日本文化の源流新潟へ〜「火焔型土器」に出会う旅
「環境は人本来の姿を自身に明らかにするものである」と言われますが、今日の先の見えない環境は、縄文人のように人間本来の姿を見つめ直す良い機会かと思います。また、今年はオリンピックの年ですが、縄文時代を代表する火焔型土器を聖火台にし、日本文化の意志を国際舞台に発信するという企画もあったと聞いています。
そこで私は日本遺産にも認定されている「信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化」に触れる目的で、緊急事態宣言が解除される4月以降に“日本文化の源流新潟へ「火焔型土器」に出会う旅”を企画しました。
新潟「越」の国と言えば、「火焔型土器」だけでなく、接合・接着の原点とでもいえる古代の「アスファルト」も産出し、交易品として日本 海沿岸で広く使われていたと言われています。また、新津油田発祥の地、油井は「煮坪(にえつぼ)」と呼ばれ、柄目木の土火(天然ガス)とともに「越後七不思議」の一つに数えられ、多くの旅人が訪れ驚嘆する名所にもなっています。
<歴史への旅>『黒田ナビゲーター同行 日本文化の源流新潟へ 「火焔型土器」に出会う 2日間』
温暖な気候に恵まれ、四季の移り変わりがはっきりとした日本列島では、約16,000年前から約2,500年前までの間、狩猟・採集と定住生活を特徴とする縄文時代が続きました。
新潟県三条市下田(しただ)郷には、信濃川の支流「五十嵐川(いからしがわ)」の河岸段丘上に、その縄文時代の代表的な長野遺跡(長野)、藤平遺跡(荻堀)があり、多くの出土品から下田郷の歴史と当時の縄文人の営みを知ることができます。
五十嵐川流域は、「五十嵐」という地名の語源である「五風十雨」、すなわち5日おきに風が吹き、10日おきに雨が降るという気候が穏やかで、人が住むには適した土地柄であったと考えられています。
そして五十嵐川、守門川、駒出川の3河川の合流地点に位置し、200メートルの岩肌がそびえる八木ヶ鼻の絶景が見渡せる縄文時代中期の大集落、長野遺跡では、竪穴住居址や土坑などの遺構が確認され、火焔型土器と王冠型土器を代表とする縄文土器、石器類、土偶、「大珠(たいしゅ)」と呼ばれるヒスイの首飾りなど貴重な品が出土しています。
ヒスイの主な原産地は糸魚川市で、この遺跡にもたらされた背景には、人や物を介した交流が伺えます。断崖絶壁がそびえ立つ八木ヶ鼻はランドマークになっていますが、縄文時代の岩陰遺跡があり、壁面には海水由来の化石水からできた岩塩も採れるため、人や動物が集まってきていたと考えられます。
また、縄文時代晩期の藤平遺跡からは、朱が塗られた土器も出土していますが、これらは長野遺跡出土品とともに「三条市下田郷資料館」に展示されています。
下田郷資料館の資料によると、これらの下田郷から出土した土器には会津の土器との共通性があり、この辺りは古くから「八十里越」を通じて会津と交流があったことを示しているそうです。
縄文時代の代名詞となった火焔土器は新潟県内の信濃川流域を中心に発見されており、今回は、「火焔の国越後新潟」の縄文文化をより詳しく知る目的で「新潟県立歴史博物館」を訪ねます。
この博物館では新潟県の歴史・文化を紹介する歴史展示室と「縄文人の世界・縄文文化を探る」をテーマとした縄文展示室に分かれています。
縄文展示室では火焔型土器約90個体と火焔型土器製作段階の模型、縄文土器につけられた文様サンプル162種を見ることができるほか、狩猟採集生活を営んでいた縄文人の四季折々に暮らしていた様子が再現されており、縄文人になった気分が味わえます。
火焔型土器を見て「なんだ,コレは!」と叫んだ岡本太郎
今日では縄文美術の傑作とされる火焔型土器ですが、1936年に最初の火焔土器が新潟県長岡市で発見された当時は、美術品としては扱われていませんでした。しかし、この流れを変えたのが、大阪万博のモニュメント「太陽の塔」や「芸術は爆発だ」の発言で知られる岡本太郎です。
パリで文化人類学を学んでいた岡本太郎は、1951年、東京国立博物館で火焔型土器と出会った際、その造形に度肝を抜かれ、「四次元との対話―縄文土器論」という論文を発表し、これを期に日本美術史は縄文時代から語られるようになりました。
「なんだ,コレは!」と美術的な側面から火焔型土器の価値を見出し、世に広めた岡本太郎ですが、彼はこの異様な形と文様からは、「燃え立つ炎のイメージ」ではなく、「深海のイメージ」を想起したと言われています。
私は岡本太郎がなぜこの土器から深海をイメージしたのかを確かめるために、馬高遺跡出土の「火焔土器」で有名な「馬高縄文館」で火焔型土器をじっくり観察しました。
すると4つの短冊形突起を持つ王冠型土器は、『鶏頭冠(土器上部にあるギザギザの取手部分)』が4つあるので4面構成と思いきや、下の胴体部分の逆U字状の文様は1面だけ少ないことなどがわかりました。しかし、これらの土器の渦巻文から海原のうねりや渦潮は連想できましたが、岡本太郎の想起した深海のイメージは浮かびませんでした。
馬高縄文館の火焔土器ミュージアムは、火焔土器の発見地「馬高遺跡」と「三十稲場遺跡」に関する資料が紹介されており、馬高遺跡で最初に発見された「火焔土器」の実物が展示されています。そして縄文ファンにとっては有難いことに、この本物と同じ大きさと重さのレプリカを実際に触れることができます。
馬高遺跡と三十稲場遺跡は、それぞれ縄文時代中期(約5500年前~4500年前)、後期(約4500年前~3200年前)に栄えた集落で、信濃川左岸の河岸段丘上の東側に馬高、西側に三十稲葉と別れて立地しています。いずれの遺跡も多数の住居址や炉址とともに、火焔土器・王冠型土器、石斧や石棒、装身具、土偶などが出土しました。
十日町市の「笹山遺跡」も縄文時代の火焔型土器が出土した代表的遺跡のひとつですが、この遺跡は縄文時代と中世の遺構が重層する複合遺跡です。
縄文時代の遺跡としては、竪穴住居跡や炉跡などが、環状ないし馬蹄形に配置された集落跡があります。その中央域では埋設土器が集中し、火焔型土器を含む多数の土器、土偶、石器などが出土しており、土器型式からこの集落は縄文時代中期前葉から後期前葉の遺跡と考えられています。
この笹山遺跡から出土した国宝の深鉢形土器は、「十日町市博物館」に火焔型土器や王冠型土器とともに展示されており、縄文時代の土器について興味深く学ぶことができます。また、雪国の特徴的な積雪期用具なども展示しており、雪国の暮らしや十日町市の国指定重要文化財である「越後縮」の紡織用具などから織物の歴史も知ることができます。
縄文時代の遺跡の特徴
縄文時代の遺跡を考察すると、人類が生活を営むには、やはり水の確保、そして生活に必要な食料が得られる安全快適な自然環境が重要であったことを示唆しています。
ひまわりで有名な津南町(つなんまち)の「沖ノ原遺跡」も、信濃川の支流である中津川の河岸段丘上の高台(川床から約160m)に位置する縄文時代中期の遺跡ですが、西南方向には水源となる自然湧水がありました。
湧水と言えば、「この池はお前たちの美しい心の象徴だ。しかし、人の心の曇るとき、この池は涸れるだろう」という龍神伝説で知られる「龍ヶ窪の池」が有名ですが、この自然に囲まれた池は良質な湧水で、1日1回池全体の水が入れ替わると言われています。
「沖ノ原遺跡」は中央に広場を持つ直径約120メートルの環状集落で、火焔土器のほか沖ノ原式土器と名付けられた装飾が控えめで深鉢型の縄文時代中期の土器が出土しています。
これらの出土品は新潟県有形文化財に指定され、現在「津南町歴史民俗資料館」で展示されています。この資料館では土器以外に、クッキー状炭化物(縄文クッキー)やクリなどの植物遺体も展示されており、縄文時代における農耕論(クリ栽培)について考えさせられます。
私は、今や新型コロナウイルス感染拡大によって、人類は歴史的な変革を求められているような気がします。外出自粛や人との接触を避けるために人間社会に必要なコミュニケーションも失われつつあります。そこで、私たちは今こそ歴史を振り返り、自然と共存共生し、「共感」を大切にしていた縄文人に学ぶべき時だと思います。
「なんだ,コレは!」 信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化
所在自治体〔新潟県 三条市、新潟市、長岡市、十日町市、魚沼市、津南町〕
日本一の大河・信濃川の流域は、8000年前に気候が変わり、世界有数の雪国となった。
この雪国から5000年前に誕生した「火焔型土器」は大仰な4つの突起があり、縄文土器を代表するものである。
火焔型土器の芸術性を発見した岡本太郎は、この土器を見て「なんだ、コレは!」と叫んだという。
火焔型土器を作った人々のムラは信濃川流域を中心としてあり、その規模と密集度は日本有数である。
このムラの跡に佇めば、5000年前と変わらぬ独特の景観を追体験できる。
また、山・川・海の幸とその加工・保存の技術、アンギン、火焔型土器の技を継承するようなモノづくりなど、信濃川流域には縄文時代に起源をもつ文化が息づいている。
火焔型土器は日本文化の源流であり、浮世絵、歌舞伎と並ぶ日本文化そのものなのである。
一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定
私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。
この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。
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