令和の「平成芭蕉」

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平成芭蕉の日本遺産

平成芭蕉の日本遺産 自然と信仰が息づく出羽三山『生まれかわりの旅』 

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日本遺産の地を旅する~丑年の御縁年に自然と信仰が息づく出羽三山『生まれかわりの旅』

今夏、集中豪雨による洪水や土砂災害がニュースで報じられると、私は月山を水源とし、出羽の豊富な湧水を集めながら最上川に合流する立谷沢川流域が気にかかります。

立谷川の砂防堰堤

立谷沢川は、今日では「東の四万十川」と呼ばれる全国有数の清流ですが、かつては豪雨のたびに暴れ川となり、洪水の被害を及ぼしていました。そのため、月山の奥深くに鎮座する「龍神様」に祈りをこめて氾濫を鎮めてもらっていたと言われています。

月山に祀られた龍神様

そして、今も鉢子皇子(はちこのおうじ)ゆかりの羽黒古道鉢子地区には多くの龍神供養塔が設けられていますが、今日では龍神様に加えて六淵・瀬場ダムのような砂防堰堤が地元民の家や命を守っています。

鉢子の龍神供養碑

新型コロナウイルス感染拡大に加えて前線停滞による集中豪雨など、2021年は大変な災害に見舞われていますが、丑年の今年は、その鉢子皇子が開山した月山(1984m)、湯殿山(1504m)、羽黒山(414m)の出羽三山の御縁年で、三山大神様の御神徳が最も高まる年とされています。

出羽三山では、それぞれの開山の年を御縁年(羽黒山/午・月山/兎・湯殿山/丑)としていますが、最後に開かれた湯殿山が丑年の開山であったことから、開山成就の丑年が「山の御縁年」とされ、丑年にお参りをすれば12回お参りをしたのと同じご利益があると言われているのです。

湯殿山の御神牛像

この出羽三山を巡る旅は、江戸時代に庶民の間で『生まれかわりの旅』として広がり、日本古来の修験道の精神を今に伝えていることから、その物語が「自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』」として日本遺産に認定されました。

鉢子皇子が開山した修験道の聖地「出羽三山」

出羽三山は独立した3つの山ではなく、月山を主峰として峰続きの北の端に羽黒山、西方に湯殿山が連なり、約1400 年前に崇峻天皇の御子である蜂子皇子が開山した日本有数の修験道の聖地です。

鉢子地区の羽黒山参詣古道

修験道とは日本古来の自然信仰に仏教や密教が習合して生まれた日本独自の山岳信仰で、羽黒修験道では、羽黒山は人々の現世利益を叶える「現在の幸せを祈る山(現在)」、月山はその高く秀麗な姿から祖霊が鎮まる「死後の安楽と往生を祈る山(過去)」、湯殿山はお湯の湧き出る赤色の巨岩が新しい生命の誕生を表す「生まれ変わりを祈る山(未来)」と見立てられました。

すなわち、羽黒山が現世(正観世音菩薩=観音浄土=現在)月山が前世(阿弥陀如来=阿弥陀浄土=過去)湯殿山が来世(大日如来=寂光浄土=未来)という三世の浄土を表すとされたのです。

月山頂上の月山神社

そして近世には、羽黒山から入って月山で死とよみがえりの修行を行い、湯殿山で再生という巡礼が多く行われ、生まれ変わり(死と再生)の意味をもった「三関三渡(さんかんさんど)」の旅が、庶民の間で現在・過去・未来を巡る『生まれかわりの旅』として広がったのです。

現在の羽黒山は神道ですが、明治5(1872)年までの神仏習合の時代は、羽黒山は修験道の聖地であり、「四季の峰」と呼ばれる年に四回の入峰修行(にゅうぶしゅぎょう)が行われていました。これは死霊が父の精を受けて母の胎内に宿り、その生命が修行を通して生まれ変わるという死と再生の儀礼でした。

私は『奥の細道』で松尾芭蕉がたどったルートで、清川から「いのりの道」を経由し、羽黒山、月山、湯殿山の順に巡りました。出発点の清川は、江戸時代には交通の要所であったために関所が置かれ、「舟つなぎの榎」や井戸跡が残っており、芭蕉像も立てられています。

清川関所跡に建つ芭蕉像

まず登拝口の一つ「七五三掛口(しめかけくち)」にある注連寺に立ち寄りましたが、弘法大師が修行したと伝えられる境内の樹齢約200年の七五三掛桜(カスミザクラ)は、御縁年の丑年にはひとりでに注連(しめ)が掛かるという伝説があるそうです。

注連寺の七五三掛桜

現在の世を表す羽黒山

最初に訪れた羽黒山は、出羽三山の中でも最も低い山で、蜂子皇子が現在の世を生きる人々を救う聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を祀ったことから、「現在の世を表す山」と言われています。

入り口の随神門から山頂までの約2kmの参道は、日本屈指の段数を誇る2,446段の石段と両側に立つ樹齢300~500年の杉並木が続き、修験者になった気分が味わえます。芭蕉が「涼しさやほの三日月の羽黒山」と詠んだ南谷は、石段参道を「三の坂」の手前で右折したところにある客殿跡の史跡です。

参道の途中、開山当時から参詣者を見守り続ける樹齢1,000年を超える爺(じじ)スギを見学し、神々しい雰囲気と静寂な空気に包まれる中、歩を進めるとやがて素木(しらき)造りの国宝五重塔が現れます。

羽黒山爺スギと国宝五重塔

芭蕉は「奥の細道」の中で、「羽黒山というのは、羽州の黒山の州の字を省略して羽黒山と言うのではないだろうか」と記していますが、長い年月の風雪に耐えて凜と佇む五重塔は、やや煤を被ったようで、付近は黒っぽい山のようにも見えます。

そして羽黒山山頂にある三神合祭殿(さんじんごうさいでん)は、厚い茅葺屋根で覆われており、羽黒山の祭神に加えて冬期には参拝できない月山と湯殿山の祭神を合祀しています。参詣者はここで、諸願成就などの現在での願いを託すとともに『生まれかわりの旅』の成就を願った後、月山そして湯殿山へと旅を続けます。

羽黒山の三神合祭殿

私は羽黒山伏「冬の峰」の参籠所として使用される「羽黒山斎館」で精進料理を食べましたが、それぞれの料理には「出羽の白山島」、「月山の掛小屋」など三山信仰にゆかりのある場所の名がつけられており、山伏の食文化に触れることができました。

過去の世を表す月山

磐梯朝日国立公園の特別区域に指定されている月山は、珍しい半円形のアスピーデ型火山で、「祖霊が鎮まる山」として崇められ、「過去の世を表す山」と言われています。車で月山八合目まで上ると、極楽浄土を意味する弥陀ヶ原(みだがはら)と呼ばれる湿原があり、夏には高山植物が咲き乱れる中を散策することができます。

月山八合目の景観

私は湿原の中にある中之宮の御田原神社に参拝した後、険しい岩場を超えて山頂「おむろ」の月山神社にもお参りしましたが、この月山神社は夜を司る月読命(つくよみのみこと)が祀られており、月の使者とされる兎にちなんで、月山では卯年を御縁年としています。

明治以前の神仏習合の時代、月山には月読命と阿弥陀如来も祀られ、月山権現として崇められており、参詣者は八合目の弥陀が原で一旦死んだものとして取り扱われ、阿弥陀如来をまつる山頂で死後の安寧と極楽往生を祈願しました。

月山の弥陀ヶ原

湿原「弥陀ヶ原(みだがはら)」の由来を江戸時代の文献に求めると、「小屋の岩頭に阿弥陀如来の銅像を安置したことから、俗に呼ぶ弥陀ヶ原と旧記に載る所は御田ヶ原である。」とあり、天照大神の御田としての「御田ヶ原」と記されています。

そして御田原神社に祀られる奇稲田姫神は稲田の守護神であり、豊穣の神であることから、農耕神でもある月山神の摂社として配せられているのです。

月山神社を遥拝する御田原神社

未来の世を表す湯殿山

湯殿山は、山頂からお湯の湧き出る赤い巨岩の御神体に新しい命を産み出す女性の神秘を重ね、万物を産み出す山の神とされる大山祗命(おおやまつみのみこと)が祭神として祀られたことから、「未来の世を表す山」と言われています。そしてむき出しの岩肌や大小の滝など大自然を感じさせるこの山は、山伏が滝行や御沢駆(おさわがけ)などの「荒行」を行う行場(ぎょうば)でもありました。

湯殿山本宮神社の鳥居

私たち参詣者は、この大自然の中で裸足になって御神体に触れ、掌(てのひら)と足の裏に伝わる地熱の温かさを大地のエネルギーとして体感することができます。

湯殿山では、その苦しい修行は産みの苦しみを表すとされ、自然への畏怖と圧倒的な生命力を強く感じさせることにより、人はこの山に生まれかわりを祈るのです。そして、湯殿大神の慈悲で、この世に産み落とされ再生すると言う図式になっています。

湯殿山は、古来、「総奥の院」(最も大切な場所)とされ、「語る無かれ」「聞く無かれ」と戒められた清浄神秘の世界にあり、芭蕉も「奥の細道」の中で、修行者の法式として他言する事を禁じているので「語られぬ湯殿に濡らす袂かな」と詠んでいます。

湯殿山神社本宮の案内

2021年7月には「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されましたが、縄文時代の遺跡を調べると、日本においては古くから万物に神の存在を認め、山や巨岩、木や動物などを神そのものとする考えや、山が神の住処であるとする考えがあったようです。また人間は神の宿る山から魂を授かり、この世に生を受けて、死後その山へおもむき、神として鎮まるとも考えられていました。

そのため月山のような高くて形のよい山は、豊かさの源であり、魂の静まる地であると同時に、神聖な場所として敬われていたと推察できます。出羽三山は今日でも日本屈指の霊場ですが、私は縄文人にとっても信仰を集める聖地であったと思います。

月山の碑

自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』~樹齢300年を超える杉並木につつまれた2,446段の石段から始まる出羽三山~

日本遺産ストーリー 〔山形県:鶴岡市・西川町・庄内町〕

山形県の中央に位置する出羽三山の雄大な自然を背景に生まれた羽黒修験道では、羽黒山は人々の現世利益を叶える現在の山、月山はその高く秀麗な姿から祖霊が鎮まる過去の山、湯殿山はお湯の湧き出る赤色の巨岩が新しい生命の誕生を表す未来の山と言われます。

三山を巡ることは、江戸時代に庶民の間で『生まれかわりの旅』として広がり、地域の人々に支えられながら、日本古来の、山の自然と信仰の結び付きを今に伝えています。

羽黒山の杉並木につつまれた石段から始まるこの旅は、訪れる者に自然の霊気と自然への畏怖を感じさせ、心身を潤し明日への新たな活力を与えます。

羽黒山の五重塔

日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産!

「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されることを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』とともにご一読下さい。

★平成芭蕉ブックス
 ①『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
 ②『人生は旅行が9割 令和の旅指南Ⅰ』: 長生きして人生を楽しむために 旅行の質が人生を決める
 『縄文人からのメッセージ 令和の旅指南Ⅱ』: 縄文人の精神世界に触れる 日本遺産と世界遺産の旅 
 ④『松尾芭蕉の旅に学ぶ 令和の旅指南Ⅲ』:芭蕉に学ぶテーマ旅 「奥の深い細道」の旅 

平成芭蕉「令和の旅指南」シリーズ

私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って日本遺産を旅しています。

平成芭蕉の日本遺産

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この「平成芭蕉の日本遺産」は、単なる日本遺産登録地の紹介や旅情報の提供ではなく、「平成芭蕉」を自称する私が、実際に現地を訪れて、地元の人と交流し、私が感じたことや認定されたストーリー対する私自身の所見を述べた記録です。

「令和の旅」へ挑む平成芭蕉

★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」

*「平成芭蕉の旅物語」サイトマップ参照

 

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