で絵が施せる下絵付けを可能にした日本初の焼き物ですが、これが瀬戸ではなく、美濃で焼かれていたことを発見したのは、陶芸家であり、志野・瀬戸黒で国の重要無形文化財保持者に認定された荒川豊蔵です。

荒川豊蔵

荒川豊蔵は魯山人とともに名古屋で桃山期の古志野を見た際、筍文(たけのこもん)が描かれた筒茶碗の高台にかかる赤土は、瀬戸の土ではないと直感し、後に美濃に戻って可児市久々利大萱(かにしくくりおおがや)牟田洞古窯跡(むたぼらこようあと)で志野焼の筍絵陶片を発見したのです。

牟田洞古窯跡で発見された志野焼の筍絵陶片

この発見によって久々利大萱は桃山陶の生誕地となりましたが、現在、この地には荒川豊蔵が自身の作品やコレクションを公開し、桃山陶の見識を深めていただきたいという思いから創設された「荒川豊三資料館」が建っています。

荒川豊蔵資料館

荒川豊蔵は1200度以上で焼き上げることで、長石が透明になり、下の絵が浮かび上がるという技術を再現し、彼が焼きあげた器は、時にはとてつもない価値を生むほどになりました。

荒川豊蔵の志野茶碗

敷地内にある荒川豊蔵の居宅や陶房も公開されていますが、木立の中に建てられた窯の傍らに立つと、純粋で丁寧にやきものに捧げた荒川豊蔵の人生が伝わってくる気がします。

荒川豊蔵の陶房

私は、現在、縄文遺跡巡りで縄文文化を研究中の身ですが、縄文人のように自然の中に抱かれながら作業をした荒川豊蔵の思いは、ふるさと美濃の自然への愛着と丹精な美しさを誇る美濃焼の神髄を探ることだったのだと感じました。

荒川豊三が妻に贈った「随縁」

桃山時代の窯跡がある史跡公園「織部の里公園」

美濃地域は400年前には日本最大のやきもの産地で、「大窯」・「連房式登窯」と呼ばれる地上式の窯は、当時の技術の粋を極めたもので、この地で生産された陶器は全国へと出荷されました。そして土岐市にある「織部の里公園」の元屋敷陶器窯跡は、美濃窯最古の連房式登窯で、当時の姿をよく留めており、その重要性からここ一帯が昭和42年に国指定史跡となりました。

織部の里公園「元屋敷陶器窯跡」

織部の里は、この元屋敷窯周辺を「歩く」「見る」「触れる」ことで美濃桃山陶への理解を深め、楽しむための公園ですが、公園内には、松坂屋の創業家である伊藤家の別荘「揚輝荘」から移築された茶室「暮雪庵」、美濃桃山陶が体験できる作陶施設「創陶園」、元屋敷窯跡から出土した遺物の展示室があります。

・国指定史跡「元屋敷陶器窯跡」:美濃窯最古の連房式登窯である元屋敷窯や、3つの復元した大窯があり、これらの窯で、美濃桃山陶と呼ばれる瀬戸黒、黄瀬戸、志野や織部が生産されました。

国指定史跡「元屋敷陶器窯跡」

元屋敷東1号窯(大窯):全長(不明)最大幅3.9メートル。16世紀後半に元屋敷では、この窯が最初に築かれ、天目茶碗、灰釉皿、すり鉢などが生産されました。この窯は築窯当初は焼成室の最大幅が3.9メートルでしたが、改築で3.4メートルに縮小され、最終的に3.0メートルとさらに小型の窯になったことが、発掘調査から分かりました。現在は、発掘された跡から当時の姿へと完全復元しています。

元屋敷東2号窯(大窯):全長7.5メートル幅3.9メートル。東1号窯の次に築かれたこの窯では、新しい意匠の瀬戸黒、黄瀬戸、灰志野が登場しました。東2号窯は廃棄後取り壊され、床面は元屋敷東3号窯の作業場として使われていますが、この窯は内部の構造がわかるように復元されています。

元屋敷東2号窯(大窯)

元屋敷東3号窯(大窯):残存長5.8メートル幅2.9メートル。東3号窯では志野の量産が行われ、沓茶碗と呼ばれる歪みなどの変化がつけられた茶碗が誕生します。志野は、多器種にわたり焼成され、生産された志野の中には、後の織部に共通する意匠が見られます。この窯は発掘調査された姿を型どりして露出展示しています。

元屋敷東3号窯(大窯)

元屋敷窯(連房式登窯):全長約24.7メートル幅2.2メートル焚口、燃焼室(胴木間)、焼成室14房。焼成室が地上に築かれ、階段状に連なるこの窯の構造は「連房式登窯」と呼ばれています。慶長10年(1605年)頃に陶祖加藤景延が九州唐津で学び築窯したと言われています。この窯は覆屋の中で露出展示されており、黒織部、青織部、志野織部などの織部製品が生産されています。

元屋敷窯(連房式登窯)

・暮雪庵:「暮雪庵」は松坂屋の創業者である伊藤家の別荘「揚輝荘」(名古屋市千種区)にあった茶室で、平成16年に織部の里公園に移築されました。建築年代は不明ですが、江戸時代中後期の久田流茶人久田耕甫が「暮雪」と命名し、揮毫したことが茶室の扁額に刻まれた落款から分かります。茶室は、台目三畳松の中板入り。床は、枡床で中柱は赤松。天井は、掛け込み天井で突上窓があり、点前座の上は網代天井。屋根には布袋様が描かれた拝み巴瓦があります。躙り口(にじりぐち)のほかに貴人口を設け、連子窓や下地窓など窓を多くし明るい造りの茶室で、4月から12月(8月を除)には月2回の定例茶会を開催しています。

陶体験が出来る創陶園

・創陶園:創陶園は織部の里公園の中にある施設で、陶器の絵付け体験や、ろくろを使った作陶体験が出来ます。作陶体験では、ぐい呑や飯碗はもちろん、風鈴や陶人形など作ることができます。また、作品にかける釉薬は、美濃桃山陶を代表する織部・志野・黄瀬戸のほかにも、灰釉や鉄釉などが揃えてあり、そこから好きな釉薬を選び、世界にひとつだけの器を作ることができます。

瀬戸焼の「瀬戸蔵ミュージアム」と「窯垣の小径」

2日目の瀬戸では「瀬戸蔵ミュージアム」を見学後、陶祖公園から「窯垣の小径」を散策しました。瀬戸市と言えば、全国的にも有名な瀬戸物の街で、資料館や窯元もたくさんあり、いたるところで焼物に出会えますが、国内最大級の志野焼灯篭のある「陶祖公園」は必見です。

国内最大級の志野焼灯篭のある「陶祖公園」

瀬戸が誇る“陶祖”の藤四郎(加藤四郎左衛門景正)の業績を称える巨大な六角陶碑が慶応3年(1867)に建てられ、その高さは4.1mで、焼き物で作られた碑としては世界最大規模のものです。

巨大な六角陶碑

瀬戸焼の資料館として知られる、瀬戸物のテーマパーク「瀬戸蔵ミュージアム」では、昭和の瀬戸の街を復元した瀬戸で往時にタイムスリップしてやきものの歴史や人々の生活などを身近なものに感じることができます。  

昭和にタイムスリップ

「瀬戸蔵」は、「産業観光」「市民交流」を支援する複合施設で、「せと・まるっとミュージアム」の拠点施設です。「愛・地球博」が開催された2005年に、訪れた人々に瀬戸ならではのおもてなしが出来るようにと設立され、瀬戸の歴史、伝統、文化を次世代に受け継ぎ、世界に向かって発信し続けています。

館内には、つばきホール、やきものショップ、会議室などの他、2階と3階にやきものの博物館機能を備えた「瀬戸蔵ミュージアム」があり、面積は二つのフロアを合わせて約1,800㎡の広さとなります。

陶房(モロ)、石炭窯、煙突

2階部分には、せとものの大量生産で活気のあった時代の瀬戸をイメージし、まちの象徴である旧尾張瀬戸駅、陶房(モロ)、石炭窯、煙突などを配置、3階部分は、1000年以上の歴史がある瀬戸焼の変遷を全長30メートル以上の大パノラマ展示で紹介しています。

「瀬戸蔵ミュージアム」

「窯垣」は、窯道具を積み上げて作った塀や壁の呼称で、全国でも瀬戸でしか見ることができず、その窯垣をつないだ約400mの路地が「窯垣の小径」です。その昔は陶磁器を運ぶメインストリートで、窯屋さんの邸宅が建ち並んでいましたが、この風景は瀬戸でしか見ることができません。

「窯垣の小径」入口

「窯垣の小径」では、顔料として使われた鬼板粘土の壁や、登り窯に製品を詰める際に使われた窯道具「ツク」「エブタ」「エンゴロ」などを埋め込んで作られた塀が連なっており、小径の途中には、かつての窯元の家を利用した「窯垣の小径ギャラリー」「窯垣の小径資料館」があり、今日でも「せとものの街」の風情が感じられます。

窯垣の小径

・窯垣の小径ギャラリー:明治後期の「本業焼」の窯元を改修した趣のある資料館で、母屋では洞町の歴史や文化の紹介をしており、離れには休憩所を設置しています。明治・大正期に一世を風靡した「本業タイル」で装飾した浴室や、瀬戸染付の便器は必見です。

・窯道具「ツク」「エブタ」「エンゴロ」:「ツク」は陶製の丸棒、「エブタ」は陶製の板でこれらを組み合わせて窯内に棚を作り、そこに焼成する製品を並べて使用しました。「エンゴロ」は炎が直に当たらないように大型の瓶などを中に入れて焼いたもので、いずれも亀裂が入ったりしたものが塀などの材料として転用されましたが、何度も炎にさらされたため独特の色合いがあります。

「ツク」「エブタ」「エンゴロ」等の窯道具

常滑焼と「常滑市やきもの散歩道」

お茶の味がまろやかになるといわれる朱泥焼の急須ですが、この独特の朱色と艶のある焼きもので一躍有名になったのが常滑焼です。現在は朱泥焼だけでなく、多くの作家や職人が住み様々な焼きもので名を馳せています。

朱泥の常滑焼

常滑焼が最も盛んだった昭和初期には、急須や茶碗だけでなく、甕(かめ)や焼酎瓶、土管、レンガ、タイルなど、陶器製造で日本の産業を盛り立てました。

常滑市陶磁器会館を起点とする「やきもの散歩道」にはまだまだそんな時代の風情が残されており、煙突、窯、工場などが点在し、歴史的産業遺産を巡る観光スポットとして、焼き物マニアのみならず、古い趣ある建物や風景を求める写真愛好家など、広く親しまれています。

常滑市陶磁器会館

「常滑やきもの散歩道」とは昭和初期ごろ最も栄えた窯業集落一帯で、今も点在する煙突・窯・工場など、時代と共に使われなくなった歴史的産業遺産を巡る観光スポットです。

「常滑やきもの散歩道」

この集落には現在でも多くの作家や職人が住み、活動していますが、最近は素敵なギャラリーやカフェをはじめ、こだわりの雑貨を取り扱うお店も増え、それらを求める若者や家族連れの観光客が増えつつあります。

おしゃれなカフェ

「やきもの散歩道」には1.6kmのAコースと4kmのBコースがあり、時間のある人にはBで「INAXライブミュージアム」の見学をおすすめします。これは、やきものの街・常滑で培われた「ものづくりの技術」を体験できるミュージアムで、敷地内には「世界のタイル博物館」など6つの館があり、土とやきものが織りなす多様な世界を体感できるようになっています。

INAXライブミュージアム

・やきもの散歩道Aコース:1.6kmで所要時間は約60分。レンガ造りの煙突や窯、黒塀の工場、陶器の廃材利用の坂道など、独特の雰囲気と歴史を伝える空間を歩きます。

・やきもの散歩道Bコース:4kmで所要時間は約2時間30分。常滑焼の歴史や産業観光施設のINAXライブミュージアムなど、見学施設は盛りだくさんあり、買い物も楽しめます。

伊賀焼の老舗窯元「長谷園」

3日目の伊賀では国の登録有形文化財として登録された「登り窯」の残る伊賀焼の老舗窯元「長谷園」を訪ねました。「登り窯」とは山の斜面を利用して細長い部屋を数室連ねた、隣室の余熱を利用しながら焚き上げていく窯です。

伊賀焼の老舗窯元「長谷園」

天保3年(1832年)に創業の伊賀焼の老舗「長谷園」は、伊賀焼の里、丸柱地区にある伝統ある窯元で、現存する日本最大の16連房の旧登り窯や、大正建築の旧事務所を見学できるほか、資料館や展示室で伊賀焼の魅力を堪能できます。

長谷園の登り窯

長谷園の象徴ともいえる創業当時の登り窯は必見ですが、伝統の技は若い陶工にも受け継がれており、その作業ぶりも見学でき、商品の購入だけでなく、実際に陶芸体験も可能です。毎年5月の2・3・4日は「窯出し市」を開催しており、掘り出し物が見つかるかもしれません。

六古窯の1つ「信楽焼」の信楽焼陶芸村

最後に見学する「信楽焼陶芸村」は六古窯の1つ「信楽焼」の産地で、その信楽焼は聖武天皇が紫香楽宮を作る時に、瓦を焼いたのが始まりと言われています。

紫香楽宮の跡地

滋賀県甲賀市信楽町は陶芸の里と呼ばれるように多くの窯元があり、陶芸店がありますが、「信楽焼陶芸村」はその窯元のひとつである「奥田忠左衛門窯」の土地で焼物に関することを公開している施設です。「奥⽥忠左衛⾨窯」は、明治21(1888)年に、信楽の⼭裾で開窯した100年以上の歴史を持つ6代続く窯元です。

信楽陶芸村

昭和9年に4代目忠保が築窯した当村見どころの「登り窯」は、陶器が割れないように、という願いを込めて全長25m、11の焼成室という割れない奇数でできています。耐火温度の高い土と陶器を粉砕したものを練り合わせて築かれ、おもに火鉢や植木鉢、茶壷などを100回以上焼きあげてきました。信楽では「登り窯」が数多く築窯されましたが、保存が大変難しく、陶芸村の「登り窯」は完全な形で残された数少ない窯の一つです。

陶芸村の「登り窯」

また、村内にはいたるところにたぬきが鎮座しており、 その数なんと3,000体で、大きいの、小さいの、正統派、個性派など、種々あるたぬきの愛くるしい姿に、心癒されます。そして陶芸教室では、自分で粘度を使って茶碗や皿を作ったり、たぬきに自分だけの色をつけたり、茶碗などに絵を描いたりできます。

信楽陶芸村のたぬき

中世から今も連綿とやきものづくりが行われている焼き物の産地は、丘陵地に残る大小様々の窯跡や工房へ続く細い坂道が迷路のように入り組んでいます。この焼き物めぐりの旅では、「わび・さび」の世界へと自然と誘い込まれ、まさに日本の原風景に出会うことができます。

信楽に見る「日本の原風景」

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。

また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅
 『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅
 ④『生まれ変わりの一人旅 令和の旅指南Ⅳ』: 感動を味わう一人旅のススメ
 ⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足と自分の五感を駆使して旅しています。

平成芭蕉のテーマ旅行

平成芭蕉の旅語録

平成芭蕉は「検索すればわかる情報」より「五感を揺さぶる情報」を提供します。旅とは日常から離れ、いつもと違う風、光、臭いなど五感を通じて自分を見つめ直す機会です。そしていつもと違う人に会い、いつもと違う食事をとることで、考え方や感じ方が変わります。すなわち、いい旅をすると人も変わり、生き方も変わり、人生も変わるのです。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

 

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