樽廻船の下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷  | 【黒田尚嗣】平成芭蕉の旅物語

令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

樽廻船の下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷 

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

阪神「灘五郷」の日本遺産 「伊丹諸白」と「灘の生一本」

六甲山麓の清酒物語~「下り酒」が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷

2020年6月19日、文化庁が認定する日本遺産に、伊丹・尼崎・西宮・芦屋・神戸の5市が申請した「『伊丹諸白(もろはく)』と『灘の生一本(きいっぽん)』下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷」が選ばれました。

日本遺産は2015年に創設され、本年2020年が認定の最終年となり、全部で104件の日本遺産が誕生しましたが、日本酒をテーマとした日本遺産は今回が初となっています。

「下り酒」を入れた菰樽

清酒発祥の地は、約400年前に販売用の酒造りが始まった伊丹市と、室町時代に寺で作られた記録がある奈良市があり、両市とも昨年、日本遺産申請しましたが、ともに認定には至りませんでした。

最後のチャンスとなった今年は奈良市が「発祥のストーリーを補強できる歴史的な建物や遺物が少ない」と申請を見送るも、伊丹と灘五郷は、阪神間の独自性を出すために、江戸時代に使われた「下り酒」という新たなキーワードを追加したストーリーで再度チャレンジして、滑り込みで認定されたのです。

西宮市立郷土資料館の祝日本遺産認定パネル

すなわち、麹(こうじ)と掛米両方に精白米を惜しみなく使い、「伊丹諸白」と称賛された伊丹の酒と、その技術を導入して六甲山の伏流水「宮水」で造られた「灘の生一本」は、ともに上方から江戸に運ばれて「下り酒」と称賛され、清酒のスタンダードを築いたという物語です。

酒造りの天与の霊水、西宮郷の伏流水「宮水」

「宮水」と言えば、私は30代の頃、西宮市青年会議所に所属し、毎年、「にしのみや宮水まつり」に参加していました。この宮水まつりは毎年10 月の第1土曜日、その年に良いお酒ができることを祈願するため、宮水発祥の井戸から宮水を汲み、酒造関係者が雅楽を奏しながら、西宮神社まで練り歩き、西宮神社に水を奉納するお祭りです。

宮水は天保11年(1840年)(一説に天保8年)、山邑太左衛門(やまむらたざえもん)によって発見されたと言われており、幕末以後、昭和時代初期まで「播州米に宮水、丹波杜氏に六甲颪(ろっこうおろし)、男酒の灘の生一本」の名声をほしいままにするのに欠かせない原料とされていました。

宮水井に建つ宮水発祥之地碑

宮水井に建つ宮水発祥之地碑

一般的に清酒は、夏を越すと「火落ち」と呼ばれる現象が生じ、味が悪くなりますが、灘地方で生産されたものは「秋晴れ」という現象が生じて、味が一段と芳醇になると言われていました。そこに着目した山邑太左衛門が、西宮の酒だけが秋晴れする理由は水の違いにあると考えたのが宮水発見の発端で、発見当初は「西宮の水」と呼ばれていました。

「美味しいお酒は美味しいお水から」と言われますが、現在も酒造会社が、西宮市南部の久保町、鞍掛町、石在町そして東町にわたる約500メートル四方の地域にある浅井戸から汲み上げて酒造用水に使用しており、一部は生活用水としても利用されています。

「宮水」保全地区の井戸

「宮水」保全地区の井戸

西宮郷の日本遺産構成文化財を訪ねる

私は今回、日本遺産認定されたストーリーを確かめるために、西宮市立郷土資料館に教育委員会文化財課の東原学芸員を訪ね、詳細な資料をいただいた後、西宮郷・白鹿辰馬本家酒造の本蔵釜場遺構(白鹿記念酒造博物館)辰馬喜十郎住宅宮水発祥之地碑の立つ梅の木井戸の故地、今津燈台西宮神社、現存する最古の酒蔵「旧岡田家住宅・酒蔵」(伊丹市、国指定重要文化財)などの主要文化財を巡ってみました。

白鹿記念酒造博物館

中央図書館のある西宮市立郷土資料館(兵庫県西宮市川添町)では、日本遺産認定を記念し、関連する収蔵品や西宮ゆかりの文化財の魅力を伝えるパネル展示がされていました。特に江戸時代から明治時代初期に江戸まで酒を送った和船「樽廻船(たるかいせん)」の模型錦絵「新酒番船入津繁栄図」「樽船出帆図」などは興味深い展示でした。

「下り酒」を積んだ樽廻船の模型

「下り酒」を積んだ樽廻船の模型

私は早速、その樽廻船が出帆した今津港埠頭に建つ現役最古の木造航路標識である今津燈台に行ってみましたが、これは今津郷・「大関」醸造元、長部(おさべ)家五代目の長兵衛によって文化7(1810)年に建てられた灯明台が起源です。

今津燈台

当時、酒を積みだしていた今津燈台近くに立つと、郷土資料館で見た「新酒番船入津繁栄図」の光景がイメージできました。「新酒番船」とは、新酒を積載した樽廻船の江戸への着順を競う船のレース(番船)で、西宮で開催される清酒の祭りでは、この新酒番船を模したパレードが行われます。

樽船の出版絵図

樽船の出帆絵図

次に訪れた白鹿記念酒造博物館では、酒造りの職人、蔵人「丹波杜氏(とうじ)」が技を磨いた「灘の酒造道具 附 酒造用桶・樽づくり道具一式」だけでなく、旧辰馬本家酒造本蔵(現 酒蔵館)釜場遺構も日本遺産の構成文化財となりました。

白鹿辰馬本家酒造の釜揚遺構

白鹿辰馬本家酒造の釜揚遺構

また、見落としやすい記念館西側にある美しい旧辰馬喜十郎住宅も構成文化財で、これは神戸の英国領事館に似せて建てられた貴重な洋館です。

神戸の英国領事館に似せた辰馬喜十郎住宅

この付近を散策すると、辰馬家を代表とするこの地域の酒造家が、江戸積み酒造りで得た富を芸術や教育文化振興に注いだことが実感されます。

西宮の構成文化財散策

私は西宮JCで参加した宮水祭りで巡った、宮水発祥の地から西宮神社までのルートを再度歩いてみましたが、西宮神社境内に架かる「嘉永橋」「瑞寶橋」も構成文化財になったことを知り、改めて西宮神社が西宮郷の酒造家と関わりの深い神社であることが理解できました。

西宮郷酒屋中の西宮神社嘉永橋

一般的に西宮神社は福の神として崇敬され、日本におよそ3500社ある「えびす様」をまつる神社の総本社として知られていますが、付属の神社会館は西宮青年会議所の例会会場であったため、私にとっては所縁のある神社です。しかし、嘉永橋や瑞宝橋の価値はこれまで知らなかったので、今回は参拝の前に瑞宝橋手前より遙拝しました。

辰馬家奉納の瑞宝橋から西宮神社遙拝

清酒発祥の地、伊丹郷の旧岡田家住宅

江戸では上方と呼ばれた関西からの産物は「下り物」として好まれましたが、とりわけ酒は「下り酒」として歓迎されていたようです。上方の中でも伊丹は清酒発祥の地とされ、伊丹の酒は「伊丹諸白(もろはく)」と呼ばれて珍重されていました。

私は先日、島根県の尼子氏の居城であった月山富田城も訪ねましたが、伊丹の酒造りは、天正6年(1578年)、その尼子氏の家臣山中鹿介の長男「新六幸元(ゆきもと)」が遠縁を頼ってここ鴻池村に住みつき、酒造りを始めたと言われています。

清酒発祥の由来を解説したパネル

最初は濁り酒を造っていましたが、慶長5年(1600年)に双白(もろはく)澄酒(清酒)の製法に成功し、 この清酒を江戸へ運んで販売、次第に財を貯えていったのが豪商、鴻池家の起源で、伊丹市鴻池には平成12年、「清酒発祥の地」の碑が建てられています。

伊丹市鴻池の「清酒発祥の地」碑

また、近くの鴻池家発祥の地には鴻池児童遊園地があり、園内には中国の古代貨幣「布貨」の形をした砂岩製の「鴻池稲荷祠詩碑」が建てられていますが、碑文には鴻池家の初代が酒造りを始めた新六幸元であることなどが記されています。

鴻池財閥の「鴻池稲荷祠碑」

鴻池財閥の「鴻池稲荷祠碑」

清酒発祥の地を訪ねた後、私は伊丹市伊丹郷町館の中心施設で、わが国最古の酒蔵とされる「旧岡田家住宅 附棟札、釡屋洗い場、搾り場」と今はクラフトショップとなっている酒造りを営んでいた旧石橋家住宅も訪ねてみましたが、ともに伊丹市立美術館近くにありました。

日本最古の酒蔵「旧岡田家住宅」

旧岡田家住宅は伊丹の酒造家・松屋与兵衛によって1674(延宝2)年に建てられた兵庫県内最古の町家で、伊丹の酒づくりの歴史を記す文献や、酒を絞る際に支柱として用いられた大木「男柱」、釜場発掘の遺構など貴重な展示品を見ることができます。

旧岡田家住宅の釡場

旧石橋家住宅は、元は猪名野神社の門前通りに現存していた江戸時代後期の町屋で、商家の造りが良く保存されていたことから解体調査後にこの地に移築復元されたものです。

伊丹郷町館を形成する旧石橋家住宅

伊丹郷町館を形成する旧石橋家住宅

また、隣接する伊丹市立美術館では仙人と呼ばれた画家、熊谷守一の生誕140周年を記念する展示が行われていましたが、この伊丹も西宮同様に美術館や博物館の展示が充実しています。

伊丹市立美術館の庭園と旧石橋家住宅

これは当時の酒造家たちの文化へのまなざしが、今日の地域文化興隆に影響を与えているように感じました。

『伊丹諸白』と『灘の生一本』下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷」

日本遺産ストーリー 〔兵庫県:伊丹市・尼崎市・西宮市・芦屋市・神戸市〕

江戸時代、伊丹・西宮・灘の酒造家たちは、優れた技術、良質な米と水、酒輸送専用の樽廻船によって、「下り酒」と称賛された上質の酒を江戸へ届け、清酒のスタンダードを築きました。酒造家たちの技術革新への情熱は、伝統ある酒蔵としての矜持と進取の気風を生み、「阪神間」の文化を育みました。
 六甲山の風土と人に恵まれたこの地では、水を守り米を育てる人々、祭りに集う人々、酒の香漂う酒造地帯を訪れ、蔵開きを楽しむ人々が共にあり、400 年の伝統と革新の清酒が造られています。

 

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