日本遺産の地を旅する~西日本最大の森林鉄道から日本一のゆずロードへ
高知県東部の中芸地域に栄えた林業
高知県東部に位置する安芸郡の奈半利(なはり)町、田野町、安田町、北川村、馬路(うまじ)村は中芸地域と呼ばれ、かつては杉林が広がる自然を背景に林業が栄えていました。馬路村指定の天然記念物「朝日出山の大杉」など、日本三大杉美林の一つに数えられる杉林が広がる急峻な四国山脈の山並みとそこから流れる安田川と奈半利川の二本の清流には、日本一の天然鮎が泳ぎ、奈半利川河口には土佐漆喰や水切瓦、いしぐろ(石塀)が用いられた竹﨑家住宅(高田屋)で代表される屋敷や酒蔵が建ちならぶ町並みが広がっています。

奈半利町の竹﨑家住宅(高田屋)
この中芸地域において、明治末から敷設がはじまり、隧道や橋梁により中芸一帯を環状に繋いだ魚梁瀬(やなせ)森林鉄道、通称「りんてつ」は、木材の搬出だけでなく、通学に利用されたり、トロッコでお嫁入りなど、人々の暮らしに大きく関わっていました。
この木材の搬出輸送だけでなく、地域の人々の生活を支えた西日本最大の森林鉄道は、現在では「ゆずロード」としてゆず栽培産業に貢献しており、その物語は、平成29年、日本遺産「森林鉄道から日本一のゆずロードへ─ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化─」として文化庁に認定されました。
林業技術史上貴重な遺構「旧魚梁瀬森林鉄道」
銘木の魚梁瀬杉を中心とした林業が盛んであったこの中芸地域では、5町村をぐるっと一周するように材木を運ぶための森林鉄道「旧魚梁瀬森林鉄道」が駆け巡っていました。開通当時は自然の重力によって運材が行われており、山のある馬路村から多くの材木を載せた車体が線路を下り、田野町で材木を下した後は犬や牛が車体を牽いて山に戻っていました。

「旧魚梁瀬森林鉄道」
私は森林鉄道の軌道をイメージするために、まずは安田町にある「日本遺産ゆずロードミュージアム」を訪ねましたが、このゆずの魅力を伝える施設では、林業が盛んだった当時の生活がわかる資料に加え、旧魚梁瀬森林鉄道の軌道が分かりやすく示された鉄道模型が展示されていました。

日本遺産ゆずロードミュージアム
森林鉄道は材木のトラック輸送化やバスの運行などにより既にその役目を終えていますが、安田川に沿って安田川線が通っていたことがわかる五味隧道(ごみずいどう)など当時の遺構を訪れると、林業で栄えていた当時の中芸の風景が浮かんできます。

馬路村の出入り口にある五味隧道
五味隧道は切石砂岩の空積みでつくられた石造隧道で,安田川線開通時の明治44年に建設され、南坑口側は土で埋められていますが、北坑口側5.5mが建設当初のまま残っています。
森林鉄道の存在と中芸地域の柚子栽培
高知県は日本一の柚子生産地であり、その生産シェアは日本国内の約5割に達し、その多くの柚子が中芸地域で栽培されていますが、この柚子栽培には森林鉄道の存在が大きく関わっています。
1960年代、天然林が枯渇する中で、中芸地域の人々は、林業に代わる新たな産業を探さなければならず、そこで力を注いだのが柚子栽培で、「りんてつ」の軌道が敷かれた川沿いにある田畑を柚子畑に変え、木材を運び出していた山間では、山面の限られた土地に石垣を築いて段々畑を開いたのです。

ゆずの段々畑
日本遺産認定の目的として、地域経済の活性化「地方創生」がありますが、馬路村では多くの自治体が「まちおこし」の方法を模索している中、“ゆず”を独自の特産品に育て上げ、年間30億円を売り上げるまでに産業を拡大しています。

馬路村の「ゆずの森」
北川村の「モネの庭」と中岡慎太郎の功績
また、北川村はフランス芸術アカデミー並びにクロード・モネ財団によって公認された、「モネの庭」マルモッタンで知られるようになりましたが、村民にゆず栽培を奨励した幕末の志士、中岡慎太郎の出身地でもあります。

北川村の中岡慎太郎像
「モネの庭」マルモッタンには、フランスの画家クロード・モネが描いた連作「睡蓮」をモチーフにした睡蓮の池もあり、モネが「睡蓮」を描いたジヴェルニーの庭園以外では、同庭園を管理するクロード・モネ財団「アカデミー・デ・ボザール」から「モネ」を冠することを公式に認められている世界で唯一の庭園です。

「モネの庭」マルモッタン
中岡慎太郎は1838(天保9)年、現在の安芸郡北川村に大庄屋の息子として生まれ、幼い時から勉学にはげみ、田野学館で武市半平太と出会って政治活動にめざめます。家業の大庄屋職をついだ慎太郎は、「村人たちが安心して暮らせてこそ国が成り立つ」という意識を持ち、自生する柚子に注目、水田が少ない村の飢饉対策として柚子栽培を農民に奨励したとされ、現在も柚子の古木が山裾に残っています。

中岡慎太郎の生家
中芸の風景は、坂本龍馬の盟友でもあった中岡慎太郎の魂を受け継いだ人びとの手によって「林業」から「ゆず」へと変わり、木材を運んだ「りんてつ」の軌道は、ゆずを運ぶ「ゆずロード」に生まれ変わったのです。
ゆずロードでの「三感」の思い
この「りんてつ」と呼ばれた森林鉄道跡には、通常の鉄道構造物とは異なる構法で建設された堀ヶ生橋(ほりがをばし)や二股橋などの橋梁や隧道が、旧態を良好に保持しながら残っており、林業技術史上貴重な遺構となっています。

「りんてつ」跡のエヤ隧道
堀ヶ生橋は奈半利川に架かる全長43.1mの無筋コンクリート造単アーチ橋で、近代に建造された充腹式単アーチ橋で我が国最大級を誇り、二股橋は小川川に架かる全長43.6mの無筋コンクリート造二連アーチ橋で我が国最大級の無筋コンクリート造橋です。

充腹式単アーチ橋の堀ヶ生橋
私は旅に出る際、心の感動探知機を持っていきますが、北川村に残る旧魚梁瀬森林鉄道施設の堀ヶ生橋(ほりがをばし)や二股橋を通り、緑豊かな清流に沿って中芸一帯のゆずロードをめぐれば「三感」の思いでワクワクします。

愛車で二股橋を渡る
ベストシーズンの11月には、ゆずの木は黄色の実をつけ、あたり一帯に爽やかな香りが立ち込めますが、ゆずの香りと彩りに満ちた景観に「感動」、中岡慎太郎の考えに「共感」、現地のおもてなしにも「感謝」です。
森林鉄道から日本一のゆずロードへ─ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化─
日本遺産のストーリー 所在自治体〔高知県:奈半利町・田野町・安田町・北川村・馬路村〕
南国土佐の東に位置する中芸地域。
かつて西日本最大の森林鉄道が駆け巡った中芸は、林業に代わる産業としてゆず栽培に力を注ぎ、今や日本一の生産量を誇っている。
木材を運んだ森林鉄道の軌道は、ゆず畑の風景広がる「ゆずロード」に生まれ変わったのである。
川沿いや山間に広がるゆず畑を、小さくかわいい白い花、深く鮮やかな緑の葉、熟すとともに濃くなる黄色の果実が季節ごとに彩る景観。
ゆず寿司などの風味豊かな郷土料理。中芸のゆずロ ードをめぐれば、ゆずの彩りに満ちた景観と、ゆずの香り豊かな食文化を堪能することができる。
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一般社団法人日本遺産普及協会と日本遺産検定
私は2023年、「日本遺産ストーリー」を通じて地域の魅力を国内外に発信する目的で、有志とともに一般社団法人日本遺産普及協会を立ち上げました。そして、協会では日本遺産ブランドの普及と日本各地の文化や伝統の普及・活用に資する目的で日本遺産検定を実施しています。
本検定は3級・2級・1級に分かれ、まずは3級(ベーシック)が開始されていますので、「日本遺産」をはじめ「日本文化」「日本史」「地域振興」に関心のある方は、下記の『日本遺産検定3級公式テキスト』(黒田尚嗣編著・一般社団法人日本遺産普及協会監修)を参考に受験していただければ幸です。お問合せ先・お申し込み先:一般社団法人日本遺産普及協会
平成芭蕉メッセージ ~「旅の質」が人生を変える
「小説が書かれ読まれるのは人生がただ一度であることへの抗議」という言葉がありますが、私にとって旅することは、一度限りの人生を最大限に楽しむための創造活動なのです。そして私は、人生を楽しむために必要な「心のときめき」は、「知恵を伴う旅」を通じて得られると考えています。
そこでこの度、私はその知恵を伴う日本遺産や世界遺産の旅を紹介しつつ、平成芭蕉独自の旅の楽しみ方とテーマ旅行に関する企画アイデアノート、さらに著者が松尾芭蕉の旅から学んだ旅行術について紹介した『平成芭蕉の旅指南 人生が変わるオススメの旅 旅の質が人生を決める』と題した本を出版しました。このブログと合わせてご一読いただければ幸です。

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産
この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉


令和の「平成芭蕉」