南太平洋上の絶海の孤島に立つモアイ像からのメッセージ
イースター島オロンゴ儀式村の鳥人儀式
千葉県銚子市の愛宕山頂上にある「地球の丸く見える丘展望館」の展望台からは九十九里浜をはじめとする視界360度のパノラマが満喫できて、地球が丸いことが実感できます。しかし、世界で最も地球が丸いことを実感できる場所は、モアイ像で有名なイースター島かと思います。
イースター島は、チリの西約3,700km沖に位置しており、この地で初めてモアイ像を造ったのはポリネシアに起源をもつ長耳族と言われています。11世紀頃までの長耳族のモアイは5~7mの高さでしたが、南米から移住してきた短耳族は10mを超えるモアイを造るようになりました。
イースター島の中心都市、バンガロアの西南に位置するラノ・カウの山頂、オロンゴ岬の断崖絶壁に立つと、太平洋を踏んづけているような気分になり、水平線が丸く見えることから、地球が丸い球体であると実感できます。また、このオロンゴ地域は、鳥に似た頭を持つ人の姿をした神を崇拝し、島のリーダーを選出する鳥人儀式(タンガタ・マヌ)が行われていた神域で、オロンゴ儀式村と呼ばれています。
「タンガタ・マヌ」とは、「鳥人」の意味で、鳥人になるとマナ(霊力)を持ち、そして鳥人は1年間、イースター島における宗教的・政治的な実権を握ることができたのです。オロンゴ儀式村の岬のすぐ近くには、手前から「モトゥ・カオ・カオ」、「モトゥ・イティ」、「モトゥ・ヌイ」の3つの島があります。
これらの島は、イースター島で天地創造の神とされている「マケマケ神」が、マヌ・タラ(グンカン鳥)と呼ばれる渡り鳥に与えた地で、それ以来、グンカン鳥は、春になるとそこで卵を産むようになったと言われています。そこに、各部族の首長たちがそれぞれ自分の部下を1名指名して、マヌ・タラの卵を取りに行かせ、その卵を一番早く持ち帰った部族の首長が、マケマケ神の化身である鳥人になることができたのです。
キャプテン・クックが上陸した輝ける偉大な島「ラパ・ヌイ」のモアイ像
このような儀式が行われていた背景には、絶海の孤島であるイースター島では、自由に海を越えて飛ぶ鳥こそが、神の力を宿すものと信じられていたからです。そして島民はこの島を「輝ける偉大な島」という意味のラパ・ヌイと呼んでいます。イースター島と名付けたのは、1722年に西洋人として初めて島に上陸したオランダ人で、上陸の日が復活祭(イースター)であったことからイースター島と命名されました。
1774年には「可能な限り遠くまで行きたい」という野望を抱いたキャプテン・クックがこの島を訪れていますが、最初に倒壊したモアイを発見した彼は、感想を自身の探検記に記しています。
「機械力に関する知識のない民族が、このようにすばらしい巨像を立て(中略)、頭の上に円筒形の石をのせた、ということはほとんど想像を絶している」 『クック 太平洋探検』岩波文庫
世界文化遺産に登録されている「ラパ・ヌイ国立公園」には、凝灰岩を削って造られた約900体のモアイ像が残っていますが、観光客に一番人気なのが「アフ・トンガリキ」という遺跡です。ここにはイースター島を象徴する景色が広がり、高さ5メートルを超える巨大な15体のモアイ像が、「アフ」と呼ばれる祭壇の上に整然と並んでいます。
しかし、このアフ・トンガリキの遺跡ですが、かつてはこのような美しい景観ではなく、モアイ像は倒れてガレキに埋もれ、無残な状態で放置されていたのです。この悲惨な状態のモアイ像を救ったのは、香川県に本社を置くクレーン・メーカーのタダノでした。約7年の歳月をかけて自社のクレーンでモアイ像を立て直すプロジェクトを敢行し、終了した年に、奇しくも「ラパ・ヌイ国立公園」が世界遺産に登録されたのです。
アフ・トンガリキのモアイからのメッセージ
そもそもイースター島のモアイは何のために作られたのでしょうか?島に人が住み始めた時期には諸説ありますが、近年の研究では 1200 年頃にカヌーで来たポリネシア人が入植したと言われており、当初は巨大な椰子(チリサケヤシ)の木が茂る緑豊かな楽園のような島でした。そして多くの植物と多種多様な動物や魚類によって人々は豊かに暮らし、人口は増えて島内には50近くの集落が生まれました。
モアイはその集落を守る守護神のような存在で、集落ごとにモアイが建てられましたが、しだいに集落間でモアイを競うようになりました。そこでより大きくて立派なモアイを作り、それを運ぶためには大量の木材が必要となったのです。木材はモアイを運ぶだけでなく、漁をする船を作るのにも必要でした。
そのために椰子の木は次々に伐採され、やがて栄養豊かな土壌は保水力を失い、農作物の収穫が減少して食糧難に陥ったのです。そして16世紀頃には森林が消失するにつれて農業も漁業も困難になり、人口増などによる食糧難から耕作地や漁場をめぐって、集落間で奪い合いの戦争が起きたのです。
この争いの時に、互いに相手のモアイを倒す「フリ・モアイ」が行われ、ついには人が人を食べるという恐ろしい行為まであったと言われています。豊かで幸せに暮らしていた島は一変、地獄のような世界になってしまったのです。その後も島民達はヨーロッパ人に奴隷にされたり、天然痘の猛威により絶滅寸前になりました。
現在、私たちは新型コロナウイルス感染拡大による脅威にさらされていますが、環境破壊を続けると人間はやがてこの島の人々のようになってしまうかもしれないのです。モアイ像の製作場所であったラノ・ララク山からアフ・トンガリキの朝日を眺めると、太陽に照らされた15体のモアイ像は、「自然を再生能力以上に収奪すると、社会の崩壊を招く」という大切なメッセージを伝えてくれているように感じます。
祝!日本の縄文文化「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産登録
「北海道と北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたことを記念して、私はみちのくを旅した芭蕉の研究本『松尾芭蕉の旅に学ぶ』と共に『縄文人からのメッセージ』というタイトルで縄文文化を語り、平成芭蕉の『令和の旅指南』シリーズ(Kindle電子本)として出版しました。人生100歳時代を楽しく旅するために縄文人の精神世界に触れていただければ幸いです。
また、日本人の心に灯をつける『日本遺産の教科書』、長生きして人生を楽しむための指南書『人生は旅行が9割』、感情の老化を防ぐ私の旅日記である『生まれ変わりの一人旅』とともにご一読下さい。
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⑤『日本遺産の教科書 令和の旅指南』: 日本人の心に灯をつける 日本遺産ストーリーの旅
★関連記事:平成芭蕉の旅のアドバイス「旅して幸せになる~令和の旅」
私は平成芭蕉、自分の足で自分の五感を使って世界遺産を旅しています
「平成芭蕉の世界遺産」はその世界遺産についての単なる解説ではなく、私が実際に現地に赴いてその土地に生きる人たちと交流した際に感じた感動の記録です。