令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 ”日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島ーよみがえる村上海賊の記憶ー

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日本遺産の地を旅する~「村上海賊」が活動した瀬戸内海の芸予諸島

瀬戸内海は島が多く、潮流が速い海の難所

愛媛県今治市と広島県尾道市の間に広がる芸予(げいよ)諸島は、風光明媚な瀬戸内海に位置し、サイクリストを魅了する「瀬戸内しまなみ海道」で有名ですが、戦国時代には「日本最大の海賊」と賞された村上海賊の拠点でもありました。

村上海賊の拠点「因島水軍城」

村上海賊は、理不尽に船を襲って金品を奪う無法者のパイレーツとは異なり、掟に従って海の平和を守っていました。この村上海賊が育んだ日本固有の海の文化は、世界でも類を見ない海事産業にもつながっていることから、2016年に「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」というストーリーが日本遺産に登録されました。

芸予諸島 - Wikipedia

芸予諸島 Wikipedia

瀬戸内海は、我が国で最も島の多い水域で、東西450km、海域面積23,203k㎡とも言われる海域に無人島も含めて727もの島が浮かんでいます。本州と四国、九州と紀伊半島に囲まれた内海に、これだけ多くの島があり、島に含まれない大きな岩などの障害物があると、船の航海では危険な場所が多く存在します。また、瀬戸内海は波のおだやかなときもあれば、一変して激しい潮流になることもあり、現在の「しまなみ海道(西瀬戸自動車道)」周辺流域は、潮流が速いので海難事故の多い航海の難所でした。

中でも鵜島(うしま)伯方島(はかたじま)の間の瀬戸は、潮流が渦巻く難所とされ、船が激しい潮流でへし折られてしまうことから船折(ふなおり)瀬戸と呼ばれています。

船折瀬戸の潮流

風光明媚な瀬戸内海は、鳴門海峡と紀淡海峡を通る紀伊水道(太平洋)、豊予(ほうよ)海峡と関門海峡を通る豊後水道(日本海)という2方向からの海流がぶつかりあう潮流の激しい内海です。そして瀬戸内海では1日に2回の干満があって、満潮時には紀伊水道と豊後水道からの海流がほぼ中央の広島県福山市の鞆の浦沖でぶつかり、逆に干潮時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出ています。

風待ち・潮待ちの鞆の浦

そのため、まだエンジンがなかった時代、船は風や潮流に乗って進み、潮流の流れの向きが変わるまで待つことを「潮待ち」と呼び、ちょうどよい風になるのを待つことを「風待ち」と言いますが、瀬戸内海には鞆の浦港を中心に赤間関(下関)尾道牛窓室津などの潮待ちの港が設けられていたのです。

村上水軍の船

芸予諸島に村上海賊の足跡を訪ねる

私は”日本最大の海賊”の拠点「芸予諸島」が日本遺産に認定されたのを契機に、そのストーリーを実体験すべく、愛車で尾道から今治まで、「しまなみ海道」を走り、村上海賊の城があった因島(いんのしま)・能島(のしま)・来島(くるしま)に加えて生口(いくち)島の向上寺大三島(おおみしま)の大山祇神社など、村上水軍ゆかりの地を訪ねてきました。

愛車VOLVOで「しまなみ海道」を走る

村上海賊は、芸予諸島の因島、能島、来島に本拠をおいた三家からなり、同じ村上姓を名乗る三家は強い同族意識のもと、それぞれの領内に多くの「海城」を築き、そこを拠点として活動していました。

村上海賊の三家

これら3つの島と周辺の島々は、現在では広島県と愛媛県に属するため、両県の旧国名である安芸国(あきのくに)伊予国(いよのくに)から一文字ずつ取って「芸予諸島」と呼ばれています。

因島村上氏は余崎城、青木城、長崎城、青陰城など、沿岸部に海城を築き、安芸・備後国の陸地部に沿った航路(安芸地乗り)を押さえていました。因島村上家の本拠地、因島にある「水軍資料館」には、因島村上家伝来の甲冑や刀などが展示されています。

因島の水軍資料館

能島村上氏は、干潮時に激しい潮流になることから天然の要塞と呼ばれた能島城を中心に、芸予諸島の中央を通過する最短航路(沖乗り)を抑えていました。。能島城周囲の岩礁地帯には、護岸や船を繋ぐための施設である無数の柱穴が残っています。

能島村上家の本拠地「能島城」

そして来島村上氏は、要塞化された島全体を城郭とした来島城を中心に、四国側の航路(伊予地乗り)を押さえ、三家が連携をして芸予諸島の全域を掌握していました。要塞化された海城には海賊たちが住み込み、海戦に備える一方で、能島城や来島城などは、その対岸に「水場」と呼ばれる海城に水や物資を供給する場を作り、そこを城下町のごとく生活の場としていました。

要塞化された来島城

航路に面した前線の活動基地である「海城」と、その対岸にある集落が一体となって、村上海賊の本拠地が形成されていたのです。この南北に連なる芸予諸島の地の利を最大限に活かし、「海城」を航路の要衝に配置することで「海の関所」を作り、瀬戸内海の東西交通を支配したのです。

こうして村上海賊は、海上での戦いや輸送などで活躍し、有力大名と手を結んで勢力を伸ばし、瀬戸内海を通行する船は、大名でも商人でも村上海賊の掟に従うことで安全に航海することができました。「日本最大の海賊」と書き残したキリスト教宣教師のルイス・フロイスも、瀬戸内海航行時に村上水軍から「過所船旗」と呼ばれる通行許可証を渡されたと記録しています。

「日本最大の海賊」村上海賊

村上海賊が残した芸予諸島のさまざまな遺産

このようにして村上海賊は、他の海賊や航海の難所から船を守り、代わりに通行料を取っていましたが、村上海賊は瀬戸内海の漁業者でもあったので、瀬戸内海の魚介類を豪快に食する「法楽焼」や海賊たちが船上で食べた「水軍鍋」などの郷土料理が伝わっています。「法楽焼」は村上海賊の武器であった火薬の玉「ほうろく」にちなんだ料理で、戦勝祝いに食べたと言われています。

法楽焼

また、実際に海上で戦う軍隊でもあったので、後に「水軍」とも呼ばれますが、村上海賊が活躍した代表的な海戦としては、村上三家が連携をして織田信長方の船団に勝利をおさめた第一次木津川口合戦があります。この合戦で海賊の力を知った信長や秀吉は、海賊を味方につけ瀬戸内海の制海権を握るべく、懐柔作戦を展開しました。しかし、1588年に天下統一を成し遂げる秀吉が海賊停止令を出したため、村上海賊から自由な海が奪われてしまいました。

しまなみ海道と村上海賊の拠点

これら村上水軍の本拠地としての名を馳せた島々には、中世遺跡群が観光の名所にもなっており、今でも島固有の文化や生活習慣も残っています。

例えば、武者姿で跳ぶように踊る「椋浦(むくのうら)の法楽踊り」は、村上海賊が、出陣の時は椋浦で戦いの勝利と隊士の安全を祈り、帰陣の際は勝利
を祝うとともに戦没者の追悼を行ったとされる「法楽おどり」が起源で、現在でも続いている伝統芸能です。

椋浦(むくのうら)の法楽踊り

また、因島では武将が登場する「島まつり」、松明が練り歩く「火まつり」、舟の小早レースで盛り上がる「海まつり」の3部で構成される「因島水軍まつり」が行われています。

瀬戸内海の航海文化と信仰

因島にある標高226メートルの白滝山は、もともと修験者の修行の場でしたが、因島村上氏の村上吉充が青木城を築いたとき、この山を控えの要害として設定して観音堂を造営しました。

白滝山(五百羅漢)

江戸時代には、柏原伝六と弟子によって700体ほどの石仏が造られ、五百羅漢として信仰されていますが、一体ずつ顔が異なる石仏が 700 体ほどあり、山頂の展望台からは360度、瀬戸内の大パノラマも楽しめます。

特におすすめは、生口(いくち)島の向上寺(こうおんじ)三重塔です。生口島の北西端に位置する瀬戸田の丘に、瀬戸田水道を見守るように建つ向上寺三重塔は、室町時代中期の建造で、各所に見られる華麗な彫刻は極めて地域性の高いユニークなものであり、禅宗寺院に残る貴重な塔婆の遺構として国宝に指定されています。

国宝の向上寺三重塔

また、村上海賊が本拠を置いた芸予諸島の多島美を象徴する景観が残る大三島(おおみしま)には、名高い武将らが奉納した武器・武具の銘品が収蔵された宝物館のある大山祇神社が鎮座します。村上海賊は、御神木の大楠がそびえる大山祇神社を氏神として崇め、武運や海上交通の安全を祈ったと言われています。

大山祇神社の御神木

「大山祇神社法楽連歌」の連衆の中には村上海賊の武将たちの名も見えることから、海賊の高い教養や文化力も知ることができます。海賊たちは大山祇神社で自らの思いを詠み連ね、武運を祈ってそれを奉納していたのです。

村上海賊が信仰した大山祇神社

さまざまな顔をもちながら、瀬戸内海の潮を読み、芸予諸島近海の複雑な地形と航路を知り尽くしていた村上海賊は、まさに日本最大で偉大な海賊だったと思います。その村上海賊の魂は、城跡等のゆかりの地に残るだけでなく、今日まで継承されている郷土料理や伝統的な祭り、そしてこの地域の造船業や海運業にも受け継がれているようです。

向上寺三重塔と瀬戸内海

“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶- 

日本遺産のストーリー  所在自治体〔愛媛県:今治市、広島県:尾道市〕

戦国時代、宣教師ルイス・フロイスをして“日本最大の海賊”と言わしめた「村上海賊」“MurakamiKAIZOKU”。

理不尽に船を襲い、金品を略奪する「海賊」(パイレーツ)とは対照的に、村上海賊は掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支える海上活動を生業とした。その本拠地「芸予諸島」には、活動拠点として築いた「海城」群など、海賊たちの記憶が色濃く残っている。

尾道・今治をつなぐ芸予諸島をゆけば、急流が渦巻くこの地の利を活かし、中世の瀬戸内海航路を支配した村上海賊の生きた姿を現代において体感できる。

主な構成文化財

大三島(今治市)、来島城跡(今治市)、能島城跡(今治市)、今治城跡(今治市)、因島村上家伝来資料群(尾道市)、能島村上家伝来資料群(今治市)、白滝山〔五百羅漢像〕(尾道市)、大山祇神社の文化財(今治市)、椋浦(むくのうら)の法楽おどり(尾道市)、向上寺三重塔など

『旅行読売』12月号「日本遺産のミカタ」

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
 ②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅 
 ④『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅 

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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