令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 「山陰の小京都」津和野今昔~百景図を歩く~

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日本遺産を旅する 「百景図」で知られる森鴎外の故郷、津和野を訪ねる

 風光明媚な石見地域「山陰の小京都」津和野

山陰本線を出雲市から浜田市、そして益田市に向かって走る列車の車窓に映る風景は素晴らしいの一語につきます。この石見地域一帯の海岸は山が海に押し出していて砂浜、奇岩、岬と風景は目まぐるしく展開します。

山口線の列車旅

しかし、益田平野に入ると風景は一変し、高津川畔から望む山々の色は日本海の景色とは違った穏やかな解放感を感じさせてくれます。益田市柿本人麻呂雪舟を偲ぶロマンの街ですが、益田市から山口線で訪ねる島根県の最西端の津和野町も文豪森鴎外の出身地であり、「津和野百景図」で知られるように歴史ある街で「山陰の小京都」とも呼ばれています。

津和野の日本遺産「津和野今昔」

津和野は、益田平野を流れる美しい高津川水系に沿って町が形成され、青野山や城山など周囲を山々に囲まれた盆地に城下町が発展し、その歴史的なストーリーは「津和野今昔~百景図を歩く~」として日本遺産に登録されています。

津和野町の日本遺産ロゴ

津和野に本格的な城下町が造られたのは、関ヶ原の戦いの後に城主となった坂崎出羽守直盛(さかざきでわのかみなおもり)が整備を開始してからで、それを次の城主・亀井家が、産業の開発や人材の育成に力を注いで城下町も発展させました。

「津和野百景図」観光と津和野町の日本遺産ストーリー

津和野藩は江戸時代には、代々絵師を抱えて四季折々の津和野の名所や風習・風俗を襖絵や額などに描かせ、津和野の伝統文化である煎茶とともに藩士や津和野を訪れた人々をもてなしたと言われています。

津和野の街並み

明治維新の後、藩主の亀井家は津和野を離れますが、帰郷した際、まちの旦那衆を招いてお茶でもてなしていました。その茶席で紹介されていたのが藩の御数奇屋番であった栗本里治が描いた「津和野百景図」です。

津和野百景図

栗本里治は藩主の側で茶礼を扱う仕事の傍ら、藩内の名所や風俗・食文化等をスケッチし、14代当主亀井茲常(これつね)の依頼を受けてから3年8ヶ月の歳月をかけて100枚の絵を描き、それらに詳細な解説を加えて「津和野百景図」としてまとめたのです。

津和野百景図「永明寺」の解説板

百景図に描かれた風景は、明治の啓蒙思想家西周(あまね)や、明治の文豪森鷗外が藩校「養老館」に通っていた時代のもので、もてなされた旦那衆は、生き生きと描かれた幕末の津和野の風景に目を見張り、「この美しい津和野を守っていこう」と近代化を受け入れつつも、美しい街並みを守ったのです。

津和野の藩校「養老館」

津和野町は中心地の伝統的な殿町通りの街並みと水路を泳ぐ鯉が有名ですが、おすすめの見どころは藩校の養老館や吉見氏が創建し、森鷗外や亀井氏の家臣の墓がある永明寺(ようめいじ)と1773年に亀井氏が創建した日本五大稲荷のひとつに数えられる太皷谷稲成(たいこだにいなり)神社です。

永明寺にある森鴎外(森林太郎)の墓

また、1868年、長崎から連行されてきた隠れキリシタン153名が境内に収容され、棄教をするよう拷問を受けた光琳寺(こうりんじ)跡に立つ乙女峠マリア聖堂など歴史的な建造物も残っています。

乙女峠マリア聖堂

この美しい街の景観をストーリーで楽しむために、私は津和野本町通りにある「津和野町日本遺産センター」を訪れ、それから津和野の名所を巡ってみました。ここでは「津和野百景図(複製)」がすべて展示されており、約150年前の津和野の様子を知ることができるだけでなく、ストーリーも「四季」「自然」「歴史文化」「食」というテーマで紹介されています。

津和野町日本遺産センター

入口のロゴは、津和野の風景を描いた「津和野百景図」の百の文字を母体とし、津和野城下町のシンボル秀峰青野山と今日も清流の恵みをもたらしてくれる高津川の2つのモチーフを重ね合わせたものです。

百景図の絵を解く「四季」4つの手がかり

1.「春」…春を告げる流鏑馬神事と太鼓谷稲荷の春季大祭

「百景図」に描かれた鷲原八幡宮

桜のつぼみがほころぶ4月になると、鷲原(わしばら)八幡宮では恒例の流鏑馬(やぶさめ)神事が行われ、津和野春の訪れを告げてくれます。やがて棚田に水が満たされ、田植えが始まりますが、5月に田植えが終わると豊作を祈願する太皷谷稲成神社の春季大祭が行われ、津和野町は多くの参拝者で賑わいます。

太鼓谷稲成神社

2.「夏」…古式ゆかしい鷺舞(さぎまい)と亡き人の魂を慰める津和野盆踊り

6月になると高津川に鮎が遡上し、殿町通りでは花しょうぶが咲き乱れます。弥栄(やさか)神社では輪くぐり神事が行われて夏が始まりますが、7月下旬には疫病除けを祈願する祇園祭の鷺舞(さぎまい)が街中で繰り広げられます。お盆になると個人を偲んで、黒の覆面に長袖浴衣の中世から続く津和野盆踊りが夏の風物詩です。

弥栄神社の鷺舞像

3.「秋」…実りの秋と寒暖の差が生む美しい秋

虫の音が聞こえ始めると町内各地で石見神楽奴道中(やっこどうちゅう)が行われ、稲成神社では秋の収穫を祝います。津和野は盆地特有の寒暖の差が激しく、晩秋の早朝は霧に包まれますが、紅葉は美しく、とりわけ永明寺(ようめいじ)、鷲原八幡宮はお勧めです。

鷲原八幡宮の紅葉

4.「冬」…神々に感謝し、人々と祝う新しい年

津和野の山間部に降り積もる雪はすべてを覆いつくしますが、澄んだ夜空には星が美しく輝きます。大晦日の夜、除夜の鐘が鳴り、信念を迎えると地域では春神楽が行われ、新年を迎えたことを神に感謝するために初詣にでかけます。

百景図の絵を解く「自然」5つの手がかり

1.津和野の人々の心を支える青野山

青野山は別名「妹山(いもやま)」とも呼ばれ、百景図でも数多く描かれているふるさとの象徴です。昔から絵や和歌の題材とされ、日本海で漁をする人は方角の目印にしたと言われています。

津和野城址と青野山

2.優美な青野山は、火の山でおいしさの母です

青野山はトロイデ式火山で、地下から湧き出る水が飲料水や酒造り・米作りの水として人々の生活を潤しただけでなく、麓の火山灰土壌はこの地方特有の粘り気のある里芋を育ててきました。

3.山岳信仰の安蔵寺山と語り継がれる伝説

安蔵寺山は古来、山岳信仰の山として尊ばれ、「雪に閉ざされた安蔵寺で、餓死寸前のお坊さんが鹿に姿を変えた観音様に救われた」という伝説も残っています。

安蔵寺山頂

4.日本一の清流 高津川

高津川は日本の一級河川としては唯一ダムがなく、水質日本一に何度も選ばれている清流です。夏になると多くの鮎が遡上し、また百景図には城下町の物流を支えた水路としても描かれています。

津和野を流れる高津川

5.歴史を見守る大杉

鷲原愛宕神社の大杉は樹齢千年を超えると言われ、周囲を囲むには大人8人が必要です。また、百景図には夏の夜に鳴くホトトギスや乱舞する蛍などの自然も数多く描かれています。

鷲原愛宕神社の一本杉

百景図の絵を解く「歴史文化」5つの手がかり

1.宝は山に 津和野藩を潤した鉱山

森林が多くを占める津和野ですが、笹ヶ谷(ささがたに)日原(にちはら)は、中世以来、良質の銀や銅を産出し、堀氏藤井氏は銅山師として活躍して津和野藩を支援しました。

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銅山王堀氏の庭園

2.「たたら」や暮らしを支えた山の恵み

津和野藩は山では「たたら」製鉄に力をいれていました。また明治以降は、日原に営林署が置かれ、林業や水力発電所によって地域は大いに潤い、豊かな森林資源を守る営みは今日も継続されています。

3.天に至る棚田 先人の汗する姿が見えてくる

山が多く、平地が少ない津和野では、山間の狭い土地を棚田に変え、道沿いにはコウゾやミツマタを植え、それを原料として和紙を生産、年貢米の代わりに和紙を納めてきました。

津和野の棚田(大井谷)

4.受け継がれてきた行事、町屋、住まい方

城下町の津和野には神社・仏閣が多く、様々な行事が行われてきましたが、それらの多くは今日まで受け継がれており、伝統的な町屋の建物も残されています。

津和野の町屋

5.人々や物資を運んだ街道と舟運

津和野藩には浜田藩領をはさんで飛び地があり、日原の枕瀬から川を渡ってその飛地へ延びる「津和野奥筋往還」と呼ばれる重要な街道がありました。この枕瀬は奥筋往還と高津川の合流点にあり、水陸両方の交通の要衝で、明治以降は木材の集積地として発展しました。

百景図の絵を解く「食文化」4つの手がかり

1.多様な食材を育む地形と津和野の四季

津和野はかつて海に面しており、山の幸や高津川の幸だけでなく、「七浦めぐって魚がなけりゃ、残金もって津和野にござれ」と詠われるほど、海の幸も豊富でした。

津和野百景図 海 に対する画像結果

津和野百景図に描かれた海

2.四季折々の山の幸を楽しむ

百景図には様々な食材や鷲原八幡宮での重箱を広げての花見など、食の場面も描かれています。しかし、津和野はお茶どころとしても知られ、良質のお茶は煎茶文化も花開かせました。

津和野百景図 里芋 に対する画像結果

津和野百景図に描かれた花見

3.あぶり鯛のだしで作る極上の芋煮

青野山の火山灰土で育った里芋をあぶった鯛と一緒に煮込み、特産の柚子をのせて食べる芋煮は極上の味わいで、松林山(しょうりんさん)天満宮社殿の板絵にその様子が描かれています。

4.高津川の宝 香魚(あゆ)

百景図には「左鐙(さぶみ)の香魚」として、日原地区佐鐙の高津川を泳ぐ鮎が描かれています。高津川流域では、正月の祝い膳に干し鮎のだしで作った雑煮は欠かせず、この地ならではの鮎料理は今も受け継がれています。

津和野の鮎弁当

「津和野今昔~百景図を歩く~」の楽しみ方と森鴎外の遺言

しかし、日本遺産「津和野今昔~百景図を歩く~」の楽しみ方は、「津和野百景図」と現在の文化財を対比するだけではありません。

「人々が受け継いできた伝統や慣習」「良きものを上手に今に活かす知恵」「未来に引き継ごうとする意思」など、ここに暮らす人も「日本遺産」の構成要素です。

西周の「旧居」

そこで、私は約4万石の小藩が激動の幕末・明治を生き抜いた秘密を探るべく、郷土史家の山岡浩二さんの案内で武でなく文で活躍した森鴎外の「旧宅」と徳川慶喜の側近として活躍した明治の啓蒙思想家西周の「旧居」を訪ねました。

郷土史家の山岡浩二さん

森鴎外の「旧宅」は間違いなく生家ですが、現存する西周邸は生家ではなく、4歳頃に現在の「旧居」に移ったと言われています。1995年には、旧宅の隣接地に津和野町立森鴎外記念館が設立され、今では旧宅は展示物のひとつとして位置づけられています。

森鴎外旧宅

森鷗外は1862年、津和野藩に仕える医師を務める森家に生まれ、10歳のときの廃藩置県をきっかけに父とともに上京、東大医科卒業後に陸軍軍医となり、ドイツへ留学し、軍医のトップとして活躍しながら小説家としても『舞姫』『阿部一族』等を発表し、高い評価を得ています。

森鴎外記念館脇の森鴎外像

2022年は森鴎外没後100周年に当たりますが、私は「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」と遺言に鴎外の生き様を感じました。

森鴎外(森林太郎)の遺言

すなわち、鴎外は47歳の時に「過去の生活は食ってしまった飯のやうなものである」と書いており、自分の故郷を「食ってしまった飯」と捉えて帰らなかったと言われていますが、私には遺言の言葉から「故郷は自分の大切な場所だった」と照れ隠し気味に言っているように感じました。

津和野町庁舎にて

津和野今昔 ~百景図を歩く~

所在自治体〔島根県:津和野町〕地域型

幕末の津和野藩の風景等を記録した「津和野百景図」には、藩内の名所、自然、伝統芸能、風俗、人情などの絵画と解説が100枚描かれている。

明治以降、不断の努力によって町民は多くの開発から街を守るとともに、新しい時代の風潮に流されることなく古き良き伝統を継承してきた。

百景図に描かれた当時の様子と現在の様子を対比させつつ往時の息吹が体験できる稀有な城下町である。

本町・殿町の津和野百景図

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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