千葉県銚子市「北総四都市江戸紀行~銚子の港町」水とともに生きる | 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

千葉県銚子市「北総四都市江戸紀行~銚子の港町」水とともに生きる

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。

日本遺産の地を旅する~世界から一番近い「江戸」港町の銚子は「醤油の町」

文化庁が認定する日本遺産として、今、千葉県内の佐倉(城下町)成田(門前町)、佐原(商家の町)銚子(港町)の四都市が、世界から一番近い「江戸」として注目されています。

昨年、千葉県教育庁文化財課の垣中健志文化財主事にご同行いただき、城下町の佐倉を視察しましたが、今回は銚子市観光商工課観光班の沼田紘章主事港町銚子市内の主要な日本遺産構成文化財をご案内いただきました。

海外からの玄関口、成田空港から近いこともあって、世界で一番近い「江戸」を感じる四都市ですが、佐倉と成田は成田街道(佐倉道)という陸路で江戸と交流していたのに対し、佐原と銚子は利根川の水運によって江戸の商業活動を支えていました。

特に銚子市は、関東の最東端に位置しており、北には利根川が流れ、東南は太平洋という三方を「水」に囲まれた天然の良港で、銚子漁港で水揚げされた海産物は利根水運によって江戸に運ばれ、江戸の食文化を支えて繁栄しました。

漁師の町の銚子漁港

漁師の町の銚子漁港

しかしこの「水」はこのような恩恵と同時に海難事故や津波という「災害」も同時にもたらしています。よって、銚子は太平洋と利根川がもたらす「災害」とも闘ってきた文字通り、水とともに生きてきた町なのです。

濱口梧陵を生んだ広川町シンポジウム

私は昨年、小泉八雲の『稲むらの火』で知られる和歌山県広川町の日本遺産記念イベント「濱口梧陵を生んだ紀州広川の挑戦」というシンポジウムにパネラーとして参加させていただきましたが、津波防災やコレラ防疫に尽力した濱口梧陵は、銚子で創業したヤマサ醤油の当主でもあったのです。

銚子のヤマサ醤油工場

すなわち、濱口梧陵は1854年11月5日(旧暦)に紀州の広村(現在の広川町)を襲った安政南海地震の津波から村民を救うため、収穫した自らの大事な稲むらに火を放ち、避難路を示しただけでなく、ヤマサ醤油で得た私財を投じて村人を雇って津波対策の「広村堤防」をも築きました。

また、濱口梧陵は江戸でコレラが流行した際、銚子で医院を開業していた関寛斎を支援し、コレラの予防法を学ばせ、コレラ防疫にも貢献しています。

自分の稼業であるヤマサ醤油を守るだけでなく、地元銚子の住民や出身地の広村の人たちの安全を守ることにも尽力されたことから、広川町だけでなく、この銚子にも濱口梧陵紀徳碑が建てられています。

銚子にある濱口梧陵紀徳碑

銚子にある濱口梧陵紀徳碑

日本三大漁港の銚子漁港と醤油屋の「ひ志お」

私たちはまず、日本三大漁港の一つでる銚子漁港から巨大な災害に立ち向かう堤防を見学した後、銚子港水揚げの生のまぐろと地魚の専門店「鮪蔵(まぐろくら)」で昼食をとりました。

銚子港「鮪蔵」

現在の銚子漁港は、長い年月をかけて先人の努力によって整備されてきましたが、特に尽力した人物は、銚子電鉄の前身「銚子遊覧鉄道株式会社」を設立したヒゲタ醤油社長の濱口吉兵衛でした。濱口吉兵衛は1910年3月12日に銚子沖で起きたの遭難事故を契機に漁港整備事業を開始したと言われています。

銚子漁港に近い「鮪蔵(まぐろくら)」では、私は「ひ志お」を使った「まぐろひ志お焼定食」をいただきましたが、こちらの店では「生まぐろの解体ショー」や板前気分で「寿司にぎり」体験も楽しむことができます。

鮪蔵の「まぐろひ志お焼定食」

鮪蔵の「まぐろひ志お焼定食」

ひ志お焼定食の「ひ志お」とは、銚子の名産で、大豆と大麦からつくった麹に塩水を加えて発酵熟成させた発酵調味料です。形は味噌のようですが、風味は醤油に近く、醤油の旨み成分をたっぷり持った「食べる醤油」といった感じがしました。
ひ志お(醤)醸造元である「銚子山十」の醤司である室井さんのお話では、「ひ志お」は醤油屋で働く人々には欠かすことのできないおかず調味料だったとのことです。

ひ志お醸造元「銚子山十」

「銚子の磯巡り」で賑わった坂東三十三観音霊場の飯沼観音

次に訪ねた場所は、日本百観音の最東端に位置する坂東三十三観音霊場第27番札所飯沼観音(圓福寺)です。龍神を祀った隣の銚港神社と共に717年~723年に建立され、竜蔵権現とも呼ばれ、江戸時代には東国三社巡りに続く「銚子の磯巡り」で賑わいました。

坂東三十三観音霊場の飯沼観音

飯沼観音の由来は屋号の「飯沼山」から来ており、千葉県内で唯一の「五重の塔」「阿弥陀如来坐像」に目を奪われますが、ご本尊の飯沼観音は本堂にある十一面観世音菩薩です。

千葉県内唯一の五重塔

由緒書きによれば、奈良時代の神亀5(724)年に漁師が網で十一面観世音菩薩を掬い、その後この地に来た空海がその像を開眼したと云われています。この種の話はよく聞きますが、「どうして仏像が海や川から出てくるのか?」と言えば、

  • 昔は今より仏像の盗難が多く、盗品を船で運ぶ際に水難事故で沈んでしまった 
  • 「お守り」として小さい仏像を伴った参詣船団が水難事故や盗賊に襲われ水没した
  • 神仏習合や戦乱で迫害を受けた寺が、仏像を一時的に隠す場所として水中で保管するも何らかの事情で回収されなかった

といった事情が考えられます。

「銚子大仏」阿弥陀如来坐像

「銚子大仏」阿弥陀如来坐像

また、境内には明治政府の招きで河川や港湾事業に従事したオランダ人技師リンドにより、「水準原標石」が設置されていましたが、これは日本における河川測量の原点として歴史的にも価値のある遺産かと思います。

飯沼水準原標石

飯沼水準原標石

銚子ポートタワーから眺める太平洋に注ぐ利根川の景観

現在、銚子港に注いている利根川は、かつては江戸湾(現在の東京湾)に注いでおり、今の利根川の流れは、人の手によって東に向けられたものです。これは、数次に渡る瀬替えの結果で、近世初頭から行われた利根川東遷事業と呼ばれる河川改修工事によるものです。

利根川の東遷事業

東遷事業の目的は、江戸を利根川の水害から守り、新田開発を推進し、舟運を開いて東北と関東との交通・輸送体系を確立することなどに加えて、東北の雄、伊達政宗に対する防備の意味もあったといわれています。

利根川が太平洋に注ぐしおさいの郷

私はこの東遷(とうせん・東へ移すこと)大工事の結果、銚子市で太平洋に注ぐようになった現在の利根川河口を観察する目的で銚子ポートタワーに登ってみました。高さ57.7mのツインタワー展望室からは、銚子付近の海難事故で亡くなられた船員の御霊を祀った「千人塚」の先に利根川が太平洋に注ぐ雄大な景観を観ることが出来ました。

銚子のポートタワー

銚子のポートタワー

ポートタワーに隣接する水産物卸売センター「ウォッセ21」に立ち寄った後は、銚子のシンボルとも言える犬吠埼灯台に向かいました。

『灯台守の話』を連想させる白亜の犬吠埼灯台

未来を明るく「照らすテラス」という意味を込めた「犬吠テラステラス」には、大人もくつろげるハンモックベンチや見晴らしの良い展望テラスもあり、売店には銚子の名産品やこだわりの逸品もそろっていました。

「犬吠テラステラス」からの眺め

白亜の犬吠埼灯台の入り口にある「白いポスト」は、このポストに手紙を投函すれば、願いが叶うとされていますが、ここは人々の願いを集めて、青い海や空の先に人の想いを届ける場所なのかも知れません。

「白いポスト」と白亜の犬吠埼灯台

この犬吠埼の先端に建つ灯台は、イギリス人技師、リチャード・ヘンリー・プラントンが設計・監督し、1874年(明治7年)に完成させたもので、国産のレンガで建てられた初めての灯台です。99段の螺旋階段を上るのは少々疲れますが、登る価値はあります。敷地内には灯台資料館も併設されており、旧犬吠埼信号所霧笛舎内のフランス製の初代レンズは必見です。

犬吠埼灯台のレンズ

灯台と言えば、私にはジャネット・ウィンターソンの小説『灯台守の話』という本に出てくるひとりで生きる盲目男ピューのセリフ「光の世話をし、物語をつなぐ事こそが灯台守の仕事だ」という言葉が思い起こされます。

これは海の上に浮かぶ灯台がまるで人生の道標のように、一筋の光を照らし出す哀しくも温かい愛の物語で、「灯台守の大切な仕事は物語を伝え続けること」という言葉には、ストーリーを伝える日本遺産に通じるものを感じました。

『灯台守の話』を連想させる犬吠埼灯台

実際、犬吠埼の「犬吠」も、源義経が頼朝に追われて奥州へ逃れる際、この銚子の海岸に残された愛犬「若丸」が主人を慕って吠えて泣き続け、「犬岩」になった伝説から「犬吠」と命名されたというストーリーが伝わっています。

義経伝説が残る「犬岩」

「地球の丸く見える丘展望台」と銚子ジオパークの「屛風ヶ浦」

北総で一番高い標高90mの愛宕山の頂上にある「地球の丸く見える丘展望台」では、視界360度のパノラマを満喫することができました。ここで海を眺めていると「この世界は、遠くへ行けば行くほど、下にさがっていくんだ。どんどん下になって、しまいには一周して上に戻ってくるんだ。だから、西にずっと進んで行けば、くるりと回ってインドにたどりつけるに違いない」と言った、コロンブスの言葉が実感できます。

地球の丸く見える展望台

地球の丸く見える展望台

彼はスペインのポルトサント島でのこの言葉を発していますが、この展望台からも330度の水平線が見渡せて、実際に地球が丸いことが感じられる場所です。

330度の水平線パノラマ

330度の水平線パノラマ

最後に訪れた屛風ヶ浦は、かつて東国三社詣(香取・鹿島・息栖)のオプショナルツアーとして江戸っ子に人気のあった「銚子の磯めぐり」のハイライトで、遠くに富士山を望むことができる名所としても知られていました。

銚子ジオパークの屛風ヶ浦

屛風ヶ浦は、銚子市潮見町から旭市刑部岬までの約10㎞続く、下総台地を削る海食崖(海の波によって削られた崖)で、断崖の高さは40メートルから60メートル、「銚子ジオパーク」を代表する地質・地形です。

江戸時代後期以降、その特徴的な地形が形作る景観が名所図会などの出版物に取り上げられるようになり、歌川広重の『六十余州名所図会 下総銚子の濱外浦』にも描かれています。

屛風ヶ浦の遊歩道

イギリス、フランス間のドーバー海峡「ホワイトクリフ」に似ていることもあり、東洋のドーバーともいわれています。

今回は快晴の青空のもと、屏風ヶ浦の断崖と空は最高のコントラストで、まさに絶景を堪能することができました。また、この屛風ヶ浦付近はイルカウォッチング夕焼けスポットとしても有名です。

しかし、私は屛風ヶ浦の夕景もさることながら、銚子海洋研究所の宮内幸雄所長がおすすめする外川町の夕景を見てみたいと思いました。外川町の町並みは、碁盤の目のような坂道が何本もあり漁師町そのままの町並みです。散策するのも趣がありますが、海上から見る夕景はさぞかし美しい景観かと思われます。

今回の港町銚子を訪ねる日本遺産の旅では、従来の観光ルートを事前に知り得た「情報を確認していく旅」から脱却し、伝承を参考に旅をつづる感覚の必要性を感じました。

日本の渚百選にも選ばれた「君ヶ浜」

特に銚子のように空襲で焼けた町では、形ある文化財が昭和初期の缶詰工場跡であった西廣家住宅以外ほとんど残っていないので、物語ゆかりの地をめぐって旅するのではなく、土地に伝わる醤油産業や漁業に関する伝承の助けを借りて理解し、自分の生きてきた物語と比較する旅が好ましいのです。

千葉県の日本遺産 北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み

─佐倉・成田・佐原・銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群─

日本遺産ストーリー〔千葉県:佐倉市、成田市、佐原市、銚子市〕

北総地域は、百万都市江戸に隣接し、関東平野と豊かな漁場の太平洋を背景に、利根川東遷により発達した水運と江戸に続く街道を利用して江戸に東国の物産を供給し、江戸のくらしや経済を支えた。

こうした中、江戸文化を取り入れることにより、城下町の佐倉、成田山の門前町成田、利根水運の河岸、香取神宮の参道の起点の佐原、漁港・港町、そして磯巡りの観光客で賑わった銚子という4つの特色ある都市が発展した。

これら四都市では、江戸庶民も訪れた4種の町並みや風景が残り、今も東京近郊にありながら江戸情緒を体感することができる。

成田空港からも近いこれらの都市は、世界から一番近い「江戸」といえる。

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