令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 香取市「北総四都市江戸紀行~商家の町 佐原」伊能忠敬の町

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日本遺産の地を旅する~世界から一番近い「江戸」佐原は水郷地帯の商家の町

江戸のように栄えた町は小江戸(こえど)と呼ばれ、代表例としては小江戸三市川越栃木佐原(さわら)があります。中でも千葉県香取市の佐原は、「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸優り」と唄われた商家の町で、佐倉、成田、銚子と共に北総四都市として日本遺産に登録されています。

小江戸と呼ばれた佐原の街並み

江戸時代の佐原は、海難事故の多かった房総沖を避けて、銚子から利根川を遡(さかのぼ)って江戸に至る主要水運の拠点として栄え、下利根随一の河港商業都市だったのです。また、香取神宮参道の起点として参拝客でも賑わい、地域文化も活性し、伊能忠敬をはじめとする多くの文化人を輩出しています。

風情のある佐原駅舎

風情のある佐原駅舎

佐原は2006年までは佐原市でしたが、香取郡栗源町、小見川町、山田町と合併し、現在は香取市として、市域は水の郷百選、水郷地帯は水郷筑波国定公園、佐原の町並みは平成百景・重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

佐原は水郷佐原あやめパークの「あやめ祭り」や日本ウォーキング協会のイベントでも訪れていますが、今回は香取市生活経済部商工観光課の永長(ながおさ)主事高岡さんに市内の主要な日本遺産構成文化財をご案内いただきました。

香取神宮の一の鳥居「津宮鳥居」

香取市と言えば、東国三社の一つ「香取神宮」で知られていますが、北部には利根川が流れており、利根川に面して立つ、香取神宮の一の鳥居「津宮鳥居」河岸には、燈台の役目を果たした常夜灯や、与謝野晶子の歌碑が建っており、水郷の風情がただよっています。また、対岸には東洋のパナマ運河と呼ばれる横利根閘門もあり、まさに「水の郷」です。

津宮河岸の常夜灯

佐原の小江戸めぐり~伊能忠敬旧宅と小野川の樋(とよ)橋

佐原(さわら)という地名は、この地で香取神宮の神官が祭典の際に使用する土器の「浅原(さわら)」を造っていたことに由来するそうです。

私たちはまず舟運で栄えた商都の面影を残す、小野川沿いの商家が立ち並ぶ重要伝統的建造物群保存地区を見学しました。当時の大動脈であった香取街道と小野川沿いには、今も江戸、明治、大正、昭和の町屋や土蔵、そして珍しい洋館も残っていました。

小野川沿いに残る洋館

しかも、この地は小学生の通学路になっており、また、昔からの稼業を受け継いでいる商家も残っていて、歴史的町並みであるだけでなく、今も生きている街並みです。また、小野川ほど短い区間で曲がりくねった川も全国的に珍しいとされています。

曲がりくねった小野川

この歴史的商家が立ち並ぶ小野川沿いには、科学的な全国測量を行い、わが国最初の実測日本地図「大日本沿海輿地全図」を作成した伊能忠敬が住んだ旧宅も現存しています。そして、国宝に指定された「伊能忠敬関係資料」は小野川の対岸にある伊能忠敬記念館に展示されています。

伊能忠敬が住んだ旧宅

伊能忠敬の旧宅は小野川に面して店舗、炊事場、書院そして土蔵が残っていますが、店舗正門は忠敬が婿養子に入る以前の建物です。

伊能忠敬旧宅の正門

伊能忠敬は九十九里浜の網元である小関家の生まれで、17歳のときにこの地の商家であった伊能家に婿入りし、49歳で隠居するまで、商才を発揮して伊能家に多大な資産を残したと言われています。

伊能忠敬旧宅庭の伊能忠敬先生像

伊能忠敬旧宅庭の伊能忠敬先生像

息子に家督を譲って隠居してからは、江戸の深川に隠宅を構え、幕府天文方(現在の国立天文台長に相当)高橋至時(よしとき)の門弟となり、天文学を本格的に学びました。本格的に天文学を学ぶうちに、地球の大きさを知りたいと思うようになった彼は、子午線1度の長さを求めるために、蝦夷地(北海道)まで赴いたと言われています。

伊能忠敬の測量器具

伊能忠敬の測量器具

蝦夷地と言えば、私の敬愛する北海道の命名者、松浦武四郎も蝦夷地を開拓した人物で、伊能忠敬同様に日本全国を探査しています。しかし、地球の大きさを知るために全国測量を始めたというのはすごい発想で、まさに「天を測り地を量る」という一種の芸術だと思います。

伊能家旧宅の日本遺産登録説明

伊能家旧宅の日本遺産登録説明

伊能忠敬旧宅前の小野川にかかる樋橋(とよはし)は、もともとは人を渡すためのものではなく、江戸時代初期につくられた佐原村用水を、小野川の東岸から西岸の水田に送るための大樋でした。現在のコンクリートの橋になってからも橋の下側につけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てるので、「じゃあじゃあ橋」の通称で親しまれています。

小野川に架かる樋橋(じゃあじゃあ橋)

私たちも記念館を見学する前に、この「残したい日本の音風景100選」に選ばれている「じゃあじゃあ橋」の音で昔に想いを馳せてみました。

伊能忠敬記念館は国宝の伊能図測量器具だけでなく、伊能図を持ち出して海外に日本の正確な姿を紹介したシーボルトに関する展示もあり、とても興味深い展示内容です。

伊能図を展示する伊能忠敬記念館

この記念館を見学するとやはり伊能忠敬や彼の師である高橋至時、そしてシーボルト事件に関わった高橋景保(至時の子)が眠る浅草の源空寺にお参りしたくなります。

歴史地区散策のしめくくりとしては、さわら町屋館内にある「佐原屋 高谷不動産プランニング」高谷正弘代表に佐原の魅力を語っていただき、小野川沿いもご案内していただきましたが、小野川護岸の「銚子石」や屋敷内の線路など、案内人なしには気がつかない佐原の遺産も発見できました。

さわら町屋館の高谷さん

さわら町屋館の高谷さん

そして、この街は今なお地元民の日常生活に溶け込み、私たちのような来訪客の『観光』と地元民の『生活』が融合する稀有な町並みであることが理解できてとても感銘を受けました。

「観光」と「生活」が融合する街並み

小野川周辺の商家町には、話題のお店や、史跡・旧跡が歩ける距離に集まっていますが、昼食はこの佐原の商屋町をホテルとしたNIPPONIAのレストランでとることにしました。

NIPPONIAでの昼食

フランス料理のコースメニューを選択しましたが、地元の旬な食材を丁寧に調理した料理は、目にも舌にも美味しい品々でした。また、場所も水辺環境と江戸期の面影を今に伝える風情ある商家「中村屋商店」(千葉県有形文化財)の2階で、時の流れを忘れ、落ち着いたひとときを味わえます。

食事場所の中村屋商店

昼食後は、大吟醸「叶」や佐原の銘酒「東薫」で知られる東薫酒造に立ち寄った後、試飲はせずに香取神宮に参拝しました。

香取神宮とユネスコ無形文化遺産の「佐原の大祭」

香取神宮下総国一の宮で、常陸国一の宮の鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と古来深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称されてきました。

下総国の一の宮「香取神宮」

古代の関東東部には、現在の霞ヶ浦・印旛沼・手賀沼を含む一帯に「香取海(かとりのうみ)」という内海が広がっており、「鹿島・香取」両神宮はその入り口となる重要地に鎮座し、ヤマト政権による蝦夷進出の拠点であったと考えられています。

利根川と香取の海

測量目的で蝦夷地へ向かった伊能忠敬もこの香取神宮のご加護があったのではないでしょうか。

主祭神は日本神話で大国主の国譲りの際に活躍した経津主神(フツヌシ)で、朝廷からは蝦夷に対する平定神として、また藤原氏からは氏神の一社として崇敬されていました。

経津主神(フツヌシ)を祀る本殿

通常のツアーではご神木や地震を起こすナマズを抑えた「要石」はご案内しても、奥宮には参拝しないので、今回はコロナ退散を祈念して奥宮も参拝しました。奥宮の社殿は1973年の伊勢神宮御遷宮の折の古材が使われています。

「パワースポット」香取神宮の奥宮

また、佐原と言えばユネスコ無形文化遺産にも登録されている「佐原の大祭」も江戸優りの象徴です。私の生まれ故郷である三重県伊賀上野の天神祭も9基の山鉾に似たダンジリが巡行するユネスコの無形文化遺産ですが、佐原の大祭では夏に山車(だし)10台、秋にはなんと14台の山車が曳かれます。

佐原の大祭での山車飾り

そこで、その香取神宮参拝の後、大人形山車の実物が展示されている水郷佐原山車会館も見学させていただきました。会館で上映されている「佐原の大祭」ビデオでは、夏の八坂神社祇園祭と秋の諏訪神社秋祭が佐原囃子とともに紹介されていましたが、私も幼少の頃、天神祭のダンジリに乗っていたので、とても懐かしく感じると同時に早くコロナ騒ぎが収束して、祭りが復活して欲しいと思いました。

夏祭りの八坂神社

最後は川崎、西新井とともに日本三大厄除大師の一つである紅葉の名所、観福寺にお参りしましたが、この寺の墓域にも伊能忠敬のお墓があります。

日本厄除三大師の観福寺

日本厄除三大師の観福寺

紀州の広川と銚子で防災や防疫に尽力した濱口梧陵と同様に、伊能忠敬も飢饉や凶作で村が困窮した際、私財を投げうって郷土の人々を救い、利根川の堤防修築などの普請事業にも心血を注いでいます。

私は今回、日本遺産の視察で銚子と佐原を巡りましたが、やはり深い郷土愛と使命感をもって郷土のために尽くした人のストーリーが、「時の流れの忘れ物」のように心に残りました。

千葉県の日本遺産 北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み

─佐倉・成田・佐原・銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群─

所在自治体〔千葉県:佐倉市、成田市、佐原市、銚子市〕

北総地域は、百万都市江戸に隣接し、関東平野と豊かな漁場の太平洋を背景に、利根川東遷により発達した水運と江戸に続く街道を利用して江戸に東国の物産を供給し、江戸のくらしや経済を支えた。

こうした中、江戸文化を取り入れることにより、城下町の佐倉、成田山の門前町成田、利根水運の河岸、香取神宮の参道の起点の佐原、漁港・港町、そして磯巡りの観光客で賑わった銚子という4つの特色ある都市が発展した。

これら四都市では、江戸庶民も訪れた4種の町並みや風景が残り、今も東京近郊にありながら江戸情緒を体感することができる。

成田空港からも近いこれらの都市は、世界から一番近い「江戸」といえる。

一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定

私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会

平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える

「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。

そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

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