平成芭蕉の日本遺産 香川県小豆島「悠久の時が流れる石の島」 | 【黒田尚嗣】芭蕉さんの旅講座




平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 香川県小豆島「悠久の時が流れる石の島」

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私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産

この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリーに対する私自身の所見を述べた記録です。

日本遺産の地を旅する~小豆島 石と共に生きる生活文化と石の宝

小豆島のエンジェルロード

小豆島のエンジェルロード

令和の日本遺産として、私が学生時代に海水浴でしばしば訪れていた小豆島を含む香川県(丸亀市・土庄町・小豆島町)と岡山県笠岡市の2市2町による

『知ってる!?悠久の時が流れる石の島~海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~』

と題した「石」の物語が、令和時代の日本遺産第1号に認定されました。

人は石を動かし、石を刻み、石を用いて暮らしをたててきました。

しかし、石は人の前に立ちはだかり、人の心に恐れや悲しみも刻み、その結果、人の心を動かして信仰の対象にもなったのです。

古代より西日本における海上交通の大動脈であった瀬戸内海の備讃諸島は、大小無数の島々が典型的な多島海を形成し、島には平地が少なく、山肌から海岸まで至る所に花崗岩の巨石がむき出しとなっています。

この備讃諸島の花崗岩と石切技術は、長きにわたり、日本の建築文化を支え、そして山の巨石は今なお島民の精神文化と結びつき、信仰の対象となっています。

今回の日本遺産認定は、この石の島にまつわる信仰や生活文化、芸能が今なお継承されている点が評価されたのです。

私はクラブツーリズムの機関紙『旅の友』の「日本遺産の地に生きる」の取材もしていますが、今回は私、平成芭蕉が学生時代の想い出を交えて小豆島の日本遺産について視察した感想をお話しします。

*参照記事:クラブツーリズム『旅の友』”日本遺産の地に生きる”「人と石が出会う島」

 

小豆島と言えば『オリーブの歌』と「エンジェルロード」

土庄港の「オリーブの歌」碑

土庄港の「オリーブの歌」碑

小豆島は私が高校から20代の頃にかけて、毎年夏休みに海水浴で訪れていた想い出の地ですが、今回は日本遺産の旅を企画するために、島の人々にとって石はどのような意味を持つのかを調査すべく、「旅の友」の取材も兼ねて、久々にりに小豆島を訪ねました。

当時は小豆島の港に着くと二葉あき子さんの「夢も楽しいそよ風に みどり明るいオリーブの」で始まる『オリーブの歌』が流れ、小豆島観光は土庄港に立つ郷土出身の壷井栄原作「二十四の瞳」のブロンズ像(平和の群像)の話から始まりましたが、今は「縁結び、幸せのスポット」として天使の散歩道(エンジェルロード)が人気を呼んでいるようです。

二十四の瞳「平和の群像」

二十四の瞳「平和の群像」

今回の来島目的は日本遺産に認定された「石の島」の魅力を調査することですが、土庄町の三枝邦彦町長や鹿島荘グループの三木営業本部長とお会いし、いろいろとお話をお伺いすると、『オリーブの歌』は聞かれなくなりましたが、昔と変わらない島の人の温かさを感じました。

小豆島の各地に残る応神天皇伝説

また、一緒にご案内いただいた土庄町商工観光課の蓮池課長の説明を受けていると、かつての記憶がよみがえってきて、海水浴の想い出だけでなく、応神天皇伝説も思い出しました。

応神天皇は母の神功皇后が難船して漂着した小豆島に、後年母を偲んで行幸されているのです。

神功皇后の「神功」という諡号(しごう)は、神勅に基づいて自ら軍を指揮して軍功をあげたことから、神(かみ)の功(いさお)とつけられたものです。

また、身重の状態でありながら自ら軍を率いて海を渡って朝鮮半島を平定し、また、子を守って国内の乱を平定したということから、安産の神であると同時に、武の神としての神威も備え、勝運、厄除け、病魔退散などの御神徳もあるといわれ、全国各地の神社で祀られています。

その息子の応神天皇は、八幡神として信仰の対象とされ、宇佐八幡宮(大分県)を発祥として全国各地に広まり、今でも「八幡さま」として親しまれているのです。

「小豆島八幡宮五社由来記」によると、石の桟敷で有名な塩土山(富丘)の富丘八幡神社は、応神天皇巡幸の跡地と伝えられています。

富丘八幡神社の石の桟敷

富丘八幡神社の石の桟敷

小豆島で必見は応神天皇お手植えの「宝生院のシンパク」

私は日本遺産の「石の島」を正しく知るには、やはり応神天皇に関する歴史も知っておいた方が良いと考え、土庄町商工会の丹生兼宏会長のご紹介もあり、応神天皇お手植えの「宝生院のシンパク」も見学しました。

このシンパク(真柏)の木の樹種はイブキで、国の特別天然記念物に指定されており、樹齢は1600年以上と推定される由緒ある木です。

通常は大木の付近には泉や川といった水源があるのですが、このシンパクは境内の高台にあり、どこから水分を得ているのか不思議な霊験を感じる場所でした。

応神天皇お手植えの真柏

応神天皇お手植えの真柏

日本書紀に記載された応神天皇の小豆島ご遊幸

応神天皇は日本書紀によると、淡路島に狩りに出られ、ついで吉備の国、さらに小豆島に遊び給い、吉備の葦守宮に入られたと言われており、島内のあちこちに天皇に関する伝説が残されています。

その小豆島ご遊幸のコースは、

・まず、四海の伊喜末(いぎすえ)にご上陸、渕崎の塩土山(富丘)に登られた後、しるしの森で柏樹
 (宝生院のシンパク)をお手植えされました。 伊喜末(いぎすえ)は、行幸(御幸)と休息の「息
 をすえる」が一緒になって「いぎすえ」となり、この字をあてたと言われています。

・また、池田の半坂で、島魂神(しまたまがみ)である大野手比売(おおぬでひめ)をご親祭あそば
 れた後、海路で西村へ向かい、水木にお着きになります。

・その後、苗羽の馬目木山(馬木)、草壁の神懸山(寒霞渓)にご登臨され、橘から船で吉備に向かわ  れましたが、風雨のため福田にご避難された。

となっています。

瀬戸内海国立公園の巨石・奇岩の象徴で名勝指定されている寒霞渓は、あまりにも険しい崖だったので、応神天皇は岩に鉤(かぎ)を懸けて登られたことから「鉤懸山」と呼ばれ、その後「神懸山(かんかけやま)」そして「寒霞渓」になったと言われています。

日本遺産「石の島」小豆島の見所

「石の島」小豆島は瀬戸内海で淡路島に次ぐ大きな島で、基盤を構成する約8000万年前の花崗岩類の上に、1300万年前~1500万年前に噴出した瀬戸内火山岩類が1000万年以上にわたる浸食を受けて形造られました。

そしてこの石の歴史については、道の駅「大坂城残石記念公園」で代表管理者の坂井さんと土庄町文化財保護審議会会長の中村先生より、当時の石の搬出に係る道具や展示資料をもとに詳しく解説していただきました。

大阪城残石記念公園

大阪城残石記念公園

小豆島では、大阪城の石垣用に切り出されながら、使用されなかった石を「残念石」と呼んでおり、この公園は残された巨石の保存と活用を図るために整備されたそうです。

その「残念石」の約400年の歴史が凝縮されているのが丁場(ちょうば)と呼ばれる石切場で、石に鉄製の矢を打ち込み、割りとることを「切る」といい、大きな石を切るためには石の目を読む高度な技術と、そのための道具が必要だったのです。

私は今回、その丁場の中でも、迫力のある重ね岩(かさねいわ)天狗岩丁場に案内していただきました。

小豆島のパワースポット「重ね岩」と「天狗岩」

特に今にも落ちそうな「重ね岩」は、小豆島のランドマークの1つで「小瀬の大黒岩」とも呼ばれており、まさしく天空のパワースポットです。

上るのは大変ですが、ここから眺める瀬戸内海の景色は絶景です。

小瀬の重ね岩

小瀬の重ね岩

また、「岩ケ谷の天狗岩」は巨大な花崗岩の未風化核石(コアストーン)からなる種石(17m×4.7m×10m)で、その周辺の残石には矢穴と黒田藩を示す刻印が残っていました。

私と同じ姓である「黒田」の刻印がなくても、石には人に語りかけてくる心があるように感じます。
これらの石を眺めていると、さまざまな思いが浮かんできて、表面に刻まれた溝と微妙な石の表情は、私のあらゆる想いを受け止めてくれるかのようでした。

すなわち、人の心は測りがたいのですが、石はすべてわかっている、と思えてくるのです。

石を観ていて飽きないのはそうした石の持つ神秘性にあるのでしょう。

また、この一帯は大自然が創り出した巨大石のアート空間とも言えます。

岩ケ谷の天狗岩

岩ケ谷の天狗岩

今も各所に利用されている小豆島の残念石

これらの残念石は、路地が入り組んだ土庄の「迷路のまち」の石垣や基礎石にも使われており、西光寺の塀や採石奉行加藤清正ゆかりの屋敷(笠井武太夫邸)にも残っていました。

しかし、小豆島産の石で特筆すべきは、樺太から台湾までにあるほとんどの三角点の石柱に使われていることです。

加藤清正宅の石壁

加藤清正宅の石壁

また、小豆島町中山地区には「日本の棚田百選」に指定されている「中山の千枚田」がありますが、こちらの石垣には崩積土中の安山岩の岩塊が利用されており、崩積土は保水性が良く、水田に適しているようです。

この中山千枚田には国指定重要有形民俗文化財の「中山農村歌舞伎舞台」があり、毎年10月上旬には「小豆島農村歌舞伎」が上演されています。

島の石材産業はこの島に富を生み出し、その営みによって歌舞伎や石切の際に歌われた石節(せきぶし)のような文化を島に遺したのでしょう。

中山の農村歌舞伎舞台

中山の農村歌舞伎舞台

日本遺産「石の島」小豆島の役割

今回の小豆島における日本遺産視察では、島民は今も石と共に生活しているように感じました。

最盛期には、石切から加工、商い、出荷、海運までの石材産業が島内で完結し、地方からも多くの職人が来島し、一大文化拠点になっていたと推察できます。

私は今、縄文時代について研究していますが、石と人との交わりは、広く深いものがあります。

矢じりや石斧の石器時代から、今現在に至るまで、石は人の暮らしに直接的な有用性をもたらす建築資材として、人に動かされてきましたが、島に残された「残念石」や今に残る巨石は、島民の精神文化と結びつき、岩肌をくり抜いた山岳霊場には、そのおかげにあやかろうと今日も多くの人が参拝に訪れています。

小豆島に残された「残念石」

小豆島に残された「残念石」

オリーブの島、小豆島が「石の島」として日本遺産認定を受けた今、備讃諸島が関係地域の連携によって、石の文化を通じた賑わいを取り戻して欲しいと願う一方、この「石の島」は、自然界の石、庭石、石の建造物、石碑など、旅を促し、旅の想い出も作り出してくれる石を見つめ直し、人と石との新しい出会いについて考える機会を与えてくれた日本遺産でした。

オリーブと石の小豆島

オリーブと石の小豆島

知ってる!?悠久の時が流れる石の島~海を越え、日本の礎を築いたせとうち備讃諸島

日本遺産ストーリー〔香川県:丸亀市、小豆島町、土庄町、岡山県:笠岡市〕

瀬戸内備讃諸島の花崗岩と石切り技術は、長きにわたり日本の建築文化を支えてきた。

日本の近代化を象徴する日本銀行本店本館などの西洋建築、また古くは近世城郭の代表である大坂城の石垣など、日本のランドマークとなる建造物が、ここから切り出された石で築かれている。

島々には、400年にわたって巨石を切り、加工し、海を通じて運び、石と共に生きてきた人たちの希有な産業文化が息づいている。

世紀を越えて石を切り出した丁場(ちょうば)は、独特の壮観な景観を形成し、船を操り巨石を運んだ民は、富と迷路のような集落を遺した。

今なお、石にまつわる信仰や生活文化、芸能が継承されている。

★平成曽良の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

by 【平成芭蕉こと黒田尚嗣】

 

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